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〈23〉
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春を予感させる朝、一幅の絵のように来海サンは画材店のウィンドウを過って登校して行った。
その姿を見送って、店を開けるとすぐレジカウンターの後ろに座る。
深呼吸をしてから、僕は有島刑事に電話を掛けた。
「お忙しいところ、早朝から失礼します――」
「おう、桑木君か? どうした?」
耳元で響く刑事の快活な声。僕は事実だけを簡潔に伝える。重要参考人Aとされた竪川悠氏の方から連絡を受け、逢いに行ったこと。その帰路、和路氏の自宅を訪ね、家政婦の岸さんのご厚意で書斎を見せてもらったこと。
流石に有島さんは驚いたようだった。
「竪川氏が接触して来たのか? 何処で会ったんだい? 何か言っていたか?」
「場所は栃木県の足利美術館です。主に和路氏の宝箱に入っている刀について話をしました。竪川氏は〝和路氏の変死当夜、目撃された少年が細長い包みを抱えていた〟という新聞の記事から、刀が持ち出されたのではと心配していました。その少年が広島出身だと、生前和路氏が漏らした記憶を元に、事情聴取に同伴した画材屋の僕を突き止めたそうです。そして、何より、和路氏の死に関しては自分は一切関わっていないと断言しました」
「なるほど」
「書斎は、有島さんに見せてもらった写真と何一つ変わったところがありませんでした」
僕は事実だけを話した。取捨選択はした。自分の判断で竪川氏が自分の身を守るために隠したがったこと、そして岸さんの話の中で覚えた違和感については語らなかった。
「有島さん、ぜひ教えてください。和路氏の書斎に残っていた指紋について」
「ああ、それか。和路氏と竪川氏の指紋は検出されている。家政婦のはなかった」
ということは、岸さんが語った通り、彼女は書斎には入っていないのか。
「それから、僕の留守中に第4の手紙が届いていました」
僕は手紙の内容を伝え、三枚の絵とキノコの写真を転送した。それらから僕が至ったアイスマンについての推理も披露した。
「イタリア、ボルツァーノ県立南チロル考古博物館だな? よし、こちらも調べてみることにするよ。君の協力に感謝する」
電話を切ろうとした僕に有島刑事が言った。
「桑木君、ぜひ君に伝えたいことがある――」
「新しい句ですか?」
一瞬、苦笑する音。
「違う。僕は――僕はね、19世紀末の刑事と探偵の関係を理想と思っている。そこには友情があるから。つまり、そういうことさ」
今度は僕が口を閉ざす番だった。色々な思いが胸を過ぎる。そのほとんどは〝喜び〟だった。だが、言葉に出来たのは、ほんの短い一言だけ。
「僕もです」
この日は一日中、希少な来店客にうわの空で応対した。僕の心は第4の手紙とアイスマンでいっぱいだった。
とはいえ、行き詰まったことに変わりはない。どんなに考えてもアイスマンより先は何処にも行き着けなかった。
アイスマンは山頂を超えられなかった、か……まさに我が相棒の名言通りだ。
その相棒、来海サンはこの日、友人の誕生祝いでカジュアルフレンチの小洒落た店(各種フルーツソーダ―が人気!)に繰り出すとのことで、放課後、僕の店には寄らなかった。
僕は謎を抱えてひとりで過ごした。
夜になって、ベッドに入っても熟睡できず悶々としたせいで翌朝は寝過ごしてしまった。
店を開けた時、来海サンはとっくに登校した後だった。
ヤレヤレ、こんな調子ではアルプス越えなんてとてもじゃない。謎の解明までもう一息だ、と大見得を切った自分が呪わしい。
だが、頂きを超えるのを急いでいるのは僕だけではなかった。手紙の主も、だ。
僕が強くそれを感じたのは郵便受けを覗いた時だ。今ではすっかり目に馴染んだ白い蝶――封筒が舞い込んでいた。
第5通目の手紙……しかも、明らかに連投……!
