終わりの世界に祝福を

かみはら

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11、腹ぺこの恨み

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 平和を眺めるのも悪くないけれど、見ているだけでは疲れは取れないし腹も膨れない。早々に向かったのは奥さんに教えてもらった宿だ。こじんまりとした宿で部屋も狭いが、掃除は行き届いており、主人夫妻と従業員の愛想がよかった。こういった街中の基本安宿は手続きをしてもにこりともせず鍵を渡されるだけなのも珍しくない。飯は付いてないが裏庭には井戸があり水は使い放題、仕切り布もあるから汗を流したければそこで自由に。少し歩けば大きな広場があって、そこで洗濯をすればいいとも教えてもらった。
 たしかに同性の数が多く、むしろ男がいると肩身が狭いだろう。こういった安宿では女に不埒な真似を働く輩もいるだろうが、すれ違いざまに見かけた獣人の女性が大口開けて笑う姿を見れば大抵は意気がくじかれる。なにせ旧世界と違って様々な人種がたむろしているから、女と言えど個体の戦闘力は高い。

「こういうときは大部屋にしたいけど、まあそれは流石にね」
「今回は目立つの避けなきゃならねえしなあ」
「買い物以外は部屋に籠もって、明日になったらさっさとここを出よう」
「せめて二日くらい残らねえの?」
「私もそう思ったんだけど、あいつら足が速かったし、連携が取れてそうだからあとが怖い」

 アサカの場合は性質上、なるべく個室を取る傾向がある。雑魚寝できないわけではないが、それではパックも出づらくなるし、いまとなっては金のかかる娯楽に興じない身だ。せめて宿くらいは楽をしてもいいだろう、となけなしの宿代を払っていた。
 薄っぺらい布団を敷いた固いベッドだが寝心地は悪くなかった。靴を履いたままあぐらをかいたアサカは、取り出したメモにあれこれ買う物を書き足していた。必要最低限にしたつもりだが、予定外は生じるものだ。

「やっぱり服も変えなきゃだめかな」
「駄目に決まってんだろ。お前の姿は旅には適してるが、どんだけ目立つと思ってる。せめてこの国にいる間は普通の服に替えろ」
「……普通の布地だと紫外線通しすぎるからやなんだよなあ。肌が痛くなるから嫌いだ」
「そのいっつもいってるしがいせんだとかは知らねーけど、材料も途中で摘んできたし、きちんと毎晩薬を塗りゃ耐えられるだろ」
「ベトベトするから嫌い」
「わがまま言うな」
 
 駄々を捏ねてみたが、折れねばならないのはアサカの方だ。がっくりと肩を落として言った。

「思ったより物価が高いから……嗜好品の類は減らそう。悪いけど蜂蜜も勘弁してもらえないかな、次でなるべく奮発するから」
「ん、まあそんくらいはしょうがねえな。けど今日くらいはちゃんと食えよ、もうずっとまともに食ってねえだろ」
「まだ限界じゃないから大丈夫」

 とはいいつつも疲労は限界に近い。結局その日は宿から出る気力も無く、部屋で一晩明かしてから宿を出た。早朝に買い物を済ませて、荷物整理をして、ぎりぎり手続きが間に合う昼頃には宿を出る魂胆だ。気のいい従業員から雑貨屋等の場所は聞いていたし、道に迷うことはない。むしろ財布に余剰がないぶん寄り道への誘惑は安易にはね除けた。
 大体の買い物を済ませるとメモを見ながら呟いていく。

「食料、水筒、薬、包帯、毛布、鍋、フォークは枝削って箸にすればいいかいらない。ええとここからここまでは全部買った。雨具は……安物になるけど仕方ないか」

 マスクの下はすでにうんざりした表情だ。無事途中で摘んだ木の実や薬草は売れたが、思ったより値がつかなかったのが痛手だ。こうして買いそろえていくほど、パラグライダー展開で失った荷物達の偉大さを実感させられる。遺跡からもってきた道具も多く、特に雨具は頑丈で、内側からの湿気は通しても雨水は通さない特殊繊維で作られていた。寒い日は保温にもすぐれたし、時にタープ代わりにもできるくらい優秀だった。他の遺跡で簡単に拾える素材でもない。

