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連鎖の果てに

理由不明の欠勤

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 朝の通勤時間。俺は荒川区の住宅街を歩いている。スーツ姿に手には通勤バッグと在り来りなごく普通の格好。
 背広姿でやや足早に歩く俺に、誰も気に止める様子はない。俺の足は惑いもなく一つの二階建てのアパートを目指す。
 このアパートの住民は仕事若しくは学校に出ている為にこの時間はほぼ無人で、静まりかえっている。
 俺は建物の中に入ってから手袋を嵌める。このアパートには監視カメラなんてものはない。
 階段を登って二階の手前から二番目の部屋の扉の前に立つ。慣れた様子で鍵をこじ開け中に滑り込むように入った。
 靴を玄関で脱ぎ風呂、トイレのドアを無視して廊下を進み奥の部屋に入っていく。そこにはよく言えば男性らしい、悪く言えば散らかったリビングが広がっている。まぁ多少散らばったゴミを捨てればすぐ綺麗になるレベルで、汚部屋と言う程ではない。
 この部屋の見た目を喧しくしているのは部屋に貼られたポスターやファンシーなアイドルグッズ。俺はそれらにチラリと視線を一瞬向けただけで気にせずリビングから繋がるドアの先にある部屋へと真っ直ぐ進む。
 そこは寝室で部屋の壁どころか天井までにミライという名前のアイドルのポスターが貼られた更に賑やかな状態となっていた。ベッドを見ると一人の細身の男が寝ている。
 俺は持っていたバッグを床に置き、自転車の荷台等に使うバンジーロープを数本取り出す。男に一旦タオルケットをかけてから、パイプベッドに男をシッカリロープで固定し拘束した。かなりの不自然な状況にされているのに起きる気配もない。
 ベッドの下に落ちていたアイドルの等身大抱き枕を手に取り男の顔に押し付ける。
 男は身体を必死に捩らせ暴れるが、バンジーロープで固定されている為に抵抗らしい抵抗も出来ない。かといって男は起きている訳ではない。コレは生理的な反応。こうまでされて目が覚めないというのも気持ち悪い。
 やがて身体は痙攣するように小刻みに震えていたが!それも小さくなっていき静かになった。
 俺は顔に押し付けていた枕を外し男の呼吸を確認する。男の顔は目を閉じたまま苦悶の表情をしている。顔の筋肉はもう動かない。
 俺はバンジーロープを外しバッグに仕舞った。リビングに戻りテレビ台の下の引き出しを開き、この部屋の予備の鍵を取り出す。
 部屋を出て鍵をかけそのままアパートを何食わぬ顔で後にした。
 極力感情を押し殺して何も考えないように俺は歩く。
 暫く歩いた公園の所に一台の車が止まっていて、俺はその車の助手席に乗り込んだ。
 運転席には高橋が座っている。俺に明るい笑顔向けてカップを差し出してくる。
「お疲れ様! はい!アイスコーヒ!」
 俺はお礼を言いそれを受けとる。ネクタイを緩め外し珈琲を飲み干す。珈琲の苦味で気持が少しだけのホッとする。少しだけだが……。
 慣れた作業とはいえ人を殺してきたという事実は俺の中で日々重く暗くおしかかってくる。
「今日はどうする? 気分転換に海でも行ってパァ~と発散しちゃお♪」
 高橋は俺に甘えるように見上げてそんな誘いをしてくる。俺はそんな高橋に内心のドロドロした様々な感情を押し殺し笑い返す。
「いいね」
「千葉だと、私の昔の知り合いに会う可能性も高いから~湘南か江ノ島にしますか!」
 高橋は元気で明るい表情で車を発進させた。



