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キスの経験がないわけではない。ただ、キスを『される』のは初めてで、更にそれが嫌ではなかったことに、心都は昨日の夜からずっと動揺していた。
「心都、生きてる?」
そんな言葉が耳元で聞こえ、心都はびくりと肩を震わせてから、耳を押さえて辺りに視線を向けた。とても近くに嶺崎の顔があり、思わず一歩下がるが、すぐに壁があり上手く距離は取れなかった。
「嶺崎……生きてる、けど?」
「ぼーっとして、フロアのバッシングにも行かないから、立ったまま寝てるのかと思って」
「え、ごめん! 滞ってた?」
少し客足が落ち着いていたと思ったのだが、もしかしたら心都がぼんやりしている間に混み始めたのかもしれないと思い、フロアに視線を向ける。まだ空席の方が目立つ落ち着いた店内で、心都は少しだけほっと息を吐いた。
「何か悩み?」
「いや、何も考えてなかったよ」
心都がうそぶいて笑う。嶺崎にはあまり弱みになることは知られたくなかった。できるだけ関わらず、バイト仲間の一人としてこのまま穏便に大学卒業と同時にフェイドアウトできればいいなと思っているのだ。
「遠慮なんかしなくていいよ。オレは、心都の力になりたいんだよ」
嶺崎が心都の隣に立ち、そっと小指を掴む。心都はびくりと肩を揺らしてから手を引いた。意外と簡単に嶺崎の手が離れる。
やっぱり嶺崎には指だけでも触れられるのが怖い。嶺崎に襲われた時、キスはされなかったというか、必死に抵抗したので比べることはできないが、きっとアイゼルの時のような気持ちには絶対にならなかっただろう。
嶺崎に襲われたことはなかったことにしたいと思っているのに、その経験がより一層アイゼルに対する気持ちが自分の中で温かいものなのだと知らせてくれる気がした。
「ホント、何も考えてなかったんだよ。帰ったら何食べようかな、とかそれくらい」
ごまかすように笑ってから、心都はその場を離れようと歩き出した。することのない時間帯だが、備品の整理や掃除、食器洗いなど探せば仕事はいくらでもある。嶺崎の傍に居るよりはずっといい。
「じゃあ、今日何か食べに行く? 前に言ってただろ? 奢るよって」
「それは、悪いからって断っただろ? ホント、大丈夫だから」
心都はカウンター周りの整理をしながら嶺崎に笑う。嶺崎も心都の真似をするようにレジの傍にあるハンディモップを手にして、適当にカウンターを撫でながら、違うんだって、と言葉を返した。
「オレが心都と行きたいんだよ。友達だろ?」
「まあ……湯楽ちゃんとか、みんなと予定合わせて一緒に行こうよ。その方が楽しいし」
ね、と心都が微笑むと、嶺崎は明らかに不満な顔をしたが、やがてため息を吐いてから、分かった、と頷いた。
「うん、今度みんなにも話してみるよ」
とりあえず仕事しよ、と心都がカウンターを離れ、厨房へと入る。大きく息を吐いた自分の手はいつもよりも冷たくなっていた。今日はなんとか上手く断れたけれど、これが毎週続くのかと思うと正直ぞっとする。
「白浜さん、ちょうどいいところに」
自分の手を握りしめていた心都に後ろから声がかかり、心都は笑顔を作って振り返った。そこには湯楽がいて、コレおねがいしていいですか? と聞きながらこちらに持っていたトレーを差し出す。トレーにはテーブルから下げてきた食器が乗っていた。
「うん、食洗機回しちゃうね」
「助かります」
湯楽が心都に持っていた皿を預け微笑む。それから、そうだ、と心都の顔を見やった。
「嶺崎さんから伝言です。今日、上がり時間同じだから一緒に帰ろうって。……さっきまで話してたんだから自分で言えばよかったのに」
「ホントだね」
苦く笑うと湯楽も小さく首を傾げた。
「嶺崎さんって時々不思議ですよね。白浜さんに対してだけ態度おかしいし……なにか、意地悪されてたりしたら言ってくださいね」
湯楽が胸の前で両手を拳にする。それを見て心都は笑って、ありがとう、と伝えた。
意地悪はされていないけれど嫌なことはされているんだよ、なんて後輩の女の子に言えるはずもなくて、心都は笑顔で次の仕事に戻っていく湯楽を見送ってからもう一度ため息を吐いた。
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