『過ぎたこと悔やんでも仕方ねえだろ。とっとと最後の店に行くぞ』
「わかってるよ」

 アサカにしか聞こえない声で語りかけるパック。
 促されるまま向かったのは大量の服が並べられた服飾店で、アサカのガスマスク顔も何のその、気のよさそうな店主も笑顔で話しかけてくる。インコみたいなカラフルな羽を生やしたおばちゃんだった。

「うちの服はここらの界隈じゃとびきり質が良くてとっても安いって有名なんだ。よかったら見てっておくれよ!」

 手早く見繕わねばならなかったが、こういったところで妙な凝り性を出してしまったのがよろしくない。街中の変装用一式を買い換える頃には太陽が天高く昇ろうとしている。早足で戻るアサカにパックは文句たらたらだ。

『余裕を持って出たはずなのに、なんで服を選ぶだけでこんなに時間をかけてるんだよ。急がないと追加料金取られちまうぜ』
「だからこうやって急いでる。まだギリギリ間に合う」
『荷物整理はどうすんだよ、時間がねえだろが』
「都を出てからやればいいでしょ、どうせ大した荷物もないし買えなかった」

 駆け足一歩手前だった。宿まであと少しといったところ、ふと腹の虫がぐう、となる。

『アサカ?』

 露天に出てた串焼きを見てしまったせいだ。ガスマスクだから臭いは通さないが、視界にちらつく肉や人々が美味しそうに食す姿は目に悪い。
 価格を確認すると、かなり軽くなってしまった財布を握りしめる。この間もらった果物以外は塩辛くて固いだけの干し肉しか口にしていない。パックには強がったけれど、実際はただ耐えられるというだけで結構な空腹だ。
 ……が、十秒ほどで諦めた。
 串焼き一本買う程度の金すら、どこで必要になるかわかりやしない。

「……い、いや、いまはまずい、アウト、絶対アウト」
「ほーん? 腹減ってんのなら奢ってやろうか?」

 声は後ろからだった。
 こういったときは後ろを振り返るのが常だが、肉体はとっくにかけ出……そうとしたところで、肩に手が置かれて阻止される。

「勘弁してもらえるか。次にお前さんを逃がしちまったらどんな嫌味が飛んでくるかわかったもんじゃねえ」

 今度こそ確認した。無精髭こそ剃っているが背後に立っていたのは黒く短い頭髪とつり上がったまなじりが特徴的な、あのリゲルという男だ。山の中で見たときは三十代半ば頃に感じたが、髭がなければまだ若く映る。

「逃げても構わんが、もう周囲は張ってるから無駄に終わるぞ。大人しくしたがった方がオレもお前も苦労が減ってお互いのためだと思うね。おっとこれは純粋な忠告だぞ」

 これに対しアサカは空を仰いだ。
 はぁ、と息を吐けば呼吸器が無機質な音を吐きだす。いまは青く晴れ渡った空すら無情に感じていた。
 アサカが昨日身動き取れなかったのも、先ほどつい足を止めてしまったのも疲れ切っていたからだ。道中や、もちろん都に入ってからだっては追尾がないか徹底として気をつけてきたのに、こうしてあっさり肉薄されてしまえば嘆きたくもなる。

「よし」
『お、おいアサカ?』

 男の手を振り払い、大股で歩き出した。ただし向かうのは宿ではなくて露天ひしめき合う商店の方だ。男が付いてきているのはわかっている。逃げ切れないのも悟っていた。

「言ったからには奢ってもらおうじゃないの。数日間ろくに食べられなかった胃袋の恨みを思い知るがいいわ」

 自棄だった。
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