死生論

︎冬

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出逢い

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生きたがりの君は、僕の死にたい気持ちを理解出来たでしょうか。
僕は、君のおかげで生きたいという気持ちが少し分かったような気がします。



僕「死にたがり」と君「生きたがり」が出会って早一年。
出会った当初、僕は、君なんて眼中になかったと思います。君の眼中に僕が入っていなかった、と言えば嘘になるが、入っていたと断言するのもどうかと思うので、曖昧にしておきましょう。


僕は、小説や詩を書くのが趣味でした。そして、君も小説や詩を書くことを趣味にしていました。
僕は、毎日毎日死にたいと思っていましたので、「死」に関する小説や詩ばかりを書いていました。そして、君は、「生きること」に関する小説や詩ばかりを書いていました。


真逆の僕らの出逢いは、サークルが同じになった事が始まりでした。僕は、君の小説や詩を読んだことがありませんでしたし、初対面なので、慣れない笑顔で「初めまして」と言いました。
君は、僕の作品が賞になっていることもあり、僕の作品を知っていてくれていたようで、満面の笑みで「初めまして、呉さんですよね」と言いました。
君は、僕のペンネームまで知っていてくれたようで、僕は、基本顔出しをして活動していませんので、呉という作品は知っていても作者が僕だとは気づかない人が殆どでした。この大学内でも僕が呉だということに気づいたのは、教授達だけ。それなのに、君は、気づき、しかも君の顔からは、憧れのような尊敬のような眼差しを向けられていることが分かりました。それに、僕が顔出ししたのは、数年前の授賞式のたった1回だけ。それなのに僕の顔を知っていてくれているのは、熱狂的ファンだと思えました。
僕は、憧れのような尊敬のような眼差しを向けてくれた君に、ぎこちない笑顔で「ありがとう」とだけ言って、サークルから逃げ出しました。
僕は、前にも君のような眼差しを向けられたことがあります。幼少期は、母さんにも父さんにも先生にも誰からも褒められていました。けれど、小学4年生の頃、父母共に交通事故で死に、兄もその後を追うように死んでいきました。僕が家族と呼べる人は、齢中学1年生にして、もう誰も居なかったのです。保育園から小学4年生まで、運動会や音楽祭、授業参観に来てくれていた親は、もう居ない。小学4年生から中学1年生まで父や母の代わりに運動会や音楽祭、授業参観に来てくれていた兄ももう居ない。僕は、中学2年生の頃から今までずっと体育祭も音楽祭もイベント全部を1人で過ごすことになりました。
父も母も兄も居なくなった僕を励ましてくれたのは、幼なじみで親友の侑︵ゆう︶でした。侑は、僕の心の支えでした。そして、僕自身も侑の心の支えになれていると思っていました。侑と2人でバンドを組んだ時も修学旅行で同じ班だった時も僕と侑は、何をするにも、ずっと一緒でした。2人で遊んだ日々は、何よりも楽しかった。海や遊園地、水族館などと沢山の観光名所も行き、2人でお揃いの物を買ったりして、沢山写真を撮りました。僕はいつまでも2人で一緒に過ごせると思っていました。
けれど、侑は、間もなくして持病で死にました。僕はその事を侑の親が渡してくれた手紙で知りました。僕は、侑に見舞いも出来なかったのです。侑が体調が悪い事は多々あったので、今回は長いな、なんて呑気に思って、電話やLINEをしていました。侑の家に行けば死を看取れただろうに。侑の事だろうから僕に弱っていく姿を見せたくなかったんだろう。死ぬ間際まで頼れる親友でいたかったんだろう。でも僕は、知らせて欲しかった。ずっとずっと親友だったんだから。



それからは、僕はあまり誰かと深い関係を持つ事を辞めました。恋人は出来ていたが、すぐ別れて付き合っての繰り返し。毎回「燈くんって、私の事本当に好きなのか分からない。」と言われ、振られていました。勿論愛情表現は、していました。好きだったのも本当です。ですが、僕の心の奥底にある気持ちとは、また違っていたのかもしれません。あまり僕の領域に踏み込んで欲しくない。また離れていくのだから、依存しすぎないように。等と思っていたのが顕になって顔や言動、行動に出てしまったのだろうと思いました。恋人からキスを迫られるのは、ありましたが、大抵僕からはせずに相手からでした。好きと愛情表現するにも向こう、恋人同士が大抵する事を僕からはせずに、全て相手に任せっきりでした。多分それがいけなかったのでしょう。



