冷遇夫がお探しの私は、隣にいます

終日ひもの干す紐

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第4話 寂しい、たったその一言で

 二日目も、朝から晩までロシェはシャノンを探し続け、シャノンはアンブルとして彼の後ろをついて回った。ただ闇雲に足を運ぶだけでなく、屋敷から出た形跡の調査をし、事件と事故と自らの失踪、全ての線を視野に入れながらあらゆる可能性を一つずつ潰していった。

 二日目ともなると、いよいよただ事ではないと屋敷の者たちは皆一様に表情を暗くした。けれどその中で一人、誰も責めることなく鼓舞していたのがロシェだった。

 それでも見つけられない。当然だ。シャノンはどこにも行っていない。アンブルになってここにいるのだから。

──そしてシャノンは今、ロシェの執務室の机の上で、ででーんと横たわっている。

 なんで私がこんな格好で……でもこれしか……!

 机の上にお腹丸出しで寝そべるなんて、物凄い抵抗感がある。けれど今は、手段を選んでいられなかった。

 彼は今、シャノンの実家へ「そちらへシャノンが帰っていないか?」という内容の手紙を書こうとしている。娘が失踪したともなれば、両親は黙っていない。両家の関係も冷えに冷え込んでしまう。シャノン自身が無事でここにいる以上、波風を立てるようなことは避けたかった。

「アンブル、どいてくれないか? 手紙が書けなくて困るんだが……」

 ロシェは宥めるように声をかけてくるが、シャノンは重石になったつもりで動かず、机から下ろされてはまた乗って寝そべりを繰り返している。再びこちらへと伸びた彼の手を、しっぽでシャッと払った。

「これが書けたらたくさん撫でてやるから、少しだけ待っててくれ」

 ロシェに抱えられて床に下ろされても、シャノンは猫の身体能力を使ってすぐさま執務机の上に飛び乗る。すでに文字を書き始めていたペンへ、シュッシュッと前足でじゃれつき、便箋を台無しにしてやった。

「アンブル……どうして……」

 ロシェは声を震わせると、くしゃりと顔を歪めた。これまで必死に抑え込んできたものがあふれるように、澄んだ空色の瞳がじわりと潤む。

「心配じゃないのか? シャノンに何かあったら、僕は……」

 こらえきれなくなった雫が、空色からぽろりと零れ落ちる。透明の粒はパタッと音を立てて砕けると、新しく用意したばかりの便箋に丸いシミを作った。

「僕のせいだ……僕が、また間違えてしまったから……前のときと、同じだ……」

 頭を抱えた彼の右手が、ぐしゃりと前髪を巻き込んで握りしめられる。机の上に置かれたままの左手は震えていた。その手の甲にペタリと、手を重ねるつもりでシャノンは前足を置いた。

 いなくなったせいで、前妻のことを思い出させて泣かせてしまった。屋敷の従者たちにも迷惑をかけてしまっている。今すぐにでも戻って、安心させてあげたい。けれど、戻り方がわからない。慰めにもならない前足が、あまりにも無力だった。

 せめて言葉が話せたら──言葉……?

 シャノンはふとあることを思い出し、ロシェの袖に噛みついてぐいぐいと引っ張った。そうして机から下りて扉の前へ行き、また戻って袖を引っ張る。

「アンブル、ついてきてほしい……のか?」

 執務机の前から立ち上がりかけたロシェに、扉をカリカリと優しく引っ掻いて促す。彼が扉を開くと外に出て、振り返りながら案内した。

 彼を連れてきたのはシャノンの寝室だ。その隅に置かれた机に飛び乗り、一番上の引き出しを開けようと引っ掻く。ロシェが代わりに引き出しを開けてくれると、その中にある一冊の手帳を取ろうとした。

「……シャノンの日記? これで何かわかれば……!」

 ロシェは手がかりが掴めると思ったらしく、ここにはいないはずのシャノンに一言謝ってから日記を開く。けれど、そこに失踪した理由も手がかりも何一つ書いていない。書いてあるのは、この屋敷で過ごしてきた日々で素直に感じてきたことばかりだ。

 初めてロシェと出会い、どういう思いで嫁いできたのか。
 挨拶を返してくれて、その微かな笑みに心が弾んだこと。
 妻として頼りにしてもらえない悲しみと虚しさ。
 団らんのひとときを作ろうとしても拒まれる切なさと不満。
 それでも、「忙しい」「疲れている」と聞けば心配していたこと。

 たった一年だけれど、一年の思いの全てが、この手帳には詰まっている。

「シャノン……」

 ロシェの声が、力なく滑り落ちる。低く、風に揺らぐ蝋燭の火のように、空気に溶け消えていく。

「すまなかった……君の言葉が、本当に、全部……本心だったなんて……」

 ロシェは日記を手にしたまま、膝から崩れるようにしゃがみ込んだ。シャノンは机から下りて、彼を見上げて見守ることしかできない。ぽろぽろと伝い落ちる涙を拭いたくて、彼の膝の上へと乗った。

 白い小さな丸い手で、ペタペタと彼の涙に触れる。すると彼の手が伸び、ぎゅうっと優しく抱きしめられた。押し殺すような嗚咽と吐息が、体の震えと共にこちらへと伝わってくる。

「今度こそ上手くやろうって、追い詰めないように距離を置いたのに。また失敗して……僕はもう、人に優しくする方法がわからない……」

 ロシェの前妻への対応はそれとなく聞いている。穏やかに愛情を傾けて関わりを持ち、前妻の方も彼に好意的に接していたらしい。

 けれど駆け落ちという形で、妻を失った。

 愛情を踏みにじられ、信じていた姿は建前だった。互いに歩み寄れているようで、その実前妻の心は別の人のものだった。

 妻に裏切られた、傷心の辺境伯。きっとこんなふうに、人知れず一人で泣いていたのかもしれない。

 それならそうと、どうして「信じることが難しい」と一言言ってくれなかったのですか! そうすればこんな行き違い、しなくても済んだのに……

 歩み寄ろうとして、届かない──その寂しさと虚しさは、シャノン自身もよく知っていた。

「……アンブル、ありがとう。こんな僕でも、傍にいてくれて」

 切なくてか細い声が、シャノンを苛む。傷心のロシェに歩み寄るとか、気を使っているなんて……相手を思いやっているような気になっていただけの傲慢だ。

 気づかないうちに上から目線で、傷ついている彼にずっと“してあげている”と思っていた。ロシェばかりに非があるわけではない。そんな考えだから、ずっと心が歩み寄ることがなかったのだと思い知らされた。

 言葉を持たない猫のシャノンは、これまでの後悔と罪悪感を抱きしめて、ロシェの頬に頬を擦り寄せて涙を拭った。

 何の役にも立たない親切心なんか捨てて、拒絶されたとしても勇気を持って、たった一言「寂しい」と……素直に言えばよかっただけの話だった。

 ロシェはシャノンを抱きしめたまま静かに泣き続け、やがて机にもたれかかるようにして疲れて眠ってしまった。日記を握りしめたまま眠る姿は年齢よりもあどけなく、辺境伯という肩書きに対し、あまりにも繊細で脆い。その頬に残る涙の痕を手の先でそっとなぞる。

 猫の体ではブランケットを運ぶのは難しく、シャノンも彼の隣で丸まって眠りについた。
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