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其の参拾

倭古京を守れ

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倭古京で約した豪族の兵も加わって乃楽山の布陣が
終わった時、荒田尾直赤麻呂(あらたおのあたいあかまろ)
が大伴連吹負に近づいて来て「倭古京を守ることを
お忘れではないでしょうか。こちらで勝利しても
西の河内から大友軍が押し寄せて、倭古京を
奪われては話になりません」と言ったので、
吹負は「それぞれの道に守りは置いてあるので
心配はないであろう」と言い返したが、
荒田尾直赤麻呂はそれでも引くことなく
「あの辺りには高安城ぐらいしか物見の場所はありません。
それに万が一に守りの兵を超えた兵たちが押し寄せたならば、
退却したうえでしっかりと軍を立て直す場所も必要です。
それでも心配はないと言えましょうか」と続けたので、
「それはそうである。もっともなことだ」と吹負は
この進言を受け入れてから、「それでは、そなたと、
忌部首子人(いんべのおびとこびと)とそれから、
ついでに褌の秦造熊でもって防備を固めて貰いたい」
と荒田尾直赤麻呂に命じた。
吹負の隣に居てついでにと言われた秦造熊は、
これを聞いて不満そうに声を荒げて「何がついでだあ」
と抗議したが、「褌一丁なわけだからついでだろう」
とあっさり吹負に言い返された。これを受けて
「ちょうどよいものが無かったんだから仕方ないだろう」
と言い返した秦造熊を放置して、
吹負は荒田尾直赤麻呂に向かって「兵はどれぐらい必要か」
と聞くと、「三名で充分でございます」と答えたので、
吹負はわざとからかうように、顎を上げて
秦造熊を指して「ついでも含めて三名か」と聞き返した。
「お前なあ」と秦造熊が声を荒げて吹負に迫ったが、
これを荒田尾直赤麻呂が押しとどめ、
笑みを浮かべながら「勿論、この屈強な相撲人の
ついでも含めて三名で充分です」と改めて答えた。
秦造熊はその言葉に機嫌を戻したらしく
「お前、なかなか分かっているじゃあないか」と言って、
荒田尾直赤麻呂の肩を叩いた。少し強く叩いたようで
荒田尾直赤麻呂は小さな呻きを漏らした。
吹負は三名で大丈夫だろうかと思ったが、
何か策でもあるのだろうと思いそれ以上は
問いかけずに「では、すぐに向かってくれ」と命じた。
大津宮からの動きはまだ見えない。それとなく
豪族たちから聞いた話では、おそらく近くに家の在る
大野君果安が出てくる話であったが定かではない。
吹負の心の中では、もしかすると誰も来ることなく、
悠々と大津宮まで攻め上ることも出来るかも知れない
という楽観まで生まれていた。
何せ西道将軍なわけだからな。と改めて確認するように
心中で呟いてみると、誇らしく思うとともに
薄っぺらで過剰な自信が漂ったが、
らしく思う方がそれに勝っていたので気づく由もなかった。

