英雄、ヒーローの条件

いのんちゅ

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英雄、ヒーローの条件

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 現実は理不尽で厳しい。人間は矛盾と悪意に満ちている。そんな世界は空虚で虚しい。
 
 僕は逃げるように布団に潜り込み、まぶたを閉じて呼吸を数える。一呼吸するごとに、心音が三つか四つ。規則的なそれは僕を落ちつかせ、思考をゆっくりと深めていく。厳しすぎる現実に、睡眠は唯一の救いだ。いつか読んだ小説に、寝るという行為は死に一番近いことだと書いてあった。ならば死は僕にとって無二の救いとなるのだろうか。夜の静けさと、混沌とした思考の中、ゆっくりと微睡みへ落ちていった。
 
 
 
 
 どれくらいの呼吸を数えただろうか、目を開くと見知らぬ光景が周囲に浮かんでいた。
 妙な街だった。
 雪の日の朝のように何一つ音がなく、耳の近くを流れる血液の循環が聞こえるほどだ。光源は見当たらないが、はっきりと周囲を確認できた。地面は黒いコンクリートで出来ていて、道路標識も何もなく起伏やひび割れすらない。のっぺりとしたコンクリートは四方に地の果てまで伸びていて、そのことから十字路の中心にいることを理解した。それに並行して、ビルのように見える灰色の直方体が立ち並んでいる。一番下に両開きの出入り口が一つ。その上に窓と思われる長方形が横に五つ、縦に七つ。くれよんで塗りつぶしたような水色で、外から中の様子は見えない。張りぼてのような建物に、小学生が書いた落書きみたいだと感じた。
 体に異常がないか、立ち上がりながら確認する。裸足に水色のチェック柄のパジャマであること以外は特に問題なく、もう一度辺りを見渡す。見知らぬ街にもかかわらず、どこか懐かしさを感じた。コンクリートの地面はむき出しの足に異様に冷たかった。
「さてなにをしようか」
 小さく独り言を言った自分に、少し驚いた。日ごろ、独り言など絶対に言わないからだ。日々何かに追われている僕に、唐突に訪れた自由は不安を煽るのかもしれない。結論を出し思考を進める。すると上空から何かが高速で落ちてきた。画面を切り替えたように、突然目の前に現れたのは人だった。
 一目で外国人とわかる顔立ちと体格。盛り上がった筋肉を包む青いタイツ、赤いパンツとマント、胸元には大きく赤でエスのマーク。鮮明な原色の青と赤は、この世界では浮いて見える。この人をどこかで見たことがある気がするが、うまく思い出せない。
「少年、何かお困りかね」
――変な奴だ。
 僕はそう思いながら返答する。
「いえ、特に、何も」
「そうか……何か困ったことがあったら、いつでも私を呼んでくれ。すぐにでも駆けつけよう」
 わずかに困惑した様子で、青い外国人も答える。
「ありがとう」
 適当に礼を言うと、青い外国人はにっこりと顔に笑みを張り付け、飛び去って行った。
 飛んでいく外国人を冷ややかな目で見送り、僕は再び思考に戻る。口元に指を添えながら少し考え、とりあえず近くのビルに近づいてみた。他にやることも思いつかなかった。
 
 右前角のビルへ向かい、入り口の前に立ってみると、音もなく入り口が開いた。恐る恐る入ってみると、わずかな四角い空間の中に折り返しの階段が映るだけで、他に何もなかった。ビル同様灰色の単純な作りで、人間味のない階段だった。空間すべてが灰色で、奇妙な感覚を抱く。相変わらず音はない。慎重に一段目に足を踏み出し、体重をかけてみる。暑くも冷たくもない、材質のわからない階段だった。問題なく昇れるようなので、疑問も持たず階段を上る。
 数回折り返しを曲がったところで気が抜けていたのか、階段を踏み外してしまった。危険を感じ、慌てて腕を前に差し出す。倒れそうなその瞬間、背中を掴まれ引っ張られる感覚を覚える。すぐさま体勢を立て直し振り向くと、先ほどの青い外国人がほくそ笑んでいた。
 この青いそれは、僕の後ろをつけてきていた。よほど暇なのか、何か裏があるのか。
――危ない奴だ。
 身に危険を覚えながらも、助けてくれたことに変わりはないと思い直し、一応礼は言う。
「ありがとう」
「お安い御用だ、少年」
 低くよく通る声で、青いそれは嬉しそうに答える。
「他に何か、困ったことはないかい」
「特に、何も」
 僕がそっけなく答えると、青いそれは少し悲しそうにつぶやく。
「そうか……何か困ったことがあったら、いつでも私を呼んでくれ。すぐにでも駆けつけよう」
 そう言って、青いそれはとぼとぼと階段を下りていった。
 
 青いそれが見えなくなる確認してから、改めて階段に足をかける。折り返しを曲がるのが二桁にいくかいかないかというころで、ようやく天井とドアが目に入った。木製の茶色いドアには銅色のドアノブがついている。灰色の景色ばかり眺めていた目には、茶色い普通のドアは恐ろく現実感がなかった。一瞬引き返すことを考えたが、無視してドアノブに手をかける。ドアノブは異様に冷たかったが、簡単に回った。ドアを潜ると「絵」が視界いっぱいに広がっていた。
 美しい夜空だった。
 中心には白磁の満月が描く大穴。生々しい油絵の具の黑と藍が、弧を描き月へと収束していく。穏やかな淡黄の星々が闇夜を強調し、純白の大穴をより深く遠くする。どこかで見た絵画を連想させる、孤独で美しい夜空。
 どうやら屋上に出たようだ。屋上の端に柵などはなく、窮屈な灰色の床が広がっている。
 僕は導かれるように、空に向かって灰色の上を歩いていた。どれだけ見ても飽きを感じさせない印象的で抽象的な空は、僕を誘っているようだった。どんな言葉でも表現できない、満たされた気持ちだった。
「少年、何かお困りかい?」
 不意に後ろから声が聞こえた。我に返り足元を見れば、屋上の端まで来ていた。真下には十字路が見える。振り向くとドアは消えていて、代わりに青い塊が立っていた。この場にふさわしくない不釣り合いな原色の青。
――気持ち悪い奴だ。
 態度には出さず、そう思った。なぜ僕にかまうのだろう。一人にしてほしかった。青い塊は口元に笑みを携え、なおも懇願するように聞き直す。
「少年、本当に、困ったことはないかい」
 少しの沈黙。僕はようやくそれに気づく。
 僕は、いや俺は、思わず笑いそうになるのをこらえた。なるほど、そうか、そういうことだったのか。そして俺は迷わず屋上を飛び降り、大声で叫ぶ。
 
「助けてくれ」
 
 声が響き渡る。
 彼も後を駆ける。
 顔は狂気的な笑顔。
 宙で確実に捕らえる。
 腕は歓喜に震えている。
 俺を抱き上げて空を舞う。
 血は熱を伴い高揚を伝える。
 俺はようやく理解した。
 彼にとって俺こそが英雄なのだと。
 ヒーローの条件など自分で決めるのだと。
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