犬になりたい葛葉さん

春雨

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返事は「わん」

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「飲み会ですか」
 案件に伴っての異動が落ち着き早2週間。仕事は存外に順調で、分からないことを分からない、と言える環境のおかげで忙しくありつつも出来ることは着実に進められるようになっていた。
「そう、飲み会っていうか夏目さんの歓迎会なんだけど、葛葉ちゃんも来れる?」
「あー……はい、行けますよ」
 一人暮らしに嬉しいタダ飯チャンスと気付けば断らない訳もなく。そんなわけで、3日後の金曜に飲み会に参加することになった。
そういう経緯があるわけだが、どうして私は今その恐らく夏目さんの家で知らないTシャツを着せられてベッドで一緒に寝ているのか。夏目さんが男じゃなくて良かった、ここで一発やったとかじゃないはず。……はずだよね。自分のことなのに急激に自信が無くなってきた。
 思い出せ、何があったか。確か業後にみんなで集まって居酒屋に行った。そしてそこまで強くないけど飲み屋(キャバクラ)で働いてるんだしそこそこ飲めるようになったでしょ、みたいな過信をした。ここまで記憶ある。ここから先が一切無い。それはつまり、泥酔して、介抱された、ということにしかならないわけだが。26にもなって歳下であろう女の家に連れ込まれて介抱されるなんて情けなさすぎる。友達が聞いたらゲラゲラ笑うに違いない、と思いながら隣で眠る彼女を見ながら頭を抱えた。
 夏目さんって、美人だな。
はっきり言ってツラがいい、ツラが好みだ。こんだけ美人なら言い寄る男も多そう、なんて思いながら長いまつ毛を見つめる。肌は……私の方が白い、胸も私の方が大きい。でも彼女はスレンダーな分、スタイルがいい。女ウケする女。一方で、私はそりゃもう男ウケする肉体だと思う。一言でいうならヤリたい女の身体は私だろうと思う程度には。
「んん……あれ、起きたんだ」
「あ、はい。あの、すみません、記憶ないです」
「んー……いいよ、平気。……お酒弱いんだね、凪紗は」
「え、あ、はい」
 名前呼びを許した記憶もございません。
いつの間にやらタメ口で接してくる彼女に、きっと私が敬語苦手だから使わなくても良いよとか言ったに違いない。私のことだからどうせそうだ、自分の考えることだからいまはそのぐらいなら分かる。
「いっぱい飲んでニコニコしたあとその場で寝ちゃって、うちに連れてきちゃった……」
「ひぇ……す、すみません、あの、本当に。着替えまで……」
「いいよ、可愛かったもん。ぬげなーい、ぬがせて~、って」
「しにたい……」
 完全に酔っ払いの介抱である。この世で他人にさせたくないこと上位に入ってくるそれを私はどうやらねだったらしい、本当に勘弁しろ酔った自分。そう内心猛省していると、彼女の手が伸びてきて顔にかかった髪を耳にかけてくる。少し眠たげな表情で見つめられながら、一体なんだろうか、と固まると彼女の方が吹き出すように笑った。
「ほんとに何も覚えてない?」
「覚えてません」
「素直だなあ。でもお酒の飲み過ぎはダメだよ。私が女だから何もしなかったけど、凪紗可愛いから男の人だったらあっという間にセックスしてたでしょ」
  それは否定できない、数年前まで風俗嬢でした。男の人とセックスに抵抗感皆無です、気持ちよければどうだっていいです。とは言えず沈黙。
「……覚えてないみたいだから言うけど、着替えは全部凪紗がやだお世話して~って言うから脱がせたよ?」
「へ?!」
「なんだっけ、一生お世話されて生きてたい……って言ってたけど」
「忘れて下さいお願いします」
「いいの? そのお願い、叶えてあげても良いかなって思ったんだけど」
「……ん?」
 今なんて言いましたかこのお姉さん。と思わずじっと見つめながら、一旦頭を整理する。どうやら泥酔した勢いで私は常日頃隠している、犬になりたい願望の綺麗な部分だけを見せたらしい。おそらくは。そう、犬になりたいとは流石に泥酔していても理性が多少は働いて。
「犬になりたいんでしょ?」
 無いんですね、私。死んでくれ、今すぐ。他人の家を事故物件にするわけにはいかない、そう思いながら夏目さんの方が見られずにいるも彼女は何やら楽しそうな顔をしている。そう、今彼女は私の願望を叶えてやってもいい、というのだ。これは私にとっても利益のある話である。
 なんせツラが好みで、彼女の実家が太いことは確定している。
ツラの好みな女のペット。それもある程度の不自由もしなさそうな暮らし。非常に悩ましい。ベッドで向かい合ったまま、何も言えずにただ悩む素振りを見せていると、夏目さんの細くて長い手がぐい、と顎を掴んだかと思えば強制的に顔を上げられる。強引に掴まれて思わずドキドキしてしまうのだからとんだマゾだ。その上、猫か何かを相手にするかのように顎下を擽られる感覚が心地良い。
「わん……」
 即落ち2コマにも程がある。その自覚がありながらも、自分が今どんな顔してるのかって言われたら最高に身体の相性のいい男とセックスしてる、みたいな時の顔だと思う。どうしよう、我ながら顔が好きな女相手にチョロすぎる。そのまま顎下にあった手が頭を撫でたかと思えば、彼女が至極嬉しそうな表情でこちらを見つめてくる。
「いいこ。お返事はわん、だもんね」
 あ、無理。好き。一生飼って。
一瞬であらゆる願望を満たされてしまった私は、自分の方から彼女に近付いてぎゅう、と抱き着きながら「よろしくお願いします」の言葉を吐き出すだけだった。
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