黒ウサギの雲の向こう

枯葉

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三話

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 森の奥には、一部だけ竹が群生している静かな場所がありました。
 
 そこは空高くまで生えてる青竹のせいで、昼間でもいつも数本の光の筋しか地面に届かない薄暗く、常にヒンヤリとした空気が漂う不思議な場所でした。
 
 その一角の、枯葉を敷き詰めて作った絨毯の上が煤ウサギの住処すみかでした。
 
 イタズラを終えた煤ウサギが村から帰ってくると、自分の住処に知った顔の二匹のうさぎが居ることに気付きました。その二匹の姿を遠目から見ただけで一瞬のうちに全身の黒い毛が逆立ち、体は固まってしまいました。
 
 煤ウサギは微動だにできず、その場に立ちすくんでいましたけれど、頭の中だけは目まぐるしく色々な考えが動き回ってました。

 何の用で自分の住処にやってきたのか? 煤ウサギは思い当たるふしなんとか見つけようとしましたけれど、まったく答えは出ませんでした。
 煤ウサギは、このままではらちがあかないと思い、どうにか心を決め、勇気を出して短いのに遠く感じる残りの帰り道を歩きだしました。
  
 知恵うさぎは煤ウサギの住処で待ち疲れたのか、赤い目を一層赤くしていました。こらえきれずあくびでもしようかと思ったそのとき、獣道からガサガサッと聞こえた音に驚いて、知恵うさぎは思わず飛びのきました。力うさぎは音のした方をジッと眺めています。枝や草木を踏み分け怪訝な表情を浮かべたまま、煤ウサギは住処へと戻ってきました。
  
 三匹はお互いに赤い目を合わせたまま、無言で座り尽くしていました。
 
 白うさぎの二匹は、普段煤ウサギを見つけると馬鹿にするような言葉でしか話しかけたことが無く、煤ウサギの方は、自分から白うさぎ達に話しかけたりすることは一度も無かったので、お互いに初めて『会話』の言葉を探していたのです。

「何の用?」

 やっとのことで、煤ウサギがそれだけをぶっきらぼうに言いました。ぶっきらぼうな言い方とはいえ、話をするきっかけには充分過ぎる一言でした。

「あ、あぁ。お前の家で待たせてもらっていた……実は煤ウサギに、折り入って大事な話があるんだ」
 
 力うさぎの声は、硬くこわばっていました。自分達とは違う毛色で、人語を喋る煤ウサギのことを、いつもに馬鹿にしていたけれど顔を突き合わせてみて初めて、それは心の奥底で恐怖を感じていることに対する強がりだったのだと気づいたのです。それは隣にいる知恵うさぎも同じだったようで、深い呼吸をしておりました。

「話を始める前に、いきなりなんだが俺たちが煤ウサギにしてきた無礼な行いの数々を謝らせてくれないか。……今まで本当にすまなかった」
  
 そう言うと、力うさぎは両目を固くつむり、自慢の大木のように太い両耳が地面に着いてしまうくらい頭を下げたのです。
  隣の知恵うさぎも、力うさぎ程では無いけれど頭を下げました。しかし、下を向いている知恵うさぎの顔は奥歯を噛み締め不服そうでした。
 
 二匹の行動を見て、煤ウサギの頭は大騒ぎの大混乱。何が何だか、わからなくなっていました。
 白うさぎ達が、まともに話しかけてくることなんて一度も無かった上に、初めての会話がいきなりの謝罪だったので、どうしたらいいのかまったくわかりませんでした。
 
 しかし、このまま頭を下げさせているのも心苦しかったので「一体どうしたっていうんだよ。急に謝られても、訳がわからないよ。とりあえず、力うさぎも知恵うさぎも頭を上げておくれよ」そう言いました。
 その言葉を聞いて二匹は頭を上げ、一呼吸置いてから力うさぎが話し出しました。

「本題に入る前に謝っておかなければ、この件を進められないと思ってな……」
 力うさぎは一度咳ばらいをして、一層緊張した面持ちで要件を話しだしました。  

「単刀直入に言うとだな、お前に俺達の仲間に入ってもらいたいんだ。だからこそ最初に謝った。俺達は仲間に対して、今まで煤ウサギにしてきたような行いは、絶対にしないからな。仲間に入る前提の謝罪になってしまって申し訳ない。……いや、仲間になってくれなくても俺たちがしてきた行為は、謝らないといけないことだったんだ」

 煤ウサギの頭の中は、すでに真っ白でした。先程から信じられない出来事や話が続いているせいで、煤ウサギの脳は考える事を放棄してしまったようでした。
 放心している煤ウサギの肩を、知恵うさぎの細い前足が揺らします。

「おい、おい! 大丈夫かい? 今の話聞いてたのか?」
  知恵うさぎに体を揺さぶられて、煤ウサギの浮遊していた意識は体に戻ってきました。

「え、あ、あぁ聞いてたよ。でも、突拍子も無い話で今も戸惑ってるよ。心の整理に時間が掛かるけど、素直にその申し出は嬉しいよ」
 しかし、同時に疑問がわいてきました。

