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第五章 オレンジ色の夕陽がやけに眩しかった
第31話 なんか変なの
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仁海は、大洗から帰京した翌日の平日の火曜日に、途中で一度たりとも目を覚ます事なく、日がな一日眠って過ごし、結果、高校をサボってしまったのであった。
祖母が亡くなってからこの方、仁海は、東京での女子高生としての平日、週末は、通いで、大洗での釣具屋の店長(仮)を務める、という二重生活を送ってきた。
これまでは、おそらく気力で保ってきたのであろう。しかし、祖母の四十九日という一つの節目が終わって、仁海の緊張の糸は切れてしまったのかもしれない。
その結果が、過度の〈寝過ごし〉としてあらわれたのだ。
担任には、なんて言い訳をしよう。
寝坊って、遅刻の言い訳にはなっても、学校を休む理由には出来ないわよね。
仁海は、夕方の五時に一度、目を覚ましたものの、その後、ピクリとも身体を動かせぬまま、再び猛烈な眠気に襲われて、二度寝してしまったのだ。そして次に気が付いた時には、朝の七時になっていて、ようやく、ベッドから身を起こした仁海は、九月の末日以来、十二日ぶりに学校に行く事になったのである。
仁海が通っている女子校は、二学期制を採用しており、今年度は、十月の一日から十日までの十日間が、いわゆる秋休みだったのである。
久しぶりに、神楽坂の飯田橋方面の坂を下りながら、仁海は思った。
結局、秋休み直後の平日に、寝過ごしてズル休みをしてしまったのだが、大洗で店長(仮)をするようになって以来ずっと、この一か月の間、今回みたいな過度の寝過ごしをしてしまうかもしれない、その兆候はずっとあったのだ。
たしかに、仁海が、大洗で店長(仮)を務めているのは、基本、週末だけで、開店のために、早起きを強いられているのは土曜日と日曜日、それと祝日だけである。翻ってみると、それ以外の平日は、東京でいつも通りの七時起きの生活を送れているのだ。
それにもかかわらず、である。
この一か月、仁海は、ずっと疲れが取れないまま、いやむしろ、日を追うごとに、疲れが溜まってゆくような毎日を送っていた。
高校の授業中は、太腿を抓りながら、痛みで眠気を無理やり追い払って、居眠りをする事はなかったのだが、十六時に学校が終わって、帰宅し、根性で宿題だけを終わらせると、そのままベッドに倒れ伏し、時には、ゲーミング・チェアの背もたれに身体を預けたまま眠ってしまい、気が付くと朝といった事さえあった。
つまり、仁海は、この一か月、ずっと眠いままなのだ。
このような状態異常が続いているので、放課後に通っていた予備校にも行ける体調ではなかった。
どうしても気力を奮い起こす事ができず、予備校に行かない日が一週間続いた時、仁海は、受験準備のための予備校通いよりも、自分の体力の温存と睡眠の方を優先して、結局、学期の途中で予備校を辞める決断をしたのであった。
そんなネムリンな仁海ではあったが、帰京後の昨日、三十時間以上、ほとんど眠って過ごせたので、仁海は、久しぶりに眠気を覚えずに、学校に向かえていたのである。
「ごきげんよう」
扉を開けると、仁海は挨拶を口にしながら、教室の敷居を跨いだ。
