2 / 76
本編
第1話:モフモフの魔物
しおりを挟む
古来より、四大元素(地水火風)が豊富な土地には、魔力の素が集まり、魔物が生まれると伝わっている。
例えばここは、魔樹の森と呼ばれる広大な森であるが、森は、火以外の三元素が揃っているという事もあり、魔物が発生するには好条件である。
森の中央には、魔樹と呼ばれる樹齢数千年の大樹が、広範囲に渡って根を下ろしている。その周辺から生まれる魔物は強力で、人間たちがこの森に足を踏み入れない理由の一つであった。
今まさに、大樹に空いた小さな穴、その中で一匹の魔物が生まれようとしていた。魔力が集まり収縮し、高エネルギー体となっていく。すると、次第に魔物の形へと変化していき、その全貌が露となる。
姿を現したのは、大きな毛玉。いや、楕円状なので饅頭だろうか。大きさは、女性の肩幅より少し小さいぐらい。
純白の体毛はふわっふわで、細く柔らかい毛先は風に吹かれると、いとも簡単になぎ倒される。
くりくりの目を見開き、ハムスターのような口を半開きにして「むきゅ」と産声を上げた。
手足は無い。あるのは、二本の触角だけである。細長い触角の先端には、丸いボンボンが付いていて、これもまた柔らかい毛で覆われている。
他に特徴があるとすれば、眉間に走る三筋の黒毛だろうか。縦に走る黒線は、他の毛よりも少しだけ長く、表情の変化によって形を変えるので、眉毛のようにも見える。
魔物は触角を操り、周囲を探り始めた。ぽふぽふ、と大樹の感触を確認する。次に、小さな穴から顔を出して、外の様子を覗き見る。
視界に広がるのは薄暗い森。豊潤な葉をまとった木々が連なり、その濃い緑に陽が遮られてしまっている。
近くには沢があり、チョロチョロと流れる水の音が周囲に響く。
パチパチと何度か瞬きした後、小さく円を描くように触角を動かし始めた。
すると――
「むきゅう!」
びびっと頭に電気が走り、魔物は嬉しそうに鳴き声を上げた。
生まれたばかりではあるけれど、何をすれば良いのか本能が教えてくれる。触角が反応した方角――その遥か先、そこに己が求める何かがあると直感したのだ。
だから魔物は喜んだ。まだ見ぬ何かを想像すると、心が躍るのだ。ワクワクする気持ちは、まるで新米の冒険者のようだった。
「むきゅう!!!」
上がったテンションに身を任せ、ぴょんっと飛び跳ねる。勢い余って大樹の穴から飛び出すと、そのまま数メートル落下した。穴は思いのほか高い位置にあったのだ。
しかし、魔物にダメージは無かった。地面にぶつかり何回もバウンドした後、コロコロと転がり停止する。
頭上には地面が広がり、眼下には緑の葉と空が広がる。
「むきゅう?」
自分が逆さに転がっていることに気がつくと、魔物は体をコロンと回転させてニュートラルな状態に戻す。ほっと束の間、すぐに目標の方角を再確認すると、すみやかに移動を開始した。
体を縮めた後、上下に伸ばす。スプリングの要領で、ぴょんぴょんと大地を飛び跳ね移動する。その度、モフモフの体毛が上下して、体全体はゴムボールのように変形するのだった。
移動するのは大変だけれど、進む以外の道はない。目標がどれだけ遠くても、そこに辿り着く事こそが、己の存在する理由なのだと知っているからだ。
目に飛び込んでくる景色の全てが新鮮だった。緑の草木が永遠と続いている退屈な光景も、生まれたばかりの魔物には真新しく楽しげに感じる。
次は何が出てくるのだろうと期待を膨らまし、触角を左右に揺らしつつ、るんるん気分で闊歩する。そうして歩くうち、しばらく進むと湖に出た。小さな湖ではあるけれど、水は透き通っており、緑の木々を反射して青緑に輝いている。
魔物は喉が渇いたなと思い、湖の畔まで移動すると身を乗り出して口をつけ、ぐびぐびと飲み始めた。
