僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

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LV1.1 〈現場〉ヲタクはじめました。なのに……

第07イヴェ サイゼンカンリはダテじゃない!

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 予想外の遭遇を果たしたアニソンシンガー、真城綾乃(ましろ・あやの)が円形ステージの脇にある楽屋に入ると、ようやく、冬人の硬直状態も解けた。
 そして、冬人は、首と肩を回しながら階段席の一番上、会場全体が見渡せる所に座す事にしたのであった。
 実は、最前列にいる兄の後方辺りも空いてはいたのだが、こういったCDの発売イヴェントが初めてだったので、前の方に座ることに、冬人は躊躇いを覚えたのであった。

 開始二時間前である十二時に到着した時点では、会場にいる人は疎らだったのだが、十三時十五分前位であろうか、私服のままの演者が登場し、リハーサルを始めると、一気に会場付近に人が集まり出した。

 リハーサルで歌われたのは三曲だったのだが、その中には、ほとんど丸々一曲歌った曲もあった。このリハーサルの際に、上から全体を見ていて、冬人には一つ気付いた事があった。

 リハーサルって、演者が音を調整したり、位置を確認する為のものだと思い込んでいたのだが、兄を含め、最前部にいた連中は、曲に合わせて軽く身体を揺すったり、腕を動かしたりしているのだ。つまり、まるで、客もリハをしているみたいだったのである。

 約十分のリハーサルが終わり、真城綾乃が控室に戻った後、冬人は、CD購入列に並んでいた兄を捕まえ、幾つか質問を放ったのであった。
「シューニー、なんで先に行っちゃうんだよ。冷たいよ。ところで、何時に家出たのさ」
「始発だよ」
「へっ? そんなに早く出る必要ってあんの?」
「全ては〈最前〉のため。要は、気合の問題なんだよね、カムランさん」
「へっ? 『かむらん』て?」
「お前には、大学入学前に、ロボット・アニメの基礎教養から叩き込まなくちゃならんようだな」
「ところでさ、シューニー、ちょっと訊いていい?」
「ええ、よくってよ」
「歌を聴きに来ているのに、なんで、客がリハみたいな事をしていたの?」

 秋人が言うに、今回のリリース・イヴェントは、この川崎だけで、演者もリハにいつもよりも時間をかけていた。そして、自分たちにとってもライヴは久しぶりで、それより何より、新曲を〈生〉で聴くのは今日が初めてなので、本番でのノリ方を確認したかった、との事であった。
「いいか、よく聞け。〈現場〉ってのは、演者だけではなく、観客も一緒になって作るものなのさ」
 それから、秋人はこう言い直した。
「ライヴは部屋の中で起きているんじゃない! 〈現場〉で起きているんだ!」
 そう言い放ったシュージンは〈どや顔〉をしていた。
「刑事ドラマの有名なセリフのモジりかよ……」
「冗談はさておき、最前が頑張んないと、会場は盛り上がらないんだ。楽しみ方は個人の自由だけど、最前には最前が果たすべき義務があるの。そう教えられきた分け」
 兄の理屈から言うと、とてもじゃないが、やはり自分は前方には行けないな。でも、なんか、雪まつりの時にも似たような事が……。

 それは既視感であった。
 CDの購入を終え、階段を下り、最前部に戻ってゆく兄を見送っていると、そこには、雪まつりの時の、あの〈最前さん〉がいたのである。

 イヴェントの開始直前には、半円形の階段席は一杯になっていた。
 やがて、CDのジャケット写真と同じ、白と黒のツートンカラーの衣装を身に纏った演者が登場し、ミニ・ライヴが始まったのである。