静寂――
仁海が入ったと同時に、まるで、〈天使が通った〉かのように、教室の中で交わされていた対話が途切れ、クラスメートがみな沈黙してしまったかのように仁海には感じられた。
いつもは、ホームルーム前のこの時間、もっと教室は姦しいのだ。
なんか変なの。
仁海は、微かな違和感を覚えながら、自分の席に向かった。
そして、窓際から三列目、一番前の机の上に右の掌を置いて、席に着こうとした、まさにその時である。
「そこじゃないってっ!」
強い口調で、突然、声をぶつけられた仁海は、思わず、ビクンと身体を竦めてしまった。
「えっ! 何ですか!?」
「河倉さん、突然、大声を出して失礼いたしました。そこの最前の席、もはや、あなたの席ではなくってよ」
「どおゆう事ですの?」
「昨日、あなた、お休みなされたでしょ?」
「ええ」
「実は、昨日、席替えをいたしましたの」
「なるほど。それで合点がいきました。ところで、わたくしの席は、いったいどこなのでしょうか?」
大声で仁海に指摘をした、その級友が、人差し指で指し示したのは、窓際の一番後の席であった。
「あの隅の席ですか?」
「その通りですの」
「分かりました。ご指摘ありがとうございます」
そう御礼を言うと、仁海は、新たな自分の席に向かったのであった。
教室の一番前から一番後に向かうために、仁海が列と列との間の狭い隙間を通らんとすると、すでに自分の席に着座している何人かのクラスメートが、自分の机をずらして、仁海が通れるスペースをあけてくれた。
まるで、『十戒』のモーゼみたいね。
これまで、わたしの席って、いつも最前列だったので知らなかったんだけど、後の方の席の人って、自分の席に向かう時、こんな風に、みんながスペースを空けてくれるものなのかしら?
そんな事を思いながら、仁海は、教室の隅、窓際の新たな席に着くや、かつての自分の席の方に目を向けた。すると、先ほど、仁海と話していた級友が、除菌シートで、仁海が右の掌で触れた辺りを、懸命に拭いている様子が目に入った。
以前から、電車の手すりを素手で触れないような潔癖症の人って割といて、感染症のパンデミックの後には、一億総除菌時代のようになって、とにかく他者が触れた場所は除菌、というような状況にあるのは確かなのだが、それでも、かつての仁海の席をあてがわれた級友の除菌活動は、いささか神経質過ぎるように、仁海には思えてしまった。
それにしても、これからしばらくの間、この教室の角っこの席で〈すみっコぐらし〉をする事になるんだけれど、一番後ろの横列って、ほんとうに寂しい。
窓際の仁海の席の右側は全て、廊下側まで全て空席なのだ。つまり、それらの空席は、不登校だったり、長期入院中だったり、あるいは、諸事情から教室に来られないオンラインでの授業参加者だったり、つまり、クラスメイトではあるが教室には来ない、あるいは、来られない生徒のための席なのである。
一番後の窓際の席は、どうしても、他のクラスメイトからアイソレーションされたかのような〈隔離感覚〉を覚えてしまう、そんな席なのだ。
くじ引きで席替えをしたその日に休んでしまったため、仁海にはそんな隔離席があてがわれてしまったのだが、これは、仁海の過度の寝過ごしの結果、いわば自己責任だったので、不平不満も言えないだろう。
でも、秋休み明けの初日に、席替えをするなんて話、あったかしら?
