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終章:姫君と騎士の恋

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 日に日にシャステは衰弱の色が濃くなっていた。
 レーベに生きてほしいがための選択だったが、それはエゴでしかなかったのかと。
 グラナートも、レーベは強くなったという。あとから、どれほどレーベがあの日から鍛錬を積んできたか聞かされた。
 けれどもう、すべてが遅い。

「……はあ」
 夕日の沈みかけた一人きりの部屋でため息を吐いたとき、ふとノックの音が響く。
「姫様、フィエナ様が」
 グラナートの声に、シャステは弱弱しく顔をあげた。今はとても姉に会うような気分ではないのだが……帰れと言ったところでどうせ押しかけてくるだろう。

「入っていいわよ」
 シャステがそう言うと、バァンと大きな音をたててフィエナが部屋に飛びこんでくる。
「あぁん! シャステ! 数日ぶりね! 元気に――」
 けれど彼女は金色の瞳を見開いた。
 シャステがその数日前よりずいぶん痩せて、顔色も良くなかったからだ。

「シャステ……? いったいどうしたというの?」
 フィエナの問いに答えようとして、頬を伝う涙に気づく。
 彼女のうしろには、職務としてフィエナの傍に居るレーベの姿があったからだ。
 ほどなくしてシャステの視線の先に気づいたフィエナは眉を寄せ、小さくため息を吐くと告げた。

「伯爵、公爵、シャステと二人きりにさせてちょうだいな」
 声をかけられた二人は頷くと、扉を閉めた。
 ぼろぼろと泣き崩れるシャステに近づいて、フィエナはその頬に手を伸ばす。
「シャステ、おねえちゃん、あなたに確認したいことがありますのよ」
 優しい声でそう言って、姉はシャステの頭を撫でる。
 まるで母が子を慈しむかのように。

「あなたはヴォルフレイア公爵と一緒に居たい? それとも、彼を危険な目にあわせるくらいなら、離れてしまいたい?」
「……そんなこと、もう、言ってもしようがないじゃない」
 どこか嘲笑を含んだ妹の笑みを見て、フィエナは彼女の小さな手をとる。
「じゃあ、お父様のところに一緒に行きましょう。そこではっきりさせてくれればいいわ」
「……どうして、行く必要があるの」
 シャステが俯いてそう言うと、姉はめずらしく少しきつい口調で言った。
「彼のことが大切なら一緒に来て、そうでないのなら、ここに居ればいいわ。そうね、おねえちゃんとお茶でもしましょう? あのひとのことなんて、ほうっておいて」
 優しいのに、棘を含んだ声にシャステは驚いて顔をあげ、そして席を立った。

 姉がこんな言い方をするからには、何か意味があるのだろうと。
 そして一緒に部屋を出ると、レーベとグラナートの二人が礼をする。
 シャステの手を引いて父の執務室へ向かうフィエナに、二人は職務上ついて来る。
 それだけでも、シャステの心はひどく痛んだ。
 やがて執務室が見えてくるまで、誰も一言も言葉を発することもなく。
 姉が了承を得て、二人で執務室に入ると父は書類から顔をあげて小さく息を吐いた。

「やつれたな、シャステ」
「……そうかしら」
 分かっていてそう言うと、父はフィエナに視線を向ける。
「問題は解決したのか?」
 問題? なんのことだろうとシャステは首を傾げた。

「それはこの場で。お父様、真実を話してあげてくださいな」
 それを聞いただけで全て悟ったのか、父はシャステに視線を戻して言う。
「シャステ、おまえにはハーバールス伯爵と結婚してもらうように言ったな」
「ええ」
 緩く頷いた直後、父はとんでもないことを言いだした。


「あれは全て嘘だ」


「……は?」
 理解が追いつかないシャステを置いて、父はさっさと言葉を続ける。
「縁談がそんなにころころ変わるわけがないと気づかなかったのか、もともとおまえにはヴォルフレイア公爵の妻になってもらおうと思っていたし、その予定も、何も、変わっていない。だが、例外として――」
 言われてみれば、決定してしまった縁談がそう簡単に破棄にはならないかもしれない。
 というか。

(え? あら? じゃあ、あたしはやっぱりレーベの妻になるっていうこと?)
 いろいろと頭が追いついていかない。
「おまえがどうしても過去を清算できないようであれば、そのときにはフィエナに嫁がせるつもりでいた、それは事実だ」
「……」
 シャステは沈黙して頭を整理していたが、やがて金色の瞳を見開いて言う。
「た、試したのね⁉ お父様っ!」
 シャステが過去を清算して、今に向きあえるのかどうか。
 レーベとシャステが結ばれることが、本当に幸福をもたらすことなのかどうか。
 つまり姉も一枚噛んでいたわけだ。
 父は冷静に、シャステに問いかける。

「それで? 決心はついたのか?」
「――ええ、あたしは、レーベを選ぶし……彼以外と結ばれるのなら、この城を出るわ」
 追放を願った日に父がそれを突っぱねたのは、そもそも、そうなる必要がなかったからなのだろう。
 シャステの返事を聞くと、父は優しく微笑んだ。
「そうか。ならばいい、おまえには予定通り、彼の妻になってもらおう」
 父と妹の会話を見届けて、フィエナは大きな息を吐いた。
「ふう……もう、じれったいことこの上ないですわよ。シャステ、愛するひとが居るのなら、もう二度とその手をはなしては駄目よ? おねえちゃんと、約束してね?」
「お姉様……あり、が、とう」
 シャステが少し恥ずかしそうに、途切れ途切れにそう言うと、フィエナは口もとをおさえてよろめいた。

