阿呆になりて直日の御霊で受けよ

降守鳳都

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其の参拾弐

乃楽山から倭古京へ

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すべては大野君果安の思惑通りに決着した。
入れ替わる形で乃楽山を占拠した大野君果安の軍は、
負傷した兵もわずかであり、このまま続けて
倭古京の奪還に向かうことが可能な状態であった。
彼らの眼下の遥か向こうには、段々と小さく
なっていく大伴連吹負とそれに従う
豪族たちの姿が見えた。それらの姿がようやく
見えなくなった時、大野君果安は負傷した兵と
無傷の兵とを合わせた百人を乃楽山の守備として残し、
それ以外の軍をまとめてから一同に対して
倭古京へ進撃することを告げた。「この様子だと
倭古京を取り返すことも難しくないようだな」
と大野君果安は誰にでもなく一人呟いた。
倭古京目指して歩兵を先頭に行軍を開始した一行は、
倭古京に近づくにつれて川という川の橋板が
外されていることに気づき始めた。
橋板は戦時においては楯として代用される
ことがあるので、もしかすると倭古京の守備は
万全であり、先ほどの者たち以上の能力を
持つ者たちが待ち受けているかも知れないと
大野君果安は思い始めた。そうであるとすれば、
こちらの兵数は、弄する策も限られている
立場であり、向こうがそれなりの兵でしっかりと
守っているならば、攻め寄せるに充分な数も
揃っていない。大野君果安は面倒を厭う人である。
これはただの怠惰から来るものではなく、
無駄が嫌いなところから来るものであり、
その無駄が嫌いだという意識は、限られた命の
充実に心を置いているところから来ている。
それ故に行動を起こす時には常に入念な準備を
している人であり、その徹底ぶりはまさに
用意周到とは、彼のためにある四字熟語である
と言っても過言ではないほどである。

その彼がさらに行軍を進めると倭古京が
五里ほど先に見えて来た。そこまで来た時に
大野君果安の視界に、其処彼処の川で外された
であろう橋板が、整然と複数枚ずつを横に
連続して立てて並べられている情景が
入り込んで来た。そして、その橋板の後ろに兵が
潜んでいるような気配も何となくするように
思えてきた。そこで倭古京のほうへ視線を
向けてみると、門の屋根の上で裸の大男が
大の字になって寝ているのが見えた。
い、戦の最中ではないのか。と思わず驚いたが、
もしかするとそれが策なのかも知れない。
さらに少し考えてみるとそのようにすることで
こちらの気を惹いて、一気にこちらが
攻め寄せたところで、橋板から伏兵が一斉に
矢を放って来ることも考えられなくもない。
そのように考えを巡らせて、倭古京まで
直進で二里を少し切ったぐらいまでに
近づいた時に、一瞬、大野君果安から見て
中央に見える橋板から右の橋板へと移動する
兵の姿が見えた。見えたかと思った瞬間、
まったく違う左の橋板の方から矢が放たれて、
大野君果安の目の前に突き刺さった。
さ、誘っている。と大野君果安は確信した。
誘いに乗って突入したら間違いなく
壊滅するであろう。彼は微塵も疑うことなく、
そう結論した。孔子の言行にあった言葉、
君子は危うきに近寄らずである。
危うきが無いにしても、迷う心に
翻弄されている自らの心を冷静に判断したうえで、
大野君果安は全軍に撤退を命じた。

大友軍が去ったあとで、荒田尾直赤麻呂、
忌部首子人の二人は、ほっと一息ついて、
先に荒田尾直赤麻呂が「どうだ。大陸ゆずりの策は。
見事なものであろう」と誇らしげに忌部首子人に
向かって言ったところ、彼は首を何回も
縦に振って同意してから「見事なものですなあ」
と感嘆を交えて応えた。ついでの褌の秦造熊は、
いきさつに一切関わることなく、
まさに「ついで」の仕事を果たす如くに
屋根の上でそのまま本当に眠り込んで
しまっていた。橋板の後ろに隠れている彼らが、
この後はどうしようかとそれぞれ思いつつ、
これと言った発想も浮かばないままにしている所へ、
物凄い勢いで騎兵が駈け込んで来た。
て、敵が戻って来たのかと一瞬焦ったが、来たのは
壱伎史韓国の軍に敗れて懼坂道から撤退して来た
坂本臣財と紀臣大音の一行であった。
三名だけの守りはここで二百名ほどが追加されて、
ちゃんとした守りの形が揃ったことになった。
橋板はそのままで荒田尾直赤麻呂は
いきさつを告げて、坂本臣財に倭古京に
留まるように依頼をすると、坂本臣財と紀臣大音は
快く了承した。ちょうどその時に「ついで」の
大男が目を覚まして、「敵はまだ来ないのかあ」
と大声で呼びかけて来たので、忌部首子人が
「来た。見た。勝った」と大声で言い返すと、
秦造熊は「なあんだ」と言ってから、
また屋根の上に躰を倒して眠り始めた。
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