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LV1.3 ヲタクREST@RT
第27イヴェ 宣言解除後に行った、生まれて初めてのワンマン・ライヴ
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物販が始まるその一時間前に、突如、物販を取り仕切る運営から、同じ種類のグッズの購入〈数〉に上限を設ける、という知らせがSNSによって告げられた。
物販待機列で最前管理中であった冬人は、代理購入、いわゆる〈代購〉を数名の知り合いから頼まれていたので、待機列に並んでいる〈ヲタク〉仲間に大急ぎで連絡を入れて、冬人が頼まれていた品の代購の代行を依頼した。そして、〈杉山〉から始めた段取りを、なんとかやり終えたのは物販開始の三十分前の事で、ちょうどその時、スタッフの指示によって、長々とした物販待機列は、ようやく動き出したのであった。
スタッフに案内され、先頭に並んでいた冬人は、武道館の軒下から、幾つものテントが並んだ、グッズ販売エリアの入り口前まで移動する事になったものの、そこからの待ち時間は、未だ三十分も残っている。
武道館にいる今でこそ、冬人の〈最おし〉が〈LiONa〉である事は、かくの如く、早朝から物販待機列に並んでいる事からも明らかなのだが、しかし、イヴェンターになったばかりの三年前には、たしかにLiONaも好きではあったのだが、緊急事態宣言のせいで強制的に〈在宅〉を余儀なくされた後、〈ミニ〉ではない、ワンマン・〈フル〉・ライヴに生まれて初めて足を運んだ、三年前の夏には未だ、自分が〈おす〉べき対象を探して暗中模索であった事を、冬人は思い出していたのであった。
*
二〇二〇年の八月最初の土曜日である八月一日に、秋人・冬人の佐藤兄弟は、久方ぶりに外出した。
行き先は渋谷である。
しかし、この二人兄弟が、普通の買い物や遊興目的で、休日の繁華街にわざわざ足を運ぶべくもなかった。
兄弟の渋谷来訪の目的は、渋谷の公会堂で催されるライヴなのである。
今回、そのライヴが実施される会場は、五十五年以上前の東京オリンピックの年に開業された老舗の施設である。
その半世紀に渡る歴史の中で、数多くのアーティストのライヴが行われてきた。秋人の〈最おし〉の翼葵も、このホールで歌唱した事があり、つまり、ここは、武道館と並んで、地方のヲタクにとっては、是非とも一度は訪れてみたい会場の一つなのだ。
しかしながら、この会場は、五年前に、老朽化を理由に一時的に閉館された。そして、四年に渡る改修工事の後、昨年、二〇一九年の秋にリニューアル・オープンされたのであった。
このような、今回の会場にまつわる四方山話を、駅から会場までの道すがら、冬人は兄から語り聞かされた。
閉館が五年前ということもあり、このホールを訪れるのは、兄・秋人にとっても初めての事であり、それ故にか、兄も気持ちが少し昂っているように、弟・冬人には思えた。
秋人が、早口になって饒舌に語るのは、〈テンションが高い〉時の証拠なのだ。だがしかし、兄が気持ちを昂らせているのは、伝説的な憧れの会場を初めて訪れる事だけが、その理由ではなかろう。
これは、自分も全く同じ気持ちなのだが、こうして、実際に、リアルな〈現場〉に赴くこと自体、二人兄弟にとっては五か月ぶりの事なのだ。
配信ではなく、会場に足を運んで、演者の生歌を聴ける機会は、上京した直後の二月末のリリース・イヴェントまつり以来の事なのである(参:「第09イヴェ はじめての〈接近〉」)。
世界規模の感染症の影響下、二人兄弟が予定していた〈現場〉は、ことごとく、中止、ないしは延期されていた。そんな状況下、政府が提示した収容人数五〇パーセントのガイドラインに基づいて、なんとか開催にまで漕ぎついた、二人兄弟と同郷のアニソンシンガー、翼葵の全国ツアーも、その初日の直前になって、結局、中止になってしまっていた。
ほとんどのアニソン・アーティストが、同じ時期に予定していたツアーの中止を発表していた中、一般売りのチケットを全部払い戻しにしたり、一日一回の予定であったライヴを二回公演にしたり、様々な手段を用いる事によって、開催断行にまで至ったアニソンの〈現場〉は他にはなく、その開催は、〈現場〉至上主義のイヴェンター達にとって希望の光であった。
