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26 助けに来た男

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  上か?

 オリヴィエの目の前に黒っぽいものが落ちてきたのが見えた。
 視界が回転する。 
 オリヴィエは力強い手にさらわれた。
 長い腕の中に包まれて、目を見開く。
 安堵と興奮が混ざり合って、頭の中が真っ白になった。

 黒っぽいものは黒いコートを着た人物で、耳元で大丈夫でしたかと囁くのはリシエ・ピエレイドにほかならない。
 しかも、そのため息のような声はオリヴィエの肌をざわつかせた。

「またおまえか!」
 アルミロは腕に刺さった矢を引き抜き、リシエに向かって発砲した。
 黒いコートの裾が翻るのが見える。リシエは弾を避け、アルミロの顔面を殴った。
 倒れたアルミロが叫ぶ。彼の背中に刺さった矢の先端は、胸に突き出ていた。
 リシエは倒れた男の顔面を弓でたたいた。
「警部の前ではおまえの命は奪えない。だが、次は容赦しない」
 リシエは部屋の外にあった箱を投げ入れ、鉄の扉を閉めた。
 すぐに爆音が響き、鉄の扉が揺れた。
「ここは盗賊の隠れ家のようで、武器がいろいろありました」
「…………」
 驚いて声が出ないオリヴィエを抱え上げ、リシエは階段を下りていった。一階は砂埃が立ちこめている。階段の下にはムエルヴァルが倒れていた。
 オリヴィエはリシエの肩をたたいた。
「……彼のポケットにわたしのブローチがある」
 リシエは何も言わず、ムエルヴァルのポケットからブローチを取り戻し、オリヴィエの手のひらに載せた。
「ありがとう」
 リシエはオリヴィエの口元に手巾を押し当て、息を止めるように言った。
 埃が充満する中を走り抜けて、開いていた戸口からふたりは外に飛び出した。
 そこから離れてすぐに、屋根が落ちて崩れていく様子が見えた。
 オリヴィエは呟いた。
「……死なないか?」
「死んでもらいたいのですが、あのくらいでは死なないでしょう」
 リシエはオリヴィエを下ろして、短刀で麻縄を切断した。
 彼の様子は、先日屋敷を訪問してきたときと同じようにぴりぴりとしていた。
 ひんやりとした手のひらが、オリヴィエの赤くなった手首を包み込む。
 静かな口調で、彼は言った。
「どうしてひとりで行ったんですか?」
 彼の表情を見て、オリヴィエは思わず胸に手をあてた。リシエはそこも怪我をしているのかと同じ場所に手を触れる。
 しかし、そこで異常な動悸を感知したのだろう。オリヴィエはリシエから見つめられて赤くなった。彼の瞳の色が濃くなったような気がして、はっと息を詰める。顔が近づいてきて、またキスをされるのかもしれないと思ったとき、ムエルヴァルの叫ぶ声が聞こえた。
「アルミロ、早くあいつらを捕まえるのだ!」
「人殺し!」
 ジョアンナの叫ぶ声が続く。
 壊れた窓から小鳥が夜空に羽ばたいていった。
 ふたりの側に銃弾が掠めて消えていく。
「死んでいないとわかったでしょう。とりあえず逃げましょう」
 リシエは再びオリヴィエを抱え上げて、木立に駆け込み、深まっていく木々の中を先に進んでいった。

 森の中に道はなく、空はほとんど見えない。
 足下で落ちた枝が折れる音や岩の上を歩く感触が伝わってくるが、リシエは安定した歩調で森の奥へと進んでいった。
 
 オリヴィエは目を閉じる。
 暗闇が怖い。
 足が痛いし、自分の靴で山道を歩けるとは思えない。
 リシエはずっと無言だった。
 それをいいことに、オリヴィエはじっとしていた。
 
 どうして助けに来てくれたのだろう。
 ネックレスの捜索を依頼したからか……?

 考えているうちに、ここは安全だとからだが認識したのか、次第に眠気が襲ってくるようになった。
 オリヴィエはリシエがムエルヴァルから取り返してくれたブローチを、ポケットにしまった。リシエのコートは仕立てが良く、それに耳をつけると彼の少し早い鼓動が聞こえてくる。
 オリヴィエは安心して瞼を閉じた。

 それからどのくらい経ったのか。
 ランタンの灯りが頬にあたっているのに気がついて、オリヴィエは目を開いた。
 それは少し離れたテーブルの上に乗っていた。
 オリヴィエは木でできた寝台の上におり、からだの上には黒いコートがかかっていた。
 部屋を見回すと、扉の近くで座って眠っているリシエの姿が見えた。彼の手の側には弓と弓矢が置いてある。
 オリヴィエはコートを手に取り、彼の側まで行った。
 美しい顔には、長い睫が影を作っている。鼻筋は整っていて、柔らかそうな口元は厚くも薄くもない。
 オリヴィエは彼にコートを被せようとしたが、その前に気がつかれてしまった。
 見上げられて、顔が赤くなった。
「……隙間風が入ってくる。風邪をひくぞ」
 そう言うと、リシエは立ち上がった。
「俺は丈夫なので」
 彼はオリヴィエにコートを巻き付け、状況を説明した。
「山小屋を見つけたので避難しました。夜明けを待って下山しましょう」
 オリヴィエは頷いた。気がつくと、手と足に白い布が巻かれてあり、手当のあとがある。
「……君はどうしてあの場所がわかったんだ?」
 疑問に思っていたことを尋ねてみる。リシエは謝った。
「ナターリアが警部に宛てた手紙を開封したのは俺です」
「は?」
「警部が俺に連絡せずに、ひとりでナターリアに会いに行くのはわかっていました。それで彼女の住んでいる建物を見張っていたのですが、まさか警部が誘拐されるとは思っていませんでした」
「ナターリアが怪しいとわかっていたのか」
「可能性のひとつでした」
「……ナターリアの小間使いが、以前、妹の側仕えをしていたんだ。ネックレスを盗んだのは彼女だった」
 オリヴィエが椅子に座ると、リシエは上着の内側から箱を取り出した。緑色のベルベットの長方形をした箱だ。それを机の上に置き、蓋を開いた。
 中に入っていたのは、ネックレスだった。
 炎が謎めいた宝石を照らし出す。
「取り戻しました」
「…………」
 これはムエルヴァルが血眼になって追ってくるだろうと、オリヴィエはリシエを見つめたが、彼は笑っただけだった。
「イヤリングとブレスレットはネックレスに取りつけられています」
 ネックレスは、繊細な鎖が重なり合って、とても美しい。
 きらきらと輝く一粒の宝石は、いまは暗い青色に見える。
「とても綺麗だな」
 そう口にすると、リシエは不思議そうに首を傾げた。
「妹さんがつけていたのを見たことがないのですか?」
「ない」
 リシエは警部らしいです、と呟いた。
「これはどうするんだ?」
「警部のものです」
「…………」
 リシエはネックレスを箱に戻し、危険だからしばらく俺が持っていますと言って上着の内側に戻した。オリヴィエはため息をついた。
「早くエルアージェに戻らなくては。ここがどこだかわかるか?」                    
「さきほどいた場所は、ロンレムの村の外れにありました。そこからエルアージェの反対方向に来たので、ロンレムの山中だと思います」
「わかった」
 オリヴィエは頷いたが、ふと思い出した。
「そうだ忘れていた。彼らは君が持っている黒い表紙の冊子を探していた。それに財宝の在り処が書かれているらしい」
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