僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

文字の大きさ
上 下
31 / 49
LV1.3 ヲタクREST@RT

第31イヴェ 〈おし〉案件なき夏の秋人

しおりを挟む
 夏から初秋にかけて、全国十四か所、十五公演行われる予定であった、アニソンシンガー、翼葵(つばさ・あおい)の全国ツアーは、結局、中止になってしまった。

 葵さんは、数多くのアニメのオープニング・テーマ曲、エンディング・テーマ曲を担当してきた人気な歌い手なのだが、実は、佐藤兄弟と出身地が同じ北海道という事もあって、この二人兄弟は、小・中学生の頃から、好んで彼女の歌を聴いてきた。
 特に、兄・秋人の方は、翼葵が地元で凱旋ライヴを催した折には、何度もライヴ・ハウスに足を運んでさえいたのであった。

 実は、翼葵は、二〇一六年の武道館でのワンマン・ライヴを最後に、いったんマイクを置いた。
 だが、それから約二年後の二〇一八年の夏に、同じ武道館にて活動を再開したのである。
 秋人は、二〇一八年には既に、東京の大学に通っていたため、この復活ライヴに、難無く参加することができた。
 そして昨年、二〇一九年は、五月から七月にかけて実施された全国八か所を巡るホール・ツアーと、十一月に全国七か所で行われたライヴ・ハウス・ツアー、計十五公演のうち、その十四に参加したのであった。
 秋人は、まさにこの全国行脚の際に、何人ものレジェンド級の超弩級イヴェンターと知り合う事になったのだが、それは、また別の話である。

 そして今年、二〇二〇年開催の全国ツアーは、本来、五月から六月にかけて実施される予定だったのだが、世界規模の感染症の影響もあって、その開催は二か月延期されていた。
 そうして延期された公演の開催も、政府のガイドラインの〈五〇パーセント〉という収容人数制限の問題もあって、開催が危ぶまれていたのだが、しかし、本来、一日一公演であったステージを、昼・夜の二公演にするという発想の転換によって、件の人数問題を解消し、初日の開催実施に、なんとか漕ぎ着けたのであった。

 しかし、ツアー初日の数日前の事であった。

 とある劇場にて集団感染者が出てしまった事が原因になったのか、翼葵の運営は、初日のみならず、ツアー全公演の完全中止を発表したのである。
 秋人は、三月に上京した弟を引き連れて、今回の全国ツアー、十五公演を〈全通〉する予定であった。
 しかし、公演そのものが無くなってしまい、秋人は、七月末からしばらくの間、呆けた毎日を送っていた。
 たしかに、八月の上旬は、翼葵のニュー・シングルが発売された事もあって、〈インターネット・サイン会〉や〈無観客ライヴ〉が行われ、多少なりとも、ツアー中止のショックを和らげる事もできたのだが、しかし、八月中盤以降は、然したる展開もなく、そんな中、秋人は、鬱々とした日々を過ごしていたのであった。
しおりを挟む

処理中です...