醜い王子と人魚の献身

しろ卯

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05.今までとは打って変わった日々も

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 今までとは打って変わった日々も、しばらくすれば慣れてくる。
 半月も繰り返せば、使用人部屋からチェスターの執務室への移動程度では、シンシアが疲れを感じることはなくなった。大勢の人がいる空間で過ごす緊張も、少なくなっていく。
 会話にうまく加われないのは、相変わらずだったけれども。

「シンシア、付いて来い」
「はい」

 執務室を出るチェスターに従って、シンシアは別室に移動する。そこで待っていたのは、王家御用達の商人だった。

「シンシアも座れ」

 戸惑うシンシアは、チェスターに促されて彼の隣に腰かける。
 一体どうなっているのか分からず、目をぱちぱちと瞬いてしまう。

「いつも手袋をしているが、サイズが合っていないようだ。それでは細かい作業に支障が出るだろう?」
「あ……。申し訳ありません。これから気を付けます」
「咎めているわけではない。この店の手袋は使い心地がよいから、お前もどうかと思って誘ったのだ」
「ですが……」

 チェスターも傷跡を隠すために、常に手袋をはめていた。
 とはいえ王族が用いる品は、手袋といえど高価なもの。伯爵家でも賄えないことはないだろうが、父に頼むのは気が引ける。
 消極的なシンシアの態度に、チェスターは苦笑を漏らす。

「使用人に身だしなみを整えさせるのも主の仕事だ。私に恥を掻かせようなどという企てがないのなら、素直に受け取れ」
「そのようなことは」

 シンシアにチェスターを害する気などあるはずがない。
 焦るシンシアを見つめる彼の目が、悪戯っぽく和らいだ。

「ありがとうございます」

 頬に熱を感じながら、シンシアは頷いた。
 けれど難関は終わらない。

「では採寸いたしますので、一度、手袋を外していただけますか?」

 商人の言葉に、シンシアは凍り付く。
 手の甲や指にも、わずかではあるが鱗が生える。手袋を外すということは、鱗を見せるということだ。

「あ、やっぱり、その……」

 顔色を悪くしたシンシアに、感じるものがあったのだろう。チェスターと商人は一瞬だけ目を見交わした。

「失礼をいたしました。ご令嬢のお手を男の私が拝見するなど、無遠慮でしたね。お許しください。そのままで構いませんので、採寸をお許しいただけますでしょうか?」

 すかさず商人が頭を低くして詫びる。
 彼が悪いわけではない。そう言いたいシンシアだけれども、事情を説明する勇気はなかった。
 どうしたものかと悩むけれど、さらに断りを続ければ、商人にもチェスターにも迷惑を重ねてしまう。
 そんなふうに考えたシンシアは、恐る恐る右手を差し出した。左手に比べて、右手に生える鱗はほんのわずかだから。

 表情を緩めた商人が、シンシアの手に触れないように注意しながら、紐や指輪のような器具を使って採寸していく。

「では左手もお願いできますか?」
「え?」
「左右で微妙に違いがありますので」

 右手を採寸した時に、商人はシンシアにまったく触れていない。だからきっと大丈夫だと、シンシアは思い切って左手も差し出す。
 なんとか採寸を終えると、商人は帰っていった。

「すまなかったな。却って悪いことをしてしまった」
「いえ。お気遣いいただきまして、ありがとうございました」

 ただの使用人であるはずのシンシアを、チェスターはしっかり見ていて気配りをしてくれた。その気持ちを嬉しく感じたのは確かだ。
 シンシアのほうに人には言えない秘密があるだけで、彼は悪くない。

「……申し訳ありません」
「謝る必要はない。私もこの姿だからな」

 軽く浮かした仮面の下で、チェスターが微笑む。
 優しく細められた目に釣られて、シンシアの顔にも笑みが広がる。

 チェスターは、シンシアの世界を変えてくれた。事情を知らないとはいえ、彼女に優しく接してくれる。
 貰ってばかりの幸せ。
 自分にも何か彼に返せることはないかと、シンシアは考えた。


   ◇


 王城の敷地内には、図書館がある。
 自分の知識が人より少ないことをシンシアが相談したところ、チェスターが立ち入りの許可をくれた。
 休日に赴いたシンシアは、蔵書の多さに圧倒される。

「何をお探しですか?」

 司書に問われても、シンシアは答えられない。
 本を読めば、知識が付く。そうすれば今よりチェスターの役に立てると思っていた。だけど多すぎる本を前にして、どんな知識を身に付ければチェスターの役に立てるのか、分からなくなる。

「すみません、こんなにたくさんの本を見るのは初めてで。何を探したらいいのか分かりません」

 正直に伝えるシンシアに、司書は一つ頷いて図書館の説明を始めた。
 館内で禁止されていること。本の利用方法。貸し出しに関する注意。最後に、どこにどんな本が並べられているのかという、簡単な図面を見せる。
 政治、地理、隣国の書物。詩集や譜面なども置かれていた。
 その中で一つの区画に目が留まる。

「薬?」

 薬とは、医師が処方してくれるものだ。その本ということは、薬の説明をまとめたものであろうか。
 視線をずらすと、医学書の区画もある。

「ここには、お医者様も勉強に来られるのですか?」
「そういうこともありますが、医者を目指す方が勉強のために読まれたり、ご家族の病気に役立つことはないかと調べに来る方もいますね」

 司書の答えを聞いて、シンシアは薬の本を読むことに決めた。チェスターの怪我を治すために、少しでも役立つ知識を得られればと思ったから。
 教えてもらった棚に行くと、一冊どころか何十冊という本が並ぶ。全て薬に関する本だ。
 市販されている薬の種類や利用方法。中には薬の作り方まである。

 シンシアは一冊を手に取ると、本を読むために設置されているテーブルに向かった。丁寧に一ページずつめくり、真剣に目を通す。

「難しいわね」

 文字は乳母が教えてくれたし、部屋に置かれた本のお蔭で、読み書きは出来る。だけど家庭教師を付けられていなかったシンシアは、難しい言葉を理解できない。
 眉間にしわを寄せて本と睨めっこしている間に、時間は過ぎていく。

「もっと簡単な本はないかしら?」

 あれだけたくさんあるのだ。一冊くらい、シンシアでも理解できる本があるかもしれない。
 立ち上がったシンシアは、持ってきた本を元の場所に返すと、別の本を開いた。
 細かな文字がびっしり書き込まれていて、文字を追うだけで目が疲れそうだ。先ほどのほうが、まだ読みやすい。
 別の本を手に取る。
 所々に挿絵があり、興味をそそる作りだ。けれど書かれている単語は専門用語が多用されていて、異国の言葉に思えた。

 もう一冊。今度はこちらを……。
 そうして探し続けたシンシアは、一冊の本で手を止める。
 元は贅を凝らした美しい装丁だったのだろう。飴色の表紙には、宝石がはめ込まれていた。微かに残る金箔の欠片は、タイトルの名残か。
 他の本よりずっと古く、丁寧に扱わなければページが零れ落ちそうだ。
 立ったままめくるのは恐ろしく、シンシアは中を見ることなくテーブルに移動する。

 慎重に表紙をめくると、所々に虫食いの穴が開いていた。
 癖のある古い文字を、一文字一文字丁寧に追っていく。
 書かれていたのは他の本みたいに堅苦しい言葉ではなく、まるで童話を思わせる優しい文章だった。それに美しい挿絵がめくるたびに描かれている。

「これがいいわ」

 シンシアは最初のページから、じっくりと読み進めていく。
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