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夏蕎麦と紅狸大根 四
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「夜姫が欲しいか?」
唐突な問いに、賀蔵は面食らったように真夜を見た。真意を探ろうと彼の瞳を見つめるも、真夜の表情は読めない。黙々と甜瓜を頬張っていた。
「夜叉様にとっても、大切な御方なのでしょう?」
「いいや? 騙されて契約しただけだ。欲しいのならくれてやる。ただし、条件がある」
「なんでしょう?」
賀蔵は居住まいを構え直し、真夜の言葉を待つ。
ぽよよんっと東袋が震えたが、真夜はちらりとも見なかった。
「お前が命を落とすまで、守り切れ」
彼には珍しい、厳しい声。
じっと真剣な眼差しを向けていた賀蔵は、こちらも重い口調で答える。
「我が子を愛し護るのは親として当然のこと。申し付けられるまでもありません」
心の底から述べられた返事を聞いて、真夜の表情がふっと緩んだ。
「あれは戦に巻き込まれて命を落とした人間の童だ。本来ならば幽世に行き、輪廻の輪に乗せられるはずだった。それが物の怪に気に入られて、現世に引き留められてしまった」
「つまり、夜叉様が?」
「いいや。俺は利用されただけだ。夜姫に憑いてるのは、分を弁えぬ愚かな物の怪さ。己の欲を優先し、夜姫の御魂が歪んでいく現実を見ようとしない」
目を見張る賀蔵に、真夜はくつりと笑う。
御魂というのは、本来あるべき場所にあってこそ守られる。人間の御魂を人形の中に押しとどめていれば、いずれ人間の形を失い、異形へと変化していくだろう。そして二度と、人間には生まれ変わることはない。
「あの女の腹にはややがいるな」
はっと喜色浮かべた賀蔵の顔が、お菊へと向かう。けれど、
「しかし御魂は宿っていない。その内流れるだろう」
と、容赦も無く続いた真夜の言葉に、すぐに顔色を悪くして唇を噛んだ。
「本来ならば御魂は幽世を経て、輪廻の輪によって現世へ戻される。だが契約のせいで、夜姫の御魂を幽世へ送ることはできない。だから――」
正規の道筋ではない。それでも人間の器に入れば、御魂の負荷は少なくなる。
とはいえすでに御魂が宿っている月では、互いを損ない合ってしまう。かといってすでに月としての役目を終えた肉体では、人形と変わらない。
御魂の宿らない月。夜姫を人間に戻すために不可欠な存在が、目の前にあった。
真夜は賀蔵の目を正面から見据える。彼が飲んだ言葉の先を読み取った賀蔵もまた、彼を見つめ返した。
静かに両手を膝前に突いた賀蔵は、深く頭を垂れる。
「夜姫殿を、我が家に頂きたくお願いいたします」
夜姫に視線を戻した真夜は、静かに頷いた。
東袋が怒ったようにぽよぽよと動いているが、目を向けない。
どうしても傍に置きたいのならば、真夜に頼るのではなく、千夜丸自身が夜姫を護るべきだ。少なくとも、この場に姿を現す程度の意気は見せるべきだろう。
「女、夜姫を連れてこっちへ来い」
声を掛けられて、お菊と夜姫が顔を向けた。白地に朝顔の刺繍が入った浴衣を着た夜姫が、「見て」とばかりに両手を広げて体を捻る。
真夜は微かに寂しそうな笑みを浮かべた。それでもお菊の手に乗ってやってきた夜姫を受け取ると、すうっと目を細めて呪を唱える。
「仮初の月より出でよ、夜姫」
五芒星が光り出し、淡く輝く光の珠が現れる。
真夜はその珠を左手で掴むと、右の親指に犬歯を立てる。ぷくりと膨らんだ血の雫で、着物の上からお菊の腹に五芒星を描いた。
驚いたお菊が身を引こうとしたが、賀蔵が肩を掴んで安心させるように頷く。訳が分からないながらも、信頼する夫の覚悟を見て取り、お菊も頷き返して真夜の行動を受け入れた。
「常夜の王、冥府の王、死したる月より出でた御魂を新たな月に宿らせること、許し給え」
