迷想画廊 肖像画編

マサキ エム

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二十二 不快感

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 蕎麦を食べ終わり、他愛もない話をたくさんして、笑い合う。
 昨夜は話しながら心労で涙が出ていたので、北原のまぶたは少し腫れているが、顔色は良くなった気がする。
「北原さん、昨夜はよく眠れましたか?」
「はい……おかげ様で」
 北原は、何故か照れたような顔をした。
「どうかしました?」
 自分が寝てる間に何か無意識にしでかしたのかと、心配になる。
「いえ、あの――本当はもっと、恋人らしいことができたらと思っていたので」
「……無理は」
「無理してでも、したいと思ったのに、全然うまく誘えなくて」
 北原が無流に色気を感じてくれているのは、見ていればわかる。
 なんというか、どきどきしたり、うっとりして見える時がそうだろう。
「誘わなくても、わかりますよ。商談中や警戒している時以外は、気持ちが全部顔に出るのがあなたの魅力だと思いますが――もしかして、気付いてない?」
「えっ」
 それに応じて口付けたり抱きしめたりしているのだが、たまたま、ちょうどいい時にそうしてくれると思われていたのだろうか。
「俺はいつでもいいですよ。特に、駆け引きは必要ない。腕の中で恋人が眠るのは凄く幸せな感覚だし、焦らなくて大丈夫」

 ――もう少しはっきり不快な理由がある。話す覚悟ができました。

 北原は昨夜、そう言って真剣に無流を見つめた。

     *

「渋井とも何かあったんだろうと、聞いてくれましたよね」
「ああ、その話か」
 ピエタと称された体勢を解き、北原はベッドに入り、仰向けで天井を見る。無流も肘枕の姿勢で寄り添い、北原の言葉を待った。
「自分が奴に何をされたのか知ったから、傷痕を見たり、触れられることに拒否反応が出たんです」
「奴には余罪が山ほどありそうだが、野戦病院でも悪さしてたってことですか」
 不快な理由と聞いて、大体の方向性に検討をつけた。渋井の犯行に瀬戸は合理的な理由として、男性を狙った方が配偶子を得るのが容易だからではないかと予想したが、それが目的の可能性も大いにある。
「ええ。復員して再会するまでは、怪我をした痛みや薬のせいで悪夢を見ていたのだと思っていました」
 北原は暗い顔になるが、さっきまで漂っていた自責は晴れ、言葉にもしっかり元来の潔さが表れているように思える。
「本人と再会して、何かされた?」
「いえ――再会しても私は最初、気付きませんでした。向こうも特に戦場でのことは話してきませんでしたから。目を怪我していたのもあって、顔を見た記憶もおぼろげです。でも、名前と声、喋り方の癖に……違和感があった」
 北原は無流と目が合うように頭を傾けて、ちょうどいいところに収まった。
「美術関係の集まりで再会したんですか」
「そうです。共通の知人からの紹介で、商談を持った。画廊で鳥の剥製を売りました。顔も広く、人付き合いは上手い人です。胡散臭くても、業界内で浮くほどではない個性の範囲で、剥製づくりの腕も確かでした」

「俺も一瞬だけ会いました。こだわりが強そうで、舞台役者みたいな雰囲気でしたね。独特の圧はありましたが、紳士に見えた。でも、警部と瀬戸は全く違う分析をしてたな。あれは人の道から外れた人間の笑い方だと」
 無流は犯人より被害者を任されることが多い。もしくは、弱さで犯行を隠す犯人を懐柔する役目だ。改心の余地のない犯人は、志賀が締め上げて洗いざらい吐かせる。
「ああ、わかります。狂気を巧妙に隠す笑い方をする時がある」
 志賀は、渋井を一目見てはっきり『外道が』と呟いて、長い付き合いでも見たことがないくらい、陰鬱な顔をした。
「瀬戸は役職も名前も名乗らずに――人の不幸に同情して見せて、弱みを握ったり、自分が楽しむための情報を引き出しただろうとか、有機物の装飾品を好む理由がどうだとか――そういう、証拠を基にした推論や結論に反論させるような切り口で尋問をしてた。俺には何がなんだかさっぱりわからなかったが、奴には効果があった」
「無流さんも直接、話したんですか?瀬戸さんは相棒なんですよね」
「いや、俺は内部調査の裏付けで警察関係者の証言を取ってた。汚職や癒着の調査だ。警部がそうしろと。警部と瀬戸も二人揃わないようにしていたみたいだ」
「ああ――それが正解でしょうね。あなたは私の味方だ。英介から過去に何かあったと聞いていたなら、渋井を観察してその情報を得ようとするし、見る目に私怨が入ります。志賀さんと瀬戸さんは揃ってしまうと、二人が特別な関係なのを探られて、尋問の進みが悪くなる。渋井はそういうところから、人を操ろうとしますから」
「なるほどな」
 罪を認めても、聴取を長引かせるように話をそらす犯人は多い。犯行の動機に自己顕示欲や承認欲求を満たすことが含まれていると、特にそうだ。
「瀬戸さんが個人的な情報を与えなかったのは、渋井が警察の上層部と繋がっていたからというのもあるでしょうね。無流さんは警察を辞めさせられてもお寺を継げるし、真っ当な人です。上層部とのしがらみも無い。社会的な権威に屈することもなく、過剰な劣等感もない」
「確かに。警部は、俺たちが剣道で繋がってる上層部の援護も見込んでたようだ。時間稼ぎでもあった」
「あなたの倫理観では、渋井の猟奇的で偏執的な犯行は許容できない。不必要に不快な思いをすると思います。詐欺や密輸は瀬戸さんの理詰めがいいし、暴行傷害の詳細は志賀さんが尋問すべきだ。志賀さんは出征してますし、人間の弱さや残酷さを目の当たりにしています。野戦病院の状況も見たでしょう。容姿や優秀さのせいで、ああいう類の人間の被害にも遭っているはず。学力も教養もあるし、独自の倫理観と死生観をお持ちです。渋井の闇に立ち向かうには適任だ。志賀さん自身が、人の弱みから嘘や虚勢を切り崩すのが上手いはず。容姿も渋井の興味を引くし、飴と鞭のさじ加減もご承知でしょう」
「北原さんも探偵になれそうだな。それで、渋井とは、再会後に何か揉めたのか?口説かれたりとか」