「むきゅう」
十分な水分を補給し、満足した魔物は上機嫌だった。すると、今度は小腹がすいている事に気がつき、キョロキョロと辺りを見回す。
湖畔には、他の魔物の姿もあった。そこは平和で、草食系の魔物がひしめきつつも、仲良く水浴びをしていた。中には子連れの魔物もいて、愛おしそうにわが子に水をかけている。
モフモフの魔物は、魔力の素から生まれた第一世代であるので、親の愛情というものを知らない。ただ、なぜかその光景を見ていると得体の知れない不安を覚え、寂しそうに鳴いた。
しょんぼりと肩を落とす――と、ふいに視界の端に黄色い影が過ぎる。何だろうと目を向けると、ひらひらと空を舞う一匹の蝶が目に入った。
魔物はとても興味を引かれたので、触角を操り先端のボンボンで触れてみようとする。が、蝶はひらりと避けて森の奥地へと逃げていく。魔物は何だか楽しくなって、嬉しそうに蝶を追いかけ始めた。
木々の合間を進み、ぴょこぴょこと進んで行くと――コツン、と頭に何かが当たった。疑問符を浮かべ、頭部にぶつかったソレを目で追う。地面に転がっていたのは、大きな果実だった。
健康的な赤い実は、陽に照らされピカピカに輝いていて、魔物の食欲を大いに刺激する。魔物は触角を操り、先端のボンボンを果実へ密着させると、そのまま持ち上げた。
ボンボンに粘着力がある訳ではなく、それを可能にしたのは魔物が使う原始的な魔法であった。
薄っすらと魔力を発したボンボンは、磁石が鉄を引き寄せるように果実を引き寄せることが可能だ。手のない魔物は、触角を使って食事を取るのである。
スンスンと匂いを嗅ぎ(体毛に覆われて見えないが小さな穴が二つある)、異常がないことを感じ取ると口を大きく開けてかぶりついた。
しゃりしゃり。
甘味が口中に広がり、そして体中に広がっていく。魔物は歓喜の声を上げ、満足げに鳴いた。
お腹が膨れると今度は急激に眠くなる。大きな欠伸を一つすると、魔物は触角のボンボンで目を覆い、アイマスク代わりにすると転寝を始めた。
そよそよと流れる風が、魔物の全身を優しく撫でてくれた。
◇◇◇◇◇
張り詰めた空気だった。
目を覚ました魔物は、明らかに変容した森の雰囲気を感じ取っていた。
木々がざわめき、森全体が殺気立っている――その闘志のような怒りのようなビリビリとした空気が、体中に伝わってくる。そわそわと落ち着かない気分になり、不安から弱々しく鳴いた。
「むきゅう……」
魔物の問いへ答えるように、森からは様々な威嚇音が聴こえてくる。続いて、激しい音と衝撃が地面を叩き伝わる。ちょこんと座った魔物へも振動が伝わり、体がぶるぶると上下に揺れる。
どうやら複数の魔物が何者かと戦っているようだ。けれど、魔物同士の喧嘩では無いと直感した。もしそうであるならば、森全体が殺気立ったりはしない。これは、そう――森の外からやってきた異物への拒絶反応に近い。
しかし、魔物は逃げようとしなかった。目指すべき方角と、激戦が繰り広げられているであろう方角が同じであったからだ。
魔物は勇気を振り絞るように二つの触角をポンポンと叩き合せると、震える体に鞭打って第一歩を踏み出した。
揺れる地面に悪戦苦闘し、何度も転がりながら前進する。前に転がり、横に転がり、一際大きな振動で後ろに転がり、と思うように進めない。
コロコロ、コロコロ。
それでも魔物は歩みを止めなかった。喉は潤った、お腹は膨れた、睡眠も十分に取った。生存に必要なすべての欲求を満たした以上、本能に従い、目標に向けて行進するしか道はない。
死地に誘われるように、一歩、また一歩と危険地帯に近づいて行くのだ。
そして、進めば進むほど不愉快な臭いが濃度を増していった。それは死の香りであり、多くの魔物が絶命したことを意味している。魔物は眉をひそめるように額の三本線を歪めたが、やはり前進を止めたりはしなかった。
