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第二章:白鉛の街、パルマ
第十六話:パルマ最期の夜(後編)
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『どうしてパルマを見捨てた』
『俺達の死を無駄にするのか』
『パルマを頼むと言ったじゃ無いか』
「私だって好きで見捨てた訳じゃ無いわよッ!!」
部屋中に響き渡る自分の声に吃驚し、ソファから飛び起きるエリザベス。
「ハァーッ…………最悪」
自分の寝言に悪態を吐きながら、額の汗を拭う。下着のワンピースは汗でぐっしょりと濡れ、肌にピッタリと纏わりついている。今夜はやけに寝苦しい。
「三時半……殆ど眠れてないじゃない」
ソファに寝そべったまま、懐中時計を眺める。市庁舎の客室に設けられたソファを寝室代わりにしている点を踏まえても、此処まで寝つきが悪いのは久々だ。
「嫌な、夢だったわ」
夢の中で自分は、自分が殺したパルマ軍兵士達に、延々とパルマを見捨てた事を責められていた。どう弁明をしようとも裏切者のレッテルを貼られ、指を差され、言葉の矢弾を浴びせられている自分の姿を、他人の視点で見物している……そんな夢だった。
その辺りに置いてあったブランケットで体の汗を拭い、壁際の灯りから燭台へ火を移すと、涼を取る為に三階のバルコニーへと向かう。
ステンドグラスの一枚扉を開けると、北方大陸特有の冷たく乾いた風が頬を撫でる。夜風が運ぶ匂いは、リマもパルマも変わらない様だ。
手すりに腕を置き、パルマの夜景を眺める。そういえば、今までパルマの街並みをじっくりと見た事がなかった気がする。
あちこちに立つ大小交々の家や、生き物の様にうねり曲がった小道。無茶苦茶な建て増しで街路にまで屋根が迫り出した商館や、修復に次ぐ修復でモザイク模様に成り果てた煙突の数々。
やはり自分はタルウィタの様な整然とした街並みよりも、人々の欲を原動力にして、好き勝手に発展してきたパルマの様な街並みの方が好きだ。
「雑多で、複雑で、狭っ苦しくて、古臭い……素敵な街ね」
「それは褒め言葉でしょうか?」
「いヒィッ!?」
思わず仰け反るエリザベス。よくよく見てみると、バルコニーの端に先客が座っていた。
「閣下!?どうして此処に!?」
「市庁舎は余の家です。家主が家のどこに居たとしても不思議では無いでしょう」
デッキチェアに腰掛け、アームレストに肘を立てながら話す女伯がそこには居た。
「こんな時間にバルコニーへ何の用ですか?」
「……少し、涼を取ろうかと思いましたの」
女伯に手で促され、もう一つのデッキチェアに腰掛けるエリザベス。
「涼を取りに、ですか。中々にそれっぽい方便を思い付きましたね」
「ほ、方便ではありませんわ!ホントに寝苦しかっただけですわ!」
椅子から身を乗り出して反論するエリザベス。
「そうですか。思い悩んでいるのではないかと心配していましたが、取り越し苦労で良かったです。安心しました」
「え?ええ、そうですわっ!わたくしはいつも通りですのでご心配なさらずっ!」
胸に手を当てながらウィンクするエリザベス。
心の痛々しさを隠し切れていない彼女の振る舞いを、パルマ女伯は刺すような目付きでずっと見つめていた。
「む、むしろ閣下こそ、どうして此処にいらっしゃるんですの?」
「一言で言えば、見納めですね」
「見納め……?」
女伯の放った言葉の意味を理解するまで、数秒掛かった。
そして理解した。彼女は明日灰と化す故郷に、別れの挨拶を告げに来ていたのだと。
「……申し訳ございません」
「何故謝るのですか?」
女伯からの質問には答えず、項垂れたままのエリザベス。
「分かりました、質問の仕方を変えますね」
そう言うとパルマ女伯は椅子から立ち上がり、まるで逃げ場を塞ぐかの様にエリザベスの眼前に立った。
「ラーダ人である貴女が、何故そこまでパルマを気にかけるのですか?何があったんですか?」
夜中だというのに、女伯の鋭い瞳がはっきりと見えた。
「それは――」
突然本心に迫る問いをぶつけられ、息の根が詰まる。心の外周に幾重にも張っていた防壁を、一気に貫通された様な衝撃を受ける。
「わ、わたくしはパルマ士官候補生ですので。パルマの危機があれば矢面に立つのが軍人の務めだと認識しておりますわ」
起伏の無い、型式貼った回答に逃げるエリザベス。
「たまには本音を言ってみなさい。建前だけでやり過ごせるほど、人生は薄くありませんよ」
物理的にも論理的にも逃げ場を塞がれたエリザベスは、口を微かに動かした。
「パルマを守ると、約束しましたので」
女伯はその本音を聞き逃さなかった。
「その約束を誰と交わしたのですか?余と会う前に誰と会ったのですか?」
「だ、誰でも良いでしょう!?何故そこまでわたくしの心を詮索なさるのですか!」
食ってかかるエリザベスに対して、パルマ女伯は一呼吸おいてから口を開いた。
「苦しんでいる貴女を助けたいからです」
「なッ――!?」
エリザベスは耳を疑った。今まで傍若無人の権化の様な振る舞いをしてきた御仁が、今明確に、自分を助けたいと述べたのだ。
「な、なんで」
