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大きな段ボールはリビングの端に積み上げ、資料の入った箱や使わなくなった椅子や机は一つの部屋に運び込んだ。幸い、二階の水回りは従業員用として使っていたので比較的キレイだった。あとはリビングの掃除をして、ここに布団を運び込めば、少しの間なら生活できるだろう。
少し休憩しよう、と深琴がリビングの床に腰を下ろした、その時だった。クリニックの扉が開く音が聞こえ、センセイ、と呼ぶ声が聞こえた。
「二階、上がって」
深琴が声を飛ばすと、階段を上る足音が響く。リビングのドアが開き、銀次が顔を出した。
「あれ? もうすることない?」
「……かも。お茶、淹れようか」
深琴が立ち上がろうとすると、銀次は、あるよ、と手にしていたコンビニの袋を少し掲げた。深琴の隣に腰を下ろすと袋の中からペットボトルをひとつ取り出して深琴に手渡した。
「ありがと……」
急に銀次との距離が近くなった気がして、深琴はそれを緊張しながら受け取った。その空気を感じたのか、銀次が小さく笑う。
「深琴さん、緊張してる?」
「え? あ、まあ……でも、どうして……」
何も言ってないし、態度に出したつもりもない。そう思って銀次を見上げると銀次はまた笑う。
「深琴さんは気づいてないみたいだけど、顔に出てる」
銀次の言葉に深琴は思わず自分の頬に触れた。表情の変化が少ないと言われることはあるが、顔に出てると言われることは初めてだ。
「さっきも、追ってきてくれた深琴さんの顔見て、大事なこと伝えたいんだって分かった」
だからあんなに素直に自分と引き返してくれたのだろう。あの時はとにかく銀次に話をしなきゃと考えていたのに上手く言葉が出なくて無理かと思った。銀次が自分の気持ちを汲んでくれたと思えば、やはり嬉しい。
そんな銀次に、ありがとう、と伝えると、銀次は頷いてから、あのさ、と口を開いた。
「……加奈さんとのことは分かったんだけど……深琴さんは、俺と寝た事、後悔してる?」
二人きりになったら、当然その話題になるとは思っていた。優しい銀次の問いに深琴が首を振る。
「してないけど……いつか、銀次がするかも……」
「俺が? するわけないじゃん。俺は、深琴さんが好きなのに。好きな人を抱いて後悔する人なんか、見たことないけど」
そう言う銀次を見上げ、深琴は、そうだけど、と口を開いた。
「いつか……次に誰か……たとえば女の子を好きになった時に、どうして男なんか抱いたんだろうって、後悔するかもしれない。僕は、銀次の汚点になりたくない」
深琴の言葉を聞いて、銀次は少し黙り込んだ。その通りだと思ったのかもしれない。納得してくれたのならそれでいい。
「銀次、もう家に帰っ……」
「なんだ、そんなことか」
深琴の言葉に銀次の言葉が重なる。それから銀次はいつもの笑顔で深琴を見つめた。
「俺、この先ずっと深琴さんしか好きにならない自信あるよ」
「そんなこと……僕は銀次に好かれるような人じゃないし」
深琴が俯いて言う。するとすぐに銀次が口を開いた。
「……例えば?」
「例えばって……そうだな……僕がこの仕事に就いてるのは、ただ父の跡を継げばこのままこの町で就職できるって思っただけだし、なのに父のように『いい歯医者さん』にはなれなくて、結局ここで暮らすことが苦しくて部屋を借りてるし……そんな、流れに任せて生きてるくせに肝心なところで逃げるような人間なんだよ」
「……うん、それは知ってる。でも、人ってそういうものじゃない? 楽な道があれば、そっちに行きたくなるし、逃げ道があればそこに向かうよ。でもさ、深琴さんはちゃんと勉強して資格も取って歯医者さんになったんでしょ? 町の人たちからも『若先生』って慕われてるの、何度も聞いたよ。それって、努力しないとそうはならないよね。深琴さんは充分『いい歯医者さん』だよ」
銀次の言葉に、深琴の胸が詰まる。嬉しかった。
「だからさ、俺からは逃げないでいいよ。怖い事なんて何もないし、信じて欲しい」
「……銀次……」
「確かにさ、言葉ではなんとでも言えるよね。だから、深琴さんが一番傍で、俺の事見極めて欲しいんだ。だから――」
銀次はそう言うと、深琴の体を抱きしめた。突然のことに驚いて持っていたペットボトルを離してしまう。床を転がるそれに気を留めることもなく、銀次は深琴の耳元で囁いた。
「俺と付き合ってください」
その、シンプルでまっすぐな言葉は、深琴の心の奥へとするりと入り込んだ。かつて、こんなに素直な告白を受けた事があるだろうか。深琴は銀次の言葉にゆっくりと頷いた。
「……銀次は、がっかりしないか?」
「するわけないよ。深琴さんの弱いところも、嫌なところも全部見せて欲しいくらい。きっと俺はその度に深琴さんを好きになるから」
銀次がそっと深琴の体を離す。楽しそうな笑顔がすぐ傍にあって、深琴はつられるように微笑んだ。
「僕も……銀次のことを知りたい」
「うん、たくさん知って? それで、好きになって」
銀次はそう言うと、深琴にキスをした。そのキスは徐々に深くなり、銀次の舌が深琴の口の中を愛撫していく。上あごを優しく舐められ、深琴の背中がぞくぞくとわななく。
体から力の抜けた深琴を、銀次がゆっくりと床に組み敷いた。このまま銀次に抱かれたい、そう思ったが、深琴は銀次の胸をそっと押し返した。
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