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命綱
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左折し、暫く行って右折する。後は、道なり。
私は今、『死』へと向かっている。
数年連れ添った妻と別れて、半年。その刹那の間に友も職も全て失った。残ったのは、このローン完済済みの軽自動車と「痴漢」の悪評。
仄聞《そくぶん》してはいたが所詮、他人事だった──自分事だと留意していても、結果は変えようがなかっただろうが──今となっては総じて後の祭り。もう救われる術《すべ》などない。
──目的地まで後、数十キロメートル。まだ先は長い。
急き立てる心胸と裏腹、信号に停止させられる。赤信号なのだから、致し方ない。ついでに何処か寄って行こうか。腹ごしらえにファーストフード店、縄を買いにホームセンター、ガソリンスタンドでガソリンでも──
漠然と巡る頭が、赤と入れ替わり点灯する青にリセットされる。些《いささか》か忌々しく思いながらアクセルを踏む。目的地へ走り出すと共に、信号に堰き止められていた思考も幽冥《ゆうめい》へと加速する。
人は死んだら何処へ行くのか。「天国へ行き、生まれ変わる」等と言う輩もいるが、私に言わせればそんなものはまやかしだ。人はみな等しく死に絶えた瞬間、俗に言う魂は霧散する。その瞬間思考は途絶え、意識を永遠に手放す。『死』に明暗はない。あるのは無だ。
即ち、私の目的地はそこにある。
私は今、『無』へと向かっている。
──目的地まで後、数キロメートル。
物思いに耽けている間に殊《こと》の外《ほか》、深山幽谷《しんざんゆうこく》まで来ていた様だ。
着実に『無』へ近づいている、実感。早鐘を打つ心臓に共振する様にハンドルを小突く。今まで等閑視《とうかんし》していたトンネルが黒を増す。呑まれそうなほど暗く冷たい。しかし、暗闇に私が望むものはない。纏わり付く闇を祓う様に、アクセルを踏み込んだ。
昔から考え込む性格ではあった。だが、ここまで千思万考する様になったのは何もかも失ったからだろう。
仏教では、悟りを開く為に悟りへの欲以外を全て消し去るらしいが、一種それと近い状態なのかもしれない。我欲に塗れた女の"おかげ"でそこに近づくとは何とも皮肉なものだ。強いて欲があるとすれば、自身が消え失せる事への欲求か。心を掻き乱す、と言う意味ではこれも煩悩なのだろうか。
生憎、その辺りの知識は持ち合わせていない。教養のない者はいくら思考しようとも無意味なのだろう。出てくるのは安っぽい言葉と、限られた知識だけだ。結局の所、私はこの道を進み『無』へと向かう。もう、それしか、ないのだろう。
──目的地まで後、数百メートル。
不意に家の事が気になった。外出前に施錠はしたか、どうにも確証がない。ここまで来たが仕方ない、心残りがあっては仕方がない。短わい脳内会議は全会一致で直ぐに終わる。
己の体一つ乗せた車を転回させ、共に目的地へと向かう。ああ、仕方がない。
私は今、『生』へと帰っていく。
私は今、『死』へと向かっている。
数年連れ添った妻と別れて、半年。その刹那の間に友も職も全て失った。残ったのは、このローン完済済みの軽自動車と「痴漢」の悪評。
仄聞《そくぶん》してはいたが所詮、他人事だった──自分事だと留意していても、結果は変えようがなかっただろうが──今となっては総じて後の祭り。もう救われる術《すべ》などない。
──目的地まで後、数十キロメートル。まだ先は長い。
急き立てる心胸と裏腹、信号に停止させられる。赤信号なのだから、致し方ない。ついでに何処か寄って行こうか。腹ごしらえにファーストフード店、縄を買いにホームセンター、ガソリンスタンドでガソリンでも──
漠然と巡る頭が、赤と入れ替わり点灯する青にリセットされる。些《いささか》か忌々しく思いながらアクセルを踏む。目的地へ走り出すと共に、信号に堰き止められていた思考も幽冥《ゆうめい》へと加速する。
人は死んだら何処へ行くのか。「天国へ行き、生まれ変わる」等と言う輩もいるが、私に言わせればそんなものはまやかしだ。人はみな等しく死に絶えた瞬間、俗に言う魂は霧散する。その瞬間思考は途絶え、意識を永遠に手放す。『死』に明暗はない。あるのは無だ。
即ち、私の目的地はそこにある。
私は今、『無』へと向かっている。
──目的地まで後、数キロメートル。
物思いに耽けている間に殊《こと》の外《ほか》、深山幽谷《しんざんゆうこく》まで来ていた様だ。
着実に『無』へ近づいている、実感。早鐘を打つ心臓に共振する様にハンドルを小突く。今まで等閑視《とうかんし》していたトンネルが黒を増す。呑まれそうなほど暗く冷たい。しかし、暗闇に私が望むものはない。纏わり付く闇を祓う様に、アクセルを踏み込んだ。
昔から考え込む性格ではあった。だが、ここまで千思万考する様になったのは何もかも失ったからだろう。
仏教では、悟りを開く為に悟りへの欲以外を全て消し去るらしいが、一種それと近い状態なのかもしれない。我欲に塗れた女の"おかげ"でそこに近づくとは何とも皮肉なものだ。強いて欲があるとすれば、自身が消え失せる事への欲求か。心を掻き乱す、と言う意味ではこれも煩悩なのだろうか。
生憎、その辺りの知識は持ち合わせていない。教養のない者はいくら思考しようとも無意味なのだろう。出てくるのは安っぽい言葉と、限られた知識だけだ。結局の所、私はこの道を進み『無』へと向かう。もう、それしか、ないのだろう。
──目的地まで後、数百メートル。
不意に家の事が気になった。外出前に施錠はしたか、どうにも確証がない。ここまで来たが仕方ない、心残りがあっては仕方がない。短わい脳内会議は全会一致で直ぐに終わる。
己の体一つ乗せた車を転回させ、共に目的地へと向かう。ああ、仕方がない。
私は今、『生』へと帰っていく。
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