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外伝:グラナートの追想
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グラナート・ユミットシアは伯爵家の出身だったが、すでにその内情は困窮して久しかった。
彼が幼い頃から母はノイローゼ気味で、そんな母と、幼い弟妹を助けるためにグラナートは懸命に働いた。料理、皿洗い、力仕事も、大工もしたし……けれど、それでは伯爵家復興など遠い夢のような話だった。
そんなときに、騎士団の募集を見かけた彼は一縷の望みを賭けて応募した。
負けられない、負けるわけにはいかない。
魔力はあっても魔術の勉強など金銭的にできなかったグラナートは当然、入団試験でも苦戦することになる。
同じように騎士団を目指してやってくるのは、魔術と武術の両方を使える者ばかりで、そうでない者は次々と倒れていく。
そんな中でグラナートは自分の適性の広さを実感していた。
だいたいどんなことでもそつなくこなしてきたが、剣や戦いは彼にとってずば抜けて適性のあるものだったようだ。
そうして騎士団に入団し、頭角をあらわした彼はすぐに階級をあげていき、伯爵家の家計も随分良くなった。
そんな頃に、彼は更なる任務を与えられた。それが王女シャステの護衛だった。
給与は他の任務とは比較にならず、家族のために彼はそれを受けいれた。
(私のような下流貴族では、姫君にも嫌がられるかもしれませんが……)
初日は重い気分でシャステの部屋へ向かった。
それはもう、王城内というのは見るものすべてが伯爵家とは縁遠い高価なものばかり。
これは骨が折れそうだ、精神的に……と思っていたのだが。
王女の部屋につくなり飛びだすように出迎えてくれた彼女は……。
「あなたがグラナートね!」
シャステはにっこり笑ってグラナートに歩み寄ると、ぺこりと頭をさげた。
「これから宜しくお願いします」
「姫様……っ」
自分などに頭をさげてはいけないと言う前に、彼女が口を開く。
「知っているかもしれないけど、あたし……魔力がないから。誰かに守ってもらわないときっとすぐに、殺されてしまうの。だから、ありがとう」
困ったように笑った幼い少女は、その年齢より大人びているのか、自分の立場というものをよく理解しているようだった。
予想外のことにグラナートはぽかんとしていたが、すぐに微笑んだ。
失礼なことかもしれないが妹のように感じたのだ。
だから、彼女のことを守り抜こうと決めた。
その後レーベとは一悶着あったが、真剣勝負が良い結果となったのか、彼も納得してくれた。
シャステ・フィリ・エルテリアというひとはとても負けず嫌いなのだろうと、そう時を経ずに彼は思った。
魔力がない自分に劣等感を覚えながらも、その分、彼女は他の事に一生懸命取り組んでいた。
「姫様、お茶はいかがです?」
その日も日暮れまでソファーの上で、今の彼女にはまだむずかしいだろう本と向き合っているのを見て、声をかけると金色の瞳を不思議そうにまたたく。
「グラナートはお茶も淹れられるの?」
「ええ、一応。姫様のお口に合うかは分かりませんが……」
ぱあっと彼女の顔が明るくなったかと思うと、本を閉じる。
「いただきたいわ、いい?」
「すぐに用意致します」
そんな会話のあと、グラナートが紅茶を淹れると彼女はその香りを楽しんで、にこにこと嬉しそうに笑って、口をつけてまた笑う。
「すごいわ! グラナート、メイドが淹れてくれるものと同じくらい、いいえ、もっとおいしいかもしれないわ!」
彼女が嬉しそうなのは何よりだが、そうまで褒められるとさすがに気恥ずかしいものがある。
「そうですか? 姫様が喜んでくださって、私も嬉しいですよ」
「給仕のお仕事をしたことがあるの?」
純粋なシャステの質問に、彼は少しだけ気まずそうに視線をそらして頬を掻いた。
「姫様はご存知でしょうか……その、お恥ずかしながら、我が伯爵家は……」
「知っているわ、あなたが立て直したのよね? すごいことだわ」
「ええ。ですので、私はいろいろな職を経験しておりまして、これもそのひとつと思って頂ければ……」
グラナートとしては、シャステに落胆されてしまうのではないかと思ったのだが、予想外に彼女は身を乗りだして言う。
「じゃあ! 市井の生活というのも知っているのよね⁉ 教えて欲しいわ、あたし、あんまりお外に出してもらえないから」
魔力を持たないシャステのことを思えば、それは王の配慮なのだろう。
身の安全、それを第一に考えているのだろうと思った。
そう思うと、シャステ自身がどう思っていたとしても、王にとって彼女は大切な娘なのだろう。
であれば、余計に守りきらねばとグラナートは決意を新たにする。
「興味があるのですか?」
市井のことに、と、グラナートが不思議そうに問いかけると、彼女は勢い良く頷いた。
「……そうですか、では、お話しましょう」
少しだけ困ったように苦笑してグラナートが話をすると、彼女は金色の瞳を輝かせて聞き入っていた。
その、翌日のこと。
「グラナート、話がある」
交代の時間にやって来たレーベが真剣な表情で声をかけてくるので、グラナートは首を傾げた。
何か彼を怒らせるようなことをしただろうか?
