上 下
53 / 68
其の伍捕捉

桜の話

しおりを挟む
三重県鈴鹿市の寺家、鼓ヶ浦に子安観音寺と呼ばれる
仏教寺院がある。ここに不断桜と呼ばれる桜が存在する。
正式名称は白子不断桜(しろこふだんざくら)であり、
言うまでもなく唯一品種である。不断桜の名称は、
開花時期が非常に長く、葉も散らないところから、
このように呼ばれたそうである。ちなみにこの桜は
霊木であり、物珍しさから時の帝の意向で
一度内裏に植え替えられたところ、樹勢が弱って
枯死してしまったので、再び元の場所に
植え直されたところ復活したことから、
霊木として崇められて今に至るそうである。
また、古事記や日本書紀などを編纂するうえで
参考とされたことが想定できるホツマツタヱなる
書物には、木花之開耶姫(このはなさくやひめ)
桜の誓いの一章があって、これまた白子において
桜に誓いを立てる話がある。

以下はホツマツタヱよりの抜粋である。

シロコ(白子)の宿まで来た時、この卑劣なささやきが
ついに君の耳に入ります。
思えば、たった一夜のちぎりで子供ができてしまったことの
疑いが生じて、旅宿に姫を置き去りにして、
夜半のうちに供を引き連れイセに帰ってしまいます。

朝目覚めて、一人取り残されたのを知って
途方に暮れた姫は、気を取り直し、身重の体を
引きずって君の後を追ってマツザカ(松坂)に
たどり着きますが、ここから先へは関止められて
なんとしても通してもらえません。
わけもわからないまま、泣く泣くとぼとぼと
シロコの宿まで戻ってきます。
ふと、自分が母と姉から妬まれ、いわれなき罪に
落とし込まれたことを悟った時、何故か毅然として
今までの不安が吹っ切れた姫は、自分の運命に
正面から立ち向かおうとする強い心がよみがえり、
一本の桜に誓いをたてます。

昔、ひいおじいさんの名をサクラウチといい、
アマテル神の左大臣だった頃、イセの道
(伊勢は妹背/いもおせ/の略・男女の相性)を
占う桜を大内宮に植えて、今では左近の桜として、
右近の橘とともに政に欠かせないまでになっています。

「桜よ、さくら、心あらば、
私に降りかかった妬まれの恥じをそそいでおくれ。
もしお腹の子が仇種(あだだね)ならば花よしぼんでしまえ。
正種(まさだね)ならば子が生まれる時に、
花よ咲け。絶えることなく咲け」と、三度(みたび)誓い、
桜に思いを込めてここに植え、
里のミシマ(三島)に帰りました。

この後三島に帰ってから、彼女は三つ子を
無事に産み落とし、疑いを晴らすことになる。
今回の物語において、この桜の樹の下にいた娘を
この桜の神の化身としている。
この誓いの逸話があまり広く知られていないので
ここで説明して、物語の隠喩についての
情報を提供する次第である。

ところで、私たちの良く知る毎年四月初旬に開花予想や、
開花前線など特別扱いされる桜は、
染井吉野(そめいよしの)と呼ばれる品種であり、
これはその美しさから江戸時代末期に意図的に
複製されて全国に広がった品種である。
これを四月の初めに桜の下で宴会を繰り広げるための
娯楽と受け止めるか、人を介して齎された神の恩寵と
捉えるかは人それぞれだと思われるが、
後者であるほうが世界認識を拡げるうえでは
面白いと筆者には思えて来るのである。
しおりを挟む

処理中です...