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前編 誘惑の夏
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十四歳の暑い夏の日。私は今まで立ち寄ったことのないどこか気味の悪い商店街にいた。
「……どうしてここにいるんだっけ……?」
一人小首を傾げても、その答えがわからないでいた。
フラフラと商店街を歩きながら、私は寂れた古本屋へと入っていく。それはきっと時間を潰すためだと思う。このまま家に帰ってもとくにすることがないし、一人でいるしかない。
「これは綺麗なお客さんが来てくれた」
この古本屋の店主であろう初老の男性が私に向かって笑みを浮かべる。
「ゆっくりしていって。そして本を選ぶといい」
何の言葉も返さずに私は古本屋の奥へと行く。
「……綺麗じゃない……きっともう汚い……」
汚れているであろう私、一条夏美。金色のショートヘアに同じく金色の瞳をしていてメガネを掛けている。着ている学校の白い夏服は少しだけ汗ばんでいた。どうして汗ばんでいるのかは、この夏のせいにしたい……
古本屋には一昔前までの本がずらりとある。最初はレトロな少女漫画を読んでいたけど、すぐに飽きて違う本を探し始める。
「死界の姿……?」
それは聞いたことのないタイトルの薄い本なのだが、どういうわけか興味を引いた。
「なにこれ」
死界の姿という本には、筆でどこかの風景画がいくつも描かれていた。これは黒い海か湖のような場所なのだろうか? それとも昔の古民家? そんな風景画ばかりでどこか異様な雰囲気があった。
本をめくっていくと、一枚の白黒写真が挟まっていた。これは前にこの本を売った人のものなのだろうか? 白黒の写真。長い黒髪で浴衣を着た美しい少女が写ってはいるのだが、背景にあるケヤキらしい木には無数の歪んだ人の顔が写っている。それも酷く苦しんでいるかのように今にも蠢きそうだった。
「本を選びましたね」
その声に私は背筋が凍り付きそうになる。古本屋の店主がいつの間にかいた。
「その本はもうあなたのものです。その写真も差し上げますよ」
気味の悪い笑みを見せる古本屋の主人。私は怖くなって古本屋を飛び出した。
誰もいない家に帰ると、シャワーを浴びる。浴び終えたら食事をする気にもなれずに、自分の部屋のベッドの上へと横になる。手元には白黒の心霊写真がある。写る黒髪の少女にただ見惚れていた。
「会いたい……」
そんな思いが私を支配していた。ふと写真の裏を見ると、どこで撮られたものかがわかった。
「灯水村。ケヤキの木の下にて。沙夜」
写真の裏にはそう文字で書かれていた。
「行ってみよう。どうせ寝られない」
私はベッドから身を起こし、夏の普段着である白いズボンと白いワンピースへと着替える。
灯水村。スマホで調べたらかなり遠くの寂れた温泉街のようだった。今からでは夜行列車で行くしかない。料金もそれなりの額だったが、そのことについては問題ない。
血だらけの両親が居間に横たわって死んでいる。私は父の財布から現金を抜き取ると、夜が支配する外に出る。
もうこの家には戻りたくない。私が同級生の男子たちからレイプされていると打ち明けても、父は私に罵声を上げるばかりで、母は私を汚らわしい者でも見るかのように私を見捨てたようだった。
気がついたら私は包丁を片手に立っていた。それはなんの罪悪感もなく、ただ静かだった……
夜の駅へと着くと私は夜行列車の切符を買う。駅のホームで夜行列車が来ると、無我夢中で乗り込んでいた。これから白黒の心霊写真に写る彼女。沙夜に出会えると思ったら、心が躍ってしまい不思議と笑ってしまう。
「えーと、私の寝台は……B-7」
私は自分の寝台を見つけると、そのまま横になる。列車が出発し、ガタンゴトンという音が心地よく感じ、私はウトウトと眠りに落ち始めかけた……
「ねぇ、そこのあなた。隣同士だね。もしかして年は同じくらい?」
寝台の隣にいる少女が私に声をかけてきた。
「そうみたいだね」
同じ年頃の少女と話すのは随分と久しぶりだったので、私は素っ気なく返すしかない。
「どうして緊張しているの? 眠るまでお話ししましょうよ」
正直今すぐにでも眠りたいのに、胸がドキドキしてそうはいかなかった。
「鞄一つないようだけど、あなたはどこまでの旅?」
「灯水村までだけど……」
「そこは終点の駅だね。誰かに会いに行きたい。きっとそうでしょ」
「そうだよ。気になる人がいる」
私が答えると少女は可笑しそうに笑い声を上げた。
「白黒の心霊写真に写る沙夜が気になって仕方ない。もしかしたら自分でも恋しているんじゃないのかと思い始めている」
どうしてこの子が白黒の心霊写真のことや沙夜を知っているの?
「え? どうして、写真のこと……!?」
私は寝台から飛び起きていた。いつの間にか窓の外からは朝の日が差し込んでいる。隣の寝台を見てもあの子はいなかった。
「ご乗車ありがとうございます。終点ですよ」
列車の乗務員にそう言われた。眠っていた感覚などないのにいつの間にか私は終点の駅へと着いていた。
「あの子は? 私と同じ年くらいの女の子が隣の寝台にいませんでしたか?」
「いえ、いませんよ。隣の寝台は空席です」
私が目をやると、隣の寝台は誰にも使われた形跡がない。
「確かにいたのに……」
「下車を願います。ここはもう終点ですので」
言われるがまま、私は夜行列車から降りる。降りた先はまるで時代に取り残されたかのような寂れた町々が広がっている。古そうなお土産屋に、誰も入っていなさそうな映画館。あとは温泉街だけあって色あせたホテルや旅館などが立ち並んでいる。
「ここが灯水村か……」
都会ではまず見られない光景が物珍しく感じ、私はスマホのカメラで写真を撮り始める。そのときふと気づいた。そんなに山奥でもないのにこの村が圏外であることに。まぁ、電話する相手なんて誰もいないしどうでもいいことなのだが。
「あら、随分と小さなカメラを持っているのね」
物珍しそうに私を見る女性。着物姿が似合う美人な人に私は思わず目線を逸らす。
「スマホです……知らないんですか……」
赤くなっている。駄目だ私。
「スマホ? 新しいカメラの名前?」
「……」
私は何も答えられず硬直しているしかない。歳は二十代半ばほど、大人の美人はどうも苦手だ。それにしてもスマホを知らないなんて、ここはどれほど田舎なんだか。
「この辺の子じゃないのね。観光客? 一人なの?」
大人の彼女の問いに私は何度か頷く。
「泊まる場所はあるの?」
私は首を横に振る。
「なら私の旅館にいらっしゃい。料金は格安でいいから」
彼女は私に手を差し伸べる。私は緊張しながらもその手を取る。
「私は夕月。白里夕月。どうぞ夕月と呼んで。あなたは?」
「あ、あの……夏美です……」
ようやく声が出てくれた。
「そう、夏美ちゃんか。私の旅館まで案内するからね」
夕月さんに手を引かれるがまま、寂れた灯水村を歩く。
「あなたきっと学生よね? それにしてもこんな古い観光地によくきたわね。もしかして家出か何か?」
「まさか、そんなんじゃないですよ。その、ある人を探しに来ていて……」
私の作り笑顔が気味悪いと思われていないだろうか? ただそれだけが心配だった。
「彼氏さん? 十代は羨ましいわね」
「まぁ、そんなところです」
どうやら作り笑いは気味悪くないらしい。
それにしても彼氏? それは男を意味してる。私が知っている男とは、ただ女の体を貪るように犯すケダモノたちだ。
夕月さんの旅館。建物は風情がある木造でどこか歴史を感じさせるものだった。
「色あせているでしょう。だけどゆっくりはできるから」
笑う夕月さんに客室へと案内される私。畳のいい香りのする部屋。一昔前のブラウン管テレビや歴史を感じさせる行灯。私が知る都会の街ではまず目にすることがない。
「ここに来る観光客なんて本当に久しぶり。食事には腕によりをかけるから。温泉も自由に入っていいし、どうぞゆっくりとくつろいでね」
そう言うと夕月さんは去っていく。客室には当然私一人だけ。暇だからブラウン管のテレビをつけてみるけど、壊れているのだろうか、どのチャンネルも砂嵐ばかりが映るだけ。
本当に暇だから私はあの白黒の心霊写真を見る。
「ねぇ、綺麗な沙夜さん。どこか近くにいるの? もしそうなら凄く会いたい。好き……」
それは私しか知らない愛の告白。嬉しさがこみ上げてきて、私は堪らず笑った。久しぶりに人らしく笑ったと思う。
そして死界の姿という本に目をやると、相変わらず描かれているのは黒い湖のような場所で、私は笑わなくなる。
食事は夕月さんと二人でお膳を向かい合い食べていた。川魚のお刺身とキノコの炊き込みご飯がとても美味しかった。
「可愛い子ね。あなた」
ニコニコしながら私を見る夕月さんに、私は恥ずかしく俯いた。
旅館の温泉はとても気持ちよかった。女同士ですることを夕月さんが教えてくれたから。キスされたときは気絶しそうなくらいに熱かった。
「寂しいだけだから……ごめんなさい……」
私の体目当てだった男たちとはずいぶん違う。
自分の客室に戻る私。布団に寝転がり、暗い天井だけを見つめていた。開けられた窓からは涼しい夏の夜風が入ってくる。
「寝付けないな」
それは大人の女性と交わったのだから当然なんだろう。
私は体を起こす。
旅館のロビーでは、夕月さんが日本酒をおちょこで飲んでいた。
「いい気分になれるわよ。夏美ちゃんもどう?」
夕月さんはカラのおちょこを差し出すが、私は首を何度か横に振る。
「そうよね。まだ飲める年じゃないわよね。それよりもう夜も遅いのにどこかへ出かけるの?」
「いや、寝付けないから少し外を歩こうかなって……」
私が正直に言うと、夕月さんは誘惑するような笑みを浮かべた。
「寝付けないのなら、今度はお布団の上で抱いてあげる。夜が明けるまでずっと抱いてあげるから、お部屋に行きましょうよ」
「あはは……今は結構です。また次の機会に……」
「そう……」
夕月さんは残念そうにお酒を飲んだ。
「それじゃあ、行ってきますね」
「ねぇ、夏美ちゃん」
私が旅館の外に出ようとしたとき、夕月さんは私を呼び止める。
「あなたでよければいつまでもここにいていいから」
夕月さん酔ってるんだ。私は軽く笑みを浮かべると旅館の外に出た。
街灯一つない灯水村の夜。月明かりだけが誰もいない寂れた温泉街を照らしてくれている。お化けとやらが出てきても不思議じゃないと思い私は思わず笑ってしまう。
「寂れた不思議な世界……好きだな、私……」
ここがあまりにも寂れて寂しい場所だからそう思うのだろうか? 不思議と現実で起きたことを忘れさせてくれる。イジメやレイプ。誰も味方になってくれない暗い日常……ひとときでも忘れられて幸せに感じた……
「ほら、この先にいるよ。白黒の心霊写真の子、この石段を登ればきっといる」
夜行列車で会ったあの少女がいた。
「夏美はいつまでも寂しい人だから、きっと沙夜がお似合いだよ」
気がつけば私は石段を登っていた。白黒の心霊写真の少女、沙夜に出会えるのなら、心が躍って仕方ない。夜行列車で会った少女は、私の後姿に笑い声を上げているようだった。
石段を登りきった先、そこには古びた神社があった。
「……誰か来てくれた……本当の久しぶりに誰かが……」
神社の中から微かに聞こえた声。私は導かれるかのように神社の中へと入る。
ロウソクが灯された薄暗い神社の中に、あの子がいた。
サラサラとした黒い髪に黒い浴衣を着た少女。この世のものとは思えない黒々とした瞳はうっとりと私を、私だけを見てくれている。
「本当にいてくれた……私のためだと言ってほしい」
「あなたのためだよ。壊れた人」
沙夜は笑う。座敷牢から手を伸ばして。
「それは綺麗な悪夢を見せてあげる。あなたには必要な悪夢を好きなだけ」
私は沙夜の手を取る。悪夢なんてどうでもいい。ただ沙夜に触れたかった。
やわらかく冷たい手だと感じたとき、私の頭にノイズが走る。
ここはどこなんだろう……?