逸る心を押さえて、封を開ける。刹那、青と赤が網膜に焼き付いた。
青は花。矢車草の写真。赤は、これは何だ? 手形? 黄土色の壁面に幾つかの手を置いて上から絵具を拭きつけたスプレーペイントと思われる一枚。
ダンスしているような弾ける手が1,2,3……4、5、6……
「おはよ―ございます! なんちゃって、来店にはちょっと早過ぎた?」
封筒に入っていた2枚の図柄に見入っていた僕は慌てて顔を上げる。
目の前に波豆心平君が立っていた。
その姿を見送って、店を開けるとすぐレジカウンターの後ろに座る。
深呼吸をしてから、僕は有島刑事に電話を掛けた。
「お忙しいところ、早朝から失礼します――」
「おう、桑木君か? どうした?」
耳元で響く刑事の快活な声。僕は事実だけを簡潔に伝える。重要参考人Aとされた竪川悠氏の方から連絡を受け、逢いに行ったこと。その帰路、和路氏の自宅を訪ね、家政婦の岸さんのご厚意で書斎を見せてもらったこと。
流石に有島さんは驚いたようだった。
「竪川氏が接触して来たのか? 何処で会ったんだい? 何か言っていたか?」
「場所は栃木県の足利美術館です。主に和路氏の宝箱に入っている刀について話をしました。竪川氏は〝和路氏の変死当夜、目撃された少年が細長い包みを抱えていた〟という新聞の記事から、刀が持ち出されたのではと心配していました。その少年が広島出身だと、生前和路氏が漏らした記憶を元に、事情聴取に同伴した画材屋の僕を突き止めたそうです。そして、何より、和路氏の死に関しては自分は一切関わっていないと断言しました」
「なるほど」
「書斎は、有島さんに見せてもらった写真と何一つ変わったところがありませんでした」
僕は事実だけを話した。取捨選択はした。自分の判断で竪川氏が自分の身を守るために隠したがったこと、そして岸さんの話の中で覚えた違和感については語らなかった。
「有島さん、ぜひ教えてください。和路氏の書斎に残っていた指紋について」
「ああ、それか。和路氏と竪川氏の指紋は検出されている。家政婦のはなかった」
ということは、岸さんが語った通り、彼女は書斎には入っていないのか。
「それから、僕の留守中に第4の手紙が届いていました」
僕は手紙の内容を伝え、三枚の絵とキノコの写真を転送した。それらから僕が至ったアイスマンについての推理も披露した。
「イタリア、ボルツァーノ県立南チロル考古博物館だな? よし、こちらも調べてみることにするよ。君の協力に感謝する」
電話を切ろうとした僕に有島刑事が言った。
「桑木君、ぜひ君に伝えたいことがある――」
「新しい句ですか?」
一瞬、苦笑する音。
「違う。僕は――僕はね、19世紀末の刑事と探偵の関係を理想と思っている。そこには友情があるから。つまり、そういうことさ」
今度は僕が口を閉ざす番だった。色々な思いが胸を過ぎる。そのほとんどは〝喜び〟だった。だが、言葉に出来たのは、ほんの短い一言だけ。
「僕もです」
この日は一日中、希少な来店客にうわの空で応対した。僕の心は第4の手紙とアイスマンでいっぱいだった。
とはいえ、行き詰まったことに変わりはない。どんなに考えてもアイスマンより先は何処にも行き着けなかった。
アイスマンは山頂を超えられなかった、か……まさに我が相棒の名言通りだ。
その相棒、来海サンはこの日、友人の誕生祝いでカジュアルフレンチの小洒落た店(各種フルーツソーダ―が人気!)に繰り出すとのことで、放課後、僕の店には寄らなかった。
僕は謎を抱えてひとりで過ごした。
夜になって、ベッドに入っても熟睡できず悶々としたせいで翌朝は寝過ごしてしまった。
店を開けた時、来海サンはとっくに登校した後だった。
ヤレヤレ、こんな調子ではアルプス越えなんてとてもじゃない。謎の解明までもう一息だ、と大見得を切った自分が呪わしい。
だが、頂きを超えるのを急いでいるのは僕だけではなかった。手紙の主も、だ。
僕が強くそれを感じたのは郵便受けを覗いた時だ。今ではすっかり目に馴染んだ白い蝶――封筒が舞い込んでいた。
第5通目の手紙……しかも、明らかに連投……!
逸る心を押さえて、封を開ける。刹那、青と赤が網膜に焼き付いた。
青は花。矢車草の写真。赤は、これは何だ? 手形? 黄土色の壁面に幾つかの手を置いて上から絵具を拭きつけたスプレーペイントと思われる一枚。
ダンスしているような弾ける手が1,2,3……4、5、6……
「おはよ―ございます! なんちゃって、来店にはちょっと早過ぎた?」
封筒に入っていた2枚の図柄に見入っていた僕は慌てて顔を上げる。
目の前に波豆心平君が立っていた。
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