つまり、翼葵のツアーの成功は、二人兄弟の〈おしアー〉の成功を意味するだけではなく、他のアニメ・ソング関連のアーティスト達にとっても、今後の行動の指針になり得るものだったからである。
しかし、折悪く、都内の感染者の増加などもあって、結局、ツアーは全公演が中止になってしまったのであった。
佐藤兄弟、特に兄の秋人は、深く落ち込んでいたのだが、八月一日に、渋谷のホールで、アニソンとも関わりのあるライヴが開かれることを知り、生歌に飢えていた二人は、そのチケットを入手した次第なのである。
実は、そのライヴ情報を仕入れてきたのは、傷心状態の兄を慰めたいと考えていた、弟・冬人の方であった。
この歌い手は、元々は、ライヴハウスを中心に活動しているライヴ・アイドルで、グループ活動をしていたのだが、今回の渋谷のライヴの一年半前に、グループから脱退し、ソロ・デビューを果たしていた。
そして、カテゴリーから言うと、彼女は、アニメ・ミュージックを専門に歌っている〈アニソンシンガー〉でも、〈声優アーティスト〉でもないのだが、これまで、アニメのエンディングを担当した事もあり、また、二〇二〇年の夏に放映中のアニメ作品においても、そのエンディング・テーマを担当していた。このようにアニメと関わりがある、という事情もあって、冬人は、この女性シンガーのSNSのアカウントをフォローしており、たまたま目にしたツイートによって、冬人は、ライヴの開催を知ったのであった。
弟の冬人から誘われて、参加を即時決めた秋人だったのだが、実は、少し驚いていた。
アニソン界隈では、夏のツアーを中止し、毎年、夏に開催されるアニソンの大型フェスも、今年に関しては開催されない事が発表されていたからだ。
こう言ってよければ、アニソン系のほとんど全ての演者は、あたかも同調圧力に屈したかのように、右に倣えの状態だったのである。
でも、考えてみれば、今回、渋谷でライヴをする演者は、幾つかのアニソンを担当しているとはいえども、アニソンシンガーではない。
だから、秋人は、冬人とは違って、情報を抑えてはいなかった。
とにもかくにも、だ。
今は〈生歌〉に飢えている。
そういった次第で、秋人のテンションは爆上がりしていたのであった。
物販待機列で最前管理中であった冬人は、代理購入、いわゆる〈代購〉を数名の知り合いから頼まれていたので、待機列に並んでいる〈ヲタク〉仲間に大急ぎで連絡を入れて、冬人が頼まれていた品の代購の代行を依頼した。そして、〈杉山〉から始めた段取りを、なんとかやり終えたのは物販開始の三十分前の事で、ちょうどその時、スタッフの指示によって、長々とした物販待機列は、ようやく動き出したのであった。
スタッフに案内され、先頭に並んでいた冬人は、武道館の軒下から、幾つものテントが並んだ、グッズ販売エリアの入り口前まで移動する事になったものの、そこからの待ち時間は、未だ三十分も残っている。
武道館にいる今でこそ、冬人の〈最おし〉が〈LiONa〉である事は、かくの如く、早朝から物販待機列に並んでいる事からも明らかなのだが、しかし、イヴェンターになったばかりの三年前には、たしかにLiONaも好きではあったのだが、緊急事態宣言のせいで強制的に〈在宅〉を余儀なくされた後、〈ミニ〉ではない、ワンマン・〈フル〉・ライヴに生まれて初めて足を運んだ、三年前の夏には未だ、自分が〈おす〉べき対象を探して暗中模索であった事を、冬人は思い出していたのであった。
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二〇二〇年の八月最初の土曜日である八月一日に、秋人・冬人の佐藤兄弟は、久方ぶりに外出した。
行き先は渋谷である。
しかし、この二人兄弟が、普通の買い物や遊興目的で、休日の繁華街にわざわざ足を運ぶべくもなかった。
兄弟の渋谷来訪の目的は、渋谷の公会堂で催されるライヴなのである。
今回、そのライヴが実施される会場は、五十五年以上前の東京オリンピックの年に開業された老舗の施設である。
その半世紀に渡る歴史の中で、数多くのアーティストのライヴが行われてきた。秋人の〈最おし〉の翼葵も、このホールで歌唱した事があり、つまり、ここは、武道館と並んで、地方のヲタクにとっては、是非とも一度は訪れてみたい会場の一つなのだ。
