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130.こんな樹人がいたとは

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「ああ、頼む」
「お任せください。では他に御用がないのでしたら、私はこれで」
「工房の準備が出来たら教えてくれ。素材を持っていく」
「お手を煩わせて恐縮ですが、よろしくお願いいたします」

 再度、恭しく頭を垂れてから、ディランはノムルの部屋を出ていった。
 扉が閉まりディランの姿が消えると、ヴォーリオが深い息を吐き出す。それからユキノを見た。

「こいつのことなら気にしなくていい。とりあえずしまうか」
「待て」

 枝をしまってテーブルとソファを出そうとしたのだが、ヴォーリオに止められた。
 眉を跳ねて理由を促そうとする前に、彼は古老の樹人の枝に近づき手を伸ばす。

「凄いな。本当に、凄い。こんな樹人がいたとは」

 年をとっても魔法への情熱は冷めぬらしい。目を輝かせて枝を見つめ、確かめるように手を添わせる。

「言っておくが、採りに行こうなんて考えるなよ? 俺ですら怪我したんだ。お前じゃ命が幾つあっても足りないからな?」

 ぎょっとヴォーリオは目を剥いてノムルを見る。

「お前がか? いったい何もの……まさか魔王じゃないだろうな? ……樹人が? 樹人の魔王?」

 自分で言った言葉に、しきりに首を傾げだした。ノムルは古老の樹人を思い出して否定できなかったが、樹人が魔王というのには、違和感を覚えた。

 ヴォーリオの興奮も収まったところで枝をしまい、テーブルとソファを戻す。対面に腰を据えると、ヴォーリオがどこからともなく茶器を出し、紅茶を入れた。
 ノムルも旅の途中で見つけた茶菓子を出す。機関車の中で買った、ウィーローだ。自分の前には青と紫を、ヴォーリオの前には黒を置く。

 ちなみに青と紫はビナスという野菜の皮から取れる汁が使われており、青には加えて柑橘系の果汁が加わっている。
 黒はクロッカスという木の実から作る酒の、酒粕が混ぜ込まれていた。

 甘くもちもちとした食感を楽しみながら、二人の男は頬張る。

「これはお茶の選択を誤ったな」
「おっさんの味覚に比べれば問題ない」
「……。あれと比べるな」

 ヴォーリオは渋い顔をしているが、淹れたものはきちんと飲むようだ。

 ディランが同席していた時の丁寧な言葉づかいは消えさり、気安い口調になっているが、ノムルも咎めはしない。
 彼は魔法ギルドでは希少な、ノムルの非狂信者だ。
 他の魔法使いたちに露見すると色々と面倒なので、人前では敬っているかのように演じているが、二人きりになるとこうして砕けた口調に戻る。

「それで? 本気で世界征服なんぞ企む気ではないだろうな? 樹人の杖など、お前の魔力をさらに増大させてどうする?」

 静かにカップをソーサーに戻したヴォーリオは、鋭くノムルを睨み付けて本題に入った。

「安心しろ。そんなつもりはない。あの枝は魔法の暴発を防ぐ力があるらしい」
「まさか? 樹人だぞ? むしろ暴発だらけだろう?」

 魔物である樹人には魔力が宿っており、上手く扱えば杖に残る樹人の魔力を自分の魔力に上乗せすることができる。
 それゆえに樹人の杖は、魔法使いの杖として人気の高い素材の一つだ。

 だが一方で、杖に残る樹人の魔力と持ち主となる魔法使いの魔力が反発し、魔法を暴発させる事故も多い。
 得られる効果と暴発の危険を天秤に掛ければ、杖として適切な素材とは言い難いだろう。

 それでも暴れ馬を乗りこなしてこそ一流と、一部の魔法使いたちから高い支持を受けている。
 要するに、「暴発しやすい樹人の杖を扱える俺、スゲエ」という、くだらない見栄のために無理をして使っている魔法使いも、大勢いるということだ。

「公表する時期は選ぶ必要があるだろうが、樹人は今まで考えられていた以上に、意思と知能があるようだ。今回は運が良かったとしか言えない。成り行きで俺の力を抑える協力を、樹人が申し出てくれた」
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