僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

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LV1.3 ヲタクREST@RT

第33イヴェ たとえば、もし〈おし〉がマイクを置いたとしたら……

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 秋人には、以前から気になっているガールズ・バンドがあった。
 できれば、タイミングさえ合えば、彼女たちのライヴに参加してみたい、とさえ思っていた。だがその矢先に、二〇二〇年秋に解散が発表されたのだ。

 解散か……。

 このバンドを、ずっと〈おし〉てきたヲタクは、どんな気持なのかな?
 自分は、その界隈のヲタクではないから、バンドのヲタクと気持ちを〈共有〉できないけれども、少なくとも〈共感〉はできる。
 というのも、秋人には、自分の〈おし〉がマイクを置いた過去があるからなのだ。

 秋人が、アニソンの〈現場〉に通うようになった切っ掛けは、二〇一四年の秋に札幌の野外ステージで催されたアニソンのフェスであった。
 その出演者は非常に豪華で、東京や大阪で催されているアニメ・ミュージックのフェスにも劣らない面子であった。

 当時の秋人は、未だ中三だったのだが、同中のヲタク仲間たちと、そのライヴに参加した。それが、秋人の初〈現場〉であった。

 そこで、秋人は出逢ってしまったのだ。

 彼女は、秋人と同じ北海道出身のアニソンシンガーで、それ以降、彼女、翼葵が地元でリリース・イヴェントを開催したり、ツアーで北海道に戻ってきた時には、秋人は、かかさず〈現場〉に足を運んだ。

 ついには、初めて独りで東京に遠征してしまったのだ。

 初遠征当時、高校二年生であった秋人は、必ず東京の大学に進学し、上京した暁には、地元にいた時以上に、彼女を〈おす〉と深く心に誓ったのであった。
 そしてその後、十一月頭に二日に渡って、武道館でワンマン・ライヴを開催する事が告げられた時には、北海道でお知らせの動画を視聴していた秋人も、その告知に狂喜乱舞した。

 翼葵の武道館ライヴは、その前の年の二〇一五年の十一月にも開催されていたので、そのツー・デイズは、彼女自身、二度目の武道館ライヴとなる。

 秋人は、偶然、〈現場〉で知り合ったイヴェンターの〈ふ~じん〉さんから、翼葵が初めて武道館に立った時の印象を何度も話してもらっていた。

 ふ~じんさんは、いわゆる遠征民なのだが、とある札幌でのリリース・イヴェントの際に、秋人と最前列で隣り合ったまま何時間も並んでいるような状況になって、その時に言葉を交わすようになったイヴェンターである。

「最初の武道館の時はさ、たしかに、席そのものはアリーナの後方で、リリイヴェやライヴ・ハウスに比べると、ステージ上の演者なんて、全然見えない。
 でもね。ライヴ自体は最高過ぎて、〈おし〉が武道館に立ったその時は、もう明日なんてこなくても構わないって本気で思えたんだよ。
 実際はさ、その翌日には、武道館のアフター・パーリィーとしてのファンミがあったんで、明日には、絶対に来てもらわなくっちゃならなかったんだけどさ」
 そう言いながら、知り合ったばかりの頃のふ~じんさんは、そのファンミのシークレット・プレゼントである、演者さんとのツーショット写真を、嬉しそうに見せてくれたのであった。

 そのように最初の武道館の話を聞いていた事もあって、秋人は、武道館に対する憧憬の念を日々高まらせ続けていたのである。
 そこに、武道館の、しかも二日開催が発表されたのだ。
 もはや、行くっきゃないでしょ、となったのであった。

 しかし、当時の秋人は未だ高校二年、武道館の初日は平日、平日に学校を休んで東京に行くための大義名分をなんとかでっちあげなければならなかった。秋人は、大学受験で忙しくなる高三ではなく、受験まで余裕のある高二のうちに、自分の志望大学の学園祭を訪れて、大学の雰囲気を味わいたい、という理由をもってして、両親を強引に説得したのであった。
 そして、武道館ツー・デイズへの参加が可能になった事を、SNSのグループ・チャットにて話題にしたところ、ふ~じんさんとグっさんが、一緒に四連番を組まないか、と誘ってくれた。

 〈連番〉とは、チケットを複数枚購入し、隣り合った席を予約する事である。
 秋人は、ふ~じんさんの言葉に甘える事にした。

 その日から、もう、晩秋の訪れが楽しみで楽しみで仕方がなくなっていた。
 秋の武道館の前の盛夏の最中には、東京のライヴ・ハウスでファン・ミーティングが催されることになったのだが、秋人は、東京の予備校の夏期講習に参加する、という理由で、これまた両親を強引に説得して、そのファンミにも参加したのであった。

 だが、この時――
 明らかに彼女の様子がおかしかった。
 イヴェントのトーク・ライヴ・パートの開始は、機材トラブルという理由でかなり時間がおして、ファンミの後の〈お見送り会〉の時など、ちょっとした言葉のやりとりでも、舌が回らず、会話にならなかったし、さらに、目の焦点も合っていない印象であった。
 仕事が忙しすぎて、疲れているのかな?
 秋人は、心配になった。

 その翌日――
 しばらくの間の翼葵の活動の休止が発表された。
 まあ、大切なのは、秋の武道館のツー・デイズだし、それまではゆっくり休んで英気を養って欲しい、秋人はそう願った。
 だが、休業状態は継続されたまま、何の情報の開示もなく、武道館のライヴまで一月を切った、そんな十月の金曜日の事である。

 ついに、武道館のライヴの開催が発表された。
 よかった~~~。ライヴ、行われるんだ。一安心したよ。

 だが、しかし――
 ライヴ開催の告知と同時に、なんと、武道館以降の〈無期限活動休止〉もまた発表されたのであった……。

 その衝撃の発表以降、秋人は、武道館のライヴに参加するべきかどうか、迷い始めてしまった。
 自分でもどうしたらよいか分からないよ。こんな気持ちのまま、どうしてライヴに参加できるってんだよ。

 そんな時、ふ~じんさんが、秋人に、こんなDMを送ってきた。
「体調不良か、精神的に参ってしまったのか、真相は分からないよ。そしてさ。もうこの先、彼女の歌が聴けなくなってしまうとか、これが、最後の機会になるかも、とかそういうことでもなくってさ、翼葵を、これまで数年に渡って〈おし〉てきたヲタクは、たとえ、どんなに悲しくても、たとえ、どんなに辛くても、唇を噛みしめて、彼女のステージ上での姿を見届けなければならない、って僕は思うんだ。
 シュー、とにかく、いいから、ぐだぐた考えずに、来なよ。
 よく言うけれど、後悔するならば、行かずに後悔するんじゃなくって、行ってから、その後で後悔しなよ。
 ライヴは生ものなんだからさ」

 かくして、秋人は東京行きを決意したのである。 
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