続 野良猫と藪医者

結城 鈴

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 雨の土曜日。昨夜しっかり眠らせてもらえたおかげか、朝はシャキッと目覚めることができた。朝ごはんを作りに、キッチンへと降りる。朝ごはんのメニューは大体決まっていて、ご飯かパンに、納豆、しらす、たらこ、卵料理・・・まぁ、十八歳の男子に用意できるものなんてたかが知れていて・・・。
それでも、一臣は喜んでくれるから、みそ汁だとか、カップスープだとか、野菜ジュースとか、オプションで付け足して。
これで、ミニサラダでもあれば完璧なんだろうけど・・・。
一臣が起きてくるまでに、そこまで手が回らなくて。
要領悪いなぁとか思って、朝から自己嫌悪してみたりする。
オムレツの下準備をしたところで、寝室を覗きに行くと、一臣はまだ眠っていた。なら、昨夜使わなかったシャワーを先に済ませようか。頭の中でぼんやり考える。お尻のあたりが、少々気持ち悪いような・・・気がして。
一臣は、情事が済むとレンジで蒸しタオルを作って持ってきてくれる。それで、ざっと体を清めて、そのまま眠ってしまうことが多い。けれど、昨夜はそれもしないで、タオルで軽く拭って眠ってしまったから、べたついているのだ。食事の前に、さっぱりしたかった。
バスルームの扉を開け、パジャマ代わりのTシャツと、ハーフパンツを脱ぐ。下着はつけていない。それを、ランドリーバスケットに入れて、シャワーの温度を調節した。一臣が使った後は、温度が高めに設定されているからだ。自分には熱すぎるそれをぬるめに戻して、シャワーのコックを捻る。いつも、うっかり最初に水が出てくるのを忘れて、ヒヤッとする。お湯が出てくるのを待って、頭から浴びた。シャンプーをしながら、髪、どうしようかと思う。似合っているけれど、切った方が頭痛にはいいと一臣が言うからだ。流して、顔に張り付いた前髪は、確かにかなり長めだった。
「切ろうかなー・・・。」
呟いて、コンディショナーを手に取る。
土曜か・・・美容室、混んでるだろうか?予約した方がいいよなぁ・・・。
美容室は、苦手な場所の一つで、シャンプーは好きなのだが、切ってもらっている最中に、頭痛の発作を起こしたしまうことがしばしばあるのだ。一度途中で止めて、家で寝込んだこともある。後日お直しで行く羽目になり、二度手間だったことを思うと、あまり頻繁に行きたくない場所の一つだった。
行きたくない場所と言えば・・・一臣は歯医者に行くようにも勧めていたな、と思い出す。眼科はともかく、こちらもやはり行きたくない。頭痛で病院巡りは普通だと言っていたが、本当に関係あるのだろうか。一臣の医者の勘を疑ってしまうのは、日ごろから自身のことを藪だと卑下するからだった。
今は、月に二回、土曜に深夜救急のバイトを入れている。来る患者は外傷の患者、つまり外科の患者が多いらしく、内科担当の一臣には、あまり出番はないという。腹痛や、頭痛で来る患者も、重症なら即手術室送りだったりで、やはりあまり役には立っていないとぼやいていた。
それでも、忙しい医療現場からこれ以上遠のいたら、本当に藪になってしまうからと、一緒に暮らすようになってからも、そのバイトだけは続けていた。もちろん、平日も仕事から帰ってからの勉強を欠かさない。普段は、机に向かって難しい論文を読み漁っている。
藪なりに、頑張ってると思うんだけどなぁ・・・。
足りないのかな。足りないのだろう。圧倒的に、患者を相手にする数が。もっと多くの症例を見なくては、臨床に立たなくては、例えば、学生時代からの友人だと言っていた、榊医師のようにはなれないと思っているのだろう。
これ以上、枷になりたくないから、バイトをやめてほしいと、秘かに思っていることは、口が裂けても言わない。
