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番外編
番外編01.すれ違うにもほどがある
「おやすみ、アイリス。良い夢を」
アイリスを抱きしめ額にキスをすると、ルシフェルは、まだ仕事が残っているから、と寝室を出て行った。
結婚式から3ヶ月。朝晩の食事は一緒に摂るし、毎日王宮の庭園を散歩したり、テラスでお茶を楽しんだりと、仲睦まじさを存分に見せつけているふたりなのだが。
(まただわ。今夜もルシフェル様は、床を共にしてくださらなかった……)
初めの頃は、披露式やら外遊やらと行事も多く、疲れているのだろうと思っていた。けれどその後も、アイリスが眠り込んだ後に寝室へやってきたり、執務室に泊まり込んだりと、結局いまだに初夜を迎えられていないのだ。
その夜もアイリスは、不安な心を抱えたまま、悶々とした気分で寝室に取り残されたのだった。
「ふう、危なかった……」
その頃、王太子の執務室では、ルシフェルがひとり熱を吐き出すように、ため息をついていた。
アイリスのネグリジェ姿、あれは反則だ。思わず押し倒してしまいそうになる。
いや、夫婦なんだからいいだろう、と、何度思ったことか。けれど、それだけは絶対にダメだ、と自分に言い聞かせている。
(だって……)
(だってアイリスは、初めてなんだぞ?!)
初めての時は、最高の環境を作ってあげるべきだ、と彼は思っている。こんな執務で疲れた夜じゃなく、緑の森でデートして、その後は星空の下、ワイングラスを傾けて。
彼女を思えばこそなのだが、それがアイリスを苦しめているとは、夢にも思わない王太子だった。
それから数日後。
アイリスは、王太子の仕事を手伝うことにした。負担が減ったら夜の時間も取ってくれるかも、とは、とても口に出せないが。
(優秀な方ではあるが、まだ初日だ。我らの10分の1でも終われば…)
そう思っていた書記官たちは、舌を巻くことになる。
「えっ、午前中だけで、この量を?」
「この書状を解読なさったのですか?!イスタル語で書かれたものですのに!」
商会長夫人として、アイリスは社交だけをしていたわけではない。元夫が地味な仕事を嫌うから、夫宛に届く書状を仕分けし返事をしたため、時には外国からの客の接待もする。
商会の繁栄はアイリスあってこそのものだったのだということを、書記官たちは痛感した。
どんな問いにも的確に、それでいてけしてひけらかすことなく答える王太子妃に、書記官たちはすっかり魅了されてしまったのだった。
「ありがとう、アイリス。君の優秀さは知っていたけど、予想以上だったよ。こんなに早く仕事が片付いたのは初めてだ」
その夜、ふたりだけの晩餐で、ルシフェルは満足げに微笑んだ。
「美しい上に、優秀だなんて。君って本当に罪な存在だよ」
「そんな…。私にできることならなんでも致しますわ」
もしかしたら、今夜こそ。
「あの、殿下……」
勇気を振り絞って声を上げたアイリスだったが。
「おかげで、時間が取れなくて進められなかった件に、とりかかれるよ。本当にありがとう」
(……え?)
今夜は打ち合わせで遅くなるよ、と優しく告げると、ルシフェルはいつものように額に口付けて、食卓を後にしたのだった。
(危ない、危ない。今夜のアイリスは一段と輝いていて、いっしょにいたらとても触れずにはいられないよ)
私がいけないのかしら……。
仕事を手伝ったところで、堅苦しい女だと思われただけ?
『堅苦しい』という言葉が浮かんだ時、アイリスは心に重い楔を打ち込まれたような気分になった。
それは、元夫に言われ続けた、心無い言葉。
あの男が、わざわざ例の離縁届に書き記していたことが、否が応でも思い出される。アイリスの自尊心を打ち砕くため、そして、たかだかフローラのご機嫌をとりたいがために書いたこと。
“ロイ・アバンドールとアイリス・アバンドールには、夫婦関係はいっさいなかった”
ーーいわゆる、『白い結婚』だ、と。
宣言どおり、一度として元夫は、アイリスと共寝することはなかった。
「ルシフェルも…」
私を堅苦しい、つまらない女だと思った?