「取引相手になってからも何度か会食などで会いましたが、あからさまに口説かれたりはしませんでした。人より私を優先してくれる感じはありましたが、取引が上手く行っているからだと思った。でも、ある会食の席で彼が……『特別な義眼を作ってあげようか』と勧めてきました」
「いかにも奴が好きそうな話だな」
「向こうは珍しく、かなり酔っていました。私が出席するのを知らないようでしたから、それまでは私の前では酔わないようにしていたのかもしれません。薬物取引の相手と何か、良くない薬を使っていたのかも。失明した経緯は彼には話していなかったので、誰から聞いたのか探りを入れたら――『あんたを生き返らせたのは俺だ』――と。その瞬間、全ての悪夢が彼に繋がる感覚に襲われて、気分が悪くなってしまいました」
「今は?大丈夫ですか」
 泣き崩れるというのとは違うが、心労の発露か、北原の目からは涙がさらさらと流れ出ている。
「大丈夫です。その日はたまたま私の姉夫婦が近くに来ていたので、すぐ姉に話しました。義兄は渋井の経歴や、怪しい薬を流しているという噂を教えてくれました」

「薬……まだヒロポンが合法の頃だな」
「ええ。私も火傷の鎮痛剤に、何日かオピオイドを投与されていた。目を負傷したのでずっと頭が重くて……その間、薬の塗付や清拭等を渋井がやっていたんだと思います。大半は正当な看護でしたが、身体を触られるのが苦手になったのは、麻酔が無いとどんな刺激にも過剰に反応してしまうからです」
 北原は苦しそうだ。無流の予想は当たっていて、しかも、予想より酷いかもしれない。
「北原さん、辛ければ無理に言葉にしなくてもいい」
「いえ――これは、私自身が呪いを乗り越えるのに必要なんです。渋井の、違法薬物売買の余罪も、立件されましたか」
「ええ。動物と一緒にヘロインと合成麻薬を密輸してた。渋井は薬品を扱える資格もいくつか持っていて、温室でもあらゆる薬草を栽培していた。個人的な精製や利用は少なくとも今の法律ではほとんどが違法だ。薬物と組織犯罪の専門部署と、犯行拠点の神奈川県警が入ってきたんで、うちの係は一旦休みです。瀬戸が先に目星を付けてたんで、出せる資料は全部まとめて、俺たちが不在でも照会できるようにしてある。渋井の余罪の処理だけであと何年かかるか――終わらないとわかったから逆に、休みを取れました」
 薬物については前々から、神奈川県警に目を付けられていたらしい。証拠が無く、警視庁の誰かが口添えしたのか、逮捕出来ずにいた。

