1 / 3
紅葉に消える恋 第1話
しおりを挟む
美里の秋は、毎年決まって鮮やかだった。
一晩で色が変わったように見えるほど、紅葉は燃えるように濃く、風が吹くたび、さらさらと落ち葉が舞い上がる。それはまるで、森そのものが息づき、季節を奏でているかのようだった。
紗夜は、秋祭りの支度を終え、手に持った鞄を抱え直しながら夕暮れの道を歩いていた。
橙色の光が木々の隙間から漏れ、道を照らしたり陰らせたりする。その緩やかな明暗の揺れが、紗夜の胸を少し落ち着かなくさせる。
──今年の秋は、なぜか胸騒ぎがする。
そんな予感を抱えながら歩くうち、紗夜はふいに足を止めた。
森の奥、木々が立ち並ぶ影に、ひとりの青年が立っていた。
まだ昼の名残がほんのり色こく残る空を見上げて、白い吐息をこぼしている。
村では見かけない顔だ。それだけでなく、彼の佇まいそのものが、どこかこの世のものではないような、不思議な気配を纏っていた。
風が吹き、紅葉がひとひら、ふたひらと青年の肩へ舞い落ちる。
その瞬間、紗夜の胸に小さな痛みが走った。
懐かしいような、けれど初めて会ったような──矛盾した感覚。
自分でも説明できない気持ちが胸の奥をそっと揺らす。
青年がふとこちらを向いた。
視線が重なった途端、紗夜の身体が少しだけ強ばる。
けれど彼の表情は驚くほど柔らかく、どこか寂しげに微笑んだ。
「……君も、この森に呼ばれたのかい?」
その声は、不思議と風の音に溶けるような響きをしていた。
問いの意味は曖昧で、答えられない。
しかし、紗夜の胸は、なぜかその言葉を“知っている”ように感じていた。
「……呼ばれた、というのは?」
紗夜が尋ねると、青年は少しだけ視線を逸らした。
まるで、言葉の選び方を探しているように。
「森は、必要な人を呼ぶんだ。風が、紅葉が……それから、季節の隙間が」
意味はよくわからない。
けれど、嘘をついてるようには思えなかった。
青年は続けて言う。
「君が祭りの準備を終えて、この道を通ることも。僕がここに立っていることさえも……全部、森の気まぐれだよ」
そう言って微笑む彼の目は、どこか寂しげだった。
紗夜は胸の奥が少し熱くなる。
どうして──この人の寂しさが、こんなにも自分の心に触れてしまうのか。
「また、会えるのでしょうか?」
気づけば、紗夜の口が勝手に動いていた。
言葉にした途端、頬が熱くなる。なぜこんなことを言ってしまったのだろう。
青年は驚いたように瞬きをして、それから柔らかな微笑みを浮かべた。
「……紅葉が散りきるまでは、きっと」
それは約束としても予告ともつかない、不思議な響きを持っていた。
青年は風にふわりと揺れるように背を向けると、紅葉の奥へと歩いていった。
その後ろ姿は、夕暮れの木漏れ日に溶けていくようにも見える。
まるで──本当に風の化身であるかのように。
紗夜はしばらくその場に立ち尽くし、胸の奥に残った名もない感情を確かめるように深く息を吸った。
森の匂いが、どこか甘く感じられる。
♢♢♢
それから紗夜は、夕暮れの時間になると、森へ足が向いてしまうようになった。
偶然を装ってはいるものの、心のどこかで期待している自分がいる。
そして本当に、青年はそこにいた。
紅葉の下に、静かに佇んでいる。
「今日も……いるんですね」
紗夜が声をかけると、青年はどこか照れたように微笑む。
「呼ばれたからね。……君に、かもしれないけど」
その言葉に胸が跳ねた。
けれど、目を逸らすのは紗夜の方だった。
風がひと吹きし、落ち葉が舞う。
赤、橙、黄が混じった葉が、二人の間にひらひらと舞い落ちる。
「──あ、あの……お、お名前を聞いてもいいですか?」
青年は頷くこともせず答えた。
「藍《らん》。タデアイの藍」
「私は──」
「知ってる。紗夜」
名前を知られていることの違和感よりも、紗夜にはその光景がたまらなく愛おしく思えた。
「紗夜は、祭りの歌を覚えているかい?」
青年がふいに問う。
「え……子供の頃の歌なら、少しだけ」
「聴かせてくれる?」
頼まれるまま、紗夜は小さく、村に伝わる古い調べを口ずさみ始めた。
秋祭りの時に歌う、緩やかな旋律。
風とともに揺れるような歌詞。
青年は目を細めて耳を傾ける。その表情は、懐かしさと寂しさを半分ずつ抱えたような顔だった。
──どうして。
どうしてあなたは、そんな顔で歌を聴くの?