コロコロ、コロコロ。
何度目の転倒だったろうか、魔物が起き上がると地面の揺れは止まっていた。耳に届いていた獣の遠吠えや、威嚇音はピタリと止んで静かな森に戻っている。しかし、それは不自然な静寂――生きる者が居なくなったために訪れた偽りの平和。
「むきゅう……」
静寂に包まれたのは一瞬だけだった。目の前の茂みがガサガサと揺れて、一匹の魔物が飛び出してきたからだ。
魔眼狼と呼ばれる獣系の魔物で、鋭利な爪による近接攻撃と闇属性の魔法による遠距離攻撃を使い分け、この森の中でも最上位に位置する大型の魔物である。
ピラミッドの頂点である魔眼狼であるが、王者としての余裕は感じられない。全身の毛は逆立ち、その一本一本から殺気が滲みでているし、背中には刃による切り傷が無数にあり、灰銀の毛並みは紅に染まりつつある。
サソリのように反り返らせた長い尻尾の先端には大きな目玉がついていて、モフモフの魔物を凝視している。
「グルルルル……」
巨躯を震わせ、憎しみを乗せた眼光が魔物を射抜く。威嚇と共に開かれる大きな口、唾液が滴る鋭利な牙、反り返った尻尾の先にある――大きな目玉。
それらが余りにも恐ろしくて、目を逸らしたい衝動に駆られたが、恐怖から視線を動かせなかった。そこで魔物は閃いて、触角のボンボンで目を覆った。
しかし、それがいけなかった。戦意を見せなかったことで、魔眼狼は獲物と判断したようだ。或いは、手負いの獣は、誰彼構わず襲いたかっただけなのかもしれない。
魔眼狼は唸りを上げると、尻尾の魔眼を大きく開き、妖光を発した。
途端、体が動かなくなった。辛うじて触角は動かせたが、体は麻痺して動かない。逃げるという選択肢を奪われたのだ。
魔眼狼は躊躇することなく、一直線に駆け出した。機敏な動きであっという間に距離を詰める。
禍々しいまでの強大な魔力の塊が、眼前まで迫っているのを感じる。それは余りに大きく、己の内包する魔力とは桁違いで、もうどうしようも無いのだと悟った。
怖かった。
体が震えた。
けれど、ボンボンを除けて直視する勇気は無かった。迫りくる死を予感しながら、魔物は固く目を瞑った。
痛み――を覚悟した。
死――を覚悟した。
その時を――
衝撃を――
短い人生の終わりを――
……待った。
けれど、その時は来なかった。
いつまで待っても襲ってこない衝撃……魔物は体を傾け、疑問系で鳴いた。
例えばここは、魔樹の森と呼ばれる広大な森であるが、森は、火以外の三元素が揃っているという事もあり、魔物が発生するには好条件である。
森の中央には、魔樹と呼ばれる樹齢数千年の大樹が、広範囲に渡って根を下ろしている。その周辺から生まれる魔物は強力で、人間たちがこの森に足を踏み入れない理由の一つであった。
今まさに、大樹に空いた小さな穴、その中で一匹の魔物が生まれようとしていた。魔力が集まり収縮し、高エネルギー体となっていく。すると、次第に魔物の形へと変化していき、その全貌が露となる。
姿を現したのは、大きな毛玉。いや、楕円状なので饅頭だろうか。大きさは、女性の肩幅より少し小さいぐらい。
純白の体毛はふわっふわで、細く柔らかい毛先は風に吹かれると、いとも簡単になぎ倒される。
くりくりの目を見開き、ハムスターのような口を半開きにして「むきゅ」と産声を上げた。
手足は無い。あるのは、二本の触角だけである。細長い触角の先端には、丸いボンボンが付いていて、これもまた柔らかい毛で覆われている。
他に特徴があるとすれば、眉間に走る三筋の黒毛だろうか。縦に走る黒線は、他の毛よりも少しだけ長く、表情の変化によって形を変えるので、眉毛のようにも見える。