 一曲目は、今回のCDにライヴ音源が収録されている、既に発表済みの曲であった。既出曲という事もあるけれど、最前部のコールや身体の動きは、基本一拍子もズレることがなく、コールを多く入れ過ぎる事もない。
 そしてさらに、この日は階段席であるため、立って観覧するのは禁止だったのだが、最前部は、おそらくジャンプするタイミングで、身体を大きく前方に伸ばし、腕を振り上げたりしていたのだ。しかもこの曲は、ジャンプが入るタイミングが独特なので、初めて〈現場〉でこの曲を聴いた冬人には、それは流石に難易度が高かった。
 また、曲の途中で、最前部のほぼ全員が同じタイミングで揃って一斉にヘッド・バンキング、つまり、頭を前後に振り出したのだ。それを始めるタイミングも、回数も、そして止めるタイミングさえ同じであった。中には、ヘドバンの回数が多い人もいたのだが、とまれ、ヘドバン、これもまた、初見では無理芸過ぎる。
 それでも、だ。
 曲の最後の方に、「ウォーウォー」とコールを入れる個所があって、そこは頑張れば、ビギナーの冬人にも参加可能であった。

 た、楽しい……。

 演者のMCによると、この曲は、ワンマンでもアンコールで歌うことの多い、君と僕、すなわち、観客と演者について歌った曲なのだそうだ。
 なるほど確かに、一緒に場を作っている感覚を味わうことができる、そんな心躍る曲であった。
 それでも、〈最前さん〉や、シューニーたちのような最前部が盛り上げなかったとしたら、会場が一体になっったりはしなかったのではなかろうか。
 人って、とかく周囲の目を気にしがちな生き物だし、そもそも、フリー観覧OKの会場の観客は、自分も含めてもう少しライトな層が大多数なのだ。
 それでも、たとえ最前部のようなジャストなタイミングでコールや振りを入れられなかったとしても、彼らの動きを模倣する事はできるし、実際に、すり鉢状の会場にて、最前の〈盛り上がり〉が拡張していった様子を、最後尾の冬人は目の当たりにしたのである。

 さらに、着目すべきは、既出曲と新曲に対するリアクションの違いであった。
 二曲目に歌ったカップリング曲は、発売前に一度だけラジオのBGMで流されただけだったらしい。
 先程とは違って、この曲に対して、最前部は一切コールを入れず、決して激しくはないが、細かな手振りを入れながら、歌詞の内容に合わせて、耳や胸に手を当てたり、掌を差し出したりしていた。
 リリースから数日で、一体全体どれだけ聞き込み、歌詞を理解してきたのであろう。

 そして三曲目に歌った新曲は、二〇二〇年の一月期に放映中のアニメーションのエンディングで、これは、アニメの第二話放映のタイミングで先行配信された曲なのだそうだ。
 二曲目に歌ったものも含めて、これら新たな二曲は、最初に聴いたアップテンポの既出曲とは打って変わって、激しい曲ではなかった。特に、三曲目のアニタイ曲は、まさに聴かせる一曲であった。
 その際に気が付いたのだが、三曲目で、最前部の観客は、基本手振りを入れてはいなかった。しかし、これまた曲の途中で、歌詞に合わせて、所々で人差し指を立てたり、腕を伸ばしたり、サビの部分で力がこもった仕草を、最前部はしていたのだ。
 思うに、何でもかんでもコールをしたり、クラップをしたり、ウォーウォーと言うのではなく、つまるところ、実にメリハリが効いていて、それが全体に波及していたのだ。こうした場の雰囲気を作っているのは、最前部の数名であった。こう言って良ければ、彼等はまさに〈最前管理〉であった。

 冬人には、ライヴに頻繁に通っている高校の同級生がいて、その彼は、ライヴなんてその場のノリだから、前もって曲を聴く〈予習〉なんて一切しない、初めての感動が大事だ、と意気揚々とカタっていたのだが、しかし、充分に曲を聴き込んで、そのリズムやメロディーだけではなく、歌詞の内容さえも理解し、その上で、〈現場〉に来ている〈最前管理〉のヲタクを目の当たりにすると、その場その場での場当たり的な、〈レトルト〉みたいなノリとは異なる、〈最前管理〉の観客と演者による化学反応は、煮込まれた〈熟成〉の極みであるようにさえ思えてきた。

 かくして、次に〈現場〉に行く時には、可能な限り〈予習〉をしよう、と冬人は誓ったのであった。
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