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永久へと続くやり取り

絶望の先にある世界

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 高橋は精神科医のレイの言うところの小康状態。しかし俺から見たらかなり病んでいる。
 俺から見て高橋は罪への敷居が確実に低くなっている。
 危ない言動も増えてきていた。会社の人もおかしさに気が付き始めるレベルに。
 セクハラな絡みをした清水をカッターで切り付けたり、田中さんを階段から突き落とすという問題を起こしている。
 俺はそんな高橋に「そんな事をする人は俺は嫌いだ」とそんな感じの言葉をかける。
 人を傷付けたら駄目だといった内容の言葉が通じなかったから。
 俺の求める可愛く無邪気な高橋でいて欲しい。俺のため笑ってくれ。その笑顔で癒してくれ。
 そういう方向で高橋に何度も言い聞かせ、感情をコントロールさせるしかない。高橋には俺以外の人はどうでも良い存在となっているから。
 そうすることで高橋は俺の求める高橋を演じるようになり。俺の前では更に可愛らしく装い媚びてくる。しかし他の人には横柄で自己中心的な態度で接しているのを知っている。
 俺は嫌悪感を隠しそんな、高橋を表面上は可愛がるだけ。
「鈴木が馬鹿な事をやめてくれて良かった」
 そんな、言葉を時々漏らすことも忘れない。すると、高橋は誇らしげに笑い俺に甘えるように腕を絡ませてくる。
 俺の中で高橋への嫌悪感と恐怖は日々高まっていくだけ。
 そんなことで本当に大丈夫なのだろうか? 高橋の首を締めて殺した遥か過去の記憶が蘇る。


 つい、そう漏らすと永遠は苦笑する。
 あの時気になった飛行機の皆と永遠の関係。大したことなかったようで、その後も永遠からメールは変わらず来たし、永遠と皆は普通に会話をしている。
 何だったんだろうか? とも思っていたが、そんなことを気にしていられない程高橋と過ごす時間にストレスを感じていたために忘れてしまっていた。
「まぁ。君には可愛く狂っているなら良いのでは?
 幸い君は今は……まだ冷静で、狂気に巻き込まれていないし……」
 そう返して永遠は茶化す。しかしその顔をふと真面目にして淡い茶色の瞳でジッと俺を見つめてくる。
 整った顔だと思う。綺麗だが女々しい訳ではなく、かと言って男臭いわけでもない。
 細身でしなやかな身体と端正な風貌の日廻永遠。不思議な雰囲気を纏った人物である。
 四十超えて格好よく年を重ねている感じ。若々しくても青臭い訳でもない。頭も固くなく、かと言って軽い訳でもない。聖職者のように達観して物事を見ているようにも感じる時がある。
「そうそう……君には色々邦画を送ってもらっているせいかな、最近無性に日本語が恋しくなる……。
 ねえヒロシ! 今からゲームしない? 日本語オンリーでカタカナ言葉も使わないで会話をする」
 小学生がしているような遊びである。
「懐かしいですね。いいですよ!」
 永遠は無邪気笑い楽しそうだ。大人なのにこういう子供っぽい所もある。不思議な魅力のある人である。
「じゃあ今から始めよう!」
 日本語でそうスタートさせてしまう永遠の。こういう時テーマとかを決めるものではなかっだろか?
