怖がりSubにやさしい命令(コマンド)を

藤吉めぐみ

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「あ、柏葉主任、起きました?」
 頭上からそんな声が届き、央樹はゆっくりと目を開いた。目の前には若い女子社員が居る。営業部の社員ではないようだ。
「……えっと……」
 央樹は体を起こしながら、なんと言ったらいいか分からず曖昧に口を開いた。それを見ていた社員が、猪塚です、と口を開いた。
「総務部会計課の猪塚いのづかと言います。さっき、廊下で声を掛けたんですが、主任がそのまま意識を失ってしまったので、ここまで運んでもらったんですが……」
 その言葉で、あの時助けてくれたのは彼女だったと合点した央樹が、すまない、と頭を下げた。
 央樹があたりを見回すと、そこはベッドが二つとソファがあるだけの部屋だった。医務室だろうということは分かったが、央樹は初めて入る場所だ。央樹の寝ていたベッドの傍に椅子を寄せて座っていた猪塚に視線を向けた央樹は、そのまま口を開いた。
「仕事は大丈夫か?」
「はい。上司には報告しています。来てくださったお医者さんが軽い貧血だろうって言ってました。でも心配だったので付き添わせて貰いました」
 猪塚の言う通り、この医務室に医療関係の人間が常駐しているわけではない。体を横にして休めるところ、というだけの場所だ。自分が救急車を拒んだからわざわざ医師を呼んでくれたのだろう。
「それで様子を見ててくれたのか。重ね重ね悪かった。もう、大丈夫だから」
 央樹がベッドを降りようと足を降ろす。すると猪塚は慌てて、まだ無理ですよ、とそれを止めた。
「顔色も良くないですし」
「ああ……これは仕方ないんだ。少し休んだから大丈夫。猪塚さんも仕事に戻って。このお礼はまた後日改めてさせてもらうから」
 引き留める猪塚に央樹は笑顔を向けて立ち上がった。まだふわりとするが、さっきのような具合悪さはない。
「じゃあ、営業部まで付き添います」
 靴を履く央樹の腕を取り、猪塚が真剣な表情でこちらを見上げる。そのまっすぐな目が、いつか見た暁翔の目に似ていて、央樹は思わず小さく笑ってしまった。
「ありがとう。じゃあお願いするよ」
 ベッドの上に置かれていた上着を拾い、それをはおってから、猪塚を見ると、その頬がほんのり赤く染まった。そして大きく頷く。
「ふらついたら頼ってくださいね」
「ああ、ありがとう」
 細い体に自分を支えることなどできないとは思うが、彼女の心意気を買い、央樹が頷く。猪塚はそれに嬉しそうに微笑んで、行きましょうか、と歩き出した。
 医務室を出て、央樹はポケットにしまっていたスマホを取り出した。もうすぐ昼になる時間だった。
 自分宛てにメッセージが何件も届いているが、全て部下からのものだった。自分が行くはずだった商談や新商品の説明には彼らが赴いてくれたらしい。それのひとつひとつにお礼の返信をしながら歩いていると、隣から、危ないですよ、と声が掛かる。
「え?」
「いくら社内でも、歩きスマホ、よくないです」
「あ、ああ……そうだな。戻ってからにしよう」
「はい。聞いてくれてありがとうございます」
 猪塚の言葉に、何故か暁翔がプレイの時に言う、ありがとう、という言葉を思い出す。それで央樹の心は不思議と温かくなった。


「近いうちに改めて連絡する。悪かったな」
「いえ。でも、主任のお礼は楽しみにしてますね」
 失礼します、と猪塚が営業部の入り口で頭を下げてきびすを返す。それを見送ってから央樹は自分のデスクへと戻った。パソコンを立ち上げ、来ているメッセージに返信をする。
「柏葉、戻ったのか」
 そう呼ばれ振り返ると、そこには課長が立っていた。央樹は立ち上がり、すみません、と謝る。
「いや……今日はこのまま午後休を取ってきちんと病院に行った方がいい。仕事は明日に廻せるように出来るだろう?」
 誰かが代わりにやってくれるわけではないというのは、課長の言葉から理解できたので、央樹はそれに、しかし、と眉を下げた。明日に廻すという事は、明日は倍の仕事が待っているということだ。だったらこの程度の体調不良など無視して仕事を片付けてしまった方がいい。
「主任、残りの仕事、おれが手伝います」
 コツコツと足音を響かせて近づいてきたのは暁翔だった。課長が振り返り、その言葉に眉根を寄せる。
「結城は自分のことで手一杯じゃないのか?」
 課長がそう問うのも当然で、暁翔の成績は央樹の次にいい。今日は上田の世話も任せているのに、央樹の仕事もなんて、時間がいくらあってもこなせるものではないだろう。
「上田くんの方なら午前中で終わりましたし、午後も一件だけ資料を届けたら今日はデスクワークで終わる予定だったので……やらせてもらえませんか? 主任」
 こちらを見つめる目に央樹が浅くため息を吐いた。譲る気はない、とその視線だけで分かる。
「……分かった。ただ、明日でいいものは渡さない」
 自分のパソコンに向かい、作りかけの資料や見積書のデータにチェックを入れ、暁翔のパソコンへと送信する。これだけ終わっていれば、明日慌てることはないはずだ。
「分かりました。主任はどうぞ、お大事になさってください」
 暁翔が頭を下げる。それに、ありがとう、と返すと、では、と暁翔が自分の席へと戻っていった。
「上司にまで目を配れるとは……結城は本当に優秀だな」
 暗に央樹が課長に目を配れていないと言われているようであまりいい気分はしなかったが、その時は、そうですね、と頷いた。
「本当に、優秀な部下です」
 やはりこんなスペックの高い暁翔のパートナーが自分だなんて、釣り合ってないと改めて思う央樹だった。

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