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本編

第1話:モフモフの魔物

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 古来より、四大元素(地水火風)が豊富な土地には、魔力の素が集まり、魔物が生まれると伝わっている。

 例えばここは、魔樹の森と呼ばれる広大な森であるが、森は、火以外の三元素が揃っているという事もあり、魔物が発生するには好条件である。

 森の中央には、魔樹と呼ばれる樹齢じゅれい数千年の大樹が、広範囲に渡って根を下ろしている。その周辺から生まれる魔物は強力で、人間たちがこの森に足を踏み入れない理由の一つであった。

 今まさに、大樹に空いた小さな穴、その中で一匹の魔物が生まれようとしていた。魔力が集まり収縮し、高エネルギー体となっていく。すると、次第に魔物の形へと変化していき、その全貌があらわとなる。

 姿を現したのは、大きな毛玉。いや、楕円状なので饅頭だろうか。大きさは、女性の肩幅より少し小さいぐらい。

 純白の体毛はふわっふわで、細く柔らかい毛先は風に吹かれると、いとも簡単になぎ倒される。

 くりくりの目を見開き、ハムスターのような口を半開きにして「むきゅ」と産声を上げた。

 手足は無い。あるのは、二本の触角だけである。細長い触角の先端には、丸いボンボンが付いていて、これもまた柔らかい毛で覆われている。

 他に特徴があるとすれば、眉間に走る三筋の黒毛だろうか。縦に走る黒線は、他の毛よりも少しだけ長く、表情の変化によって形を変えるので、眉毛のようにも見える。

 魔物は触角を操り、周囲を探り始めた。ぽふぽふ、と大樹の感触を確認する。次に、小さな穴から顔を出して、外の様子を覗き見る。

 視界に広がるのは薄暗い森。豊潤な葉をまとった木々が連なり、その濃い緑に陽が遮られてしまっている。

 近くには沢があり、チョロチョロと流れる水の音が周囲に響く。

 パチパチと何度かまばたきした後、小さく円を描くように触角を動かし始めた。

 すると――

「むきゅう!」

 びびっと頭に電気が走り、魔物は嬉しそうに鳴き声を上げた。

 生まれたばかりではあるけれど、何をすれば良いのか本能が教えてくれる。触角が反応した方角――その遥か先、そこに己が求める何かがあると直感したのだ。

 だから魔物は喜んだ。まだ見ぬ何かを想像すると、心が躍るのだ。ワクワクする気持ちは、まるで新米の冒険者のようだった。

「むきゅう!!!」

 上がったテンションに身を任せ、ぴょんっと飛び跳ねる。勢い余って大樹の穴から飛び出すと、そのまま数メートル落下した。穴は思いのほか高い位置にあったのだ。

 しかし、魔物にダメージは無かった。地面にぶつかり何回もバウンドした後、コロコロと転がり停止する。

 頭上には地面が広がり、眼下には緑の葉と空が広がる。

「むきゅう?」

 自分が逆さに転がっていることに気がつくと、魔物は体をコロンと回転させてニュートラルな状態に戻す。ほっと束の間、すぐに目標の方角を再確認すると、すみやかに移動を開始した。

 体を縮めた後、上下に伸ばす。スプリングの要領で、ぴょんぴょんと大地を飛び跳ね移動する。その度、モフモフの体毛が上下して、体全体はゴムボールのように変形するのだった。

 移動するのは大変だけれど、進む以外の道はない。目標がどれだけ遠くても、そこに辿り着く事こそが、己の存在する理由なのだと知っているからだ。

 目に飛び込んでくる景色の全てが新鮮だった。緑の草木が永遠と続いている退屈な光景も、生まれたばかりの魔物には真新しく楽しげに感じる。

 次は何が出てくるのだろうと期待を膨らまし、触角を左右に揺らしつつ、るんるん気分で闊歩する。そうして歩くうち、しばらく進むと湖に出た。小さな湖ではあるけれど、水は透き通っており、緑の木々を反射して青緑に輝いている。

 魔物は喉が渇いたなと思い、湖のほとりまで移動すると身を乗り出して口をつけ、ぐびぐびと飲み始めた。

「むきゅう」

 十分な水分を補給し、満足した魔物は上機嫌だった。すると、今度は小腹がすいている事に気がつき、キョロキョロと辺りを見回す。

 湖畔には、他の魔物の姿もあった。そこは平和で、草食系の魔物がひしめきつつも、仲良く水浴びをしていた。中には子連れの魔物もいて、愛おしそうにわが子に水をかけている。

 モフモフの魔物は、魔力の素から生まれた第一世代であるので、親の愛情というものを知らない。ただ、なぜかその光景を見ていると得体の知れない不安を覚え、寂しそうに鳴いた。

 しょんぼりと肩を落とす――と、ふいに視界の端に黄色い影が過ぎる。何だろうと目を向けると、ひらひらと空を舞う一匹の蝶が目に入った。

 魔物はとても興味を引かれたので、触角を操り先端のボンボンで触れてみようとする。が、蝶はひらりと避けて森の奥地へと逃げていく。魔物は何だか楽しくなって、嬉しそうに蝶を追いかけ始めた。

 木々の合間を進み、ぴょこぴょこと進んで行くと――コツン、と頭に何かが当たった。疑問符を浮かべ、頭部にぶつかったソレを目で追う。地面に転がっていたのは、大きな果実だった。

