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第3部 Re:
EP46 こたえ
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ユイとトオルは孤児院の図書室を訪れた。
木製の取っ手が付いた木の扉を右に引き、中へ入る。
こじんまりとした空間だ。勤務先の教育機関にある図書室の1/3ぐらいの広さだろうか。
ユイは大きな窓から差し込む穏やかな陽光に誘われ、図書室の内部を歩く。
窓口では背中を丸めた老いた女性が、本を返却する子供から本についての感想を聞いていた。
女性と目が合うと、彼女は穏やかな視線でユイを迎える。
耐震を意識した頑丈な造りの木製の本棚。
それは6つぐらいあり、窓口を中心に放射状に配置されている。
絵本や児童文学が整頓されて並ぶが、息苦しい程の蔵書量ではない。
子供が安心して本に触れ合えるほどの余裕が感じられる。
情報化されていない”紙”という旧式の記録媒体――“本”は恐らく寄付によるものだろう。
そしてその“本”をよく知る者が、子供たちのために丁寧に管理しているといった印象を受けた。
ユイは目についた本の数冊を手に取る。
どの本も大切に扱われ、破けた所は丁寧に修繕されているようだ。
ヒロトがここで過ごしたというのなら、ヒロトはどんな本を読んでいたのだろう?
ふとユイが目を止めたのが、本だなの上に収納された紫色の装丁をした本。
その紫色がヒロトの目の色に似ていると思って、ユイはその本を手に取る。
しかしユイの指先が滑り、軽い音を立て本は閉じたまま床に落ちた。
マシューがそれをくわえ、ユイに手渡す。
『アゼリア物語』
アゼリアとは、大昔の人々の言葉で『永遠』を意味するという。
そんな名前をどうして世界につけてしまったのかは分からない。
人類の繁栄を永遠に望んだのか、何か叶えたいことが永遠であることを願ったのか。
すると図書室のなかを同じように見て回っていたトオルが、ユイに声を掛けた。
「オレも子供の頃……読んだな、それ」
「そうなんだ? 面白い?」
「ん~、正直よくわからんかった」
「じゃあ、今は?」
「少しだけカザム教を知ろうと思ってる」
ユイはどうしてとは聞けなかった。
レイラの家は受容派ではない。敬虔なカザム教の信徒だ。
「レイラが信じていることを、何も知らないまま否定したくないんだ」
トオルの言葉が、ヒロトの言葉と重なる。
あれはマシューがまだ定期メンテナンスから戻る前のことだ。
合唱団の練習の帰り、送ってくれたヒロトと一緒にユイの部屋で料理をした。
ヒロトは味わい深い煮物料理が得意だった。
祖母リエが作っていたような、素朴で温かみのある“母の味”がする料理。
食材を一定の速度を保ったまま等間隔で刻んだり、火加減の調整や温度管理。
それは料理を頻繁にする人の手際の良さだった。
ユイにとっては、異性と行う初めての共同作業。なのにヒロトは既に経験済みらしい。
それがユイには少しだけ悔しくて、少しだけ寂しくて――
『ここまで料理上手になった秘訣って、誰かに作ってあげたかった?』
そんな風にヒロトに聞いてしまった。
『そうだとも、そうじゃないとも、言えない。……ただ今はユイのために作りたい』
『私のために?』
『うん。ユイのためだけに』
ヒロトは少しだけ照れくさそうに笑う。ユイも一緒に顔を赤らめる。
そしてヒロトは――。
マシューが動物型で良かったと、呟いた。
『ユイの胃袋を掴む名誉だけは俺のものにしたいから』
『なんでマシューが私の胃袋を掴むことが確定してるのか、謎すぎる』
口を尖らせてユイは反論する。
そのユイの肩をヒロトは後ろからそっと抱きしめる。
『ユイが信じていることをすぐに理解できなくても、否定だけはしたくないんだ』
あの時のヒロトの言葉の意味を。
当時のユイはマシューに対する対抗心だと思っていた。
けれども本当はもっと深い意味があったのかもしれない。
―*―
訪れる子供は限られているのか、本を返却する子供は来ても図書室で本を読む子はいない。
時折窓口の女性と子供の会話が聞こえる。
あとはページをめくる小さな音だけの、静寂の空間。
トオルもユイも本を読んでいた。
ユイは図書室の椅子に座り『アゼリア物語』を読み始める。
するとマシューは窓辺にある椅子の上に待機姿勢を取り、空を見上げ始めた。
カザム教における唯一の“神”が、ある時この世界――、アゼリアに降り立った。
そしてこの“神”は世界を創り、今なお世界を導き、“守護者”として世界を守護しているのだそうだ。
ここまでを読んで、ユイは『アゼリア物語』を閉じた。
いつの頃からかカイドウ家は、カザム教の受容派になった。
それはカザム教の理念や概念を否定せず受け入れるが、守護者を唯一の絶対神として崇めない。
医療を司る一族が、宗教に固執することは危険であるとの見方からきている。
祖父トミオもそうした価値観を持っていた。
もしもこの世に“神”という存在がいるのなら――。
“神”は複数いていい。信じたい“神”も“教義”も、個人が選ぶべきだと思う。
カザム教の“神”が美化されたこの本を、ユイは元あった本棚に戻す。
何かの行動が一区切りつくと、ユイはマシューの姿を探す。
(……そばにいるのに探すなんて、ね)
ユイは苦笑する。
当のマシューは、あれからずっと空を眺めたままだ。
恐らくユイがマシューを呼ぶまで、マシューはずっとこのままなんだろう。
(何を見上げているの……?)