体を洗い清めて、脱衣所に出ると、一臣が起きてきたところだった。やはり、シャワーを使うのだろうか。
「一臣さん、おはよう。」
「おはようすばる。早起きだね。」
タオルを取って、濡れ髪を拭いてくれる。くすぐったくて、身じろぎした。
「よく眠れた?」
「うん。・・・一臣さん、シャワー?」
「いや、俺は昨夜済ませたから。」
あ、と思った。昨夜一臣は、ここで足りない分の性欲を処理したのだと。
「ごめんなさい。」
「?なに・・・?」
物足りなかったんでしょう?とは口にできず、ううん、と言葉を濁す。
「なんでも。・・・あ、朝ごはんオムレツだよ。パンにする?」
「あークロワッサン買ってあったよね。食べちゃわないと。」
そういえばそうだったと思い出し、どうやら朝のメニューが決まったらしかった。後は、ミニトマトを添えて、インスタントのコンソメスープを出して・・・。
頭の中で組み立てていると、一臣が髪を拭き終えてタオルをバスケットに投げた。
「あれ?すばる少し背が伸びたかい?」
「え?わかんないけど・・・そう?」
「来月誕生日だもんね。一年もたてば伸びるか。服、買い替え必要だったら言ってね。一緒に買い物に行こう。明日の午後なら空いてるよ。」
今日は、バイトの日。夜いない代わりに、日曜は昼まで寝ている。そんなリズムにも慣れたと言えば、慣れた。
一臣に会うまで、自分は高校生活を一人暮らしのアパートで送っていた。だから、一人には慣れていた。慣れていたのに、一臣があんまり甘やかすから、月に二回のこの土曜の夜が嫌いだった。そんな思いを見透かしてか、一臣が、夜、淋しい?と問うてくる。
「・・・大丈夫。一臣さんのためだもん。」
ほかの誰でもない、一臣のキャリアのためだ。いずれは、企業の産業医などやめて、病院に戻りたいであろう一臣の。だから言わない。
「それより、ご飯作るね!すぐできるから待ってて、着替えるから。」
あっちいってて、と脱衣所から追い出す。裸を見られることは、明るい中でも平気になったが、着脱を見られるのには抵抗があった。一臣は、クスクス笑うと、はーいと脱衣所を後にした。

 夕方、病院へと出勤していく一臣を見送って、今夜のお弁当あれで足りたかなと思いを巡らせる。足りなければ、病院にはコンビニも併設されているから、時間があれば買い足すだろうが・・・。いつも、時間がなくても手軽に食べられるように、ラップでくるんだサンドイッチかおにぎりだ。弁当箱を使わないので、ゴミだけ捨ててしまえば洗い物もない。
食べる暇があればいいけど。時々、忙しすぎて休憩が取れない夜もあるようで、そんなときは家に持ち帰って朝食べている。朝ごはん代わりにそれを食べて、昼まで眠るのだ。睡眠時間はやや足りないが、まだ若い一臣は、大丈夫、と午後を自分との時間にあててくれている。明日の午後も、どうやら買い物に出かけることになったみたいだし。
服なんて、そんなにいらないのにな・・・。
頓着しない自分には、平日を着回せる分の洋服があれば十分だった。シーズンことに、二着ほど買い足して、衣替えは終了だ。梅雨時期の今、冷える夜には大体家にいたし、羽織り物も必要なかった。
さて、自分の夕食はどうしようか。今日は、雨上がり。路面は濡れているが、スーパーまで歩いていけそうだった。
「お惣菜ですませちゃお。」
独り言して、見送った玄関から中に入り、自分の小ぶりなバッグを取りに行く。財布とスマホしか入っていない、買い物用のバッグだ。施錠して、近所のスーパーまでを行くことにした。

 スーパーで、総菜コーナーを物色していると、不意に後ろから声をかけられた。野太い男の声だ。聞き覚えがあった。
「よぉ・・・。」
「榊先生こんばんは。」
榊は、一臣の学生時代からの友達で、今は榊医院の二代目として肛門科の医師をしている。何度かお世話にもなっていた。