「でもなんで、あれだけ馬鹿にしてたオイラを、急に仲間に入れようとするんだい?」
「それは、僕の方から説明するよ」
  力うさぎに代わって、今度は知恵うさぎが一歩前に出ました。

「実は今日、食料を探す当番だった僕は、木の実や野草とか、とにかくなんでもいいから食べ物を見つけなくちゃと思って森の中を歩いていたんだ。でも、ここのところ雨や曇りが続いているせいで、めぼしいものは見つからなくてね。困った僕は、少々危険だとは思いつつも村の方へ行ったんだ」
 村という単語に、煤ウサギの耳はピクッと動きました。

「そこで僕は、ある場面に出くわしてね……。あるウサギが人語を喋って人間をからかっている場面をね。ねぇ、それって、君だよね?」
 知恵うさぎは、煤ウサギのうつむいてる表情を確かめるように、下からのぞき込んで言いました。
 煤ウサギの前歯は、カチカチカチと小刻みに鳴りだし、目はキョロキョロと激しく動き回っていました。
 煤ウサギのその表情を見ると、知恵うさぎは満足そうに芝居がかった話し方で続けました。

「その光景を見て僕は驚いたさ! まさか人語を喋れるウサギが本当にいるだなんて! 自分の目と耳を疑ったさ。でも、現実にそこに居たんだ。そのとき僕の頭に、一つの名案が浮かんだんだよ」
 
 煤ウサギの心は不安で握りつぶされそうでした。

「その案っていうのはね、君が村でやったことをしてくれたら、僕達は安全に人間の食べ物を家の中から頂戴できるってことなんだ。人間は慌てていれば、あの厄介な戸を閉めずに出て行ってくれるだろ。なぁ煤ウサギ、君のその能力は奇跡だ! だから、僕達の仲間になって力を貸して欲しいんだ」
 
 知恵うさぎの話を聞き終えた煤ウサギは、先程とは違う感情が駆け巡り、体中をわなわなと震わせていました。知恵うさぎの話を聞いているうちに煤ウサギの心は不快な色に染まっていました。人語を話す特技を悪用して盗みを働くだなんて腹ただしく、煤ウサギは知恵うさぎに言い返すため詰め寄ろうとしたそのとき、二匹の間に力うさぎが割って入ってきました。

「お前の気持ちを考えて無い勝手な話だってことは充分わかってる。でも、俺達の食料は本当に底を尽きそうなんだ。今年の夏、歌うさぎの所に双子が生まれたんだ。仲間の家族は俺達みんなの家族だ。それなのに、新しい家族に満足な食料を分け与えることが出来ずにいる」
  言いながら、悔しさのあまり力うさぎは前歯を噛み締めて、ギリッギリッとこすれる音が竹林に響いてました。

「しかし、俺は群れの長として、みんなを守っていかねばならない責任がある、俺の力不足だってことはよくわかってる。だからこそお前の力が必要なんだ。頼む煤ウサギ!」
  力うさぎはそう言って、今度は顔が地面にこすれるくらい頭を下げました。

 煤ウサギは、力うさぎがこれほどまでに仲間思いで、熱い男だとは知りませんでした。しかし、そこまでされても煤ウサギの心中は複雑です。今まで自分のことをずっと馬鹿にしてきた白うさぎ達の仲間に入るのは、嵐の日に泳いで川を渡るくらい、危険なことに感じられたのです。それに、その為には人語を話せる特技を悪用する必要があったのですから、煤ウサギは大いに悩みました。
 
 白うさぎ達に対しての怒りの風船は、今はもうしぼんでいましたが、いくつものわだかまりを抱えたまま、自分は上手くやっていけるのか不安は残ったままでした。しかしその反面、生まれて初めて出来る仲間と言う存在や、その繋がりに心が躍ったのも事実です。

 しばらく下を向きながら考えたのち、煤ウサギは決心して顔を上げました。

「オイラ……君達の仲間になるよ!」

 意を決して煤ウサギがそう言うと、力うさぎは赤い目を涙でにじませ、煤ウサギの両肩を力強くつかみました。

「ありがとう! ありがとう、煤ウサギ! お前を、俺達の仲間として心から歓迎する!」
  根が実直な力うさぎのその言葉には、嘘偽りは一つもありませんでした。

「よかった。君が来てくれて、本当に嬉しいよ。これからよろしく」
 しかし、知恵うさぎの淡々とし物言いは、力うさぎとは対照的に、まったく心が感じられませんでした。

「こちらこそ、よろしく!」
 
 単に自分は利用されているだけなのかも知れないという考えも、煤ウサギには浮かんでいましたけれど、それ以上にこれからは一匹ぼっちじゃなくなることの方が、とても魅力的に思えたのです。
 二匹のうさぎが帰ったその後は、暗く寂しい竹林が少し明るく感じられたのです。
  
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