翌日、サークルに行くと君が居ました。僕は、君の向かいに座って、書き続きの小説を書き始めました。
僕が小説を書いていると、君は話しに来てくれました。


「昔は、恋愛や青春等といった明るい話ばかりでしたのに、何故今は、サスペンスやミステリー等と暗い話をお書きで?答えにくいのなら、別に答えなくても。」なんて言って君は、少し悲しげな顔をして聞いてきました。
何故僕に対して、そんな悲しげな顔をするのだろう、そう思いながらも、僕は、この男ならと思い、「いや、答えにくくないさ。ただ重い話になるがいいだろうか」と言った。
君は、「ええ、いいですよ。」と先程までの悲しげな表情とは打って変わって、ふんわりとした笑顔でこちらに耳を傾けてくれました。
それから僕、今までの出来事等を含め、全て話しました。こんなにも洗いざらい話したのは、侑以外に居ませんでした。
話を聞いた後、君は、僕への同情か何か分かりやしませんが、涙を流しては拭い「そうだったんですね。それは、それは。」と連呼しました。ようやく落ち着いたのか、君は「当事者より取り乱してしまい申し訳ありません。貴方の気持ちは十分分かりました。ですが、僕は、いえ、貴方の作品のファン達は、貴方の作品がもっと読みたいのです。ファン達が言えない気持ちを僕が代表して言いますと、貴方に死んで欲しくないのです。ええ、勿論、これは僕達ファンのエゴの押し付けなのは、重々承知の上です。貴方は、「僕の作品が読めなくなるだけで何故そんな取り乱す必要がある」と思っているのでしょう。ですが僕達ファンの中には、貴方の作品が生きがいの者も居るのです。どうか、まだ僕達の為に死なないでください。」
生きたがりの君は、僕の死にたい気持ちを理解できないと言って、僕に生きてくれと縋ってきた。「生きてくれ」「死なないで」その言葉は僕にはとても重たい言葉だった。高校までは侑が生きる糧で、その糧が無くなってからは、自殺未遂を繰り返していた。そんな僕に出逢って間もない君は、「生きてくれ」と無責任に吐いた。君は、僕の顔を見て、ハッとして「すいません。無責任でした。」としょげたような顔をして、頭を90度に下げて、謝ってきた。そんなに僕の顔は、怖ばっていたんだろうか。
「大丈夫。君が死にたいと言う気持ちが理解できないのと同じで、僕も君が生きたいと思える気持ちが理解できないんだ。互いの気持ちを理解出来るようまずは、友達にならないか?」僕は何故か彼に惹かれた。恋愛感情ではなく、ただ僕の作品を知って、縋ってくるのが珍しく思えたんだろう。僕は、君にそっと手を差し伸べて、君に僕の笑顔がどう映っていたかは、分からないが、先程のようなぎこちない笑顔ではなくふんわりと笑ってみせた。
君は「いいんですか。貴方に無責任に生きろと言って縋ってしまった僕を貴方の友達にして貰えるのですか。あぁ。光栄です。死にたい気持ちも生きたい気持ちを、互いに少しでも理解出来たら良いですね」とぱぁっとまるで花が咲いたような笑顔を見せた。
僕は、「そうですね。理解できたらいいと思います。」と少しの不安を抱えながら言った。
僕達は、改めて自己紹介をした。何故なら、僕は、君の名前を知らなかったし、君も僕のペンネームしか知らなかったからだ。
君は、「僕は、田中 楓︵たなか ふう︶です。呉先生のファンの1人です。」と言い照れて僕の方を見た。
僕は「灰羽 燈︵はいば とう︶です。」と言った。
その日から君と僕は、友達という関係になった。

翌日、大学に行くと田中くんが「おはよう」と挨拶をしてきた。僕には眩しくて直視できない程の笑顔だった。僕も田中くんにおはようと返した。きっと僕の今の顔は田中くんの様な眩しくて直視できない程の笑顔とは真反対でぎこちない笑顔なんだろう。
僕は、いつも人と比べてしまう、そんな所が嫌いだ。侑にも、「人と比べなくていい。橙には橙の良い所がある」と背中を押してもらったり、「陰気臭い」なんて笑われてしまうこともあったな。
僕が侑との思い出に浸っていると、田中くんが教室に行こうと元気よく誘ってくれた。僕らは並んで教室に向かっていたのだが、僕はここであることに気がついた。田中くんが僕のことを名字で呼んでいるのだ。いや、僕も名字にくん付けで呼んでいるが、田中くんは噂によると誰にでも呼び捨てをするようだった。それなのに、何故僕だけ名字なんだろう。まさか僕なんかと友達が嫌だったんだろうか。
僕が険しい顔をして、悩んでいるのを田中くんは、気づいたのか、僕の顔を覗き込んで「どうした?」と聞いてきた。僕は今がチャンスだと思い、思い切って、田中くんに聞いた。
「田中くんは、皆を呼び捨てをするが、何故僕だけ名字なんだろう」
「尊敬してる人だからかなー。もしかして橙の方がいい?」
「あぁ。呼び捨ての方がいいな」
「そっか、そんなことであんなに悩んでたの?」
「あぁ。もしかしたら嫌々友達にしてしまったんじゃないかと思ってな」
「嫌々じゃないよ笑、とっても嬉しいよ」
「そうか笑、それなら良かった笑」
「あ!今笑った!」
田中くんがそう叫んだ。僕は思わず、びっくりしてしまったが、僕は普通に笑えたんだと、知った。僕は家族や侑が居なくなってからは、作り笑いでしか笑えなかった。作り笑いといっても皆にはバレバレのぎこちない笑顔。それなのに、田中くんと居たら、笑えた。
この人と居れば、僕は生きようと思えるかもしれない、そう思えてしまった。
「ありがとう、田中くん」と僕は田中くんに礼を言ったが、田中くんは何の事に対しての礼か分からずキョトンとしていた。
「そういえば、橙こそ僕を名字でくん付けで呼んでるよね、橙こそ他人行儀なんじゃない?」とまるで拗ねた子供のように頬を膨らまして、僕に言ってきた。
僕には、何年も友達と呼べる人が居なかったので、いつ頃から名前で呼んで良いのかすら分からなかった。「僕も名前で呼んでいいのか?」と田中くんに聞いたら、田中くんは「あぁ、勿論さ」と笑顔で言った。
田中くんの笑顔は、まるで真夏に咲いている向日葵のような笑顔で僕には眩しかった。けれど、僕もいつかこんな風に心の底から笑えたら。そう思えた。


風が吹き桜が舞い散り、春が終わる頃、僕は「楓」という生きる理由を探してくれる友達を見つけた。
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