「テ……何について話します?」
 【テーマ】といきなりいいそうになり誤魔化す。それに気がついたのかクスりと永遠は笑う。
「その調子で俺達は遊んでいるような振りをして俺の話を聞いてくれ」
 日本語でそう返してこられて俺は何とか笑みを繕う。
「秘密の会話?」
 俺の言葉に「そう来たか、いいね」と楽しそうに笑う。俺達が遊んでいるように見えるように。
「そう、彼らにはあまり聞かせたくない話。でもいいな秘密の会話という言葉。特別な感じがする。宙と俺だけの秘密」
 永遠は目を細め悪戯っ子のように笑う。
「俺に話したい事って?」
 そう返し話を急かす俺に曖昧に笑う。
「秘密の話というか、俺の本音」
「本音の話? 今までは違うと?」
 俺はニコリと笑い問いかける。
「いや、君に嘘をついた事はない。ただ君に記憶がどの程度あるのか分からないこともあってどう切り出すか悩んでいた。
 あと日本語の方が真っ直ぐに伝わると思って」
「なるほど。確かにそれはありそうですね」
 そう返すしかない。英語だと細かいニュアンスが通じてない事もある。
 しかし永遠が他の人に聞かせたくない話とは何なのか気になる。
「まずこれだけは分かって欲しい。俺やここに居る仲間は皆、君が大好きで大切な存在だと思っている事を」
 永遠の笑顔の奥に何が真剣な想いを感じる。
「俺にとってもそうだ、ここでこの現象についてちゃんと話会える人が居ることがどれ程救いなのか。言葉に言い表せないよ」
 俺はそう答える。こうして同じ苦悩を共にして、悩みを打ち明けられる相手のが居ることは今の俺には大きい。
 俺の言葉に永遠は柔らかく微笑むがどこか切なげだ。
「こちらにとってはそれ以上大切な存在なんだよ君は」
 俺はその言葉をどう受け取るべきか悩む。
「この閉鎖された空間に閉じ込められた俺達にとって唯一繋がった外の世界。そして自由への道標」
「俺はそんな大層なものではない!」
 永遠は顔を横に振る。
「君が戻ってきた事で……ジ……俳優の彼。彼が生きる気力を取り戻しただろ。
 彼は絶望から毎日自殺を繰り返していた。しかし君が、戻ってきたと聞いてそれをやめてくれた。
 壊れていく自我を踏みとどまらせ戻ってきてくれた」
 生きる気力を取り戻してくれたのは嬉しいが、俺には何の力もない。失望させ同じ事を、またさせないとも言えない。
「そして実際君はこの現象において重要な存在なんだよ。
 やっぱり記憶にはない? その辺りは」
 俺はこの現象での秘密が聞けると緊張する。俺はやはり大切な事を思い出せてないようだ。
「予習か復習になるか分からないが、最初にこの現象について君を含めた皆で見つけ出した事実について話そう。全てを理解していた方が、君も動きやすいだろう」
「謎はとけたのか?!」
 俺のつい弾んで聞いてしまった声の質問に、永遠は肩をすくめる。
「分かったことは現象の構造。
 この現象には一定のパターン形式がある。
 条件を起こしやすい器となる場があり、そこにキーパーソンや該当する要素といった時間や人が揃う事で引き起こされる」
 抽象的過ぎて何を言っているのか分からない。逆に日本語の曖昧表現が説明を邪魔しているように感じた。
「……意味が分からない……」
 永遠はニコリと笑う。
「そしてその現象は一定の間隔で連鎖するように起こり続けている。何となく察しているかもしれないが、一年周期で発生してきた」
 被害に苦しんでいるのが自分たちでないというのか?
「つまりは俺にとってはこの乗っている飛行機、そして君にとってはあの建物のある交差点。それが器。
 そして核となっているのは、俺そして君。要素は繰り返しをしている人達」
 ガツンと頭を殴られた気がした。
「俺がこの現象を引き起こしたというのか?」
 永遠は頭を横に振る。
「そうでは無い。俺も君もこのとんでもない現象に巻き込まれた被害者でしかない。立場としては他の人と同じだ」
 俺はその言葉を言葉通りに受け入れて良いか分かない。
「何が他の人と違うの?!」
「それはね一つはリセット初期化を行使出来る能力を持っていること。
 もう一つは他の核と繋がれるすべを持っている事。その二点のみ。その意味は大きい。
 だから君は俺と繋がれた」
「他の核との繋がりという事はほかにも?」
 永遠は頷く。
「俺の前の核は、俺達が乗っている飛行機の設計士だった。
 核となってしまった人物が作り出したモノ、関連した場所が器になり次の現象は起きているようだ」
 余りにも荒唐無稽に思える内容に俺は悩む。しかし現象は実際起こっている。
「俺は貴方と違って……何も作っていない」
 そう考えて、心の中に何が引っかかるのを感じる。……プログラマー時代に携わった仕事……イレブンフェイス……サムライシステム。大学時代によく遊んだフットサル施設ジョイントイレブン……。俺が参加したプロジェクト、関係した施設に十一に関連したモノが結構ある事に気がつく。今俺がいる職場も十一階……。職場のある建物円山十一号ビルではなかったか?
