25時の音楽

倉木元貴

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背中を押す(第15話)

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 夏休みが明けたある日の放課後。
 いつものように化学室へ向かうと、扉の前で鳴沢がスマホを持って、キョロキョロと辺りを見渡していた。
 廊下に差し込んでくる日差しが、鳴沢の影を長く伸ばしていた。

「鳴沢ー。何してるの?」

 声をかけると、鳴沢はビクッと肩を揺らし、振り返った。
 その顔は、驚きと戸惑いと緊張が混ざったような、不思議な顔だった。

「こ、近藤さん! ちょっと、話したいことがあります……」

 私の肩を掴んだ鳴沢の手は、小刻みに震えていた。

「一旦落ち着こう」

 誘導して、化学室に入った。
 何が起きたのかわからない私までも、鳴沢の影響を受けて心臓がザワザワしていた。

「そ、それでどうしたの?」

「……メッセージが来たんです!」

 鳴沢は落ち着かず、震えた手でスマホを差し出した。だけど、鳴沢の手が震えすぎて文字が見えなかった。

「揺れすぎて見えない。スマホ貸して」

「はい……」

 メッセージはラジオアプリ内からで、こう書かれていた。



 エクスネク様

 初めまして。タニーミュージックエンタテインメントにて編曲・プロデュースを担当しております倉持と申します。

 この度は、エクスネク様の歌声に深く感銘を受け、ぜひ当社のオーディションにご参加いただきたくご連絡差し上げました。通常はメール審査からのご案内となりますが、特別に一次審査から直接ご参加いただけるよう調整しております。

 オーディションの詳細につきましては、下記メールアドレスまでご連絡ください。
 【連絡先】〇〇〇〇──@taneymusic.co.jp

 ご検討いただけますと幸いです。
 何卒よろしくお願い申し上げます。

 タニーミュージックエンタテインメント
 編曲・プロデューサー 倉持



「……タニーミュージックエンタテインメント……?」

「タニーミュージックの編曲家の倉持さんって人が、僕のラジオを聞いてくれたみたいで……」

 息が止まりそうになる。
 タニーミュージックといえば、業界の大手。

「鳴沢の……歌を?」

「うん」

 鳴沢の声は震えていた。
 それは喜びよりも、不安が勝っているように見えた。

「東京に来ないかって。オーディション受けてみないかって……」

 頭が真っ白になった。
 思考よりも先に言葉が出る。

「すごいじゃん……!」

 自分の声が微妙に裏返ったのがわかる。
 だけど、本心だった。
化学室での共作。放課後の時間。ラジオで流れる私たちの曲。
 それらが全てなくなってしまうかもしれない。
 それでも、私は背中を押すべきだと思った。

「だって……それって、本当にすごいことだよ。鳴沢の歌、プロの人に届いたんだよ?」

 鳴沢は俯いたまま、弱い声で言った。

「でも……怖い」

「え?」

「東京に行ったら……多分、いい歌はできると思うけど、人が多いところとか苦手だし、それに……こ、近藤さんと一緒に作れなくなるから」

 胸の中が、きゅっと痛む。
 でも、私は笑顔を作った。

「行くべきだよ」

 鳴沢は顔を上げる。
 驚いたような、信じられないような目。

「近藤さん……」

「だって、考えてみてよ。こんなチャンス二度とないかもしれないんだよ? 行かなかったら後悔するよ。鳴沢の歌、もっとたくさんの人に聞いてもらったほうがいいよ」

「だったら……」

「ごめん……」

 鳴沢が何を言おうかわかってしまったから、言葉を遮った。

「鳴沢。ごめん……それはできない」

 本当は言いたくなかった。
 一緒に行きたいと言いたかった。
 でもそれは、わがままだと思った。

 鳴沢の歌を救ってくれたのは私じゃなくて、鳴沢自身なんだ。

「だから……行って来なよ。私のことは気にしないでいいから。あ、でも、東京のお土産は欲しいかな。何かいいもの買ってきて」

 言った瞬間、喉の奥がかすかに震えた。
 鳴沢はそれに気づいたのか、じっと私を見つめていた。

「……近藤さん、本当にそう思っている? さっきから近藤さん、笑い方がぎこちないよ」

「そんなことないよ。今日はちょっと疲れているだけだって。私は鳴沢が歌っているのが好きだから……」

 笑って言ったのに、胸の奥がひりついた。

 沈黙が流れた。
 夕陽が化学室の黒板をオレンジ色に染めていく。
 鳴沢は少しさみしそうに笑った。

「……わかった。行ってみる」

♢♢♢

 帰り道。
 並んで歩いているのに、さっきよりも距離が遠く感じる。

 夕風が吹いて、虫の音がどこかから響いてくる。
 いつもなら他愛のない話をして笑い合って歩くのに、今日はどうしても言葉が出ない。
 鳴沢の足取りは軽くも重くもない。でも、その背中が、今日だけは別の場所へ向かっていくように見えた。

「鳴沢……頑張ってね」

 無理に笑って言うと、鳴沢は「ありがとう」とだけ答えた。
 その横顔を見ていると、胸の奥に溜まっていた涙が、決壊しそうになる。

 家に着いて、部屋のドアを閉めた瞬間だった。
 肩からかけていたカバンが床に落ち、私はそのまま部屋でしゃがみ込んだ。

「……何で、笑って送り出してるの……私」

 目の奥がジンジンして、視界が揺れる。
 “行って来なよ”なんて言いながら、本当はずっと怖かった。
 もし鳴沢が東京で成功して、こっちに帰ってこなくなったら?
 もし新しい仲間ができて、私のことなんて忘れたら?

 そんな不安を押しつぶしてまで、笑って送り出した。
 涙がポタポタとカバンの上に落ちる。
 鳴沢が私のことを忘れても、鳴沢の夢は叶えてあげなくちゃ。
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