浮気現場を目撃してしまい、婚約者への気持ちが揺らぎました

南部

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6話

 それは、初夏の香りが漂う夜会でのことでした。

 高く掲げられた燭台の光が、磨き上げられた床に揺らめき、楽団の奏でる軽快な舞曲が広間を満たしている。私はアルバートの腕にそっと手を添えながら、穏やかな気持ちで人々と挨拶を交わしていた。

 もう、過去に怯えることはない。

 そう思っていたのに――。

「……シャロン」

 背後から、聞き覚えのある低い声がした。

 振り向いた瞬間、鼻を刺す強い酒の匂い。

 デービーだった。

 頬を赤らめ、焦点の定まらぬ目でこちらを見ている。

「久しいな……俺を捨てて、ずいぶん楽しそうじゃないか」

「お酒が過ぎていらっしゃいますわ」

 できるだけ冷静に返すと、彼はふらりと一歩近づいた。

「お前は……俺のものだったはずだろう」

 その言葉に、アルバートがすっと私の前に立つ。

「彼女は、今は僕の婚約者です。お引き取りを」

「うるさい……!」

 デービーは声を荒げ、広間の視線を集めた。

「俺はな……エイダを愛している!」

 ざわり、と空気が揺れる。

 彼は拳を振り上げ、酔った勢いのまま叫んだ。

「エイダ……いや、シャロン! お前が好きなんだ!」

 広間が静まり返る。

 ――今、何と?

 私は瞬きをする。

 デービーは自分の口から出た名に気づいたらしく、ぎょっと目を見開いた。

「ち、違う……今のは……」

 周囲から失笑が漏れる。

「名前も分からぬほど酔っているのですか?」

 私は静かに問いかけた。

 胸は、不思議なほど凪いでいる。

「あなたにはエイダ様への愛があるのでしょう? ならば、私には関係のないことですわ」

「違う! あれは……あの女が勝手に……!」

 しどろもどろに弁明する彼の姿は、かつて私が恐れた婚約者の面影とは程遠い。

「……浮気は、事実だったのですね?」

 あえて確認するように言うと、彼は一瞬黙り込んだ。

 そして、酒に濁った声で吐き出す。

「……ああ、だが本気じゃない。出来心だ。お前が堅苦しいから――」

 その瞬間、広間の空気が変わった。

 囁き声が波のように広がる。

「やはり……」

「エイダと……」

 彼自身の口から語られた真実。

 もはや、隠しようもない。

「シャロン、すまなかった……あのときは魔が差しただけだ」

 縋るような目。

 けれど、その瞳に宿るのは後悔ではなく、体面を失う恐怖にしか見えない。

「許してくれ」

 私はゆっくりと首を横に振った。

「お断りいたします」

 はっきりと。

「私は、あなたに裏切られたあの日に、すべてを終えました」

 もう心は痛まない。

 ただ、静かな決別だけがある。

 そのとき、アルバートが私の肩を抱き寄せた。

 力強く、誇示するように。

「彼女は僕が守る」

 はっきりとした宣言。

 ざわめきが、今度は賞賛へと変わる。

 デービーは唇を震わせ、何か言い返そうとしたが、やがて周囲の視線に耐えきれず、ふらつきながら広間を去っていった。

 その背は、ひどく小さく見えた。

 私はアルバートの胸にそっと身を預ける。

「大丈夫かい?」

「ええ……とても」

 自然に笑みがこぼれる。

 あれほど苦しんだ過去が、まるで遠い物語のようだ。

 いろいろなことがあった。

 疑われ、傷つき、涙も流した。

 けれど今、こうして堂々と隣に立ってくれる人がいる。

 それだけで、すべてが報われる気がした。

「アルバート」

「うん?」

「あなたと婚約できて、本当に良かった」

 彼は驚いたように瞬き、そして優しく微笑む。

「僕こそ」

 楽団が新たな曲を奏で始める。

 煌びやかな光の中、私は顔を上げた。

 もう後ろを振り返ることはない。

 幸せとは、誰かに選ばれることではなく――

 互いに選び合うことなのだと、今なら分かる。

 アルバートの腕の中で、私は穏やかに目を細めた。

 胸の奥には、確かな幸福が満ちている。

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