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 制服警官が差し出した紙に図を描きながら波豆君は説明した。
「入口のドアがここ、あの部屋は正面に細長い二つの窓があって、向かって右の窓の下に机。机側の壁に背の高い本棚、その隣に膝丈くらいの古びた横長の箪笥がある。和路さんが倒れていたのはこの箪笥の前だった。抽斗が上下ともちょっと開いてたな。部屋の正面に戻ると――左側の窓の下に洋風の戸棚があってその上に幾つか置物が乗ってたっけ」
 ここで少年はクスッと笑った。
「俺がイチバン憶えてるのは小さな猿の像。大人がこんなの飾ってるのがオカシクって印象に残ったのさ。その他は……コラージュ風に額に入れた古い絵の断片。まったく用途不明の、サイコロよりデカイ、ごつくて黒っぽい四角い塊。あ、この戸棚の上の壁だよ、俺の絵が貼ってあったのは。ちゃんと掛軸に仕立てられてた。左側の壁は全面本棚。その前にソファが置かれてて低い楕円のテーブル。和路さんは喉の調子が悪かったのかも。いつもこのテーブルにガラスの壺に入れた色とりどりのキャンディが置いてあった……マァ、こんな感じかな」
「ありがとう。凄く役に立ったよ。質問はあと一つで最後だ」
 刑事が静かに訊いた。
「鍵について詳しく教えてほしい」
「カギ?」
「君が和路氏邸を訪れた時、玄関は開いていたんだね?」
「うん、そう。でも、それはいつもそうなんだ。和路さんは俺が行く日は必ず鍵を開けておいてくれる。だから俺はあの家の呼び鈴を押したことがない。物音を立てずに静かに入る。ハナからそう言う取り決めだった」
「君は書斎内では何も触れていないんだね?」
「触れるもんか! ただ茫然と突っ立ってた。書斎のドアは開いてたから擦り抜けてるし、あ、玄関の引き戸は入る時と出る時、触ったよ」
「よろしい。これから指紋を取らせてもらうよ。勿論、君の証言を立証するためだ。聞きたいことは以上だ」
「俺、ブチ込まれるの?」
「まさか! ご苦労様、協力を感謝するよ。ここに必要事項を記入してもらったらもう帰っていいからね。この書類は今後、万が一、話を聞く必要が生じた時のためだ。その時はまたよろしく頼むよ」
「これで終わり? なんだ、なんてことはなかったな! 警察ってもっとおっかない所かと思ってた」
 波豆君が書類に記入し始めると有島刑事は立ち上がり僕の肘を掴んで言った。
「波豆君、君の優しい探偵・・・・・をちょっと借りるよ」

「いやはや、重要参考人をこうもあっさり見つけて、連れて来てくれるとはな!」
 隣の小部屋に入るなり有島刑事は肩を揺すって笑った。
「からかわないでください。僕も吃驚しているんです。全て偶然の成行きで……」
 強行第2係・課長補佐は片目をつぶる。
「それに見合った御礼はちゃんとするよ。言ったよな、僕は、情報提供者は大切にすると」
 刑事は数枚の写真を僕に差し出した。和路氏の書斎――いわゆる現場写真だ。
 それを見ると、何もかも波豆君の言った通りだった!
「膝丈の低い箪笥は和箪笥。正式には刀箪笥だ。総桐/二段/奥行155mm、高さ360mm、幅1200mm。流石に良い品だよ。錠前金具は四角で細い線彫りの鉄線花紋、足元の縁金具には円形の七宝紋。この紋は隅に小さな丸を配した星七宝という変わり紋だそうだ」
 写真を指し示しながら有島刑事は細かく説明してくれた。
「机左横の横長の戸棚は英国製アンティーク。ジョージ朝時代のサイドボードで、上に置かれているのは、木彫りの猿の像、額に入れた絵の断片、分厚い四角形の黒い塊。そして――」
 その上の壁、二つの窓の間に掛軸に仕立てられた模写絵〈橋弁慶〉があった。
 想像通りだ、これも、なんと完璧な出来だろう!
「波豆君が描いて渡した他の作品を和路氏がどうしたかは現在追跡中だ。多分、ネットオークションで売り払ったんだろう」
 有島刑事は顔をしかめた。
「波豆君は謝礼に5万円もらっていたと喜んでいるが、とんでもない、この出来なら相当高値がついたはず」
 それには僕も異論はない。
 ソファの前のテーブルには、波豆君曰く、のど飴がガラスのキャンディボックス(多分バカラ製)に詰まっていた。
 写真を返却してから、僕は言った。
「有島さん、もう一つ、ぜひ教えてください。和路氏に掛けられていた着物について詳しく知りたいんです――いえ、死体を見たいわけじゃありません」
 ファイルを取り出し、改めて写真を繰る刑事。その手元を見つめて、慌てて僕は言った。
「波豆君は和路氏の姿が『自分の描いた絵にそっくりだった。まるで3Dマシンで立体化したみたいに』と言ってます」
「うん、着物――小袖と言うのか? 女物のきちんと仕立てられた和服だった。白地で、正確には越後上布えちごじょうふ。とびきりの高級品だよ、ほら」
 抜き取った写真を指差しながら有島刑事、
「この着物は犯人が持っていたのか、元々室内にあったものなのかはわからない。何しろ、家政婦は一度も書斎に入ったことがないと言うんだから、お手上げだ」
 その写真に僕の眼は釘付けになった。
 和路氏はうつぶせに倒れている。有島刑事の前回の話では、死因は頭蓋骨損傷、脳内出血だった。その言葉から僕が想像したのとは違い、姿勢は仰向けではなかった。激しく床にぶつかった反動でひっくり返った? 
 だが重要なのはそこじゃない。僕が気にかかったのは、うつぶせの和路氏に背後から着物が掛けられている点。背後に置かれた布……背後に布を置く……
 そう、ハンカチ落としは背後に布を置く……
 ひょっとしてこの情景は、僕が受け取った2通目の手紙の文言〈ハンカチ落とし〉と繋がりがある?
「布……越後上……」
「どうした、桑木君? 何か気になることがあるのか?」
 強張こわばった僕の表情に気づいて有島刑事が訊いて来た。
「あ、いえ、なんでもありません」
 僕は言葉を濁した。嘘をついたわけではない。この時点で、手紙に記されていた文言と和路氏の死の繋がりについて、警察に指摘できるほど明確な情報を僕は持っていなかった。
 有島刑事には、もう少しこの二つの関係がハッキリしてから伝えようと考えたせいだ。

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