はたして、前期の最終日に、休み明けの席替えが話題に上がっていたかどうか、仁海の記憶は曖昧であった。
でも、最近、ホームルームに、半分、眠ったような状態で参加しているので、聞き漏らしてしまってた可能性は十分にある。
それでもやっぱ、なんか変なのよね。
それから、その日の四時間目の授業が終わり、昼休みとなった。
「シュッコ、ごはん、食べよ」
仁海は、いつものように淑子と一緒に昼食を摂ろうとした。
「ごめん、ヒトミン、今日は、先約があって、カフェテリアで他のコと食べる予定なんだ。みんな他のクラスの子で、ヒトミンが知らない子ばっかなんだけど、ヒトミン、人見知りだから、知らない子と一緒ってダメでしょ」
「うん……。わたし、そおゆうのダメな人。わかった。じゃ、また今度ね」
「じゃあね」
そういって、淑子は教室から出て行ったのであった。
それから金曜日までずっと、仁海は教室の片隅で独りで昼食をとり続ける事になった。
さらに、淑子と軽口を交わして以降、金曜の放課後までの三日、仁海は、誰とも一言も口をきいていない。
さすがに、これは絶対に変だ。
なにかがおかしい。
祖母が亡くなってからこの方、仁海は、東京での女子高生としての平日、週末は、通いで、大洗での釣具屋の店長(仮)を務める、という二重生活を送ってきた。
これまでは、おそらく気力で保ってきたのであろう。しかし、祖母の四十九日という一つの節目が終わって、仁海の緊張の糸は切れてしまったのかもしれない。
その結果が、過度の〈寝過ごし〉としてあらわれたのだ。
担任には、なんて言い訳をしよう。
寝坊って、遅刻の言い訳にはなっても、学校を休む理由には出来ないわよね。
仁海は、夕方の五時に一度、目を覚ましたものの、その後、ピクリとも身体を動かせぬまま、再び猛烈な眠気に襲われて、二度寝してしまったのだ。そして次に気が付いた時には、朝の七時になっていて、ようやく、ベッドから身を起こした仁海は、九月の末日以来、十二日ぶりに学校に行く事になったのである。
仁海が通っている女子校は、二学期制を採用しており、今年度は、十月の一日から十日までの十日間が、いわゆる秋休みだったのである。
久しぶりに、神楽坂の飯田橋方面の坂を下りながら、仁海は思った。
結局、秋休み直後の平日に、寝過ごしてズル休みをしてしまったのだが、大洗で店長(仮)をするようになって以来ずっと、この一か月の間、今回みたいな過度の寝過ごしをしてしまうかもしれない、その兆候はずっとあったのだ。
たしかに、仁海が、大洗で店長(仮)を務めているのは、基本、週末だけで、開店のために、早起きを強いられているのは土曜日と日曜日、それと祝日だけである。翻ってみると、それ以外の平日は、東京でいつも通りの七時起きの生活を送れているのだ。
それにもかかわらず、である。
この一か月、仁海は、ずっと疲れが取れないまま、いやむしろ、日を追うごとに、疲れが溜まってゆくような毎日を送っていた。
高校の授業中は、太腿を抓りながら、痛みで眠気を無理やり追い払って、居眠りをする事はなかったのだが、十六時に学校が終わって、帰宅し、根性で宿題だけを終わらせると、そのままベッドに倒れ伏し、時には、ゲーミング・チェアの背もたれに身体を預けたまま眠ってしまい、気が付くと朝といった事さえあった。
つまり、仁海は、この一か月、ずっと眠いままなのだ。
このような状態異常が続いているので、放課後に通っていた予備校にも行ける体調ではなかった。
どうしても気力を奮い起こす事ができず、予備校に行かない日が一週間続いた時、仁海は、受験準備のための予備校通いよりも、自分の体力の温存と睡眠の方を優先して、結局、学期の途中で予備校を辞める決断をしたのであった。
そんなネムリンな仁海ではあったが、帰京後の昨日、三十時間以上、ほとんど眠って過ごせたので、仁海は、久しぶりに眠気を覚えずに、学校に向かえていたのである。
「ごきげんよう」
扉を開けると、仁海は挨拶を口にしながら、教室の敷居を跨いだ。
静寂――
仁海が入ったと同時に、まるで、〈天使が通った〉かのように、教室の中で交わされていた対話が途切れ、クラスメートがみな沈黙してしまったかのように仁海には感じられた。
いつもは、ホームルーム前のこの時間、もっと教室は姦しいのだ。
なんか変なの。
仁海は、微かな違和感を覚えながら、自分の席に向かった。
そして、窓際から三列目、一番前の机の上に右の掌を置いて、席に着こうとした、まさにその時である。
「そこじゃないってっ!」
強い口調で、突然、声をぶつけられた仁海は、思わず、ビクンと身体を竦めてしまった。
「えっ! 何ですか!?」
「河倉さん、突然、大声を出して失礼いたしました。そこの最前の席、もはや、あなたの席ではなくってよ」
「どおゆう事ですの?」
「昨日、あなた、お休みなされたでしょ?」
「ええ」
「実は、昨日、席替えをいたしましたの」
「なるほど。それで合点がいきました。ところで、わたくしの席は、いったいどこなのでしょうか?」
大声で仁海に指摘をした、その級友が、人差し指で指し示したのは、窓際の一番後の席であった。
「あの隅の席ですか?」
「その通りですの」
「分かりました。ご指摘ありがとうございます」
そう御礼を言うと、仁海は、新たな自分の席に向かったのであった。
教室の一番前から一番後に向かうために、仁海が列と列との間の狭い隙間を通らんとすると、すでに自分の席に着座している何人かのクラスメートが、自分の机をずらして、仁海が通れるスペースをあけてくれた。
まるで、『十戒』のモーゼみたいね。
これまで、わたしの席って、いつも最前列だったので知らなかったんだけど、後の方の席の人って、自分の席に向かう時、こんな風に、みんながスペースを空けてくれるものなのかしら?