「それはおいおい一緒に見つけて行こう。
 それより緊急を要しているのは君の状況。俺は心配なんだ」
 思考に耽っていた俺は視線を上げる。
「そこでもう一つの選択肢を視野に入れて考えて欲しい」
 以前、飛行機のメンバーと永遠が妙になったやり取りを想い出す。
「それは……」
「皆が心配しているのは、俺がリセット初期化の事を君に勧める事だろう。しかし俺が言いたかったのはそれでは無い。
 俺もその道だけは君に選んで欲しくはないから」
 俺は何故皆がソレを嫌がるのか分からない。
「なぜ、皆はあそこまでその事を嫌がるの?」
「皆が敬遠しているのは、初期化は問題解決どころか問題を先延ばしにしながら状況を悪化させているだけだからだ。
 時間を元に戻せるだけなら悪くないと考えるかもしれない。
 君は過去にそれを行い、君と二人の頭から記憶を消した。
 それは一見ドロドロとしてしまった世界を無かった事に出来る良い方法に思えたが、君の様子を見ているとそうでも無い事が見えてきた。
 一つは君の記憶までも消去されてしまうから同じ過ちを繰り返してしがちなこと。
 もう一つは繰り返しの原因が発生した一日目に戻る訳では無く記憶を消した状況で次の繰り返し進んだだけのになっているらしい。
 やり直せる事にはならない。
 それに加え完全にまっさらな状態でなく該当者に何だかの心に余計なゴミが残るようだ。
 一番最悪なのはここで、一回目の時よりも早い段階で仲間の精神を毀れていく。
 君の世界で二人がおかしくなるのは本当ならもっと先なんだ。しかし……。


 もう一つ困った所は君が過去を想い出すのがいつも遅い事。異常が起こった初期段階で既に対処法の選択肢があまりない状況になってから思い出す。初期化前の事を」
 百日も経たずに鈴木は狂い始めて、ソレを追うように高橋も狂いだした。
「あと、皆が不安に思っているのは君が記憶を消してしまうと、君の無事の確認が連絡くるまで出来なくなることだ。
 君が心配で、失ってしまったのではないかと不安な日々を過ごす事が怖い」
 ジョニーの言葉が甦る。俺の話して嬉しそうに笑って縋ってきた姿。彼をそこまで苦しめてのは俺の不在の時間だった?
「だからジョ……は。俺はそこまで彼を苦しめたのか?」
 永遠は目を細めコチラを見つめてくるが否定も肯定もしなかった。
「俺の前の核。彼は初期化を多用しすぎて彼自身も毀れていき、もう連絡はつかない。
 彼の場合、俺や君より現象に巻き込まれた人数が多くより複雑で色々困難な環境であったこともあるが……繊細な人だったし」
 考え込み黙り込んでいる俺に、永遠は微笑でくる。
「そして君が初期化をすることを、俺がなんが何でも反対し止めたいのはもう一つ理由からだ」
「もう一つ?」
 俺は顔をあげる。
「初期化の起こし方に理由がある。
 君が極限状態にあり、どうしようもない所まで絶望している事が前提となる。でないと初期化は発生しない」
 その事実に俺は衝撃なんて言葉が生易しい程ショックを受けた。という事は四回、俺は絶望したということになる。
「君に、もうそんな想いをして欲しくない。
 だからもう一つの道を提示させてくれ。君を護りたいんだ」
 前、俺に話そうとして邪魔されて聞けなかった言葉があることを想い出す。それはリセットの事だと思っていた。
「考え方を少し変えてくれ。
 君はね、この現象に巻き込まれている誰よりも自由で恵まれているんだ。幸せな立場であると気がついてくれ!
