僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

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LV1.1 〈現場〉ヲタクはじめました。なのに……

第04イヴェ 最前イヴェンターのパフォーマンス

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「いやあああぁぁぁ~~~、〈グッさん〉、流石に連日の雪まつりの参戦で疲れちゃったのか、実は、自分、今日は寝坊しちゃったんですよ」
 そう〈最前さん〉は、初老のヲタクに話し掛けていた。
「でも、ボクが朝一の飛行機で大阪から北海道に来て、ここに十時に来た時には、〈ふ~じん〉さんしかおらへんかったけど、ところで、ふ~じんさん、いったい何時に会場に来とったの?」
「七時半です」
「それでも、じゅ~ぶんに早いやん」
「でも、もしも地元のヲタクに気合が入っている人がいたら、せっかく、東京から遠征して来ているのに、〈ドセン〉、取られてましたよ。数年前に、〈最おし〉の〈真城(ましろ)〉が出た時には、自分、六時には来てましたもん」
「ハハハ、ふ~じんさん、今回も〈あやのん〉が出る事を〈警戒〉して、雪まつりに来とったのにな」
「それな、ですね。雪まつりイヴェの出演者の発表の前、昨年末の値段が安いうちに飛行機のチケをおさえて、札幌に来たっていうのに、真城、札幌在住にもかかわらず、今年に限って出ないんだもんなあああぁぁぁ~~~。まあ、でも、自分、最近、LiONaさんも〈おし〉ているし、今回のイヴェントでは最も今日が楽しみですね。だから、一週間前に札幌入りして、結果、オーライです」
「ふ~じんさんのポジティヴ・シンキングにはかなわへんなぁぁぁ~~~」

 〈最前さん〉は「ふ~じんさん」、そして、彼と話している初老の方は「ぐっさん」というヲタク名らしい。だがしかし、そうした呼び名よりも何よりも、その会話内容こそが、冬人にとっては驚天動地であった。

 〈最前さん〉は、道民ではなく東京から来ている〈遠征民〉だという事、今日の若手シンガー、LiONaのパフォーマンスを、今回の雪まつりの中で最も楽しみにしているとの事、最前ど真ん中、二人はこの位置を「ドセン」と呼んでいたのだが、二人はドセンをとるために十時には、そして、〈最前さん〉に関しては、七時半には来ていたという事、それでも、その時刻は〈最前さん〉にとっては、気合の欠ける遅い到着だという事、そして実は、〈最前さん〉が最も〈おし〉ているのは、今回の雪まつりには出演していない札幌在住のアーティスト、〈真城綾乃(ましろ・あやの)〉なのだが、〈最前さん〉は、その〈最おし〉の出演を見越して、安く飛行機が予約できる時期に移動手段を確保していたのだが、その予想が外れてしまった事などなど、二人の会話内容のどれもこれもが、さっぽろ雪まつりがアニソン初現場の冬人にとっては、全く考えが及ばない事柄ばかりだったのである。

 なかでも最も冬人を驚かせた事は、公開生放送が終わり、ミニ・ライヴが始まる直前に、最前ドセンを陣取っていた五名が、いきなり上着を脱ぎ出した事であった。さすがに素肌にTシャツではなく、たとえば、パーカーなど、長袖をインナーにし、その上に、LiONaの名が入った半袖のTシャツを着ていたのだが、それでも氷点下の気温の中で上着を脱ぐ行為は考え難かった。周囲を見回してみても、そんな暴挙に及んでいる観客など一人としていない。
 そしてさらに、クラップの音が鈍る、という理由から、〈最前さん〉達は手袋も脱いでいたのだ。

 そして、上着を着ていない〈最前さん〉達は、ライヴが始まるまでの僅かな時間に、肉体をぶつけ合う〈おし〉くらまんじゅうをして、身体を温めようとしていた。

 やがて、略歴を語った後で、司会がLiONaを呼び込んだ。
 すると、演者がステージに登場する直前に、ドセンの〈最前さん〉は、手を一拍叩いて、「今日も、〈現場〉つくっぞっ!」と小さくはあったが、力強く周りに声を掛けたのであった。

 LiONaの生歌唱は圧巻であった。

 氷点下の屋外に、彼女の透き通った声が高らかに響き渡り、その強い歌声は、観客の身体の中に染み込んでゆくようであった。しかも、その一人一人に御歌が届くように、観客の目を見つめながら、LiONaは歌うのだ。
 その歌唱中、何度も演者と目が合ったように、二列目に居た冬人には感じられ、それゆえに、冬人の心は、文字通り、LiONaに蕩かされてしまったのである。

 そしてさらに、演者であるLiONaだけではなく、最前ドセンのヲタク達の〈おし方〉がまた凄まじかったのだ。
 それは、一般的に知られているような、オタ芸をしたり、ペンライトを使ったりはせず、最前列のその応援行為は、手を振るだけのものであった。
 しかし、単純なように見えて、その手振りは、まるでバックバンドさながらに、曲のリズムやメロディーとピタリと合致していた。
 しかも、LiONaが歌唱している最中に、御歌を妨げるような、中途半端で単調な手拍子を入れ続けるような事はせず、あくまでも演者の歌声をつぶさないようなタイミングで可変的リズムのクラップを入れたり、さらに、全員が同じタイミングでコールを入れたりしていた。
 それが、演者と観客との間の〈一体感〉を生み出していたのである。

 最初のうちこそは、ライヴで盛り上がっていたのは、彼ら最前ドセン組だけで、その過度な〈ガチっぷり〉を嘲るような、冷ややかな雰囲気が少し漂っていたのだが、しかし、最前ドセンの〈熱量〉は波紋のように拡がってゆき、いつの間にか、それは、西十一丁目の会場全体を巻き込んだものになっていた。

 もしかして、〈最前さん〉が開始前に言い放った「〈現場〉をつくる」ってこういう事なのかもしれない。

 こう思った、まさにその瞬間であった。

 演者と一緒になってステージを盛り上げる、こうした〈最前さん〉たちのパフォーマンスに魂の震えを覚えた冬人は、上京したら、絶対にアニソンの〈現場〉にまた行こう、という決意を固めたのである。
 
 やがて――
 上京した冬人は、意外な場所で、〈最前さん〉や〈グッさん〉と知り合う事になるのだが、それは、もう少し先のお話である。

                   *

 この物語は、アニソンのライヴやイヴェントに足繁く通うことになった新米イヴェンターの佐藤冬人が、〈現場〉で出会うことになる超弩級のヲタクたちに関する見聞録である。

 注意:この物語は虚構であり、作品中に登場する人物、団体、名称等は、あくまでも架空存在であり、実際に存在する方々とは無関係でございます。

〈参考資料〉
 〈WEB〉
 「大通り会場」、『さっぽろ雪祭り 公式WEB』、二〇二〇年二月十七日閲覧。
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