僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

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LV1.2 パンデミック下のヲタ活模様

第11イヴェ ハイシン!! あるいは、モチヴェのモンダイ

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 二〇二〇年三月――

 世界規模の感染症のせいで、日本では、三月に開催予定であったイヴェント、ライヴ、コンサートのほとんどに対して、主催者側は、延期、ないしは、中止の判断を下さざるを得ない状況に陥っていた。

 冬人が入学予定の大学においても、入学式は中止になり、さらには、春学期の講義の開始日も四月末、場合によっては、ゴールデンウィーク明けに開始という告知が為されていた。

「ねえ、シューニー、今の状況的に仕方がない事なんだけどさ、予定されていたイヴェントやライヴがこんなに無くなっても、ヲタクって、演者さんに対してモチヴェーションを保てるものなの?」
「まあ、ヲタクによりけりだと思うよ。
 そもそもアニソンのヲタクにも色々あって、家でコンテンツだけを楽しんでいる、いわゆる〈在宅〉と、わざわざ〈現場〉にまで出向いて生歌を楽しみたいっていう〈イヴェンター〉の間には、越えがたい深い溝が走っているのだよ」
「それじゃ、ちょっと言い方を変えるよ。
 〈現場〉が無くなっても、〈イヴェンター〉ってモチヴェを保てる生き物なの?」
「う~ん、やっぱ、中には難しい人もいると思うよ。こういったイヴェンターの心理状況って、行動心理学の〈動機づけ〉で、ある程度説明できると思うんだ」
「シューニー、詳しく」

 秋人が説明するに、そもそも〈動機〉とは、〈内発的動機〉と〈外発的動機〉に大別できるらしい。
 内発的な動機とは、自分の内側から湧き上がってくるもので、自分自身で目標を設定し、その目標に至る過程において成長したり、あるいは、目標に到達した時に覚える達成感、そういった〈自分〉を獲得するために発揮するヤル気のことである。
 これに対して、外発的な動機とは、自分以外の他者から何らかの〈見返り〉を与えてもらう、そのために発揮するヤル気のことである。
 たとえ、その〈見返り〉の在り方が様々だとしても、例えば、〈現場〉において演者という他者から何らかの喜びを与えてもらう、というその性質上、見返りを求めて、〈現場〉に行くイヴェンターのモチヴェーションとは、本質的に〈外的〉なものなのである。
 したがって、イヴェンターのモチヴェとは、演者から欲しい物を与えられないと、瞬く間に減退していってしまう。
 イヴェンターがしばしば口にする「モチヴェがない」とは、つまるところ、欲しい物がもらえないからヤル気がでなくなることを意味している分けである。

 無論、イヴェンターのヤル気の原動力たるモチヴェとは十人十色で、例えば、生で歌を聞きたい、できるだけ近くで演者を見たい、演者に見てもらいたい、つまり〈レス〉が欲しいとか、MCで〈私信〉が欲しいとか、接近イヴェで演者と少しでも長く話がしたいとか、可能ならば演者に覚えてもらいたい、すなわち、〈認知〉してもらいたい等々、このように、イヴェンターが欲する見返りとは多種多様なのである。
 かくの如く、細かな違いはあれども、イヴェンターが〈現場〉で感じる喜びの大前提は、自分が好きな演者に〈直接〉逢えるという、この一点に尽きる。全ては逢いたいから始まるのだ。

 だがしかし、である。
 そもそもの話、現状、イヴェントやライヴそれ自体が開催されないのだ。
 これが仕方がない状況だということは、誰もが皆、重々承知しているのだが、それでもやはり、〈現場〉が無くなれば、それに伴って、イヴェンターのモチヴェが下がってゆくのは行動心理学的には必然なのである。そして、イヴェンターのモチヴェが無くなってしまった場合、たとえ社会的状況が良くなって、四月以降に〈現場〉が再開になったとしても、失われたヤル気を復元させるのは生易しいことではない。
 そして現実問題、こうしたイヴェンター心理が分かっている運営も存在していて、何とかしてファンのモチヴェを維持し、演者への興味・関心を抱かせ続けるために、外的要因となり得る何らかの見返りをヲタク達に与え続けようと考えているらしい。