魔物は触角を操り、周囲を探り始めた。ぽふぽふ、と大樹の感触を確認する。次に、小さな穴から顔を出して、外の様子を覗き見る。
視界に広がるのは薄暗い森。豊潤な葉をまとった木々が連なり、その濃い緑に陽が遮られてしまっている。
近くには沢があり、チョロチョロと流れる水の音が周囲に響く。
パチパチと何度か瞬きした後、小さく円を描くように触角を動かし始めた。
すると――
「むきゅう!」
びびっと頭に電気が走り、魔物は嬉しそうに鳴き声を上げた。
生まれたばかりではあるけれど、何をすれば良いのか本能が教えてくれる。触角が反応した方角――その遥か先、そこに己が求める何かがあると直感したのだ。
だから魔物は喜んだ。まだ見ぬ何かを想像すると、心が躍るのだ。ワクワクする気持ちは、まるで新米の冒険者のようだった。
「むきゅう!!!」
上がったテンションに身を任せ、ぴょんっと飛び跳ねる。勢い余って大樹の穴から飛び出すと、そのまま数メートル落下した。穴は思いのほか高い位置にあったのだ。
しかし、魔物にダメージは無かった。地面にぶつかり何回もバウンドした後、コロコロと転がり停止する。
頭上には地面が広がり、眼下には緑の葉と空が広がる。
「むきゅう?」
自分が逆さに転がっていることに気がつくと、魔物は体をコロンと回転させてニュートラルな状態に戻す。ほっと束の間、すぐに目標の方角を再確認すると、すみやかに移動を開始した。
体を縮めた後、上下に伸ばす。スプリングの要領で、ぴょんぴょんと大地を飛び跳ね移動する。その度、モフモフの体毛が上下して、体全体はゴムボールのように変形するのだった。
移動するのは大変だけれど、進む以外の道はない。目標がどれだけ遠くても、そこに辿り着く事こそが、己の存在する理由なのだと知っているからだ。
目に飛び込んでくる景色の全てが新鮮だった。緑の草木が永遠と続いている退屈な光景も、生まれたばかりの魔物には真新しく楽しげに感じる。
次は何が出てくるのだろうと期待を膨らまし、触角を左右に揺らしつつ、るんるん気分で闊歩する。そうして歩くうち、しばらく進むと湖に出た。小さな湖ではあるけれど、水は透き通っており、緑の木々を反射して青緑に輝いている。
魔物は喉が渇いたなと思い、湖の畔まで移動すると身を乗り出して口をつけ、ぐびぐびと飲み始めた。
「むきゅう」
十分な水分を補給し、満足した魔物は上機嫌だった。すると、今度は小腹がすいている事に気がつき、キョロキョロと辺りを見回す。
湖畔には、他の魔物の姿もあった。そこは平和で、草食系の魔物がひしめきつつも、仲良く水浴びをしていた。中には子連れの魔物もいて、愛おしそうにわが子に水をかけている。
モフモフの魔物は、魔力の素から生まれた第一世代であるので、親の愛情というものを知らない。ただ、なぜかその光景を見ていると得体の知れない不安を覚え、寂しそうに鳴いた。
しょんぼりと肩を落とす――と、ふいに視界の端に黄色い影が過ぎる。何だろうと目を向けると、ひらひらと空を舞う一匹の蝶が目に入った。
魔物はとても興味を引かれたので、触角を操り先端のボンボンで触れてみようとする。が、蝶はひらりと避けて森の奥地へと逃げていく。魔物は何だか楽しくなって、嬉しそうに蝶を追いかけ始めた。
木々の合間を進み、ぴょこぴょこと進んで行くと――コツン、と頭に何かが当たった。疑問符を浮かべ、頭部にぶつかったソレを目で追う。地面に転がっていたのは、大きな果実だった。
健康的な赤い実は、陽に照らされピカピカに輝いていて、魔物の食欲を大いに刺激する。魔物は触角を操り、先端のボンボンを果実へ密着させると、そのまま持ち上げた。
ボンボンに粘着力がある訳ではなく、それを可能にしたのは魔物が使う原始的な魔法であった。