「あぁ、一臣夜勤か。何お前、一人だからって、あんまり手抜き飯食ってると、体に悪いぞ。」
そういう榊のかごには、ビールが数本入っていた。そしてその体型。以前より冬眠前のクマに近づいた気がする。
「たまにですよ。おかずだけ買って、家にご飯炊いてあります。」
榊は、なんだそうかと呟くように言った。
「付き合ってやろうか?家主のいない家に男連れ込んじゃ悪いだろうから、おれんち来るか?後で送ってやるから。」
以前、一臣に無断で榊の家に行ったときは、診察を受けたこともあり、あとでさんざん叱られた。どうしようかと逡巡する。
「嫌ならいーけどよ。一人で飯食うの淋しいだろ?」
そんな榊は、最近食事を共にするパートナーができた。まだ高校生だというから驚きだ。誘ってくるからには、その彼は今日は来ない日なのだろう。パートナーができて、榊もまた、一人での食事に淋しさを覚えたのか。なんとなく微笑ましくて、苦笑した。
「大丈夫です。本当に簡単に済ませて、学校の課題するつもりだし。淋しいのは、先生ですよね?」
しょうがないなぁと笑って見せる。
「しょうがないだろ。あっちも課題に追われてるんだとよ。
学生の本文邪魔するわけにいかないだろ。おれが教えてやれるのは、数学と英語と、生物、化学くらいだからな。」
つまり、追われているのはそれ以外ということか。なんだろうかと興味がわいたが、あまり追及するのははばかられた。
「じゃぁ、先生、なんならおかずとして体にいいですか?」
「チキンカツかなー。脂身少ないし。ここの総菜は、わりと油に気を使ってるから胸やけもない。後は、カット野菜でいいからサラダを食え。便秘は尻に悪い。」
言われた通り、チキンカツをかごに入れる。
「あとは野菜ですね。売り場見てきます。先生まさか、ビールだけ買いに来たんですか?」
「おれは寿司にしようかと思ってるよ。ここは、魚も鮮度がいいからな。なかなかうまい。」
寿司か。しかし、すでにご飯を炊いてしまっている。梅雨時に生ものを食べるのも気が引けた。
「じゃぁな。育ち盛りなんだ、ちゃんと飯は食えよ。」
榊はそう言うと、鮮魚コーナーへと去っていった。自分はと言えば、アドバイス通りにパックのサラダを手に取り、かごに入れる。会計を済ませ、スーパーを出るころには、雲行きがややおかしくなってきていた。黒い雲は、低いところにあって、今にも降り出しそうだ。家までもてばいいが・・・。
少し速足で、帰路についた。

 食事を終え、湿気で冷えた体を温めようと、風呂に湯を張った。一人で入るには広い風呂だ。一臣の好きな柑橘の香りの入浴剤を入れて、黄色に染まった湯につかる。ふーっと息を吐き出して、香りを胸に吸い込んだ。落ち着く・・・。
しばらくそうして、段差のある湯船に腰かけて半身浴をする。
のぼせると、頭痛につながったりするからだ。
いつも、頭痛のことばかり考えてしまうくらいには、悩まされていた。
「歯医者かぁ。もう予約取っちゃったかなぁ。」
行きたくないけれど、行った方がいいような気にはなってきていた。それと眼科だ。スーパーに行く道すがら、場所は再確認してきた。土曜は午後休診らしく、クローズの札がかかていた。学校が早く終わる火曜にでも、行ってみようか。
「眼鏡かぁ。」
キスをするのに邪魔だなぁと思ってしまう自分に呆れる。
一臣は真剣に、頭痛のためを考えてくれているのだろうに。しかしコンタクトレンズはちょっと怖い。美術系の専門学校で、奇抜なファッションの男女がカラーコンタクトを入れているのをよく目にするが、何がいいのか自分にはさっぱりわからなかった。茶色はともかく、青や緑はやりすぎだろうと思う。自分にはおよそ縁遠いものに思えた。もちろん、自分が使うなら、透明のものだと思うからだ。
ちゃぽ、とお湯で顔を拭い、改めて左右の目の見え方を確認する。やはり、左の方がぼやける。眼鏡は、学校用にしよう。家にいるときは、そう不便を感じていない。使ってみて必要を感じたら、コンタクトを検討しよう。