しかしながら、この会場は、五年前に、老朽化を理由に一時的に閉館された。そして、四年に渡る改修工事の後、昨年、二〇一九年の秋にリニューアル・オープンされたのであった。
このような、今回の会場にまつわる四方山話を、駅から会場までの道すがら、冬人は兄から語り聞かされた。
閉館が五年前ということもあり、このホールを訪れるのは、兄・秋人にとっても初めての事であり、それ故にか、兄も気持ちが少し昂っているように、弟・冬人には思えた。
秋人が、早口になって饒舌に語るのは、〈テンションが高い〉時の証拠なのだ。だがしかし、兄が気持ちを昂らせているのは、伝説的な憧れの会場を初めて訪れる事だけが、その理由ではなかろう。
これは、自分も全く同じ気持ちなのだが、こうして、実際に、リアルな〈現場〉に赴くこと自体、二人兄弟にとっては五か月ぶりの事なのだ。
配信ではなく、会場に足を運んで、演者の生歌を聴ける機会は、上京した直後の二月末のリリース・イヴェントまつり以来の事なのである(参:「第09イヴェ はじめての〈接近〉」)。
世界規模の感染症の影響下、二人兄弟が予定していた〈現場〉は、ことごとく、中止、ないしは延期されていた。そんな状況下、政府が提示した収容人数五〇パーセントのガイドラインに基づいて、なんとか開催にまで漕ぎついた、二人兄弟と同郷のアニソンシンガー、翼葵の全国ツアーも、その初日の直前になって、結局、中止になってしまっていた。
ほとんどのアニソン・アーティストが、同じ時期に予定していたツアーの中止を発表していた中、一般売りのチケットを全部払い戻しにしたり、一日一回の予定であったライヴを二回公演にしたり、様々な手段を用いる事によって、開催断行にまで至ったアニソンの〈現場〉は他にはなく、その開催は、〈現場〉至上主義のイヴェンター達にとって希望の光であった。
つまり、翼葵のツアーの成功は、二人兄弟の〈おしアー〉の成功を意味するだけではなく、他のアニメ・ソング関連のアーティスト達にとっても、今後の行動の指針になり得るものだったからである。
しかし、折悪く、都内の感染者の増加などもあって、結局、ツアーは全公演が中止になってしまったのであった。
佐藤兄弟、特に兄の秋人は、深く落ち込んでいたのだが、八月一日に、渋谷のホールで、アニソンとも関わりのあるライヴが開かれることを知り、生歌に飢えていた二人は、そのチケットを入手した次第なのである。
実は、そのライヴ情報を仕入れてきたのは、傷心状態の兄を慰めたいと考えていた、弟・冬人の方であった。
この歌い手は、元々は、ライヴハウスを中心に活動しているライヴ・アイドルで、グループ活動をしていたのだが、今回の渋谷のライヴの一年半前に、グループから脱退し、ソロ・デビューを果たしていた。
そして、カテゴリーから言うと、彼女は、アニメ・ミュージックを専門に歌っている〈アニソンシンガー〉でも、〈声優アーティスト〉でもないのだが、これまで、アニメのエンディングを担当した事もあり、また、二〇二〇年の夏に放映中のアニメ作品においても、そのエンディング・テーマを担当していた。このようにアニメと関わりがある、という事情もあって、冬人は、この女性シンガーのSNSのアカウントをフォローしており、たまたま目にしたツイートによって、冬人は、ライヴの開催を知ったのであった。
弟の冬人から誘われて、参加を即時決めた秋人だったのだが、実は、少し驚いていた。
アニソン界隈では、夏のツアーを中止し、毎年、夏に開催されるアニソンの大型フェスも、今年に関しては開催されない事が発表されていたからだ。
こう言ってよければ、アニソン系のほとんど全ての演者は、あたかも同調圧力に屈したかのように、右に倣えの状態だったのである。
でも、考えてみれば、今回、渋谷でライヴをする演者は、幾つかのアニソンを担当しているとはいえども、アニソンシンガーではない。
だから、秋人は、冬人とは違って、情報を抑えてはいなかった。
とにもかくにも、だ。
今は〈生歌〉に飢えている。
そういった次第で、秋人のテンションは爆上がりしていたのであった。
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