そう呟いて、そんなはずはない、と思い直す。
(あの人はそんな人じゃない。私たちは幼馴染だけれど、夫婦としてはお互いを知らなさすぎるわ)
話をしよう。
そう心に決めたアイリスだが、不安は拭えないままだった。
アイリスを抱きしめ額にキスをすると、ルシフェルは、まだ仕事が残っているから、と寝室を出て行った。
結婚式から3ヶ月。朝晩の食事は一緒に摂るし、毎日王宮の庭園を散歩したり、テラスでお茶を楽しんだりと、仲睦まじさを存分に見せつけているふたりなのだが。
(まただわ。今夜もルシフェル様は、床を共にしてくださらなかった……)
初めの頃は、披露式やら外遊やらと行事も多く、疲れているのだろうと思っていた。けれどその後も、アイリスが眠り込んだ後に寝室へやってきたり、執務室に泊まり込んだりと、結局いまだに初夜を迎えられていないのだ。
その夜もアイリスは、不安な心を抱えたまま、悶々とした気分で寝室に取り残されたのだった。
「ふう、危なかった……」
その頃、王太子の執務室では、ルシフェルがひとり熱を吐き出すように、ため息をついていた。
アイリスのネグリジェ姿、あれは反則だ。思わず押し倒してしまいそうになる。
いや、夫婦なんだからいいだろう、と、何度思ったことか。けれど、それだけは絶対にダメだ、と自分に言い聞かせている。
(だって……)
(だってアイリスは、初めてなんだぞ?!)
初めての時は、最高の環境を作ってあげるべきだ、と彼は思っている。こんな執務で疲れた夜じゃなく、緑の森でデートして、その後は星空の下、ワイングラスを傾けて。
彼女を思えばこそなのだが、それがアイリスを苦しめているとは、夢にも思わない王太子だった。
それから数日後。
アイリスは、王太子の仕事を手伝うことにした。負担が減ったら夜の時間も取ってくれるかも、とは、とても口に出せないが。
(優秀な方ではあるが、まだ初日だ。我らの10分の1でも終われば…)
そう思っていた書記官たちは、舌を巻くことになる。
「えっ、午前中だけで、この量を?」
「この書状を解読なさったのですか?!イスタル語で書かれたものですのに!」
商会長夫人として、アイリスは社交だけをしていたわけではない。元夫が地味な仕事を嫌うから、夫宛に届く書状を仕分けし返事をしたため、時には外国からの客の接待もする。
商会の繁栄はアイリスあってこそのものだったのだということを、書記官たちは痛感した。
どんな問いにも的確に、それでいてけしてひけらかすことなく答える王太子妃に、書記官たちはすっかり魅了されてしまったのだった。
「ありがとう、アイリス。君の優秀さは知っていたけど、予想以上だったよ。こんなに早く仕事が片付いたのは初めてだ」
その夜、ふたりだけの晩餐で、ルシフェルは満足げに微笑んだ。
「美しい上に、優秀だなんて。君って本当に罪な存在だよ」
「そんな…。私にできることならなんでも致しますわ」
もしかしたら、今夜こそ。
「あの、殿下……」
勇気を振り絞って声を上げたアイリスだったが。
「おかげで、時間が取れなくて進められなかった件に、とりかかれるよ。本当にありがとう」
(……え?)
今夜は打ち合わせで遅くなるよ、と優しく告げると、ルシフェルはいつものように額に口付けて、食卓を後にしたのだった。
(危ない、危ない。今夜のアイリスは一段と輝いていて、いっしょにいたらとても触れずにはいられないよ)
私がいけないのかしら……。
仕事を手伝ったところで、堅苦しい女だと思われただけ?
『堅苦しい』という言葉が浮かんだ時、アイリスは心に重い楔を打ち込まれたような気分になった。
それは、元夫に言われ続けた、心無い言葉。
あの男が、わざわざ例の離縁届に書き記していたことが、否が応でも思い出される。アイリスの自尊心を打ち砕くため、そして、たかだかフローラのご機嫌をとりたいがために書いたこと。
“ロイ・アバンドールとアイリス・アバンドールには、夫婦関係はいっさいなかった”
ーーいわゆる、『白い結婚』だ、と。
宣言どおり、一度として元夫は、アイリスと共寝することはなかった。
「ルシフェルも…」
私を堅苦しい、つまらない女だと思った?
そう呟いて、そんなはずはない、と思い直す。
(あの人はそんな人じゃない。私たちは幼馴染だけれど、夫婦としてはお互いを知らなさすぎるわ)
話をしよう。
そう心に決めたアイリスだが、不安は拭えないままだった。
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