 あの二人のことを全く無視して過ごす事も可能だ。会社にも行かず二人から完全に逃げる事も出来る」
「しかし……そうなると高橋はどうなる。どう感情を爆発させ何を攻撃していくか分からないぞ」
 永遠は頷く。
「今は君が彼女をコントロール出来て、君もまだ冷静に対象出来ている……あっ英語使ってしまったな」
 そう言って肩を竦め、永遠は視線を横に向け誤魔化すように笑う。
 そして直ぐに俺に向き直る。
「利用出来る内は利用するのは良い。だが役に立たなくなったらさっさと捨てて離れる事をオススメする」
 穏やかなトーンで余りにも無情な事を言う永遠を呆然と見つめ返す。
「宙! 狂人となんか真面目に向き合ってはいけない。
 善良で心優しい狂人なら構わないが……。
 君の所にいるような悪意に満ちた感情を宿した狂人の近くにいては駄目だ。
 狂気は伝染する。接している人の心も蝕む。
 このままだと君が危険だ! 精神的な意味で。彼らは歪んだ想いに固執してそれをとことん突き止めていくだけ。
 他者や周りの事なんてどんどん気にしなくなる。繰り返しの時間の弊害がそうさせる。周りがどうではなく、自分がどうしたいかで動く。それがこの現象が作り出す狂人。
 二人には君の善意や優しさはまったく通じない。関われば関わるだけ君を疲弊させ精神的に追い詰めて行く」
 永遠の言うことは正しい事。正に高橋がその状態だからだ。
「し、しかしそうすると……」
 高橋が明日香に辿り着いたら? 怒りの矛先を其方に向けるかもしれない。
「二人の症状を最後まで進行させれば良い。
 色々限界迎えると。思考もまともに働かず廃人となる。
 そうなると部屋から出ることも出来なくなる。
 もう鈴木はかなり良い感じに壊れている筈。高橋が恐らくトコトン痛め付けてくれて毀してくれたから。
 彼女の性格なら楽に死なせないだろう。時間のとれる休日だと意識のある状態の相手をジックリいたぶって楽しんで殺している筈だ。攻撃性をもって毀れた人物は残虐性も高い。
 精神完全崩壊まで行くともう誰も傷つけることも出来なくなる」
 そう言って悪くないだろ? と永遠は笑う。
 そこまで逃げ耐えれば、俺は自由になる。高橋と鈴木の狂気から……俺の心は揺れる。
 いやより楽な方に気持ちが激しく動いていくのが止められないというべきか……。
「俺は何よりも君が大切なんだ。君の心、そして身体を。これ以上傷ついて欲しくない。
 俺の前で笑っていて欲しい。穏やかに過ごして欲しい。
 彼らに助ける価値はどこにある? 君を殺し続け、傷付け続け、君の大切な人も殺したりして苦しめ続けるだけのそんな奴らだ。何故そんなに気をかけてやる?」
 俺は改めて思い出す。二人を嫌悪し怒りどころか憎しみすら抱いていることを。
 だから殺した。末期は笑いながら……彼らを殺し……。俺はその記憶を払うように頭をふる。
「彼らが攻撃したのは、ただ水に写って反射した風景のようなものにしかすぎない。現実は別にある。
 本当の彼らはそんな事故も無関係に平和に生きて暮らしている。だから傷つかないでくれ。幻の為に泣かないでくれ」
 苦しかった。この生活が。
 元の生活から離れるのが怖くて、愚鈍なまでに元の生活と時間を守ろうとした。
 そして高橋と向き合う事に、疲弊もしてきていた……。俺の心は救いを求めて叫んでいた。
「君は自由なんだ」
 永遠の声がそんな俺の心に心地よく響く。俺の心の叫びを聞き、手を差し伸べてくる人がここにいる。
 俺は顔を上げ永遠と見つめ合う。そこには俺の全てを受け入れてくれる優しい微笑みがある。
「俺達と共に未来に行こう」
 永遠の声が俺を導く。癒しの世界へと。
 俺は自由に生きていい?
 そして仲間ならここにいる! そう思うと俺は心と身体が軽くなった気がした。
 ホッとした途端に涙が出てきた。この生活が自分中でかなり限界を迎えていた事に気がつく。
「宙、君は君の思うままに動いて大丈夫。誰も君を責める事なんてしない。むしろ君が楽しそうに生きている事の方を喜ぶ。俺はその方が嬉しい。
 醜い感情の渦巻く暴力的な世界は君には似合わない。君の嘆き。怒りは良くわかる。
 俺が君を受け止めるから、俺には全てをさらけだして自由を手に入れて良いんだ!
 俺が君を護り導く。だから何も不安に思う事は無い」
 柔らかい永遠の声に俺は頷く。
「ありがとう永遠。気持ちが楽になった。
 今のこちらでの過ごし方根本的に考えてみるよ」
 情けなくも泣きながらそう答える俺に永遠は優しくて微笑んできた。そして落ち着くまでずっと穏やかに耳と心に気持ち良い言葉をかけてくれた。
 俺はスッキリした気分で、美術館を後にする。久々に感じる安心感と開放感。
 帰りの電車でスマフォを見ると、大量に高橋からのメッセージがきていた。もうそれも俺の心をザワつかせることも無かった。俺は電源を落とす。そして頭の中から高橋のことを追い出した。
 もう、俺は大丈夫だ。くだらない事でもう悩まない。
 俺は久しぶりに穏やかな気持ちで電車の窓の外に流れていく景色を眺め楽しんだ。
 
 
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