ぼんやりとそんなことを思って、風呂から上がった。

 一臣のいない夜は長い。早く布団に入ってしまいたかったが、課題がある。授業時間に終わらなかったデッサンを仕上げておかなくてはならない。明日の午前中でもいいが、午後は出かけるようだし、できるところまで済ませておきたかった。イーゼルにクロッキー帳を置き、B4の鉛筆を手にする。
大まかには描きこんであったから、後は細部を仕上げるだけだ。像を思い起こしながら、手を加えてゆく。いつになっても、裸婦像には慣れない。豊かな胸のふくらみや、くびれたウエスト。上半身だけとはいえ、その優しげな表情に、母性を感じることはない。
一臣は、愛情を感じるアンテナが曲がっていると称したが、女性、とりわけ母親の愛情は今でもまだ感じられなかった。
父親とは、進学の件で少し話をする機会ができ、自分のやりたいことを認めてもらえた嬉しさも相まって、なんとなく打ち解けられた気がするが、母親の方は受け付けなかった。
そういえば、最近姉はどうしているだろう?結婚して家を出てから、あまり接点がない。その方が、気持ちは穏やかに過ごせたが、結婚相手の忠則のことを思うと、DVでも受けてやしないかと心配になる。
あの日、自分だけに見せた、あの男の本性。それがいつ、姉に向くか・・・。それとも、婿入りした先の義理の両親の遺産を継ぐまでは大人しくしているつもりなのか。嫌な義兄のことを思い出して、手が止まる。
何もなければいいが・・・。
なんとなく、やる気をそがれて、鉛筆を置いた。今日はここまでにしよう。気が乗らない時に描いた絵は、それなりに仕上がってしまう。講師の先生はお見通しだ。
諦めてベッドに入ることにした。与えられた自室のベッドは、心地よくないわけではないが、やはり一臣が恋しかった。
眠ってしまおう。朝、帰ってくる一臣を出迎えられるように。

 「おはようすばる。」
翌朝、少しだけ疲労の色を見せつつ、一臣が帰宅した。軽めの朝食を用意してある。迎え入れて、シャワーを浴びる一臣を、キッチンで目玉焼きを焼きながら待った。今日は、豆腐の味噌汁とごはん。目玉焼きと、キュウリの浅漬けを用意していた。
タオルで濡れ髪を拭きながら、Tシャツにステテコ姿の一臣がダイニングテーブルに座る。すかさず、料理の乗った食器をテーブルに並べ、二人で食べる。
これから一臣は、昼過ぎまで睡眠をとって、午後は買い物に出る。梅雨の晴れ間で、曇りがちではあったものの、少しだけ日がさしていて、外はとても蒸し暑かった。
実は、出かけるのは少しだけ面倒くさい。
暑いのは苦手だったし、課題もまだ済んでいない。一臣が寝ている間に、キッチンを片付け、洗濯を干して、課題を仕上げなければならなかった。
今は八時半。すでに、一臣の持ち帰った洗濯は、洗濯機の中だ。干さないわけにはいかない。幸い、一臣のワイシャツは、アイロンのいらないタイプのものなので、楽をさせてもらっていた。
「すばる、体調大丈夫?」
食べ終わり、満腹一歩手前の一臣が、あくび交じりに尋ねてくる。
「うん。体調は。課題終わってないから、仕上げてから出かけたいな。」
時間かかりそうだから、ゆっくり寝ていて?と返す。
そんな、のんびりとした時間を楽しんでいた時だった。
テーブル上に置かれた自分のスマホが急に鳴り出した。着信音は電話だった。一臣と一緒にいるときに鳴るのは珍しい、と液晶を見ると、姉からだった。
「もしもし?」
通話を押すと、姉の明(あきら)が少し弾むような声で、もしもし、と返してきた。
『あぁすばる?聞いてほしいことがあって。』
「うん?なに?」
声のトーンは明るい。昨夜心配したような事態でないのは、なんとなく察せられた。
『あのね、赤ちゃんができたの。あなた叔父さんになるのよ。』
え・・・?