「佐藤さ~ん! 高橋ちゃんから電話ですよ」
 俺は田中さんの声に見ていた書類から顔を上げる。また碌でもない白昼夢を見ていたようだ。
 ここ最近見続けさせられている白昼夢。初めは不安が生み出した妄想の一つだとも思っていた。これはそんなものでは無い。だとしたら予知夢? それも違う。
 それに必要以上振り回されている自分が嫌になる。
 俺は深呼吸をして電話に出た。
「高橋? どうしたんだ?」
 明るい声でそう聞いてみる。何故こんな時間に高橋が会社に電話をかけてきたのか? 分からない。
 確かに高橋を唆したが、それを実行するのは今日は早すぎる。鈴木が今日何か仕出かす可能性は極めて低いからだ。しかもそれを行うにはかなりの覚悟が必要な筈。
 今日昨日思いついたからと、今日出来るものでもない。
 先程、白昼夢で見た鈴木を殺す感触が俺の身体に残っておりその感覚にゾッとする。悍しい行為としか言いようがない。
 あんな事を俺は若い女の子にさせようとしたのだ。
「申し訳ありません。今日お休みさせて頂いて良いですか? ちょっと難しそうで……」
 何故か小声で話す高橋。俺の心に過ぎる予感。それが当て外れの物であって欲しいと祈る。
「どうかしたのか? 大丈夫か?」
『はい大丈夫です。ただ……少し手間取って』
 高橋はなんか今日はおかしな表現を使う。
「手間取る?」
 まさか、という気持ちと、何故今日? という疑問が頭の中で回る。
 ふと脳裏に蘇る別の記憶。俺が鈴木をナイフで殺している風景。驚く程湧き出てくる血液。赤と言うより赤黒く染まっていく部屋。生臭い血の香り。
『いえ、はい! そう……。
 起きるのに!』
 誤魔化している雰囲気の高橋に俺は何を言うべき? 気のし過ぎ?
 ただ会社に来たくないだけかもしれない。そう信じたい。
「今何処にいる? 本当に大丈夫か?」
 高橋の少し慌てた気配がする。
『大丈夫です! 全然大丈夫です!
 私は元気でピンピンしていますから。
 あ……ただ今日は会社はお休みさせて下さい。理由は……私の……ワガママです!
 で、今日は会社に行くには難しいかなと』 
 場所を答えない高橋。そして社会人の欠勤への連絡としたらありえない内容。心配になってくる。
「分かった今日は休め。会社の方は心配ないから。無理はするなよ。お前も最近色々がんばってたものな」
『ありがとうございます。
 あの……佐藤さん夕方から会ってくれませんか?』
「……ああ構わない。また連絡する」
 そう言って電話を切った。時計を見ると九時二十分。
「高橋ちゃんどうしたの? 大丈夫?」
 田中さんが心配そうに聞いてくる。田中さんは俺の一つ下だが営業では先輩にあたる女性。転属したとき同じグループだったこともありお世話になった人である。
「体調崩したみたいで。無理はさせないで休んでもらうことにしました」
 自身が仕事をバリバリこなすだけに他者のズボラが許せない人。だからそう無難に返しておく。
「あの子頑張り屋さんだから、疲れとか一気にきそうよね」
 田中さんは一部の男性社員や営業事務している女性社員からお局様と煙たがれている所がある。しかし彼女が、口煩く言うのには理由がちゃんとある。高橋のように頑張っている人はちゃんと評価してくれているのが田中さん。
 田中さんの言葉に俺は頷く。
 田中さんの言う通り、何でも一生懸命でそれを笑顔で頑張る子。高橋は元々はそういう子であったことを改めて思い出す。
「無理させているつもりはないのですが。
 俺は男だから女の子の繊細な面とか分からないことも多いかもしれませんね」
 俺がそう言うと田中さんは柔らかく笑う。キツめの印象が強いが情に厚い所もある。高橋を可愛いがり良く話しかけて面倒みているように感じる。同じ職場で働く女性としてほっとけないのだろう。
「佐藤さんは、しっかり見守ってるわよ。そこは自信もって!
 ……それより佐藤さんは大丈夫?」
 田中さんの言葉に俺は思わずその顔を見てしまう。俺は何か不自然な言動をしているのだろうか? 田中さんは微笑んでいる。いつになく明るい顔で。
「高橋ちゃんが突然お休みになったでしょ? もし何かお手伝い出来る事あれば、何でも言って遠慮しないで……私手伝うから!」
 俺はそういう意味かとホッとする。
「ありがとうございます。
 でも大丈夫ですよ、今日の準備は昨日のうちに全て済ましているので。
 交通費や経費の書類書くだけなのでそんな事手伝ってと言うと田中さんに怒られそうだ」
 田中さんは笑う。
「分かったわ! でも。何か困った事があれば遠慮しないで声かけてね」
 そう言って田中さんは離れていった。
 ループなんて起こらなければ、高橋はこうして様々な人に見守られ、田中さんのように自信を持って仕事をするようになっていたのだろう。
 田中さんから視線を戻し、客先で使う資料を纏める事にする。そうしながら考えるのは高橋と鈴木の事。
 今日昨日鈴木がモンドにて放火殺人事件を起こした。そして明けて今日、いつものように七月十一日の朝が来た。
 朝一でいつものように高橋からLINEで連絡が来ていた。最近スタンプも使い砕けた感じになってきてはいるものの、おかしな感じはなかった。
 だから余計に会社を休んだ事が不思議である。
 スマフォを手にとり復活した鈴木のTwitterアカウントをチェックするが変化もなし。
 万が一を考え、明日香にLINEで連絡入れてみたが、直ぐに返事がありホッとする。まぁ高橋と明日香は殆ど接点がない。俺が大怪我を負った時に会っただけ。
 高橋は俺の家も知らない筈。どの沿線を使っているかというレベルしか分かっていない。
 今の段階で高橋が明日香にたどり着く事は難しいだろう。考えすぎ自分にも嫌になる。