歌い終えた後、青年はぽつりと言った。
「ありがとう。……人の歌声を、こんな近くで聴いたのは久しぶりだ」
その言い方があまりにも不自然で、紗夜の胸がざわめく。
けれど、問いただすことはできなかった。
夕陽が沈みかけた頃、青年はふっと空を見上げた。
「もう行かなきゃ」
「どうして……夜までいられないの?」
紗夜が勇気を出して尋ねると、青年は少しだけ肩を震わせた。
それが笑いなのか、哀しみなのか、判別できない。
「夜は──僕にとって、あまり良くない時間なんだ」
意味はわからない。
けれど、彼が嘘をついているようには思えなかった。
「また、会える?」
紗夜が問うと、青年は夕暮れの中で微笑んだ。
「紅葉が散りきるまでは……きっと」
一晩で色が変わったように見えるほど、紅葉は燃えるように濃く、風が吹くたび、さらさらと落ち葉が舞い上がる。それはまるで、森そのものが息づき、季節を奏でているかのようだった。
紗夜は、秋祭りの支度を終え、手に持った鞄を抱え直しながら夕暮れの道を歩いていた。
橙色の光が木々の隙間から漏れ、道を照らしたり陰らせたりする。その緩やかな明暗の揺れが、紗夜の胸を少し落ち着かなくさせる。
──今年の秋は、なぜか胸騒ぎがする。
そんな予感を抱えながら歩くうち、紗夜はふいに足を止めた。
森の奥、木々が立ち並ぶ影に、ひとりの青年が立っていた。
まだ昼の名残がほんのり色こく残る空を見上げて、白い吐息をこぼしている。
村では見かけない顔だ。それだけでなく、彼の佇まいそのものが、どこかこの世のものではないような、不思議な気配を纏っていた。
風が吹き、紅葉がひとひら、ふたひらと青年の肩へ舞い落ちる。
その瞬間、紗夜の胸に小さな痛みが走った。
懐かしいような、けれど初めて会ったような──矛盾した感覚。
自分でも説明できない気持ちが胸の奥をそっと揺らす。
青年がふとこちらを向いた。
視線が重なった途端、紗夜の身体が少しだけ強ばる。
けれど彼の表情は驚くほど柔らかく、どこか寂しげに微笑んだ。
「……君も、この森に呼ばれたのかい?」
その声は、不思議と風の音に溶けるような響きをしていた。
問いの意味は曖昧で、答えられない。
しかし、紗夜の胸は、なぜかその言葉を“知っている”ように感じていた。
「……呼ばれた、というのは?」
紗夜が尋ねると、青年は少しだけ視線を逸らした。
まるで、言葉の選び方を探しているように。
「森は、必要な人を呼ぶんだ。風が、紅葉が……それから、季節の隙間が」
意味はよくわからない。
けれど、嘘をついてるようには思えなかった。
青年は続けて言う。
「君が祭りの準備を終えて、この道を通ることも。僕がここに立っていることさえも……全部、森の気まぐれだよ」
そう言って微笑む彼の目は、どこか寂しげだった。
紗夜は胸の奥が少し熱くなる。
どうして──この人の寂しさが、こんなにも自分の心に触れてしまうのか。
「また、会えるのでしょうか?」
気づけば、紗夜の口が勝手に動いていた。
言葉にした途端、頬が熱くなる。なぜこんなことを言ってしまったのだろう。
青年は驚いたように瞬きをして、それから柔らかな微笑みを浮かべた。
「……紅葉が散りきるまでは、きっと」