「っ……シャステが! シャステがおねえちゃんにっ、あり、ありがとうって……! あぁ、あのいけ好かない小僧を嘘とはいえ婚約者にした苦労も報われるというもの……っ!」
 手をあわせて明後日の方向を見ている姉にシャステはやはり言うべきではなかったと思いつつも、感謝をしながら父に向き直る。
「お父様も……ありがとう」
「なに、おまえたちがいつまでも過去に引きずられて不幸になっては気の毒だと思っただけだ。もとよりおまえたちを望まぬ相手と結ばせるつもりなどないさ。私と妻もそうであったのだから」
 そういえば、父と母は王族としては稀なことで、恋愛結婚だったらしい。
 母は子爵家の生まれで、とても王妃になどなれる身分ではなかったが、いろいろとあって結ばれたと昔聞いたことがある。

「そうそう、ギルバートも妻を娶ることになった。おまえも知っているだろう? アンネマリー・アメルン伯爵令嬢だ、これからはおまえの義姉になる」
「……はっ⁉」
 意味が分からず愕然としているシャステを置いてけぼりに、父は続ける。
「あとはフィエナだけなのだがな……こればかりはなかなか。とにかくシャステ、おまえにも新しく姉ができるんだ、喜ばしいだろう?」
 父がそう言った瞬間、姉がこの世に戻ってきて叫ぶ。
「喜ばしくなんかありませんわっ! シャステの姉はわたくし一人で充分というものっ! 譲りませんわよ、あげませんわよっ、絶対に!」
「フィエナ、おまえももう少し大人になってくれると……私の心労が減るんだがな」
 いつぞやアンネマリーが城下町に居たのは、もしかして兄に会うためだったのだろうか。
 そして、シャステに警告をしに来たのは、義姉となるにあたっての問題であったからだろう。
 確かに義妹となる人物が大切な幼馴染の命を奪ったりしていたら、確執になるのは間違いないだろう。

「……そう、だったの」
 シャステはすべてを理解して、ぐったりとその場にへたりこみそうになったが、なんとか踏みとどまる。
「そういうわけだ、シャステ。はやく公爵に会いに行ってやったらどうだ?」
 父にそう言われ、シャステは気恥ずかしさから視線をそらして礼をする。
「じゃ、じゃあお父様、あたしこれで失礼するわ」
 シャステが部屋を出て行くと、フィエナがハンカチで目元を拭った。

「……あぁ、可愛いわたくしのシャステがお嫁に行ってしまうのね。あの小僧は憎たらしいけれど、あの子がそれで幸せなら……おねえちゃん、我慢するわ」
「はあ……おまえはどうしてそうなんだ、いい加減、自分の人生を歩みなさい。シャステはもう母を必要とする年ではないのだから」
 父がそう言っているそばから、フィエナは金色の瞳を輝かせて言う。
「はっ……! つまり花嫁衣装が必要よねお父様っ! わたくしに選ばせてちょうだいね、あの子の一世一代の花嫁姿、何百枚写真におさめても足りないわっ! あの小僧は邪魔だけど」
 まるで話を聞いていない娘にため息を吐いて、王は書類に視線を落としたのだった。

 ◇◇◇

 執務室を出ると、どこか険悪な空気が漂う……というより、レーベが一方的にグラナートを敵視しているような空気に遭遇した。
 だから、シャステは先にグラナートに問いかける。
「ねえグラナート、もしかしてあなた……全部知っていた?」
「……はい。姫様が衰弱なさるのに耐えられず、フィエナ様に相談したのも……私です」
 その返事を聞いて、シャステは困ったように笑った。
「……そう。ありがとう」
 あの日の清算ができるようにと、グラナートも姉も父も、一芝居うってくれたのだろう。
 あとは、きっとこのことを聞かされていないレーベに、シャステから伝えなくてはならない。

「レーベ、話があるの。一緒に来て。お姉様の護衛は今限りででおしまいだから」
「……どういうことだ?」
 怪訝そうなレーベに近づくと、その手を握りシャステは歩きだす。
 グラナートはそんな二人を笑顔で見送り、レーベは余計に険しい表情で首を傾げている。
 シャステは中庭までやって来るとレーベに振り返り、何度か深呼吸して言葉を紡ぐ。

「あのね、レーベ。あたしとあなたの婚約は破棄になんてなっていないの」
「……なに?」
 青い瞳を見開いた彼に、シャステはどう言おうか迷いながら告げる。
「あたしがいつまでも過去に縛られているから、お父様とお姉様、それにグラナートも。一芝居うってくれたのよ」
「――な」
 驚いた様子のレーベに、やはりそうだろうとシャステは内心思っていた。
 シャステだって、とてもとても驚いた。
 だが、シャステより思考の速いレーベはすぐに理解したようで、疲れたような息を吐いた。
「……そう、だったのか」
 そして青い瞳を優しく細めて、シャステに近づくとその白い頬に手を伸ばす。


「じゃあ、おまえはぼくの妻になってくれるのか?」
 確かめるような青い瞳を見つめ返して、シャステが言う。
「ええ、もう二度と、あなたの手をはなしたりしないわ」
 頬に添えられた手に手を重ねると、レーベは小さく笑い、シャステも眉を下げて微笑む。
 そして、どちらからともなく唇を重ねた。

 ――それは、素直になれなかった姫君と騎士の物語。
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