 そもそも俺は何故高橋を警戒している? 高橋が明日香を殺したという白昼夢をみたから?
 未来起きるかも知れない事で高橋を厭った。まだ何もしていない高橋に、とんでもない事をさせようと唆した。
 俺は悩みながらも慣れた雑務をこなし一人で外勤する。モンドを避けクルマを走らせメビウスライフさんで打ち合わせ。
 ネットを見るとモンドの竜巻の事でいつものように大騒ぎ。鈴木のアカウントにも変化なし。仕事の合間に明日香と連絡を入れたら『今日はどうしたの?』とは笑われた。

『大丈夫か? 少しは元気になったか』
 高橋の様子を探る為にLINEでそう連絡を送ってみた。
『はい! というか元気ですよ! それにもう大丈夫です。今は街を気分転換にブラブラしています』
 俺はそう返してきた高橋の反応に悩む。元気なのは良い。しかし……。
『そうか、良かった。お前は色々根詰め過ぎるところがあるから。無理はするなよ』
 出来る事なら無邪気で明るい元の高橋に戻って欲しい。そう願いを込めてそうメッセージを送る。
『はい! 
 心配して頂きありがとうございます。嬉しいです♪ 
 でも私は今朝思いっきりハジけて発散したからもう元気で大丈夫ですよ!』
 ハジけた? 何をして? 俺は悩む。
『そうそう私が言った通り鈴木は今日動いてないでしょ? 多分もう大丈夫だと思いますよ! 佐藤さんはもう悩む必要ないですよ……二度と!』
 そんなメッセージの後にサムアップした得意気なクマのスタンプ。そう続けてきた高橋に、ゾッとする。高橋は何をもって『二度と』言っているのか……。

 何にせよ、俺が命じた訳ではなく彼女が自主的に勝手に行った事。
 それで俺は流せるのか?

 しかしこの明るいノリはなんなのか? 文字だからだけなのか?
『今の所は動いていないな。まあ、俺も仕事の合間チェックしておく。何かあったらまた連絡をする』
 そう返しておく。俺はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま午後の仕事を一人でこなす。
 俺の予測と高橋の言葉通りに、鈴木は夕方になっても動く事なかった。

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