お菊の腹部が内から輝いていく。真夜は彼女の腹に描かれた五芒星に、夜姫の御魂を押し込んだ。
唐突な問いに、賀蔵は面食らったように真夜を見た。真意を探ろうと彼の瞳を見つめるも、真夜の表情は読めない。黙々と甜瓜を頬張っていた。
「夜叉様にとっても、大切な御方なのでしょう?」
「いいや? 騙されて契約しただけだ。欲しいのならくれてやる。ただし、条件がある」
「なんでしょう?」
賀蔵は居住まいを構え直し、真夜の言葉を待つ。
ぽよよんっと東袋が震えたが、真夜はちらりとも見なかった。
「お前が命を落とすまで、守り切れ」
彼には珍しい、厳しい声。
じっと真剣な眼差しを向けていた賀蔵は、こちらも重い口調で答える。
「我が子を愛し護るのは親として当然のこと。申し付けられるまでもありません」
心の底から述べられた返事を聞いて、真夜の表情がふっと緩んだ。
「あれは戦に巻き込まれて命を落とした人間の童だ。本来ならば幽世に行き、輪廻の輪に乗せられるはずだった。それが物の怪に気に入られて、現世に引き留められてしまった」
「つまり、夜叉様が?」
「いいや。俺は利用されただけだ。夜姫に憑いてるのは、分を弁えぬ愚かな物の怪さ。己の欲を優先し、夜姫の御魂が歪んでいく現実を見ようとしない」
目を見張る賀蔵に、真夜はくつりと笑う。
御魂というのは、本来あるべき場所にあってこそ守られる。人間の御魂を人形の中に押しとどめていれば、いずれ人間の形を失い、異形へと変化していくだろう。そして二度と、人間には生まれ変わることはない。
「あの女の腹にはややがいるな」
はっと喜色浮かべた賀蔵の顔が、お菊へと向かう。けれど、
「しかし御魂は宿っていない。その内流れるだろう」
と、容赦も無く続いた真夜の言葉に、すぐに顔色を悪くして唇を噛んだ。
「本来ならば御魂は幽世を経て、輪廻の輪によって現世へ戻される。だが契約のせいで、夜姫の御魂を幽世へ送ることはできない。だから――」
正規の道筋ではない。それでも人間の器に入れば、御魂の負荷は少なくなる。
とはいえすでに御魂が宿っている月では、互いを損ない合ってしまう。かといってすでに月としての役目を終えた肉体では、人形と変わらない。
御魂の宿らない月。夜姫を人間に戻すために不可欠な存在が、目の前にあった。
真夜は賀蔵の目を正面から見据える。彼が飲んだ言葉の先を読み取った賀蔵もまた、彼を見つめ返した。
静かに両手を膝前に突いた賀蔵は、深く頭を垂れる。
「夜姫殿を、我が家に頂きたくお願いいたします」
夜姫に視線を戻した真夜は、静かに頷いた。
東袋が怒ったようにぽよぽよと動いているが、目を向けない。
どうしても傍に置きたいのならば、真夜に頼るのではなく、千夜丸自身が夜姫を護るべきだ。少なくとも、この場に姿を現す程度の意気は見せるべきだろう。
「女、夜姫を連れてこっちへ来い」
声を掛けられて、お菊と夜姫が顔を向けた。白地に朝顔の刺繍が入った浴衣を着た夜姫が、「見て」とばかりに両手を広げて体を捻る。
真夜は微かに寂しそうな笑みを浮かべた。それでもお菊の手に乗ってやってきた夜姫を受け取ると、すうっと目を細めて呪を唱える。
「仮初の月より出でよ、夜姫」
五芒星が光り出し、淡く輝く光の珠が現れる。
真夜はその珠を左手で掴むと、右の親指に犬歯を立てる。ぷくりと膨らんだ血の雫で、着物の上からお菊の腹に五芒星を描いた。
驚いたお菊が身を引こうとしたが、賀蔵が肩を掴んで安心させるように頷く。訳が分からないながらも、信頼する夫の覚悟を見て取り、お菊も頷き返して真夜の行動を受け入れた。
「常夜の王、冥府の王、死したる月より出でた御魂を新たな月に宿らせること、許し給え」
お菊の腹部が内から輝いていく。真夜は彼女の腹に描かれた五芒星に、夜姫の御魂を押し込んだ。
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