薄っすらと魔力を発したボンボンは、磁石が鉄を引き寄せるように果実を引き寄せることが可能だ。手のない魔物は、触角を使って食事を取るのである。
スンスンと匂いを嗅ぎ(体毛に覆われて見えないが小さな穴が二つある)、異常がないことを感じ取ると口を大きく開けてかぶりついた。
しゃりしゃり。
甘味が口中に広がり、そして体中に広がっていく。魔物は歓喜の声を上げ、満足げに鳴いた。
お腹が膨れると今度は急激に眠くなる。大きな欠伸を一つすると、魔物は触角のボンボンで目を覆い、アイマスク代わりにすると転寝を始めた。
そよそよと流れる風が、魔物の全身を優しく撫でてくれた。
◇◇◇◇◇
張り詰めた空気だった。
目を覚ました魔物は、明らかに変容した森の雰囲気を感じ取っていた。
木々がざわめき、森全体が殺気立っている――その闘志のような怒りのようなビリビリとした空気が、体中に伝わってくる。そわそわと落ち着かない気分になり、不安から弱々しく鳴いた。
「むきゅう……」
魔物の問いへ答えるように、森からは様々な威嚇音が聴こえてくる。続いて、激しい音と衝撃が地面を叩き伝わる。ちょこんと座った魔物へも振動が伝わり、体がぶるぶると上下に揺れる。
どうやら複数の魔物が何者かと戦っているようだ。けれど、魔物同士の喧嘩では無いと直感した。もしそうであるならば、森全体が殺気立ったりはしない。これは、そう――森の外からやってきた異物への拒絶反応に近い。
しかし、魔物は逃げようとしなかった。目指すべき方角と、激戦が繰り広げられているであろう方角が同じであったからだ。
魔物は勇気を振り絞るように二つの触角をポンポンと叩き合せると、震える体に鞭打って第一歩を踏み出した。
揺れる地面に悪戦苦闘し、何度も転がりながら前進する。前に転がり、横に転がり、一際大きな振動で後ろに転がり、と思うように進めない。
コロコロ、コロコロ。
それでも魔物は歩みを止めなかった。喉は潤った、お腹は膨れた、睡眠も十分に取った。生存に必要なすべての欲求を満たした以上、本能に従い、目標に向けて行進するしか道はない。
死地に誘われるように、一歩、また一歩と危険地帯に近づいて行くのだ。
そして、進めば進むほど不愉快な臭いが濃度を増していった。それは死の香りであり、多くの魔物が絶命したことを意味している。魔物は眉をひそめるように額の三本線を歪めたが、やはり前進を止めたりはしなかった。
コロコロ、コロコロ。
何度目の転倒だったろうか、魔物が起き上がると地面の揺れは止まっていた。耳に届いていた獣の遠吠えや、威嚇音はピタリと止んで静かな森に戻っている。しかし、それは不自然な静寂――生きる者が居なくなったために訪れた偽りの平和。
「むきゅう……」
静寂に包まれたのは一瞬だけだった。目の前の茂みがガサガサと揺れて、一匹の魔物が飛び出してきたからだ。
魔眼狼と呼ばれる獣系の魔物で、鋭利な爪による近接攻撃と闇属性の魔法による遠距離攻撃を使い分け、この森の中でも最上位に位置する大型の魔物である。
ピラミッドの頂点である魔眼狼であるが、王者としての余裕は感じられない。全身の毛は逆立ち、その一本一本から殺気が滲みでているし、背中には刃による切り傷が無数にあり、灰銀の毛並みは紅に染まりつつある。
サソリのように反り返らせた長い尻尾の先端には大きな目玉がついていて、モフモフの魔物を凝視している。
「グルルルル……」
巨躯を震わせ、憎しみを乗せた眼光が魔物を射抜く。威嚇と共に開かれる大きな口、唾液が滴る鋭利な牙、反り返った尻尾の先にある――大きな目玉。
それらが余りにも恐ろしくて、目を逸らしたい衝動に駆られたが、恐怖から視線を動かせなかった。そこで魔物は閃いて、触角のボンボンで目を覆った。
