上 下
4 / 7

夢を物語として語れたならば。だけど夢は儚いからこそ、美しいんだ。

しおりを挟む
 きっと誰しもが、同様の発想に思い至った経験を持っているのではないだろうか。

 もしも夢を一切残らず言語化できたとしたならば、あらゆるヒトが
小説家として名を馳せていることだと思う。

 それほどまでに夢の世界は甘美で、荘厳で。
 ときには恐ろしさのあまり全身汗だくで飛び起きてしまうような
悪夢もあるけれど、それはそれでどんなホラー映画よりも真に迫った
恐怖を提供してくれるものだ。

 私は寝ることが大好きだ。必然的に夢を沢山見る。
 化学的な言説によれば、ヒトは必ず夢を見ているのだそうだが
何らかの要因によりその内容を覚えているか否かに分かれるのだそうだ。

 私はどうやら大多数のヒトよりもその頻度が高いらしい。

 朝、目を覚ますと思わず涙を流してしまうほど感動している
自分を発見することがある。
 言いしれぬ満足感、幸福感。まさにこの瞬間のためだけに
私は生まれたんじゃないか、そう錯覚させられるほどの衝撃だ。

 もう1度あの夢を。そう願って2度寝をしてみるけれど
残念ながら再びその世界に行くことは叶わない。

 現実には存在しておらず、経験すらしていない世界に対する
この奇妙なノスタルジック的感情が、たまらなく愛おしいのだ。

 大抵、これらの夢を書き留めようとノートを開いた瞬間から
記憶の欠片は容赦なく頭からこぼれ落ちはじめている。

 ああ。夢を物語として表現できたならば。
 きっと毎日が名作劇場なのに。

 運良く記憶できた夢もまた断片的にしか覚えておらず
そのことがかえって私を歯がゆさとやるせなさでいっぱいにする。

 彼は無事だったかな。 ところで私あのあと殺されたのかしら。
 なんて馬鹿でかい怪物だったんだろう。 かっこよかったな。
 私、サッカー習い始めようかな。 もしかしたら才能あったかも。
 等々。

 
 数ある素晴らしい夢の中でも、一生忘れないと確信させられるような夢がある。

 その世界には愛すべき人、愛すべき風景、愛すべきありとあらゆる総てがあった。

 時おり、この現実世界の全てを投げ打って、その世界へ行きたくなることがある。
 けれども、彼らは故人でもなければ、失われた故郷などでも決してないのだ。

 この世界に自ら終止符を打ったとしたら、理想郷に再び巡り合えるのだろうか。
 
 もしかしたら天国は本当にあって、その世界が夢の世界なのではないか。
 そんなことをうっすらと考えたこともあった。

 しかしながらそんな認識は、所詮机上の空論にしか過ぎないのである。
 死後の世界があるかどうかなんて、亡くなった者だけにしかわからない。
 
 そしてそんな危険な思想に命を懸けるだけの気力など、ありやしないのだ。

 私が今もこうして生きているのは、夢に見た世界を現実世界でも
探し求めんとする追求心に依るところが大きいのかもしれない。

 いつの日にか、きっと。


 だが、こうした希望に浸ることができるのも、夢の持つ儚さゆえだ。

 もしも科学技術が進歩して、その日に見た夢を脳から直接視覚的に
抽出できるような機械が誕生したとしよう。

 そうした途端に、夢は夢でなくなってしまうのだ。

 それに夢を具現化できてしまったならば、逆説的に夢の世界は
現実世界には存在しないという事実を証明することにもなりかねない。
 そうなったら、ノスタルジックな郷愁はたちまち霧散してしまうのだろう。

 だから多分、夢は夢のままぐらいで丁度よい。夢は儚いからこそ美しいのだ。

 毎晩出会っては消えていく幾億もの夢の世界たちよ。
 今日はどんな世界へと私を誘ってくれるのだろうか。

 期待で頭をいっぱいにして、今日も私は夢を見る。



 
 

 


 
 

 

 



 

 


 

 

 

 

 
しおりを挟む

処理中です...