聖玉を継ぐ者

しろ卯

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50.問われたライは

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「嫌ですね、ライ大将。俺を誰だと思っているんですか?」

 問われたライは、彼の正体を思い出す。伝説の盗賊、銀狼。王族貴族の館にも入り込み、目的の宝は必ず奪った凄腕の持ち主。

「元王宮菓子職人ですよ」
「そっちかよ」

 思わず声を発したライに、ハンスは瞬き、口角を上げた。

「更に言わせて頂くならば、俺の菓子は歴代の菓子職人の中でも特上。俺が抜けてから今まで、俺を超えるどころか、並ぶ腕を持つ菓子職人さえ現れていません」
「そうらしいな」

 頷くゼノに、自意識過剰と呆れかけていたライは、驚いて振り向いた。

「怒りに任せて料理人を罰したら、その夜から菓子の味が格段に落ちたと、兄上には珍しく後悔しておいでだった」
「だとしましても、それでどうやって?」

 蓮緋の質問に、ハンスは笑む。

「菓子の力を侮って頂いては困ります」
「袖の下か?」
「それと釣糸ですね」
「お前、本当にあくどいよな」
「処世術と言ってください」

 ハンスとライのやり取りを、ゼノと蓮緋は口を挟むこともできず、ただ見つめていた。

「それで、お前の見立ては?」

 改めて蝶緋とセスの関係を問うたライに、ハンスは笑む。

「あれは、ほぼ間違い無いですね」

 確信を持って答えるハンスに、一同は表情を引き締める。

「やはり一度セス王子に、お会いする事は出来ませんか? 一目見るだけでも構いませんから」

 蓮緋の頼みに、ゼノは顔を曇らせた。
 そう簡単に面会できる相手ではない。仮に対面できたとしても、もしもセスの怒りを買うような事態になれば、蓮緋の身の安全を保証できない。
 答えを出せないゼノの代わりに、ハンスは一つの案を提示する。

「神官宮はどうでしょう?」
「シドか? しかしあれは、私との接触に慎重だ」

 再び考えだしたゼノとハンスを見守っていたライは、ふと思い出す。

「エラルド神官はどうですか?」

 その名が出てくるとは、想像もしていなかったのだろう。ゼノは眉をひそめた。

「知っていたのか?」
「以前、偶然出くわして。俺と話がしてみたいと言われました」
「エラルド殿が?」

 ゼノの眉間の皺が深まる。
 エラルドは興味のある対象以外は、まったく関心を向けることが無い。彼の関心がライに向かうとは、思えなかった。

「ええ。神官長の兄と聞きましたが、どのような方なんです?」
「古代史を研究されている。お前達が緋龍に行く前に、久し振りにお会いしたが、柘榴と風の民について聞かれた」

 ハンスとライは視線を見合わせると、不敵に笑んだ。
 交渉条件は、いくらでも用意できそうだ。

「今はどちらに?」

 すぐさまハンスは動き出そうと、尋ねる。

「さあな、気儘な方だ」
「神官長にお聞きすれば分かりますか?」
「おそらくな」
「では、アリスの報告も兼ねて、尋ねてみます」

 そう言い残すと、ハンスは窓の外へと消えた。
 防衛の拠点たる軍の中心部で、自由に出入りしている者がいる状況に、ゼノはわずかに苦い想いを抱きながら、薄く開いたままの窓を見つめた。


 二日後、蓮緋を神官宮に忍び込ませる手筈が整ったと、ハンスが報せに来て、そのまま蓮緋を連れて行ってしまった。
 帰ってきた蓮緋は、蝶緋に向けての手紙を認め始める。書きあがるなり、ハンスは王宮へと走った。

「それで、どうだった?」

 ライに問われた蓮緋は微笑む。

「ゼノ王子には申し訳ありませんが、蝶緋には、セス王子の方がお似合いかと」
「うむ。私もそう思う」

 逡巡することもなく同意するゼノに、ライは戸惑う。

「緋龍では散々な言われようでしたけど?」

 ライの疑問には、蓮緋が答えた。

「兄様達や玉緋が悪く言っていた理由も、理解できましたわ。武人として育ってきた兄様達には、セス王子は軟弱に見えたことでしょう。ですが蝶緋は、争いを好まぬ性格。セス王子のような、穏やかな殿方を好むのは、自然な成り行きですわ」

 蓮緋の言葉に、ライは違和感を覚えつつも納得した。
 たしかに緋龍で見た蝶緋の姿は、緋龍の兄弟や玉緋と異なり、弱々しく淑やかな娘に見えた。
 荒事を生業とする将軍の妻になるは、正直頼りないだろう。

「それで、これからどうするんです?」
「蝶緋殿からの返事を待ってからになるが、私から兄上に掛け合ってみよう」

 情報は揃ったのだ。次はセスに働きかけ、動かさなければならない。それを最も適切に誘導できる手持ちの札は、ゼノだろう。

「残るはエリザですか」
「うむ。だが今は、蝶緋殿の方を優先する」
「そうですね」

 それからライとゼノは職務に戻り、蓮緋は部屋へ戻った。



 休んでいた蓮緋の部屋に、将軍からのお呼びだと伝言が届けられる。
 蓮緋は急いでゼノの執務室に向かった。
 部屋にはゼノとライが待っていた。案内の兵が消えるなり、ハンスも姿を現す。

「お呼び立てして申し訳無い。蝶緋殿からの返書が届きましたので」

 差し出された封筒を、蓮緋は急ぎ開ける。出てきた手紙は、確かに蝶緋の筆だった。
 読み終えた蓮緋は、涙を浮かべていた。
 蓮緋が落ち着くのを待って、三人は手紙の内容を聞いた。

「蝶緋は幼い頃から、セス王子を慕っていたそうです。しかし緋凰兄様たちが、セス王子を嫌っておられ、セス王子も自分のことを想っていないため、諦めていたようです。ゼノ王子との縁談をお受けしたのは、せめてセス王子の御側にいる事で、お力になりたかったからだと」

 蓮緋は蝶緋からの手紙を握り締めた。それからゼノに、蝶緋の非礼を謝罪した。
 それをゼノはゆるりと首を振って、抑える。
 心を差し出していないのは、自分も同じであり、謝罪には及ばないと。

 ゼノはまぶたを落とす。しばらく沈考した後、開けた目に優秀な部下を映す。

「ハンス、もう一走り頼めるか?」
「どうぞ」
「シドに明日、神官宮の一室を貸して欲しいと伝えよ。それと兄上にお会いしたいともな」
「承知しました」

 ハンスが姿を消すと、残った三人はそれぞれの想いにふける。
 瞳を湿らせていた蓮緋は、ライに布を差し出され拭った。

「茶でも飲みますか?」
「もらおう」
「頂きます」

 ライの淹れた茶を、三人はゆっくりと飲む。
 翌朝、ゼノは神官宮に出掛けて行った。
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