しかし、それがいけなかった。戦意を見せなかったことで、魔眼狼は獲物と判断したようだ。或いは、手負いの獣は、誰彼構わず襲いたかっただけなのかもしれない。
魔眼狼は唸りを上げると、尻尾の魔眼を大きく開き、妖光を発した。
途端、体が動かなくなった。辛うじて触角は動かせたが、体は麻痺して動かない。逃げるという選択肢を奪われたのだ。
魔眼狼は躊躇することなく、一直線に駆け出した。機敏な動きであっという間に距離を詰める。
禍々しいまでの強大な魔力の塊が、眼前まで迫っているのを感じる。それは余りに大きく、己の内包する魔力とは桁違いで、もうどうしようも無いのだと悟った。
怖かった。
体が震えた。
けれど、ボンボンを除けて直視する勇気は無かった。迫りくる死を予感しながら、魔物は固く目を瞑った。
痛み――を覚悟した。
死――を覚悟した。
その時を――
衝撃を――
短い人生の終わりを――
……待った。
けれど、その時は来なかった。
いつまで待っても襲ってこない衝撃……魔物は体を傾け、疑問系で鳴いた。
11
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
社畜サラリーマン、異世界でパンと魔法の経営革命
遊鷹太
ファンタジー
過労死寸前の30代サラリーマン・佐藤健は、気づけば中世ヨーロッパ風の異世界に転生していた。与えられたのは「発酵魔法」という謎のスキルと、前世の経営知識。転生先は辺境の寒村ベルガルド――飢えと貧困にあえぐ、希望のない場所。「この世界にパンがない…だと?」健は決意する。美味しいパンで、人々を笑顔にしよう。ブラック企業で培った根性と、発酵魔法の可能性。そして何より、人を幸せにしたいという純粋な想い。小さなパン屋から始まった"食の革命"は、やがて王国を、大陸を、世界を変えていく――。笑いあり、涙あり、そして温かい人間ドラマ。仲間たちとの絆、恋の芽生え、強大な敵との戦い。パン一つで世界を救う、心温まる異世界経営ファンタジー。
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
異世界召喚されたけどスキルが地味だったので、現代知識とアイテムボックスで絶品料理を作ったら大商会になっちゃいました
黒崎隼人
ファンタジー
手違いで剣も魔法もない異世界に召喚された、しがない日本のサラリーマン、湊カイリ。
彼に与えられたのは、無限に物が入る【アイテムボックス】と、物の名前が分かる【鑑定】という、あまりにも地味な二つのスキルだけだった。
戦闘能力は皆無。途方に暮れるカイリだったが、異世界の食事が絶望的に不味いことを知り、大きなチャンスに気づく。
現代日本の「当たり前」の知識は、この世界ではとんでもない「宝」なのだと!
「醤油?味噌?そんなものがあれば、この世界の食文化はひっくり返るぞ!」
ひょんなことから出会った没落貴族の美少女・リリアナと共に、カイリは現代知識と地味スキルを駆使して屋台から商売をスタート。
絶品料理で人々の胃袋を掴み、さらには便利な生活用品を次々と発明していく。
伝説の神獣の幼体「フェン」やドワーフの鍛冶師など、頼れる仲間たちも加わり、彼らが立ち上げた「サンライズ商会」は瞬く間に大躍進!
迫り来る悪徳商会や腐敗した貴族の妨害も、現代のマーケティング術と知恵で痛快に打ち破る!
これは、平凡なサラリーマンが異世界の常識を覆し、食と生活に革命を起こして一代で大商会を築き上げる、痛快成り上がりファンタジー!
美味しい料理と、もふもふな相棒、そして仲間との絆。
人生、逆転できないことなんて何もない!
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる