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54、女神との邂逅

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 次の日の早朝。俺達は寒さに震えながら大聖堂に向かった。大聖堂の周りにはライブ会場かというほどにたくさんの人が集まっている。

「うわぁ、もうこんなに人がいるなんて」
「凄いな……あの扉が開くんだよな?」
「多分そうだと思うよ」

 周りに背の高い人が来ちゃったら見えないかもしれないな……そうなったらユニーの背に乗せてもらおう。そう思ってユニーに視線を向けると、ユニーは任せてとでも言うように尻尾をゆらめかせている。

「ご降臨は何時ごろになるんだ?」
「その年によるらしいけど、早い時は日が昇る頃にはって」
「マジか、じゃあ後一時間ぐらいの可能性もあるんだな」

 騎士達のそんな会話を最後に、俺達は言葉少なに神聖な――それでいてどこか恐ろしささえ感じる大聖堂を眺めながら時間を過ごした。そしてここら一帯を埋め尽くすほどの人が集まっているとは信じられないほどに静かな時が流れ――

 ――ついに、大聖堂の扉が開かれた。

「凄い、な」

 開かれた扉の先に見えたのは、この世には存在していないような柔らかな光だ。そしてその光の中に浮かんでいるのは……予想よりも若い女性だった。

 でも女性の形をしているだけで人間らしさはないというか……形が定まっていないような不思議な印象を受ける。

「シュリーネ様……!」

 周りにひしめき合っていた人々は、シュリーネ様の姿を一目見るとすぐに跪いて祈りを捧げた。しかし俺はそこで跪かずに……意を決してペンダントを外す。

 もう、これしかないと思ったのだ。俺が日本に帰るには、シュリーネ様を魅了して話をしてみるしかない。こんなことをして上手くいかなかったら……そう考えたら、そんなリスクは負わずにずっとこの世界で生きていくのでも良いんじゃないか、そんなふうにも考えた。

 でもずっといつかは日本に戻れるかもしれないと考えているのも、もしくは――突然日本に戻されるかもしれないと考えているのも、辛いなと思ったのだ。

 こっちの世界で生きて行くにせよ、もう日本には戻れないという確約が欲しい。そして日本にも俺は幸せだと知らせることができたらなお良い。
 そう考えたら、このチャンスは逃せないと思った。

「道を開けろ。ユニー、大聖堂まで行ってくれる?」
「ヒヒンッ」

 俺の言葉によって大聖堂に向かって跪いていた皆が道を開けてくれて、ユニーに乗った俺はすぐにシュリーネ様の下に近づくことができた。

 シュリーネ様は感情の読めない視線で俺のことを見つめていたけど……

「シュリーネ様、俺の声を聞いてくださいますか?」

 そう声をかけた瞬間、ぼんやりとしていた輪郭が明確になり表情には感情が乗った。その感情は悪いものではなくて、今まで俺が飽きるほど見てきた、魅了にかけられた人の表情だ。

「え、わ、私に声をかけてくれてるの!?」
「はい……声は届くのでしょうか?」
「もちろんよ! 下界でこんなに魅力的な個体が生まれたのなんて、いつぶりかしらぁ」

 マジで魅了が効いてるのか……神にまで効くとか、レベル十のスキルって凄いんだな。俺がこの世界の人間じゃないから神にも効くとか、そういう理由があるのだろうか。

「あの、俺は別の世界からこの世界に突然迷い込んだのですが……」
「え、そうなの!? ――そう言われてよく見てみれば、魂の色が全然違うじゃない。どうやって私の世界に来たのかしら?」
「シュリーネ様が俺をこっちの世界に呼んだとかではないのですか?」
「そんなことしないわよ~」

 シュリーネ様はそう言って俺の言葉を否定すると、何かに思い至ったように突然パァッと表情を明るくした。

「もしかしてあなた、地球から来たんじゃない? 実は少し前に地球と私の世界が近づき過ぎちゃったことがあって、問題なく対処できたと思ってたんだけど……まさか迷い込んでいた個体がいたなんて」
「そんなことがあったのですね……」