それは約束としても予告ともつかない、不思議な響きを持っていた。
青年は風にふわりと揺れるように背を向けると、紅葉の奥へと歩いていった。
その後ろ姿は、夕暮れの木漏れ日に溶けていくようにも見える。
まるで──本当に風の化身であるかのように。
紗夜はしばらくその場に立ち尽くし、胸の奥に残った名もない感情を確かめるように深く息を吸った。
森の匂いが、どこか甘く感じられる。
♢♢♢
それから紗夜は、夕暮れの時間になると、森へ足が向いてしまうようになった。
偶然を装ってはいるものの、心のどこかで期待している自分がいる。
そして本当に、青年はそこにいた。
紅葉の下に、静かに佇んでいる。
「今日も……いるんですね」
紗夜が声をかけると、青年はどこか照れたように微笑む。
「呼ばれたからね。……君に、かもしれないけど」
その言葉に胸が跳ねた。
けれど、目を逸らすのは紗夜の方だった。
風がひと吹きし、落ち葉が舞う。
赤、橙、黄が混じった葉が、二人の間にひらひらと舞い落ちる。
「──あ、あの……お、お名前を聞いてもいいですか?」
青年は頷くこともせず答えた。
「藍《らん》。タデアイの藍」
「私は──」
「知ってる。紗夜」
名前を知られていることの違和感よりも、紗夜にはその光景がたまらなく愛おしく思えた。
「紗夜は、祭りの歌を覚えているかい?」
青年がふいに問う。
「え……子供の頃の歌なら、少しだけ」
「聴かせてくれる?」
頼まれるまま、紗夜は小さく、村に伝わる古い調べを口ずさみ始めた。
秋祭りの時に歌う、緩やかな旋律。
風とともに揺れるような歌詞。
青年は目を細めて耳を傾ける。その表情は、懐かしさと寂しさを半分ずつ抱えたような顔だった。
──どうして。
どうしてあなたは、そんな顔で歌を聴くの?
歌い終えた後、青年はぽつりと言った。
「ありがとう。……人の歌声を、こんな近くで聴いたのは久しぶりだ」
その言い方があまりにも不自然で、紗夜の胸がざわめく。
けれど、問いただすことはできなかった。
夕陽が沈みかけた頃、青年はふっと空を見上げた。
「もう行かなきゃ」
「どうして……夜までいられないの?」
紗夜が勇気を出して尋ねると、青年は少しだけ肩を震わせた。
それが笑いなのか、哀しみなのか、判別できない。
「夜は──僕にとって、あまり良くない時間なんだ」
意味はわからない。
けれど、彼が嘘をついているようには思えなかった。
「また、会える?」
紗夜が問うと、青年は夕暮れの中で微笑んだ。
「紅葉が散りきるまでは……きっと」
0
あなたにおすすめの小説
『後宮に棲むは、人か、あやかしか』
由香
キャラ文芸
後宮で消える妃たち。
それは、あやかしの仕業か――人の罪か。
怪異の声を聞く下級女官・鈴華と、
怪異を否定する監察官・凌玄。
二人が辿り着いたのは、
“怪物”を必要とした人間たちの真実だった。
奪われた名、歪められた記録、
そして灯籠に宿るあやかしの沈黙。
――後宮に棲むのは、本当に人ならざるものなのか。
光と闇が交差する、哀切の後宮あやかし譚。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる