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毀れていくもの

永遠の名残

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 俺はその空間に入った瞬間に思わずホウと小さな声を出してしまった。
 緑豊かな公園の中にあるガラス張りの美術館。その形は巨人が楕円柱の形の物体を掴み捻って置いたような奇妙な形をしている。
 自然の中にある歪で無機質な建物。異質な感じとなりそうに思える。しかしガラスが周囲の風景を写し込んでいる事もあり公園にシックリと溶け込んでいた。
 むしろその歪さであるからこそ自然が作り出した形状のように見えるからかもしれない。


 外部だけではない。内部も外の景色が融合しているように作られていた。
 部分部分に使われた鏡は、多く配された観葉植物や外の風景を写し自然を室内に増幅し満たしていた。


 面白いのは絶妙なカーブが見通しを邪魔し、その先に広がる風景を隠している所。場所によって意匠を少しずつ変化している。歩いていると、階を変えると気がつくと異なる雰囲気を持った空間に誘われている。


 遊び心満載のこの建造物は日廻永遠のデサインした新国立現代美術館。そこに俺は訪れていた。


 体調不良ということにして今日は会社を休んでいる。というのは今の状態だと無休で会社で働き続けることになる。だから五日出勤して二日は休息するというルーティンを作ることにした。元の生活のリズムを取り戻す為に。
 俺は高橋と二人で交代で有給を取るつもりだった。だが高橋はあの状態の会社に一人でいることを嫌がり同じ日に急病の為に休む流れとなる。


 このようなことにしたのは俺が時々頭痛に悩まされるようになっていたから。
一度医者にも診てもらった。身体に何か異常をきたした訳ではなくストレスからくる精神的なモノだろうと診断を受け。
 ならば休息日を入れようという流れになった。


 そして今日は俺達にとっての初めての七月十一日土曜日休み。俺は一人でここに来ていた。
 高橋から朝【おはようございます】とだけメッセージが来たので、俺も【おはよう。休みを楽しめよ】と返しただけ。
 高橋もずっと俺といる事も飽きただろう。
 それに一人で色々考えたかった。あえて予定も言わず、誘う事もせず一人でいる


 緑豊かな公園の中にある事もあるからか、新国立現代美術館のある場所は、喧騒とは無関係な世界。
 不思議と心が落ち着き何故か懐かしいと感じる空間だった。
 奇抜なデサインのようなのになんか目に馴染み懐かしい気持ちにさせた。不思議な魅力がある。
 田舎暮らしをした事もないくせに田舎を見て懐かしいと思う、あの感じに近いのかもしれない。


 モンドの主要部分はマンションで居住者しか入れない部分が多くて、そこまでその空間というものを楽しめない。
 しかしここは日廻永遠の世界を堪能出来る。


 元々はここに来れば何かが見つかるのではないか? そう考えてきた。モンドとの共通点は建築家が同じというだけで。テーマも違えば雰囲気も異なる。モンドは時計がテーマなだけに幾何学的でコチラはオーガニックで有機的な雰囲気。
 その二カ所を見たからと日廻永遠の全てがわかるわけもない。気がつけば空間を楽しんでいた。


 コチラは四季をイメージしている。
 楕円の建物を一周回ると四季を巡るような構造。入口は春にあり、そのまま右に回ると公園に面した夏のエリアに続く。
 更に進むと秋のゾーン。そこから緩やかなスロープを下るように降りていくと冬のエリアに辿り着く。
 スローブを降りきり今度はさらに進むみ登ると入口に戻れるようになっていた。
 公園に面し窓もあり開放的な夏ゾーンと異なり、冬ゾーンは窓のない地下の空間にある。そして楕円な形の長い部分が夏と冬のエリア、弧の部分が春と夏となっている。 
 内周の壁の木のレリーフは春に芽吹きから始まり花を咲かせそして葉を茂らせ実をならせ散っていく。
 そこに描かれた鳥の姿も移り変わっている。同じ春にでもひなの燕が右に行くほど大きく成長していき巣立っ。
 配されたオブジェも春は誕生をモチーフとした子供のものばかり。夏、秋、冬と進むにつれ置かれたオブジェの人は成長し老いていく。
 一周したら芽吹きの春が来て生命は巡っていく……という感じ。展示会に行かなくても建物をみているだけで楽しめそうな美術館である。


 俺が今日観にきたのは日廻永遠の回顧展【奇想で奇才 日廻永遠】。
 メイン会場で開催中の【現実・幻想~隣合わせの世界】も面白そうではある。だがより気になったのはコチラだった。
 あの不思議なマンションを作った男がどういう人物なのか知りたかった。


 会場に入ると日廻永遠がこの美術館の前で撮影したらしい写真。そしてウィキペディアで見たのと同様経歴が年表という形で示されている。
一九七三年十一月十一日生まれ。没 二〇一八年七月十一日。
その部分に思わず苦笑してしまう。
 最初のコーナーは日廻永遠の幼少時代。どのような子供時代を、過ごし素晴らしい建築を生み出すようになったかを見せていくつもりなようだ。
 母親に抱かれている赤ん坊の日廻永遠の写真を見て固まってしまう。誕生し退院した時に撮影したもののようだが、その建物を、俺はよく知っている。三十三年前に俺が産まれた病院。同じように母親を撮った写真が俺の家にもある。
 俺の誕生日は日廻永遠と十一年後の一九九四年十一月十一日。そして今日竜巻に巻き込まれていたら二〇一九年七月十一日に死んだこととなる。
 この事もあり、俺は日廻永遠の事が無関係な人とは思えなかった。


 同時に今回の事は俺が原因でこの現象が起こっているのではないか? という恐怖も抱いている。
 そして今回巻き込まれた高橋の誕生日は一月一日、鈴木は一月十一日。
 オカルト的な事は信じたくない。
 とはいえここまで【1】という数字が集まると気持ち悪い。何か関係があるかのように思えてしまうのも仕方がないと思う。


 そんな事を考えながら日廻永遠が子供時代描いたという絵を眺める。芸術的センスは元々なのたろう子供の時から明らかに何か持ってると思わせる絵を描いていた。
 子供時代の夢は画家だったらしく、ひたすら絵ばかり描く子供だったらしい。


 【夢の街】というタイトルで未来の街を描いた絵。四本の高いタワーを中心に道を広げる夢溢れる街。


 よくあるSFチックで子供らしい未来都市とも言える。その四本のタワーがモンドに思え、何かこの絵に秘密が隠されているのではないか? とすら感じてしまいしみじみ見入ってしまった。
 緑も豊かで、道歩く人、公園で遊ぶ人、車乗っている人、皆が笑顔で過ごしている。幼稚園児が描いたと思えないほど巧み。それでいて子供らしい無邪気さに満ちていた。
 絵には人の精神状態が現れるという。中学くらいまでの日廻永遠の絵を見てみたが、暗さとか狂気といった歪みは全く感じなかった。タッチは繊細であるものの色も明るく優しい。
 写真の日廻永遠はどれも楽しそうに笑っている。


 学生の時にコンベンションで出したデザインが評価されて大手設計事務所に就職。そこで日本建築家協会新人賞を受賞しそれから、名誉ある賞を次々と受け賞し一気に頭角を現していく。とはいえ若く亡くなった為に作品の数は少ない。
 新人賞を取ったという軽井沢友人のペンション。葉山にあるレストラン、静岡のプラネタリウム、横浜のホテルそしてこの美術館とモンド。


 そのどれもが何とも不思議な建物になっている。雰囲気もテーマもバラバラなのに、ここでミニチュア模型を並べて見ると不思議な事に何か共通する何かがある。それが何なのか? 曲線と直線が交差し作り上げる建造物。それだけではないカラーといか醸し出す空気が同じ。それはマンネリというのではなく、日廻永遠のイズムであり個性が現れているからだろう。


 モンドの模型を前に俺は考える。こうしてミニチュア模型を見ると、改めて凝ったデザインである事がわかる。
 実物を近くて見た時は先ずその高さ、大きさに圧倒されて細かい意匠まで目が行かない。
 こうして見るとお洒落なだけでなくよく練られた構造力学の上に成り立った建造物であることかわかる。
 一見単なる装飾であるように見えるものが、建物の構造重要な役割を果たしている。
 アレだけの竜巻に巻き込まれたながらも外壁しか壊れなかった。それは日廻永遠がマンションを堅強に設計し作ったからだ。
『高層建造物の為、耐震、免震だけでなく、風という要素も重要な課題の一つとなる。中で暮らす人の生活を守ると共に、ビル風等の問題も極力起こらないよう風の流れというものを一番に考えた』


 そのような文書と共に、モンドが風を散らし流すような設計をされている事を示すCGアニメ流れている。
 【モンドが竜巻を起した】
 ネットではそんな事を言っていた人もいたが、むしろ逆の設計で壊すように作られている。だから竜巻も比較的早く消滅した。


「貴方は、竜巻を想定してコレを作ったのか?」


 そうつい一人言を呟いていた。


「そんな事はないです。
 なんか俺。かなり勘違いされてますよね」


 背後からのんびりとした声が聞こえた。
 落ち着いて呑気にも聞こえるその声。俺その言葉を誰が発したが察していた。
 俺はその声に身体が竦む。恐る恐る振り返った。しかし誰そこにはいない。


 後ろにモニターがあり、そこで日廻永遠が話しをしていた。
 何かのインタビューに答えてる映像が流れている。
『奇才とか言われ方されるのは、心外ですよ。
 俺自身そこまで、奇抜なもの作ったつもりはありませんし』
 人の良さそうな顔で笑い肩をすくめる。
『でも日廻建築というと、個性的でユニークなデザイン。というイメージをもたれていますよね』
『それは建築家誰もがもつ欲なのでは?
 だって自分らしさはしっかり表現したいものですから。
 どうせ作るなら面白く、皆が喜んで楽しんで貰うものを作りたい。そういうものですよね』
 心地よい少し高めの張りのある日廻永遠の声。
『建物のテーマや構想はどうやって?』
『趣味ではなく仕事で全ての建物を作っています。
 ですからお客様から求められたテーマで、そして話し合いの中で共に構想を膨らましています』
 


 インタビュアーと対話する日廻永遠の言葉を聞きながら俺は不思議な感覚を覚える。


『ヒロシ、今日はどうしたんだ?』


 脳裏に日廻永遠の声でそんな言葉が浮かんでくる。【宙】と漢字ではなく独特な響きて【ヒロシ】と呼ぶ声。俺は漏らしそうになる声を抑える為に口にてをやる。
 日廻永遠とは話した事どころか会ったこともない。
 しかし記憶の奥から湧き上がってくる日廻永遠の声。それを振り払うように頭を横に振った。


『君はよく頑張っているよ』
 言われた事も無いはずの声がまた記憶の奥底からあぶくのように沸き起こる。


『あくまでも製作者の一人。【日廻永遠の作品】と言われてしまうと気恥しいものを感じます。
 俺は設計しか出来ない。建物を実際作る人は職人であり技術者。
 だからこそ出来上がった時の喜びも大きいのでしょうね。皆で作り上げたものだから』
 モニターを見ると、日廻永遠は建築論についてインタビュアーと語っているだけ。
 
 自分の呼吸が荒くそして心臓の鼓動が激しくなっているのを感じた。気分を落ち着ける為に深呼吸を繰り返す。
 頭がズキズキと痛んでくる。
 俺は展示室から逃げるように飛び出した。そして明るいロビーに出てフーと息を吐いた。


 フラフラと歩き向日葵のレリーフの前にあるベンチに腰掛ける。頭を抱え目を閉じる
『君も大変だよな。気持ちはよく分かるよ。
 もっと能天気に生きるか、狂えてしまった方が楽なのかも……』


『ヒロシ……君と会えて嬉しいよ』


 会った事もない筈の日廻永遠の言葉が、記憶の奥底からポコポコと沸き起こってくる。


「えっ、雨?」


 そんな声が聞こえ顔を上げる。前を見ると雨がガラスに当たりつたい流れて、公園の景色を歪ませていく。
 皆が外がみるみる暗くなり激しさを増す雨。光始める雷にざわめく声を聞きながら俺は自分の腕時計に目をやる。
 十時四十七分。今美術館の上にある雨雲がこのままモンドへと移動して、竜巻が起こる。
 ここではただ、激しい雨と雷を降らすだけ。時間と共に空はすこしずつ明るくなっていく。十一時にはミュージアム上空にはもう日が差してきた。
 黒い雷雲は前方奥へと移動している。


 時計に視線を戻すと、時間は間もなく十分へとなろうとしていと。おれは秒針がジワジワと動いていくのをジッと見つめる。
 十一分過ぎようとする所で目を閉じた。


 助手席の高橋に声かけてから、交差点へと視線を向ける、本来この時間過ごす筈だった俺の様子を脳内で再生する。
 左右の交差点に車はなく、対向車線から直進青い車。運転席には青いツナギを着た鈴木の姿。
 いきなり車が浮き上がった事で叫ぶ高橋の声が聞こえる。対向車線から入ってきた車も同じように浮き上がり顔を引き攣らせた鈴木の顔……。そして唐突に消える竜巻。叩きつけるように落ちる二台の車。


 俺は目を開け大きく息を吐く。
 目の前はシットリと水を含んだ木々が輝く公園が見える。少し離れたモンドでは大変な事になっているなんて信じられない程それは美しく平和な風景に見えた。


 俺は何か重要なことを忘れている気がする。何を? 


『護らないといけない!』


 そんな想いが沸き起こる。同時に浮かぶ疑問。


 何を? 誰を? そして何から? 誰から? そんな事を考えていると身体が震えてくる。


 ズキリと、頭が痛んだ。俺はふらつきながら美術館内にあるカフェで休む事にする。


 気を紛らわす為にタブレットを取りだし今日という日をチェックする。
 鈴木のTwitterには変化はなし。そしてモンド交差点に車が立ち入ったという情報もなく異変はない。そこには安堵と虚しさを感じる。
 スマフォが震える。見ると高橋からのメッセージ。


『今日も鈴木動きなさそうですね』


 同じく休んでいる筈の高橋も、この時間は気になるし!鈴木の事もチェックしていたのだろう。
『そのようだな。この後の動きは俺がチェックしておく。だからお前は今日はもう気にするな。
 この問題から気持ちを少し離して!お前はしっかり休め。何かあったら連絡するから』
 気にするなといっても、難しいだろうがそう送っておく。
『分かりました。
 でも佐藤さんは今日休まれていないのすか?』
 そう返してくる高橋に少し考える。
『いや、外をのんびり出歩いて楽しんでいるよ。
 ただイレギュラーな要素を引きおこしやすい鈴木の動きだけを気にしているだけだ』
『分かりました。でしたら私は明日鈴木の動きのチェック担当します。
 なので佐藤さんは明日はゆっくりしてください』
 この週休二日体制もそう。この状況の中でも平和にそして自分たちを見失わず過ごす事も考えていかないといけない。そうしないと疲れ果てて精神的に参ってしまいそうだ。
『助かる。ならば明日は頼んだそ!』
 敬礼したブサカワイイ猫が『了解』と言っているスタンプが返ってくる。
 最初の方はLINEのやりとりでも敬語で文字のみのやりとりだった。
 一緒にいる時間が長くなってきた為か、高橋からの連絡はスタンプを多様して、くだけたやりとりも増えてきている。
 一方、俺は仕事仲間で部下である高橋にお友達感覚でスタンプを返す事にはなんか躊躇いがあった。
『何かあった時だけ連絡するからユックリ休めよ』
 そうとだけ返しておく。
 結局今日は何もなく、夜に高橋とこの時と同じようなやり取りをした。次の日も昼と夜だけ似たやり取りをして二人の休日は無事に終わった。
 
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