「渋井は、生殖器に生まれつき疾患があるという話でしたよね」
「ああ。性交渉は問題なくできるみたいだが、生殖能力がないって話だな」
 口が上手く見映えのする男だ。職業柄、金持ちの女とも出会いは多い。水商売や未亡人相手なら、生殖能力が無いのはむしろ利点だろう。
 その割に誰とも深い関係にはならなかったらしく、どこかに本命がいるのではないかと言われていた。
「彼の関与を知ってさえいれば、今回の事件はもっと早く解決したかもしれないのに」
「北原さんのせいじゃない。今聞いた限りじゃ、あなたが最初の被害者の可能性もある」
「立証は不可能ですが、その可能性は高いです。私は死んだと思われ、同じ雷が直撃した仲間の遺体と一緒に運ばれました。渋井は重傷者の看護と遺体の処理をする係だった。そこで、延命や蘇生の方法を試していたようです。身体を部分的に生かし、皮膚や臓器を移植したり、縫合や吻合の練習だと言って、遺体を切断したり繋いだり――奇しくも私は、渋井の手で蘇生したんです。それまで渋井は多分、死体が好きだったんだと思いますが、重傷者の治療に積極的になった。腕はいいので、多少変わっているが熱意の表れだと思われていた。その辺りは、衛生兵や軍医の雑談から知れました」
 『死体が好き』という言葉に何が含まれているのか、具体的には聞かない方がいいだろう。
「死体にしていたことを、あなたにも」
「ええ。切り刻まれたりはしませんでしたが――性的な接触をされたと思います」
 北原が瀕死で運ばれてきた時点で獲物だと思って、何かしている最中に偶然、蘇生してしまったのかもしれない。
 その体験で味をしめて、重傷者の治療に切り替えたのだろうか。
「あんたへの執着は――それか。布袋充ほていみつるを巻き込もうとしたのも」
「殺人は信条に反するのか、好みに合わないのか――血が通っていても機能していない部分があることが重要なのかもしれません。生と死が同居したような状態を望んでいるのかも。発覚を避けることはしても、逃げ回ったり恐れないのは、実行した時点で目的が達成され、発覚した時点では手遅れだからです」
一度死んで蘇生した北原は負傷してもなお美しく、機能しない眼球も火傷の痕も、渋井の好みに合った。

「……辛いことを、よく話してくれました」
「証拠はないから、立件はできませんが……話を聞いてもらうには、これ以上ない適任者です。ありがとう。私をその呪いから救えるのも、無流さんだけだと思う。それを、あなたの呪いにはして欲しくありませんが」
「出会ったのが事件関係者としてでなくとも、あなたを癒したいと思ったはずです」
 掛け布団の上からそっと肩に触れると、北原は緊張を解き、無流の胸元に添うように身体を寄せた。
「私でなくてもそうでしょうね。無流さんが慕われるのは、そういうところだ。あなたには災難ですが、私は運がいい」
 運が良ければ、こんな目には遭わないだろう。それでも、あの時もし出会えなかったら、北原は最悪の場合、渋井に剥製にされていたかもしれない。
「事件性については俺より、警部だな。折を見て伝えても構いませんか」
 自供が取れるなら、証拠不十分でも記録に残す価値はある。
「ええ。もしその時が来たら、直接警部と話します。それまで、覚えていることをできるだけ整理してみます。私以外にも同じような目に遭った人間が、前にも、後にもいたら――まだ断罪できるものがあるかもしれない。その補強になるのなら――必要なら私も証言をします」
 無流は頷いて、北原を強く抱きしめた。

     *

「私は、焦っているんでしょうか」
 北原はこういう時、耳まで紅潮するのが凄くかわいらしい。
「俺から見てる範囲では、もう少しゆっくり触れ合う方が――生活に支障が出にくいかなと」
「支障……?」
「あなたは全部、顔に出るので――今日もし何かしたら、明日会う和美と愛子ちゃんにもすぐばれる。もし最後までしたいなら、明日以降の方が、あなたの心労も少ないかと」
 北原はそれを聞き、今度は首まで赤くなった。
「無流さん、面白がってます?」
「面白いのは確かだが、かわいいなぁと思って」
「かわいくないです」
「ははは」
「もう……!」
 怒ってもかわいいのだが、それは言わないでおく。
「少なくとも、渋井とのことや諸々のことで、過剰に同情される心配はしなくていいです。全部話してくれたあなたの勇気を尊いと思う。俺となら大丈夫と思っても、してみないとわからないだろうし、その結果を早めに知りたいのかな。駄目だった場合、深い付き合いになる前に俺と別れて解放してくれようと思ってる?俺は嫌です」
「――ごめんなさい」
「謝らなくていいんです。不安になるのは仕方ないし、それも全部外に出てしまいますよね。でも、俺はあなたを見捨てたり、裏切るようなことはしないと信じてください。俺は、あなたに恋していると同時に、人として尊敬しているし、愛しています。例え恋が終わっても、これが恋とは違うものだったとしても、無かったことにする気はありません。いつでもあなたを助けるつもりでいますから」
 無流が微笑んで見せると、北原はこくりと頷いた。
 死ぬまで北原の臆病な部分が消えないとしても、無流はその度に、何度でも言葉で伝えようと心に決めた。
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