マシューが動物AIドールの中に移行して直ぐの時、仕事の帰り道で話したことを思い出す。
あの時マシューの言葉をユイは思い返す。
『俺は変化するものを必要としない。だが変化自体に興味がないわけではない』
あの時は詳しく聞こうとしたらはぐらかされた。
恐らく今でも教えてくれはしないだろう。
(人間とAIには境界線が必要なのはわかる。そんな目に見えないモノをどうやって扱うの?)
「ユイさん、そろそろ行ってみない?」
「うん」
ユイはマシューを連れてトオルと共に会議室へと向かう。
そのドアの前でユイは急に足を止める。
「どうした? 入らないのか?」
ユイを見上げ、マシューが声を掛ける。
しかしユイはマシューを見ずにこたえた。
「マシュー、ごめん。ドアの前で待っててくれる?」
「ああ」
ドアを開け背を向けるユイを、マシューは静かに見送った。
木製の取っ手が付いた木の扉を右に引き、中へ入る。
こじんまりとした空間だ。勤務先の教育機関にある図書室の1/3ぐらいの広さだろうか。
ユイは大きな窓から差し込む穏やかな陽光に誘われ、図書室の内部を歩く。
窓口では背中を丸めた老いた女性が、本を返却する子供から本についての感想を聞いていた。
女性と目が合うと、彼女は穏やかな視線でユイを迎える。
耐震を意識した頑丈な造りの木製の本棚。
それは6つぐらいあり、窓口を中心に放射状に配置されている。
絵本や児童文学が整頓されて並ぶが、息苦しい程の蔵書量ではない。
子供が安心して本に触れ合えるほどの余裕が感じられる。
情報化されていない”紙”という旧式の記録媒体――“本”は恐らく寄付によるものだろう。
そしてその“本”をよく知る者が、子供たちのために丁寧に管理しているといった印象を受けた。
ユイは目についた本の数冊を手に取る。
どの本も大切に扱われ、破けた所は丁寧に修繕されているようだ。
ヒロトがここで過ごしたというのなら、ヒロトはどんな本を読んでいたのだろう?
ふとユイが目を止めたのが、本だなの上に収納された紫色の装丁をした本。
その紫色がヒロトの目の色に似ていると思って、ユイはその本を手に取る。
しかしユイの指先が滑り、軽い音を立て本は閉じたまま床に落ちた。
マシューがそれをくわえ、ユイに手渡す。
『アゼリア物語』
アゼリアとは、大昔の人々の言葉で『永遠』を意味するという。
そんな名前をどうして世界につけてしまったのかは分からない。
人類の繁栄を永遠に望んだのか、何か叶えたいことが永遠であることを願ったのか。
すると図書室のなかを同じように見て回っていたトオルが、ユイに声を掛けた。
「オレも子供の頃……読んだな、それ」
「そうなんだ? 面白い?」
「ん~、正直よくわからんかった」
「じゃあ、今は?」
「少しだけカザム教を知ろうと思ってる」
ユイはどうしてとは聞けなかった。
レイラの家は受容派ではない。敬虔なカザム教の信徒だ。
「レイラが信じていることを、何も知らないまま否定したくないんだ」
トオルの言葉が、ヒロトの言葉と重なる。
あれはマシューがまだ定期メンテナンスから戻る前のことだ。
合唱団の練習の帰り、送ってくれたヒロトと一緒にユイの部屋で料理をした。
ヒロトは味わい深い煮物料理が得意だった。
祖母リエが作っていたような、素朴で温かみのある“母の味”がする料理。
食材を一定の速度を保ったまま等間隔で刻んだり、火加減の調整や温度管理。
それは料理を頻繁にする人の手際の良さだった。
ユイにとっては、異性と行う初めての共同作業。なのにヒロトは既に経験済みらしい。
それがユイには少しだけ悔しくて、少しだけ寂しくて――
『ここまで料理上手になった秘訣って、誰かに作ってあげたかった?』
そんな風にヒロトに聞いてしまった。
『そうだとも、そうじゃないとも、言えない。……ただ今はユイのために作りたい』
『私のために?』
『うん。ユイのためだけに』
ヒロトは少しだけ照れくさそうに笑う。ユイも一緒に顔を赤らめる。
そしてヒロトは――。
マシューが動物型で良かったと、呟いた。
『ユイの胃袋を掴む名誉だけは俺のものにしたいから』
『なんでマシューが私の胃袋を掴むことが確定してるのか、謎すぎる』
口を尖らせてユイは反論する。
そのユイの肩をヒロトは後ろからそっと抱きしめる。
『ユイが信じていることをすぐに理解できなくても、否定だけはしたくないんだ』
あの時のヒロトの言葉の意味を。
当時のユイはマシューに対する対抗心だと思っていた。
けれども本当はもっと深い意味があったのかもしれない。
―*―
訪れる子供は限られているのか、本を返却する子供は来ても図書室で本を読む子はいない。
時折窓口の女性と子供の会話が聞こえる。
あとはページをめくる小さな音だけの、静寂の空間。
トオルもユイも本を読んでいた。
ユイは図書室の椅子に座り『アゼリア物語』を読み始める。
するとマシューは窓辺にある椅子の上に待機姿勢を取り、空を見上げ始めた。
カザム教における唯一の“神”が、ある時この世界――、アゼリアに降り立った。
そしてこの“神”は世界を創り、今なお世界を導き、“守護者”として世界を守護しているのだそうだ。
ここまでを読んで、ユイは『アゼリア物語』を閉じた。
いつの頃からかカイドウ家は、カザム教の受容派になった。
それはカザム教の理念や概念を否定せず受け入れるが、守護者を唯一の絶対神として崇めない。
医療を司る一族が、宗教に固執することは危険であるとの見方からきている。
祖父トミオもそうした価値観を持っていた。
もしもこの世に“神”という存在がいるのなら――。
“神”は複数いていい。信じたい“神”も“教義”も、個人が選ぶべきだと思う。
カザム教の“神”が美化されたこの本を、ユイは元あった本棚に戻す。
何かの行動が一区切りつくと、ユイはマシューの姿を探す。
(……そばにいるのに探すなんて、ね)
ユイは苦笑する。
当のマシューは、あれからずっと空を眺めたままだ。
恐らくユイがマシューを呼ぶまで、マシューはずっとこのままなんだろう。
(何を見上げているの……?)
マシューが動物AIドールの中に移行して直ぐの時、仕事の帰り道で話したことを思い出す。
あの時マシューの言葉をユイは思い返す。
『俺は変化するものを必要としない。だが変化自体に興味がないわけではない』
あの時は詳しく聞こうとしたらはぐらかされた。
恐らく今でも教えてくれはしないだろう。
(人間とAIには境界線が必要なのはわかる。そんな目に見えないモノをどうやって扱うの?)
「ユイさん、そろそろ行ってみない?」
「うん」
ユイはマシューを連れてトオルと共に会議室へと向かう。
そのドアの前でユイは急に足を止める。
「どうした? 入らないのか?」
ユイを見上げ、マシューが声を掛ける。
しかしユイはマシューを見ずにこたえた。
「マシュー、ごめん。ドアの前で待っててくれる?」
「ああ」
ドアを開け背を向けるユイを、マシューは静かに見送った。
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