ロンドンの疾風

sanpo

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  ※本文中の参考資料です




 仕事場へ向かう途上、ヒューは一言ひとことも口をきかなかった。
 テレグラフ・エージェンシー社に着くと玄関前の路上でたむろしている夜番の仲間たちの方へ一目散に駆けて行った。
 こんなことは珍しい。ヒューはいつも一人でいるのを好んだから。だが、今日は何人かを呼び留めて暫く熱心に話し込んでいた。
 距離を置いてその様子を眺めていたエドガーの元に戻って来るとヒューは満面の笑顔で言った。
「やったぞ、エド、とうとう全ての謎が解けた! 多分これが正解だ!」
 突然そんなことを言われてもエドガーは何が何だか全くわからない。
「お願いだよ、ヒュー、僕にもわかるように一つ一つ説明してくれよ」
「OK。まずシーモア氏の書置きについて読み解いて行こう」
 黒髪を搔き上げながらヒューは話し始める。
「レディが言った通り、シーモア氏が書置きに記した〈宝〉とは〈狐の真珠〉だと思う。それをシーモア氏がニセモノと告白した。だが、ニセモノと知らず犯人は盗んだ。ナイフで刺されたシーモア氏は盗む場面を見ていた。そして、犯人が逃げ去った後でニセモノを所有している人物こそ自分を殺した犯人だと記した――ここまではいいな?」
「うん、そこまではわかった」
「さて、ここからが最も重要な点さ。俺は、盗まれたそのニセモノの宝が仕舞われている容器がどんなものか、どんな形状か、わかった」
「えー?」
 本当に、何度この友は自分を驚かせてくれることか! 驚くことにかなり慣れてきたとはいえエドガーは目を白黒させながらなんとか言葉を発した。
「ど、どんな入れ物なのさ? どういう形をしてるの? しかも、一体何故、そんなことがわかったんだ?」
「なんのことはない。そのこともちゃんと書置きに書いてあるからだよ。思い出せエド、シーモア氏は書置きに何と記していた?」
「えーと、えーと、『宝・盗まれた・だがそれは偽物――」
 ヒューは落ちていた小枝を拾ってエドガーが暗唱する言葉を地面に書いて行く。
「――偽物を持つ者が・殺人者』」
 手を止め、じれったそうに先を促した。
「最後まで言えよ、エド」
「これで全部だよ。あとは力尽きてクニャリと曲がった線だけ」
 落ち着きはらってヒューは土の上に曲がった線を書き足した。そして言った。
「そう、シーモア氏が力尽きたのは事実だ。だけど彼は最後まで伝えようと試みたのさ。後一筆で完成したのに、残念ながら、その一筆が足りなかった・・・・・・・・・
「?」
 首を傾げるエドガーの前でヒューは書いて見せた。シーモア氏が書けなかった部分、最後の一筆を。

     ※上掲、最初の図

 覗き込んだエドガーは首を振った。
「……わかんないよ」
「いや、わかるよ、よく見ろ、おまえもこの形・・・を知っている。何に見える?」
「あ」
 エドガーの喉が笛のように鳴った。
「魚?」
大当たりビンゴ!」
 シーモア氏の下に向けて歪曲した線に、非対称に上へ向けてもう一本曲がった線を加えると出来上がった形は確かに魚に見える。
「しかも、これはただの魚じゃない」
 更にヒューが説明してくれた。ガリガリと魚の腹の中にアルファベットを書き加える。

   I X O Y Σ

「古代の人々、あるいは現代の熱心な信徒、聖書に詳しい人や宗教家なら、一目でわかるはずだ。この形はイクテュスとも呼ばれる。ギリシャ語で〝魚〟と言う単語だから。それだけじゃない。イクテュスのギリシア文字〈IXOYΣ〉は〈イエス(I)/キリスト(X)/神の(O)/子 (Y)/救世主 (Σ)〉の頭文字でもある。迫害時代に、キリスト教を信じる証しとしてこの図をサッと書いて自分が信徒であることを知らせる暗号――秘密の符牒として使用されたらしい。簡単に描けるからね。キリスト教の最古の象徴エンブレムとして古代ローマのカタコンベにも描かれている……」

                ※上掲 2番目の図

「そう言われれば、この字の入った魚、僕も目にしたことがある。ジーザス・フィッシュって言うんだよね? でもそんな深い意味があるとは知らなかった。ホント凄いよ、ヒューは物知りなんだなぁ!」
「牧師だった父さんの蔵書のおかげさ。駆け落ちした時ほとんど手放したらしいけど、それでもこの種の本はまだ何冊か家に残ってる……」
 ヒューは帽子を被り直して話を本題へ戻した。
「俺が思うにシーモア氏は本物の真珠は手放したものの、そっくりな偽物を作って、それを魚の形の何かの中に隠していたんだろう。ホラ、書斎の机の抽斗ひきだしが全部引き出されていたろ? だから、きっとそこに入るくらいの大きさの入れ物のはずだ。ところで、留置場でカンバーランドさんは何と言った?」
 