 俺の転移はそんな世界規模の出来事によって引き起こされてたのか。完全に事故だったと思えば、もう誰も恨む気にはならないな。
 まあそもそも最初はこんな世界に来て最悪だと思ってたけど、今となってはこの世界に来れて良かったとまで思ってるんだけど。

「俺は地球に帰ることってできるのですか?」
「もちろんできるわよ。でもせっかく来たんだから、この世界で生きていけば良いじゃない! あなたのこと気に入ったもの!」

 それも可能なのか。俺はその事実を知って、気持ちが一気に明るくなるのを感じた。ここからが勝負だ。

「ありがとうございます。でも日本にも家族や友達がいて……なので、地球とこちらの世界を行き来とかできたら嬉しいなーと思うのですが」

 ぜひ行き来できるようにしてほしい。そうしてくれたらこっちの世界で生きていくよ。そんな気持ちを込めて提案すると……誰の目で見ても明らかなほどに、シュリーネ様の表情が華やいだ。これはいけるかも。

「あら、それなら私の世界にも来てくれるの?」
「もちろんです!」
「分かったわ。ちょっと待っててね」

 シュリーネ様は途端に真剣な表情を見せると、ぶつぶつと何事かを呟きながら何度か手を意図的に動かした。すると数分後にはシュリーネ様の目の前に虹色に光る綺麗な指輪が出現していて、その指輪は俺の手元までスーッと飛んでくる。

「その指輪に触れるとこの世界と地球を繋げる門が開くわ。あなたが想像した場所に出るから、門を作る時のイメージは大切にね」

 マジか、本当に行き来できるようにしてくれるなんて。シュリーネ様めっちゃ良い人!

「ありがとうございます! めちゃくちゃ嬉しいです!」
「良いのよ。これであなたは私の世界にいてくれるんでしょう?」
「はい! 地球に戻ったとしても、頻繁にこちらの世界に来ることにします!」

 俺はこれで皆と別れなくて良いし日本にも帰れると分かり、嬉し過ぎてシュリーネ様に満面の笑みを向けた。するとシュリーネ様は照れたように顔を赤くして、両手で頬を隠す。

「うっ……な、何でこんなにあなたが輝いて見えるのかしら。神としたことが照れちゃうわ」
「そうだ、そういえば伝え忘れていたのですが、俺には魅了のパッシブスキルがあるんです。それが効いているのだと思います」
「……あなたって、地球から来たのよね?」
「そうです。地球にはスキルなんてないはずなんですけど、なぜか最初から備わってて。これってスキルを無くしたりはできないんでしょうか……?」

 俺のその言葉を聞いたシュリーネ様は、不思議そうにしながらも首を横に振った。神にもできないのか……

「ごめんなさい。下界に生きる者のスキルを私はいじることができないのよ。……でもさっきみたいにスキルを封じる指輪を作ることはできるわ。作りましょうか?」
「……そうなのですね。ありがとうございます。でも指輪は大丈夫です。もうダンジョンで手に入ってるので」
「あら、そうなのね。それなら良かったわ。そういえば今更だけど、あなたの名前は?」
「あっ、名乗るのが遅れてすみません。宮瀬涼太と申します。涼太が名前です」
「リョータっていうのね。ちゃんと覚えたわよ」

 シュリーネ様は石板みたいな物質を宙に作り出して、そこに俺の名前を大きく刻んだみたいだ。神に名前を覚えてもらうってなんか凄いな……

「ああ、もう時間が終わっちゃうわ。涼太、三年後にまた私はここで下界に降りるから、絶対会いに来るのよ! 絶対よ!」
「わ、分かりました。三年後ですね」
「絶対に来てね! 楽しみにしてるから!」

 神様でも自由に下界に降りることはできないのか。俺がそう考えている間にもシュリーネ様の体の輪郭は曖昧になっていき――

 ――数十秒後には柔らかな光も消え去って、大聖堂の中には何もなくなった。
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