薄暗い空の下に、暗い湖が広がっている。私は薄暗い砂浜で一人立っている。
「綺麗な場所」
私は心からそう思う。
「私の悪夢は綺麗でしょ。私の生まれた誰もいない世界は綺麗な悪夢……」
沙夜の声が頭の中で響いた……美しい声なのに頭痛を覚えさせる声……
「……次はあなたの悪夢を見せて……」
私の悪夢? 嫌だ……やめてほしい……
物静かだから私はイジメられていた。最初は無視だけだったのに、次第に私の体へと標的が変わった。男子生徒たちからすれば、私は絶好の性欲のはけ口だった。
男子たちが私の胸を触り、好きなだけ私の体を好きにした。好きでもない人にキスされる日々。ある日、それが気持ちいいことなんだと自分で思い込むようにした。
「……好きにしていいよ……いつまでも……」
いつしか私は彼らを誘惑するようになった……
「……どうしてここにいるんだっけ……?」
一人小首を傾げても、その答えがわからないでいた。
フラフラと商店街を歩きながら、私は寂れた古本屋へと入っていく。それはきっと時間を潰すためだと思う。このまま家に帰ってもとくにすることがないし、一人でいるしかない。
「これは綺麗なお客さんが来てくれた」
この古本屋の店主であろう初老の男性が私に向かって笑みを浮かべる。
「ゆっくりしていって。そして本を選ぶといい」
何の言葉も返さずに私は古本屋の奥へと行く。
「……綺麗じゃない……きっともう汚い……」
汚れているであろう私、一条夏美。金色のショートヘアに同じく金色の瞳をしていてメガネを掛けている。着ている学校の白い夏服は少しだけ汗ばんでいた。どうして汗ばんでいるのかは、この夏のせいにしたい……
古本屋には一昔前までの本がずらりとある。最初はレトロな少女漫画を読んでいたけど、すぐに飽きて違う本を探し始める。
「死界の姿……?」
それは聞いたことのないタイトルの薄い本なのだが、どういうわけか興味を引いた。
「なにこれ」
死界の姿という本には、筆でどこかの風景画がいくつも描かれていた。これは黒い海か湖のような場所なのだろうか? それとも昔の古民家? そんな風景画ばかりでどこか異様な雰囲気があった。
本をめくっていくと、一枚の白黒写真が挟まっていた。これは前にこの本を売った人のものなのだろうか? 白黒の写真。長い黒髪で浴衣を着た美しい少女が写ってはいるのだが、背景にあるケヤキらしい木には無数の歪んだ人の顔が写っている。それも酷く苦しんでいるかのように今にも蠢きそうだった。
「本を選びましたね」
その声に私は背筋が凍り付きそうになる。古本屋の店主がいつの間にかいた。
「その本はもうあなたのものです。その写真も差し上げますよ」
気味の悪い笑みを見せる古本屋の主人。私は怖くなって古本屋を飛び出した。
誰もいない家に帰ると、シャワーを浴びる。浴び終えたら食事をする気にもなれずに、自分の部屋のベッドの上へと横になる。手元には白黒の心霊写真がある。写る黒髪の少女にただ見惚れていた。
「会いたい……」
そんな思いが私を支配していた。ふと写真の裏を見ると、どこで撮られたものかがわかった。
「灯水村。ケヤキの木の下にて。沙夜」
写真の裏にはそう文字で書かれていた。
「行ってみよう。どうせ寝られない」
私はベッドから身を起こし、夏の普段着である白いズボンと白いワンピースへと着替える。
灯水村。スマホで調べたらかなり遠くの寂れた温泉街のようだった。今からでは夜行列車で行くしかない。料金もそれなりの額だったが、そのことについては問題ない。
血だらけの両親が居間に横たわって死んでいる。私は父の財布から現金を抜き取ると、夜が支配する外に出る。
もうこの家には戻りたくない。私が同級生の男子たちからレイプされていると打ち明けても、父は私に罵声を上げるばかりで、母は私を汚らわしい者でも見るかのように私を見捨てたようだった。
気がついたら私は包丁を片手に立っていた。それはなんの罪悪感もなく、ただ静かだった……
夜の駅へと着くと私は夜行列車の切符を買う。駅のホームで夜行列車が来ると、無我夢中で乗り込んでいた。これから白黒の心霊写真に写る彼女。沙夜に出会えると思ったら、心が躍ってしまい不思議と笑ってしまう。
「えーと、私の寝台は……B-7」
私は自分の寝台を見つけると、そのまま横になる。列車が出発し、ガタンゴトンという音が心地よく感じ、私はウトウトと眠りに落ち始めかけた……
「ねぇ、そこのあなた。隣同士だね。もしかして年は同じくらい?」
寝台の隣にいる少女が私に声をかけてきた。
「そうみたいだね」
同じ年頃の少女と話すのは随分と久しぶりだったので、私は素っ気なく返すしかない。
「どうして緊張しているの? 眠るまでお話ししましょうよ」
正直今すぐにでも眠りたいのに、胸がドキドキしてそうはいかなかった。
「鞄一つないようだけど、あなたはどこまでの旅?」
「灯水村までだけど……」
「そこは終点の駅だね。誰かに会いに行きたい。きっとそうでしょ」
「そうだよ。気になる人がいる」
私が答えると少女は可笑しそうに笑い声を上げた。
「白黒の心霊写真に写る沙夜が気になって仕方ない。もしかしたら自分でも恋しているんじゃないのかと思い始めている」
どうしてこの子が白黒の心霊写真のことや沙夜を知っているの?
「え? どうして、写真のこと……!?」
私は寝台から飛び起きていた。いつの間にか窓の外からは朝の日が差し込んでいる。隣の寝台を見てもあの子はいなかった。
「ご乗車ありがとうございます。終点ですよ」
列車の乗務員にそう言われた。眠っていた感覚などないのにいつの間にか私は終点の駅へと着いていた。
「あの子は? 私と同じ年くらいの女の子が隣の寝台にいませんでしたか?」
「いえ、いませんよ。隣の寝台は空席です」
私が目をやると、隣の寝台は誰にも使われた形跡がない。
「確かにいたのに……」
「下車を願います。ここはもう終点ですので」
言われるがまま、私は夜行列車から降りる。降りた先はまるで時代に取り残されたかのような寂れた町々が広がっている。古そうなお土産屋に、誰も入っていなさそうな映画館。あとは温泉街だけあって色あせたホテルや旅館などが立ち並んでいる。
「ここが灯水村か……」
都会ではまず見られない光景が物珍しく感じ、私はスマホのカメラで写真を撮り始める。そのときふと気づいた。そんなに山奥でもないのにこの村が圏外であることに。まぁ、電話する相手なんて誰もいないしどうでもいいことなのだが。
「あら、随分と小さなカメラを持っているのね」
物珍しそうに私を見る女性。着物姿が似合う美人な人に私は思わず目線を逸らす。
「スマホです……知らないんですか……」
赤くなっている。駄目だ私。
「スマホ? 新しいカメラの名前?」
「……」
私は何も答えられず硬直しているしかない。歳は二十代半ばほど、大人の美人はどうも苦手だ。それにしてもスマホを知らないなんて、ここはどれほど田舎なんだか。
「この辺の子じゃないのね。観光客? 一人なの?」
大人の彼女の問いに私は何度か頷く。
「泊まる場所はあるの?」
私は首を横に振る。
「なら私の旅館にいらっしゃい。料金は格安でいいから」
彼女は私に手を差し伸べる。私は緊張しながらもその手を取る。
「私は夕月。白里夕月。どうぞ夕月と呼んで。あなたは?」
「あ、あの……夏美です……」
ようやく声が出てくれた。
「そう、夏美ちゃんか。私の旅館まで案内するからね」
夕月さんに手を引かれるがまま、寂れた灯水村を歩く。
「あなたきっと学生よね? それにしてもこんな古い観光地によくきたわね。もしかして家出か何か?」
「まさか、そんなんじゃないですよ。その、ある人を探しに来ていて……」
私の作り笑顔が気味悪いと思われていないだろうか? ただそれだけが心配だった。
「彼氏さん? 十代は羨ましいわね」
「まぁ、そんなところです」
どうやら作り笑いは気味悪くないらしい。
それにしても彼氏? それは男を意味してる。私が知っている男とは、ただ女の体を貪るように犯すケダモノたちだ。
夕月さんの旅館。建物は風情がある木造でどこか歴史を感じさせるものだった。
「色あせているでしょう。だけどゆっくりはできるから」
笑う夕月さんに客室へと案内される私。畳のいい香りのする部屋。一昔前のブラウン管テレビや歴史を感じさせる行灯。私が知る都会の街ではまず目にすることがない。
「ここに来る観光客なんて本当に久しぶり。食事には腕によりをかけるから。温泉も自由に入っていいし、どうぞゆっくりとくつろいでね」
そう言うと夕月さんは去っていく。客室には当然私一人だけ。暇だからブラウン管のテレビをつけてみるけど、壊れているのだろうか、どのチャンネルも砂嵐ばかりが映るだけ。
本当に暇だから私はあの白黒の心霊写真を見る。
「ねぇ、綺麗な沙夜さん。どこか近くにいるの? もしそうなら凄く会いたい。好き……」
それは私しか知らない愛の告白。嬉しさがこみ上げてきて、私は堪らず笑った。久しぶりに人らしく笑ったと思う。
そして死界の姿という本に目をやると、相変わらず描かれているのは黒い湖のような場所で、私は笑わなくなる。
食事は夕月さんと二人でお膳を向かい合い食べていた。川魚のお刺身とキノコの炊き込みご飯がとても美味しかった。
「可愛い子ね。あなた」
ニコニコしながら私を見る夕月さんに、私は恥ずかしく俯いた。
旅館の温泉はとても気持ちよかった。女同士ですることを夕月さんが教えてくれたから。キスされたときは気絶しそうなくらいに熱かった。
「寂しいだけだから……ごめんなさい……」
私の体目当てだった男たちとはずいぶん違う。
自分の客室に戻る私。布団に寝転がり、暗い天井だけを見つめていた。開けられた窓からは涼しい夏の夜風が入ってくる。
「寝付けないな」
それは大人の女性と交わったのだから当然なんだろう。
私は体を起こす。
旅館のロビーでは、夕月さんが日本酒をおちょこで飲んでいた。
「いい気分になれるわよ。夏美ちゃんもどう?」
夕月さんはカラのおちょこを差し出すが、私は首を何度か横に振る。
「そうよね。まだ飲める年じゃないわよね。それよりもう夜も遅いのにどこかへ出かけるの?」
「いや、寝付けないから少し外を歩こうかなって……」
私が正直に言うと、夕月さんは誘惑するような笑みを浮かべた。
「寝付けないのなら、今度はお布団の上で抱いてあげる。夜が明けるまでずっと抱いてあげるから、お部屋に行きましょうよ」
「あはは……今は結構です。また次の機会に……」
「そう……」
夕月さんは残念そうにお酒を飲んだ。
「それじゃあ、行ってきますね」
「ねぇ、夏美ちゃん」
私が旅館の外に出ようとしたとき、夕月さんは私を呼び止める。
「あなたでよければいつまでもここにいていいから」
夕月さん酔ってるんだ。私は軽く笑みを浮かべると旅館の外に出た。
街灯一つない灯水村の夜。月明かりだけが誰もいない寂れた温泉街を照らしてくれている。お化けとやらが出てきても不思議じゃないと思い私は思わず笑ってしまう。
「寂れた不思議な世界……好きだな、私……」
ここがあまりにも寂れて寂しい場所だからそう思うのだろうか? 不思議と現実で起きたことを忘れさせてくれる。イジメやレイプ。誰も味方になってくれない暗い日常……ひとときでも忘れられて幸せに感じた……
「ほら、この先にいるよ。白黒の心霊写真の子、この石段を登ればきっといる」
夜行列車で会ったあの少女がいた。
「夏美はいつまでも寂しい人だから、きっと沙夜がお似合いだよ」
気がつけば私は石段を登っていた。白黒の心霊写真の少女、沙夜に出会えるのなら、心が躍って仕方ない。夜行列車で会った少女は、私の後姿に笑い声を上げているようだった。
石段を登りきった先、そこには古びた神社があった。
「……誰か来てくれた……本当の久しぶりに誰かが……」
神社の中から微かに聞こえた声。私は導かれるかのように神社の中へと入る。
ロウソクが灯された薄暗い神社の中に、あの子がいた。
サラサラとした黒い髪に黒い浴衣を着た少女。この世のものとは思えない黒々とした瞳はうっとりと私を、私だけを見てくれている。
「本当にいてくれた……私のためだと言ってほしい」
「あなたのためだよ。壊れた人」
沙夜は笑う。座敷牢から手を伸ばして。
「それは綺麗な悪夢を見せてあげる。あなたには必要な悪夢を好きなだけ」
私は沙夜の手を取る。悪夢なんてどうでもいい。ただ沙夜に触れたかった。
やわらかく冷たい手だと感じたとき、私の頭にノイズが走る。
ここはどこなんだろう……?
薄暗い空の下に、暗い湖が広がっている。私は薄暗い砂浜で一人立っている。
「綺麗な場所」
私は心からそう思う。
「私の悪夢は綺麗でしょ。私の生まれた誰もいない世界は綺麗な悪夢……」
沙夜の声が頭の中で響いた……美しい声なのに頭痛を覚えさせる声……
「……次はあなたの悪夢を見せて……」
私の悪夢? 嫌だ……やめてほしい……
物静かだから私はイジメられていた。最初は無視だけだったのに、次第に私の体へと標的が変わった。男子生徒たちからすれば、私は絶好の性欲のはけ口だった。
男子たちが私の胸を触り、好きなだけ私の体を好きにした。好きでもない人にキスされる日々。ある日、それが気持ちいいことなんだと自分で思い込むようにした。
「……好きにしていいよ……いつまでも……」
いつしか私は彼らを誘惑するようになった……
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