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しおりを挟む『卒業したら結婚しよう』
彼がそう言ってくれたのは、半年前のことだった。
結婚するからにはやっぱり家族は欲しいという彼の言葉を叶えてあげたくて、バイト代を全部使って、人工子宮の手術を受けた。自分の体に傷を作って、それでも命を育みたい、彼と新しい家族を作りたいと思って体調不良にも耐えた。
その仕打ちが『コレ』だなんて、誰が想像するだろう。
「朱莉、お、まえ、今日バイトじゃ……!」
その日はバイト先で急に熱を出した朱莉を、優しい店長が『すぐに休みなさい』と帰してくれた。朱莉は婚約者の悠馬と暮らしていた部屋に帰って、一番に聞いた悠馬の言葉がこれだった。
慌てているのは当然だろう。いつも朱莉と使っているベッドに知らない裸の女性を連れ込んでいるのだから、朱莉には見られたくなかったはずだ。
「ちょっと具合悪くて休んだ……てか、その子誰? って聞かなくても浮気相手なんだろうけど」
朱莉は自身の上着のポケットからスマホを取り出し、カメラを起動させ、動画を撮り始めた。女性の方が慌てて毛布を引き寄せる。悠馬も彼女をかばうように抱き寄せ、カメラに映らないようにした。まだ『繋がって』いるからこちらに来て朱莉からスマホを奪うことはできないのだろう。
「朱莉! やめろ! 彼女が嫌がってるだろ」
「ぼくも嫌だよ? 目の前で浮気されてるとか」
寝室の入口の壁にもたれ、朱莉が小さく微笑む。
本当は、ちょっとだけ気づいていた。
将来家族を持つためだからと人工子宮の手術を受けると言った時は賛成したのに、実際に受けたら数カ月はセックスができないと知った時は不機嫌になっていた。それでも朱莉の前では優しい悠馬でいてくれたから安心していたけれど、三カ月くらい前から休みの日に一人で出掛けることが増え、家の中でもスマホを持って歩くようになった。さらに朱莉のバイトのシフトをすぐに確認したがるようにもなった。そして、風呂場の排水溝で長い髪の毛を見つけた時は完全に彼を信頼することを止めていた。
「う、浮気じゃない! 俺は、彼女と真剣に付き合ってる……朱莉とは、別れたい。やっぱり女がいい。もう朱莉は抱けない」
浮気なら許そうと思っていた。もう自分は悠馬の相手が出来るようになったから、次の休みはめいっぱい愛し合おう、そうすれば悠馬は自分のところに戻ってくる、そう思っていた。
けれど彼女をかばうように必死に抱きしめるその姿は、朱莉のそんな気持ちを簡単に壊していた。じりじりと腹部が痛む。もう痛みはないはずなのに、手術の傷口が開いたように痛かった。
「……分かった。でも、悠馬はぼくと婚約してるんだから、ちゃんと払うもの払ってもらうね。そっちの彼女にも請求するから。どうぞ、お幸せに」
朱莉はそれだけ言うときびすを返し玄関へと向かった。後ろからガタガタと音がして、全裸のままの悠馬が朱莉の肩を掴む。それだけでぞわぞわと悪寒がした。
「婚約って、口約束だろ! 大体、金とか……俺と朱莉は愛し合ってただろ、そんな相手にそんな冷たいこと出来るのかよ」
「……出来るよ。人工子宮の手術は配偶者か婚約者がいないとできない手術なんだから口約束なんかじゃないし、ぼくがいくら出して子どもが産める体になったと思ってるの? 全部払ってもらうから」
朱莉が悠馬の手を振り払い、玄関のドアを開ける。さすがに服を着ていない悠馬はそこまでついて来れなかった。
「その性格、直さないと、だれを好きになっても本気で恋愛なんかして貰えないぞ!」
遠くから叫ぶ悠馬の言葉に、朱莉はため息をついた。
自分がしたことを棚に上げて朱莉を否定するなんて悠馬の方が性格を直した方がいいと思う。
「ぼくの荷物はまとめておいてくれる? 誰かに頼んで取りに来てもらうから」
じゃあね、と朱莉は玄関を出て歩き出した。
あんな女に負けたくなくて、悠馬に縋る自分なんか絶対に見せたくなくて、なんでもないフリをしてなんとか部屋を出たけれど、本当は全身が凍ってしまったのかと思うくらい震えていた。悲しくて悔しくてどうしようもない感情がいつ涙になってもおかしくなかったけれど、絶対に泣きたくなくてずっと歯を食いしばっていた。
「……あんな奴のために、バカなことしたな、ぼく……」
そっと自身の腹を撫でると、じわりと視界が歪んでいった。
きっともう、こんな傷ものの体じゃ誰とも恋愛できない。この先はずっと一人でこの体を抱えて生きていくしかないのだろう。
そう思うと、朱莉の涙は次々と溢れ、なかなか止まらなかった。
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