 健康的な赤い実は、陽に照らされピカピカに輝いていて、魔物の食欲を大いに刺激する。魔物は触角を操り、先端のボンボンを果実へ密着させると、そのまま持ち上げた。

 ボンボンに粘着力がある訳ではなく、それを可能にしたのは魔物が使う原始的な魔法であった。

 薄っすらと魔力を発したボンボンは、磁石が鉄を引き寄せるように果実を引き寄せることが可能だ。手のない魔物は、触角を使って食事を取るのである。

 スンスンと匂いを嗅ぎ(体毛に覆われて見えないが小さな穴が二つある)、異常がないことを感じ取ると口を大きく開けてかぶりついた。

 しゃりしゃり。

 甘味が口中に広がり、そして体中に広がっていく。魔物は歓喜の声を上げ、満足げに鳴いた。

 お腹が膨れると今度は急激に眠くなる。大きな欠伸を一つすると、魔物は触角のボンボンで目を覆い、アイマスク代わりにすると転寝を始めた。

 そよそよと流れる風が、魔物の全身を優しく撫でてくれた。



 ◇◇◇◇◇

 張り詰めた空気だった。

 目を覚ました魔物は、明らかに変容した森の雰囲気を感じ取っていた。

 木々がざわめき、森全体が殺気立っている――その闘志のような怒りのようなビリビリとした空気が、体中に伝わってくる。そわそわと落ち着かない気分になり、不安から弱々しく鳴いた。

「むきゅう……」

 魔物の問いへ答えるように、森からは様々な威嚇音が聴こえてくる。続いて、激しい音と衝撃が地面を叩き伝わる。ちょこんと座った魔物へも振動が伝わり、体がぶるぶると上下に揺れる。

 どうやら複数の魔物が何者かと戦っているようだ。けれど、魔物同士の喧嘩では無いと直感した。もしそうであるならば、森全体が殺気立ったりはしない。これは、そう――森の外からやってきた異物への拒絶反応に近い。

 しかし、魔物は逃げようとしなかった。目指すべき方角と、激戦が繰り広げられているであろう方角が同じであったからだ。

 魔物は勇気を振り絞るように二つの触角をポンポンと叩き合せると、震える体に鞭打って第一歩を踏み出した。

 揺れる地面に悪戦苦闘し、何度も転がりながら前進する。前に転がり、横に転がり、一際大きな振動で後ろに転がり、と思うように進めない。

 コロコロ、コロコロ。

 それでも魔物は歩みを止めなかった。喉は潤った、お腹は膨れた、睡眠も十分に取った。生存に必要なすべての欲求を満たした以上、本能に従い、目標に向けて行進するしか道はない。

 死地にいざなわれるように、一歩、また一歩と危険地帯に近づいて行くのだ。

 そして、進めば進むほど不愉快な臭いが濃度を増していった。それは死の香りであり、多くの魔物が絶命したことを意味している。魔物は眉をひそめるように額の三本線を歪めたが、やはり前進を止めたりはしなかった。

 コロコロ、コロコロ。

 何度目の転倒だったろうか、魔物が起き上がると地面の揺れは止まっていた。耳に届いていた獣の遠吠えや、威嚇音はピタリと止んで静かな森に戻っている。しかし、それは不自然な静寂――生きる者が居なくなったために訪れた偽りの平和。

「むきゅう……」

 静寂に包まれたのは一瞬だけだった。目の前の茂みがガサガサと揺れて、一匹の魔物が飛び出してきたからだ。

 魔眼狼と呼ばれる獣系の魔物で、鋭利な爪による近接攻撃と闇属性の魔法による遠距離攻撃を使い分け、この森の中でも最上位に位置する大型の魔物である。

 ピラミッドの頂点である魔眼狼であるが、王者としての余裕は感じられない。全身の毛は逆立ち、その一本一本から殺気が滲みでているし、背中には刃による切り傷が無数にあり、灰銀の毛並みは紅に染まりつつある。

 サソリのように反り返らせた長い尻尾の先端には大きな目玉がついていて、モフモフの魔物を凝視している。

「グルルルル……」

 巨躯を震わせ、憎しみを乗せた眼光が魔物を射抜く。威嚇と共に開かれる大きな口、唾液が滴る鋭利な牙、反り返った尻尾の先にある――大きな目玉。

 それらが余りにも恐ろしくて、目を逸らしたい衝動に駆られたが、恐怖から視線を動かせなかった。そこで魔物は閃いて、触角のボンボンで目を覆った。

 しかし、それがいけなかった。戦意を見せなかったことで、魔眼狼は獲物と判断したようだ。或いは、手負いの獣は、誰彼構わず襲いたかっただけなのかもしれない。

 魔眼狼は唸りを上げると、尻尾の魔眼を大きく開き、妖光を発した。

 途端、体が動かなくなった。辛うじて触角は動かせたが、体は麻痺して動かない。逃げるという選択肢を奪われたのだ。

 魔眼狼は躊躇することなく、一直線に駆け出した。機敏な動きであっという間に距離を詰める。

 禍々しいまでの強大な魔力の塊が、眼前まで迫っているのを感じる。それは余りに大きく、己の内包する魔力とは桁違いで、もうどうしようも無いのだと悟った。

 怖かった。

 体が震えた。

 けれど、ボンボンを除けて直視する勇気は無かった。迫りくる死を予感しながら、魔物は固く目を瞑った。 

 痛み――を覚悟した。

 死――を覚悟した。

 その時を――

 衝撃を――

 短い人生の終わりを――

 ……待った。

 けれど、その時は来なかった。

 いつまで待っても襲ってこない衝撃……魔物は体を傾け、疑問系で鳴いた。
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