そんな事を思いながら、仁海は、教室の隅、窓際の新たな席に着くや、かつての自分の席の方に目を向けた。すると、先ほど、仁海と話していた級友が、除菌シートで、仁海が右の掌で触れた辺りを、懸命に拭いている様子が目に入った。
以前から、電車の手すりを素手で触れないような潔癖症の人って割といて、感染症のパンデミックの後には、一億総除菌時代のようになって、とにかく他者が触れた場所は除菌、というような状況にあるのは確かなのだが、それでも、かつての仁海の席をあてがわれた級友の除菌活動は、いささか神経質過ぎるように、仁海には思えてしまった。
それにしても、これからしばらくの間、この教室の角っこの席で〈すみっコぐらし〉をする事になるんだけれど、一番後ろの横列って、ほんとうに寂しい。
窓際の仁海の席の右側は全て、廊下側まで全て空席なのだ。つまり、それらの空席は、不登校だったり、長期入院中だったり、あるいは、諸事情から教室に来られないオンラインでの授業参加者だったり、つまり、クラスメイトではあるが教室には来ない、あるいは、来られない生徒のための席なのである。
一番後の窓際の席は、どうしても、他のクラスメイトからアイソレーションされたかのような〈隔離感覚〉を覚えてしまう、そんな席なのだ。
くじ引きで席替えをしたその日に休んでしまったため、仁海にはそんな隔離席があてがわれてしまったのだが、これは、仁海の過度の寝過ごしの結果、いわば自己責任だったので、不平不満も言えないだろう。
でも、秋休み明けの初日に、席替えをするなんて話、あったかしら?
はたして、前期の最終日に、休み明けの席替えが話題に上がっていたかどうか、仁海の記憶は曖昧であった。
でも、最近、ホームルームに、半分、眠ったような状態で参加しているので、聞き漏らしてしまってた可能性は十分にある。
それでもやっぱ、なんか変なのよね。
それから、その日の四時間目の授業が終わり、昼休みとなった。
「シュッコ、ごはん、食べよ」
仁海は、いつものように淑子と一緒に昼食を摂ろうとした。
「ごめん、ヒトミン、今日は、先約があって、カフェテリアで他のコと食べる予定なんだ。みんな他のクラスの子で、ヒトミンが知らない子ばっかなんだけど、ヒトミン、人見知りだから、知らない子と一緒ってダメでしょ」
「うん……。わたし、そおゆうのダメな人。わかった。じゃ、また今度ね」
「じゃあね」
そういって、淑子は教室から出て行ったのであった。
それから金曜日までずっと、仁海は教室の片隅で独りで昼食をとり続ける事になった。
さらに、淑子と軽口を交わして以降、金曜の放課後までの三日、仁海は、誰とも一言も口をきいていない。
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