『今五ヶ月に入ったところ。もうすぐ性別もわかるみたい。』
嬉し気な姉の声とは対照に、指先が冷えていくのを感じた。嬉しいことのはずなのに、心が麻痺してゆく。何の感情もわかない自分に焦った。
「あ、そうなんだ・・・。おめでとう。赤ちゃんかぁ・・・。」
取り繕うように言って、けれど、視界がぐるぐると回り始める。性別はまだわからない。わからないけれど・・・。父と母は、やはり女の子を望むのだろうか。自分の時と同じように・・・。
『すばる?』
「あ、ううん。なんでもない。ちょっとびっくりして。姉さん、忠則さんとうまくやってたんだね。あんまり連絡ないから、ちょっと心配してた。」
『安定期に入るまでは、周りには内緒にしていたかったの。』
ごめんね、と明は言う。
『じゃぁ、その報告だけだから。佐伯さんとはどう?あなたこそうまくやってる?』
「今、ちゃんと僕が朝ごはん作って食べてもらってたところ。」
ちゃんと、のところを少しだけ強調して、ちらりと一臣を伺った。首をかしげて、こちらを見ている。
『食事中なのね。そうよね。朝早くにごめんなさい。じゃぁゆっくりしてね。また性別がわかったら連絡してもいい?』
性別・・・。
「うん。・・・うん。ダメなわけないじゃん。姉さんこそ、大事にしてね。じゃぁ。」
そっと、通話を切る。
しばし呆然としていると、一臣が心配そうに声を発した。
「お姉さん、赤ちゃんできたの?」
話しの様子から察したらしい。
「すばる、顔色悪いよ。大丈夫?」
大丈夫・・ではない。クラクラするし、呼吸もおかしかった。
このままいくと、また過呼吸を起こしそうだった。
「あんまり・・・大丈夫じゃないかも。」
「・・・うん。」
一臣にとっても、この手の話は苦手な部類だろう。自身の子供を、見ることなく失った過去があるのだから。
「・・・姉さん幸せそうだった・・・。」
「良かったじゃない。」
一臣は即答する。良かった?この事態は、自分にとって、良かったのか?
わからなかった。
返事に窮していると、一臣は困ったように眉根を寄せた。
「すばる。命を授かるのは、いいことだよ。後は、何事もなく生まれてきてくれるといいね。」
そう告げる一臣だって、記憶の暗い部分をつつかれているだろうに。優し気に告げる一臣に、これ以上心配させることはできなかった。
「うん。・・・いいこと、だよね。」
父と母も喜んでいるのだろうか。いや、喜んでいるに違いない。きっと・・・。
「一臣さんごめん。具合悪いかも・・・。」
一臣は、玄関に置かれたままだったドクターズバッグに向かうと、いつもの薬を持ってきた。気持ちが落ち着く薬。
一錠もらい、口にする。麦茶で流し込んで、それでも、呼吸が浅く早い。
「すばる、過呼吸?袋、いる?」
こく、と頷くと、一臣は、そっと立たせて、リビングのソファーに横になるように言った。キッチンからポリ袋を持ってくる。受け取って、口に当て、ふーっと膨らませた。その呼気をまた吸い込む。何度か繰り返すと、徐々に楽になってきた。背中を嫌な汗が流れた。一臣が、落ち着くのを見計らってか、ペットボトルの水を持ってきてくれる。受け取って一口した。
「・・・ありがとう。もう大丈夫。」
「うん・・・。すばるにとっては一大事だもんね。なんとなく気持ちはわかるよ。」
一臣は、察してくれているらしかった。
女の子に生まれなかったせいで、両親の愛情を満足に受けられなかった自分。男の子はいらないはずの家に、婿入りした忠則と姉の子供。両親の反応が知りたかった。男でも、女でも・・・嬉しいものなのだろうか・・・。
「一臣さん・・・。父さんと母さんは、喜んでいるのかな?」
「たぶんね。初孫だし、内孫だし。・・・少なくとも、俺の両親は喜んでいたなぁ。」
やっぱり、暗い過去に思いをはせているらしい一臣に、恐縮してしまう。
「一臣さんも・・・ごめんね?朝からこんな話・・・。」
「すばる。これは、いい話。落ち込むことはないよ。」
「うん・・・。」
そうは言うものの・・・とても買い物になど行ける気分ではなくなっていた。食べかけの食事も、喉を通る気がしない。
「一臣さんごめん。今日は家にいたい。」
デートの誘いを断ると、一臣は、うん、と頷いた。
「気晴らしに出かけた方がいいかもだけど・・・気分じゃないよね。好きにしていいよ。気が変わったら言って?」
後片付けはするから、休んでおいでと言われ、頷く。
疲れていて、眠いだろうに。申し訳ない気持ちになったが、まだ動けそうもなかった。
姉のお腹に赤ちゃん・・・。
青天の霹靂に、暗鬱な気持ちになった。
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