同じ頃、高安城で夜を明かした坂本臣財は、
大勢の大友軍が大津道と丹比道の二つの道から同時に東、
つまりこちらへ向かって進んでいるのが見えた。
先頭で掲げられている白地に壱と大陸風の書で
書かれた旗から、軍を率いているのが
壱伎史韓国(いちきのふひとからくに)であることが判った。
こちらは三百の兵しかいない。下手に手を出しても
無駄にしかならない。多勢に無勢であるからここは
見送るとしようかと坂本臣財は思ったが、そう言えば、
吹負は自分たちを西からの守りに向かわせただけで、
倭古京の守りはまったく指示をしていない。
つまり、倭古京には平時の状態の兵しか
常駐していないことになる。さらに考えてみると
乃楽山で戦を早々に片付けて倭古京へ戻る考えは
吹負にはなく、その足で大津宮まで進撃する…
出撃まえの彼の発言を推察すると、おそらくそのような
考えしか無いように思われる。つまり、ここで足止めを
しないと倭古京は間違いなく奪還されてしまうわけである。
また、もしかして吹負が倭古京の守りが必要なこと
に気づいて、乃楽山で勝利してから戻ったとしても、
壱伎史韓国の軍が先に倭古京を奪還する可能性が高い。
だが、あの軍勢の数は間違いなく想定外の数である。
しかし行かなければならない。
坂本臣財は、兵五十を紀臣大音(きのおもおおと)に預け、
先に懼坂道に向かわせてから、残りの全軍で高安城から
出撃した。衛我河を渡ったところで壱伎史韓国と、
大伴氏の配下である来目部の者たちを多く率いている
来目臣塩籠(くめのおみしおこ)の両名が率いる
合同軍と出くわした。隊列に少数の兵が必死の勢いで
突入して来たので、その瞬間において相手方の兵に
乱れが生まれたが、それもすぐに収束して大友軍側が
一気に襲い掛かって来た。だが、襲い掛かってはきたのだが、
真剣に向かって来るのは壱伎史韓国の兵たちがほとんどで、
来目臣塩籠の率いる兵たちの多くは襲い掛かる
こともなく傍観を決めている。その状況に
やや拍子抜けしつつも、襲い掛かってくる兵を
打倒しながら、少しでも時間を稼げるように
それなりの打撃を与えんと坂本臣財たちは奮闘したが、
やはり多勢に無勢であり次から次へと向かってくる
兵たちは一向に減る気配はない。神々がもたらす奇跡を
待ち受けている気持ちもあったが、どうも明らかに
そのような気配はなく、ただの無謀に陥る手前で
坂本臣財は全軍に撤退を命じた。紀臣大音の守る
懼坂道へ向かう彼らの後を追って、
勢いづいた大友軍の一部が執拗に追いかけてきたが、
辛うじてこれらを振り払って追い返し、
何とかわずかの損耗で懼坂道まで辿り着いた。
紀臣大音は退却して来た坂本臣財を笑顔で迎え入れ
「よくぞご無事で」と言ったが、坂本臣財は
笑う余裕などなく馬から降り、疲れて緊張したままで
「来目部の者たちが傍観していたので助かった」
と返すと、紀臣大音は「さようですか。でしたら
河内国司の長官である来目臣塩籠が率いている兵でしょう。
来目部はそもそも大伴氏の配下ですから、
多分、わざとそのようにしたのでしょうな」と答えた。
「それぐらい分かるわ」と言い返す気力は
坂本臣財にはもはやなく、その場へ
膝をついてへたり込んだ。

「塩籠よ。先ほどの兵たちの動きは如何なものか」
と壱伎史韓国は憤りを抑えつつも、すべてを
押し込めることは無理なようで、震えながら
来目臣塩籠に詰問した。来目臣塩籠は申し訳なさそうに
躰を竦めて「多くの者は大伴氏の者ですから、
身内に斬りかかることは出来なかったのでしょう」
と弁明したが、「身内だと。坂本臣財以外は
新兵のような動きであったように思われるが…
気づかなかったとは言わせないぞ。それと、
国のための民であって、民のための国ではない。
それは承知しておられるよのう」と壱伎史韓国が
さらに語気を強めて抗議をすると、これに対して
来目臣塩籠は「私は民のために国があると思います。
国は民を安らかに生かし育むものだと思います」
と意見した。「民のために国がある。それは結構。
だが、実際のお主は欲に目が眩んで、
民より不当に収奪しておるのではないか。
今回の兵たちの振る舞いは、お主の普段の心がけが
生み出したものではないのか。その結果として、
兵たちはお主の命令を聞かなかった。
それが事実ではないのか。それを兵たちの出自を
言い訳にして逃れようと言うのか」壱伎史韓国が
このように返すと、来目臣塩籠には次の言葉がなかった。
彼らにおいては実に厳しい立場である。
それを上手く切り抜けようと思い、予め兵たちには
努めて戦わないように話をしてあった。と言っても
兵たちは罰せられるだろう。
「失礼致します」と言い残して、来目臣塩籠は
壱伎史韓国の宿営を出て自らの宿営地に戻り、
兵たちに解散を命じてから自らの手で
運命を受け入れて常世へと旅立った。
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