 ――ルパートに頼まれて絵を描いたことがある。絵と言うほどの物じゃない。杉の焼き板に描いたチャチな魚の絵さ……

容器・・はそれだ」
 ヒューはエドガーを真正面から見つめた。
「結論。だから、〝魚の絵を持っている人物〟を捜し出せばいい。どうだ。簡単だろ?」
 ブンブンとエドガーは首を振る。
「簡単なものか! まさか、ロンドン中の家を廻ってその小さい魚の絵を捜すのか? いくら僕らが〝何処へでも入れる〟テレグラフ・エージェンシーのメッセンジャーボーイでもそんなの不可能だ!」
「いや、捜すのは、取り敢えずたった一人でいい」
 平然とヒューは言ってのけた。
「ボリス・キャベンディシュ氏さ」
 もうこれ以上の驚愕は無い。多分一生分の驚きを体験したのだ、とエドガーは思った。
「猫を飼っていないキャベンディシュ氏? シーモア氏の学友で、作家志望で、僕たちにサヴォイホテルで最高級のアイスクリームを御馳走してくれた、あのキャベンディシュ氏?」
「そのアイスクリームを食べていた時、キャベンディシュ氏はアイスクリーム以上に美味しい情報を提供してくれたんだぜ、エド」
 ヒューは指を三本突き出した。
「一つ、猫は飼っていないのに手にひっ掻き傷があった。あの傷はシーモア氏を殺害しようとした際できた擦過傷ではないのか?」
 エドガーは何も答えられない。唯、瞬きをしただけ。
「二つ。キャベンディシュ氏自身も株の情報を取得するためテレグラフ・エージェンシーとメッセージ契約をしていると明かした。それで改めて俺はキャベンディシュ氏に配達したことのある連中に訊いてみたんだが……どうもキャベンディシュ氏は最近株で大失敗をやらかして莫大な借金を抱えてるらしいぞ」
 遅まきながらエドガーは合点が行った。
「そうか、さっき仲間たちを呼び止めて何やら話し込んでいたのはその情報収集のためだったのか!」
「三つ目。これが最も極上の味だった。エド、あいつは俺たちがシーモア氏を発見した状況について語った時、反射的にこう呟いた。『右手には〝脱いだ〟ガウンを持っていた』と」

 ――右手に脱いだガウン、左手には本だそうだね?

 チリン……
 アイスクリームの皿にぶつけたスプーンの音が警告の鐘のように脳裡に鳴り響く。
「そうだった! 確かにキャベンディシュ氏はそう言ってた! でも」
 エドガーが唇を舐めながら訊く。
「それのどこが重要な問題なのさ?」
「新聞の記事には唯『右手にはガウンを持ち』としか書かれてないんだよ。で、キース・ビー警部補は現場検証から導き出した推理を俺たちに話してくれたよな? 『シーモア氏は風呂に入っていて物音に気づき慌てて書斎へ駆けつけた』そして『右手にガウンを持っていたのは全裸を恥じたからだろう』……」
「うん、それも憶えてる」
「ふつうはそう考えて当然だ。風呂から飛び出した全裸の貴族がガウンを掴んで死んでいたら、誰だって〝羞恥心で息絶える前になんとかガウンを纏おうとした〟と推測する。だがキャベンディシュ氏は違った。はっきりと『脱いだガウン』と言ったんだ。何故そう言ったか? 見たからだ・・・・・。シーモア氏は風呂場から駆けつけた時は、ちゃんとガウンを纏っていたんだ。当然、刺された時もガウンを着ていた――」
 ヒューはここで息を継いだ。
「キャベンデッシュ氏はシーモア氏を刺し、死んだと思って物色を続け、抽斗から目的の宝を盗んで逃走した。全てを目撃していたシーモア氏は最後の力を振り絞って書置きを記し、ガウンと本を手に絶命した」
 一語一句、噛みしめるようにヒューは言った。
「裸で死ぬことよりメッセージを残すことを良しとした、これぞ、英国貴族らしい気概あふれる豪気な振る舞いじゃないか!」
 ヒューの言葉にエドガーは、キリリと上げたレディの細い顎を思い出した。

 ――私は兄を誇りに思っています。いかにも兄はシーモア家の最後の当主でした。

「なるほど! 僕も全部わかったよ! 君が言った通りだ。これで君は全ての謎を解いたわけだ」
「俺は今夜、キャベンディシュ氏の家を探ってみようと思っている」
 厳かな声。星のように輝く灰色の目がじっとエドガーを見つめている。
「付き合ってくれるかい、エド?」
「勿論さ!」
 エドガーは即座に叫んだ。
「僕はいつだって君と一緒だ。どんな時も君の一番側にいるって誓ったんだから!」
「ありがとう、エド!」
 大喜びで抱きしめた後で、ヒューが眉を寄せる。
「――って、ん? 待てよ、〝誓った〟って誰にだよ?」
「そ、それは、モチロン、地上の天使アンジーにさ」
「?」
 難解な符牒や暗号はスラスラ解けるのに。エドガーはこっそり嘆息した。ああ、ヒュー、君って……
 ちょっとザンネン……



   ※イクティスの頭文字

 I  IHΣOYΣ  イエス
 X  XPΣTOΣ  キリスト
 O  OEOY     神の
 Y  YIOΣ    子
 Σ  ΣΩTHP   救世主

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