レーベがこんなに思いつめたような顔で話しかけてくるということは、何かあったと考えるのが妥当なのだが。
「……ぼくに、紅茶の淹れかたを教えて欲しい。できれば、それ以外に、料理とかも」
「……は?」
思わず、答えにならない言葉がこぼれた。
なぜ、公爵の彼がそんな技術を身につけなければならないのか。
グラナートと違ってヴォルフレイア家と言えば大貴族のひとつだ。
「だ、大丈夫だ。ぼくはもともと器用なほうだから、そんなに手間はかけさせないだろう」
そうではないのだ、理由が……と思ったところで、理解した。
要するに彼はシャステのためにそれを身につけたいのだろう。
そう思うと微笑ましく、グラナートはにこりと笑って答えた。
「いいですよ、いくらでもお付きあいしましょう」
「……にやにやするな」
レーベなりに恥ずかしいのだろう、彼とシャステを見ているととても微笑ましい。
グラナートは幼い頃から金に追われる生活をしていたため、恋や愛というものに縁がなかった。
だからこそ、レーベとシャステを見ているのは微笑ましいものがあった。
(公爵様が、紅茶の淹れかたを教えてほしいとは……恋とは健気なものなのですね)
うんうんと一人頷いて、グラナートはレーベに紅茶の淹れかたやいくつかの料理を教えたが、彼は自分で器用なほうだと言うだけあって呑み込みが早く、あっというまにグラナートと同じレベルまで成長した。
そんなレーベがお茶を淹れると、シャステはとても喜んでいて、レーベに教えて欲しいとせがんでいて、それがまた微笑ましかった。
そう、あの日までは。
グラナートはその日、何か嫌な予感を感じて交代の時間より早めにシャステの部屋に向かっていたのだが、深夜の冴えた聴覚にかすかな金属音が聞こえて、部屋に入るより前に剣を抜いた。
そうして扉を開けば、白い制服に血を滲ませたレーベがシャステを抱きしめて庇い、その背に暗殺者だろう男が心臓目掛けてナイフを突き刺そうとしていた。
グラナートは考えるより早く駆けだし、剣の柄で男を昏倒させた。
どこの手の者か、誰が仕向けたのか吐かせなければならないと考えたからだ。
レーベは自身の怪我を治癒術で治すと、気を失ったシャステをベッドに運んだ。このときにはまだ、彼らの関係があんなふうに歪んでしまうとは思ってもいなかった。
結果的に……シャステは事件の記憶の一切を失うと共に、レーベに対する強烈な嫌悪を抱くようになった。
最初こそレーベはそれにとても傷ついていたが、それでもシャステを信じると決めたようで、彼なりに態度を変えていった。
「レーベ、無理をしていませんか?」
ある日、グラナートが問いかけた。
レーベはあの日から、魔術の鍛錬も武術の鍛錬も以前の倍にしていたし、それなのにシャステの護衛も務めて、仕事もしていたからだ。
「べつに。たいして無理なんてしていないよ」
そう答えるが、レーベには疲れの色が滲んでいた。
「何日か、私が一人で姫様の護衛を務めましょうか」
そう提案したのは、レーベの負担を減らすためだったのだが、彼はそれにあからさまに嫌そうな顔をした。
「嫌だ。絶対に嫌だ。おまえとシャステが仲良く何日も一緒に居るほうが耐え難い」
「――レーベ」
「言いたいことは分かるけど、ぼくのことなら心配いらない。シャステのことは必ず守るし、仕事だってきちんとする。おまえには命を助けてもらった恩があるけど……複雑な気持ちがあるのは分かってほしいね」
それだけ言うと、レーベは交代して去っていく。彼がこんなふうにつっかかるような物言いをするのだって、めずらしいことだ。
このあとも、レーベはまた鍛錬に時間を費やすのだろう。
(……私は無力ですね)
グラナートは心のうちで小さく呟いた。
あんなに仲の良かった二人が、こんなふうに変化してくことが、グラナートにはとてもつらいことだった。
シャステとレーベのことを、どこか弟と妹のように感じていたからだ。
いつか、彼と彼女がまた以前のように笑いあえる日が来ることを……願わずに居られなかった。
彼が幼い頃から母はノイローゼ気味で、そんな母と、幼い弟妹を助けるためにグラナートは懸命に働いた。料理、皿洗い、力仕事も、大工もしたし……けれど、それでは伯爵家復興など遠い夢のような話だった。
そんなときに、騎士団の募集を見かけた彼は一縷の望みを賭けて応募した。
負けられない、負けるわけにはいかない。
魔力はあっても魔術の勉強など金銭的にできなかったグラナートは当然、入団試験でも苦戦することになる。
同じように騎士団を目指してやってくるのは、魔術と武術の両方を使える者ばかりで、そうでない者は次々と倒れていく。
そんな中でグラナートは自分の適性の広さを実感していた。
だいたいどんなことでもそつなくこなしてきたが、剣や戦いは彼にとってずば抜けて適性のあるものだったようだ。
そうして騎士団に入団し、頭角をあらわした彼はすぐに階級をあげていき、伯爵家の家計も随分良くなった。
そんな頃に、彼は更なる任務を与えられた。それが王女シャステの護衛だった。
給与は他の任務とは比較にならず、家族のために彼はそれを受けいれた。
(私のような下流貴族では、姫君にも嫌がられるかもしれませんが……)
初日は重い気分でシャステの部屋へ向かった。
それはもう、王城内というのは見るものすべてが伯爵家とは縁遠い高価なものばかり。
これは骨が折れそうだ、精神的に……と思っていたのだが。
王女の部屋につくなり飛びだすように出迎えてくれた彼女は……。
「あなたがグラナートね!」
シャステはにっこり笑ってグラナートに歩み寄ると、ぺこりと頭をさげた。
「これから宜しくお願いします」
「姫様……っ」
自分などに頭をさげてはいけないと言う前に、彼女が口を開く。
「知っているかもしれないけど、あたし……魔力がないから。誰かに守ってもらわないときっとすぐに、殺されてしまうの。だから、ありがとう」
困ったように笑った幼い少女は、その年齢より大人びているのか、自分の立場というものをよく理解しているようだった。
予想外のことにグラナートはぽかんとしていたが、すぐに微笑んだ。
失礼なことかもしれないが妹のように感じたのだ。
だから、彼女のことを守り抜こうと決めた。
その後レーベとは一悶着あったが、真剣勝負が良い結果となったのか、彼も納得してくれた。
シャステ・フィリ・エルテリアというひとはとても負けず嫌いなのだろうと、そう時を経ずに彼は思った。
魔力がない自分に劣等感を覚えながらも、その分、彼女は他の事に一生懸命取り組んでいた。
「姫様、お茶はいかがです?」
その日も日暮れまでソファーの上で、今の彼女にはまだむずかしいだろう本と向き合っているのを見て、声をかけると金色の瞳を不思議そうにまたたく。
「グラナートはお茶も淹れられるの?」
「ええ、一応。姫様のお口に合うかは分かりませんが……」
ぱあっと彼女の顔が明るくなったかと思うと、本を閉じる。
「いただきたいわ、いい?」
「すぐに用意致します」
そんな会話のあと、グラナートが紅茶を淹れると彼女はその香りを楽しんで、にこにこと嬉しそうに笑って、口をつけてまた笑う。
「すごいわ! グラナート、メイドが淹れてくれるものと同じくらい、いいえ、もっとおいしいかもしれないわ!」
彼女が嬉しそうなのは何よりだが、そうまで褒められるとさすがに気恥ずかしいものがある。
「そうですか? 姫様が喜んでくださって、私も嬉しいですよ」
「給仕のお仕事をしたことがあるの?」
純粋なシャステの質問に、彼は少しだけ気まずそうに視線をそらして頬を掻いた。
「姫様はご存知でしょうか……その、お恥ずかしながら、我が伯爵家は……」
「知っているわ、あなたが立て直したのよね? すごいことだわ」
「ええ。ですので、私はいろいろな職を経験しておりまして、これもそのひとつと思って頂ければ……」
グラナートとしては、シャステに落胆されてしまうのではないかと思ったのだが、予想外に彼女は身を乗りだして言う。
「じゃあ! 市井の生活というのも知っているのよね⁉ 教えて欲しいわ、あたし、あんまりお外に出してもらえないから」
魔力を持たないシャステのことを思えば、それは王の配慮なのだろう。
身の安全、それを第一に考えているのだろうと思った。
そう思うと、シャステ自身がどう思っていたとしても、王にとって彼女は大切な娘なのだろう。
であれば、余計に守りきらねばとグラナートは決意を新たにする。
「興味があるのですか?」
市井のことに、と、グラナートが不思議そうに問いかけると、彼女は勢い良く頷いた。
「……そうですか、では、お話しましょう」
少しだけ困ったように苦笑してグラナートが話をすると、彼女は金色の瞳を輝かせて聞き入っていた。
その、翌日のこと。
「グラナート、話がある」
交代の時間にやって来たレーベが真剣な表情で声をかけてくるので、グラナートは首を傾げた。
何か彼を怒らせるようなことをしただろうか?
レーベがこんなに思いつめたような顔で話しかけてくるということは、何かあったと考えるのが妥当なのだが。
「……ぼくに、紅茶の淹れかたを教えて欲しい。できれば、それ以外に、料理とかも」
「……は?」
思わず、答えにならない言葉がこぼれた。
なぜ、公爵の彼がそんな技術を身につけなければならないのか。
グラナートと違ってヴォルフレイア家と言えば大貴族のひとつだ。
「だ、大丈夫だ。ぼくはもともと器用なほうだから、そんなに手間はかけさせないだろう」
そうではないのだ、理由が……と思ったところで、理解した。
要するに彼はシャステのためにそれを身につけたいのだろう。
そう思うと微笑ましく、グラナートはにこりと笑って答えた。
「いいですよ、いくらでもお付きあいしましょう」
「……にやにやするな」
レーベなりに恥ずかしいのだろう、彼とシャステを見ているととても微笑ましい。
グラナートは幼い頃から金に追われる生活をしていたため、恋や愛というものに縁がなかった。
だからこそ、レーベとシャステを見ているのは微笑ましいものがあった。
(公爵様が、紅茶の淹れかたを教えてほしいとは……恋とは健気なものなのですね)
うんうんと一人頷いて、グラナートはレーベに紅茶の淹れかたやいくつかの料理を教えたが、彼は自分で器用なほうだと言うだけあって呑み込みが早く、あっというまにグラナートと同じレベルまで成長した。
そんなレーベがお茶を淹れると、シャステはとても喜んでいて、レーベに教えて欲しいとせがんでいて、それがまた微笑ましかった。
そう、あの日までは。
グラナートはその日、何か嫌な予感を感じて交代の時間より早めにシャステの部屋に向かっていたのだが、深夜の冴えた聴覚にかすかな金属音が聞こえて、部屋に入るより前に剣を抜いた。
そうして扉を開けば、白い制服に血を滲ませたレーベがシャステを抱きしめて庇い、その背に暗殺者だろう男が心臓目掛けてナイフを突き刺そうとしていた。
グラナートは考えるより早く駆けだし、剣の柄で男を昏倒させた。
どこの手の者か、誰が仕向けたのか吐かせなければならないと考えたからだ。
レーベは自身の怪我を治癒術で治すと、気を失ったシャステをベッドに運んだ。このときにはまだ、彼らの関係があんなふうに歪んでしまうとは思ってもいなかった。
結果的に……シャステは事件の記憶の一切を失うと共に、レーベに対する強烈な嫌悪を抱くようになった。
最初こそレーベはそれにとても傷ついていたが、それでもシャステを信じると決めたようで、彼なりに態度を変えていった。
「レーベ、無理をしていませんか?」
ある日、グラナートが問いかけた。
レーベはあの日から、魔術の鍛錬も武術の鍛錬も以前の倍にしていたし、それなのにシャステの護衛も務めて、仕事もしていたからだ。
「べつに。たいして無理なんてしていないよ」
そう答えるが、レーベには疲れの色が滲んでいた。
「何日か、私が一人で姫様の護衛を務めましょうか」
そう提案したのは、レーベの負担を減らすためだったのだが、彼はそれにあからさまに嫌そうな顔をした。
「嫌だ。絶対に嫌だ。おまえとシャステが仲良く何日も一緒に居るほうが耐え難い」
「――レーベ」
「言いたいことは分かるけど、ぼくのことなら心配いらない。シャステのことは必ず守るし、仕事だってきちんとする。おまえには命を助けてもらった恩があるけど……複雑な気持ちがあるのは分かってほしいね」
それだけ言うと、レーベは交代して去っていく。彼がこんなふうにつっかかるような物言いをするのだって、めずらしいことだ。
このあとも、レーベはまた鍛錬に時間を費やすのだろう。
(……私は無力ですね)
グラナートは心のうちで小さく呟いた。
あんなに仲の良かった二人が、こんなふうに変化してくことが、グラナートにはとてもつらいことだった。
シャステとレーベのことを、どこか弟と妹のように感じていたからだ。
いつか、彼と彼女がまた以前のように笑いあえる日が来ることを……願わずに居られなかった。
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