「だからだと思うんだけど、最近、ネット配信がやけに増えたと思わないかい?」
 〈動機づけ〉という問題を、〈現場〉や〈イヴェンター〉と関連付けて、一通り説明した後で、秋人はこう冬人に問うた。
「たしかに」

 以前から配信が無かった分けではないのだが、この延期・中止の状況下、ネット配信を利用するアーティストが明らかに増えたように感じられる。中には、会場やセットをそのまま利用して、無観客ライヴを配信した演者もいた。
 また、大規模なイヴェントに関しては、そこで、放映予定のアニメやイヴェントの情報を解禁したり、主題歌のミニ・ライヴを行う予定だったステージを、ほとんど同じ形で配信したりしていた。

 あるいは、アーティスト自身が配信を企画したケースもあった。
 例えば、昨年末の紅白歌合戦に初出場を果たした、アニソン界の歌姫は、三月からアコースティック・ライヴ・ツアーを行うはずであった。しかし、この状況下、そのライヴ・ツアーを延期せざるを得なくなっていた。そんな中、彼女は、SNSで、聴き手が元気になるような歌を募集し、その上位になった曲を、アコースティック・ヴァージョンで歌い上げ、その模様をネットで生配信したのだ。そして、その生配信の視聴者数は四万六千人にも及んだらしい。
 単に画面越しに演者の姿を見て、その歌を聴きたいだけならば、市販されている円盤や、ネットで公開されている映像を視聴すれば、それで事足りよう。しかし、それは、あくまでも録画された映像である。
 つまり問題は、ただ単に歌っている姿を映像で視聴するという事ではないのだ。
 生配信の場合、たとえ同じ空間には居られないとしても、同じ時刻にアーティストが歌っているという、その〈ライヴ〉感こそが肝要なのだ。だからこそ、西武ドームの収容人数、三万三千五百人を遥かに上回る視聴者数に至ったのであろう。

 ヲタクは〈生歌〉に飢えていたのだ。

 実は、秋人と冬人は三月に帰省して、札幌で開催されるはずだったその歌姫のアコースティック・ライヴに参加予定であった。
 ちなみに、ライヴが延期になった場合、そのチケットを保持しておいて、延期された開催日にそのまま使うこともできる。その一方で、チケットの払い戻しも可能で、そしてチケットを持っていた者の中には、延期の結果、モチヴェが下がって、チケットを手放してしまう者が出るのも、それは致し方ない。
 しかし、四万人以上の視聴者数は、日本各地、あるいは世界中に、かの歌姫の生歌を、たとえ配信という形態だとしても、待ち望んでいた者が数多くいた事実を示唆していよう。

「シューニー、実はさっき、SNSで見かけたんだけど、『配信が増えたら、配信で構わないって人が増えて、わざわざお金を払うまでして、〈現場〉に行って、ライヴを楽しむ人が減るかも』って意見を見かけたんだけど、実際の所、どうなんだろう?」
 冬人の問いに秋人は応じた。
「たしかに、配信は楽しかった。
 でもさ、それが、たとえ生だとしても、〈ハイシン〉と〈現場〉は全くの別物だと俺は思うんだ。
 〈現場〉において直に感じる空気、あのライヴ感覚を一度でも体感し、それにハマってしまったイヴェンターならば、多分、見れれば無料のハイシンで充分なんて意見は絶対に言わないと思うぜ。
 で、フユ、お前はどう思ったんだよ? 〈現場〉に行きたいっていう気持ち、モチヴェ、落ちたのか?」
「あのさ、今回のハイシン、ホントに楽しかった……。
 でも、でもさ、今回、生の配信を観たからこそ、かえって、〈現場〉でライヴを楽しみたいって気持ちがさらに強まったよ」
 そう返じた弟に、秋人は、親指を立てた右手を突き出して見せたのであった。
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