既に脆弱化していた自分の心中に、自分を助けたいという優しいナイフの様な言葉が深く突き立てられる。
顔が熱い。
喉の奥が苦しい。
「今から余が言う事について、間違っていたら訂正してください。良いですね?」
衝撃のあまり言葉を失っているエリザベスを他所に、話を進めるパルマ女伯。
「貴女がパルマを守りたいと決心したのは、世と謁見するよりも前の段階ですね?」
エリザベスは何も答えない。
「第二次パルマ会戦。あの戦いの最中、貴女は左翼の味方戦列を援護する為に最前線で戦っていたと聞きました」
エリザベスは何も答えない。
「その時、今際の際にあったパルマ軍兵士から、パルマを頼むと言われたのでは無いですか?もしそうだとしたら、その約束は反故にしなさい。それは貴女を苦しめるだけの、只の呪いです」
「の、呪いなどではありません!あの時私がもっと早く助けていれば、あの人達は死なずに済んだのよ!助けられなかった人達の大切な遺言なの!」
エリザベスの口調が、段々と年相応の少女の物に変わっていく。
「いいえ、貴女の身を滅ぼそうとする危険な呪いです。死にゆく者の頼みを聞き続けていると、いつか引き摺り込まれますよ」
「違う!私が殺したの!私が殺したから責任を取らなきゃ――」
堪えていた涙が溢れる。
人前で弱みを見せるな。
そう思えば思うほど、涙が止まらなくなってしまう。
「軍団長を目指すのでしょう?そうであれば味方の死に一喜一憂してはなりません。その心は常に敵を打ち倒す為の策を考え続けていなければなりません」
「でも……でも私はパルマをっ!」
泣き腫らした顔で女伯を見つめる。無表情ではあったが、結んだ唇の端が僅かに上がっている様に見えた。
「パルマは死にません。しばしの間、眠りにつくだけです」
エリザベスの頬に手を添える女伯。彼女の双眸は、あの連邦議会の時と同じく、強く、美しいエメラルドグリーンの輝きを放っていた。
「良いですか?貴女は今、背負うべきで無い重荷を背負おうとしています」
涙が頬を伝い、女伯の手へと渡る。
「パルマは余が必ず復興させます。死んでいった兵士たちの願いは余が叶えるべき事です。貴女は真の意味で、いつも通りに振る舞えば良いのです」
涙と共に、今まで無意識のうちに背負っていた重圧が、するりと解ける様な感覚に包まれる。
「ありがとう、ございます」
初めて言葉を覚えた幼児の様な辿々しさで、エリザベスは礼を述べた。
「……呪いは解けましたか?」
無言で、しかして雄弁に、エリザベスは強く頷いた。
『俺達の死を無駄にするのか』
『パルマを頼むと言ったじゃ無いか』
「私だって好きで見捨てた訳じゃ無いわよッ!!」
部屋中に響き渡る自分の声に吃驚し、ソファから飛び起きるエリザベス。
「ハァーッ…………最悪」
自分の寝言に悪態を吐きながら、額の汗を拭う。下着のワンピースは汗でぐっしょりと濡れ、肌にピッタリと纏わりついている。今夜はやけに寝苦しい。
「三時半……殆ど眠れてないじゃない」
ソファに寝そべったまま、懐中時計を眺める。市庁舎の客室に設けられたソファを寝室代わりにしている点を踏まえても、此処まで寝つきが悪いのは久々だ。
「嫌な、夢だったわ」
夢の中で自分は、自分が殺したパルマ軍兵士達に、延々とパルマを見捨てた事を責められていた。どう弁明をしようとも裏切者のレッテルを貼られ、指を差され、言葉の矢弾を浴びせられている自分の姿を、他人の視点で見物している……そんな夢だった。
その辺りに置いてあったブランケットで体の汗を拭い、壁際の灯りから燭台へ火を移すと、涼を取る為に三階のバルコニーへと向かう。
ステンドグラスの一枚扉を開けると、北方大陸特有の冷たく乾いた風が頬を撫でる。夜風が運ぶ匂いは、リマもパルマも変わらない様だ。
手すりに腕を置き、パルマの夜景を眺める。そういえば、今までパルマの街並みをじっくりと見た事がなかった気がする。
あちこちに立つ大小交々の家や、生き物の様にうねり曲がった小道。無茶苦茶な建て増しで街路にまで屋根が迫り出した商館や、修復に次ぐ修復でモザイク模様に成り果てた煙突の数々。
やはり自分はタルウィタの様な整然とした街並みよりも、人々の欲を原動力にして、好き勝手に発展してきたパルマの様な街並みの方が好きだ。
「雑多で、複雑で、狭っ苦しくて、古臭い……素敵な街ね」
「それは褒め言葉でしょうか?」
「いヒィッ!?」
思わず仰け反るエリザベス。よくよく見てみると、バルコニーの端に先客が座っていた。
「閣下!?どうして此処に!?」
「市庁舎は余の家です。家主が家のどこに居たとしても不思議では無いでしょう」
デッキチェアに腰掛け、アームレストに肘を立てながら話す女伯がそこには居た。
「こんな時間にバルコニーへ何の用ですか?」
「……少し、涼を取ろうかと思いましたの」
女伯に手で促され、もう一つのデッキチェアに腰掛けるエリザベス。
「涼を取りに、ですか。中々にそれっぽい方便を思い付きましたね」
「ほ、方便ではありませんわ!ホントに寝苦しかっただけですわ!」
椅子から身を乗り出して反論するエリザベス。
「そうですか。思い悩んでいるのではないかと心配していましたが、取り越し苦労で良かったです。安心しました」
「え?ええ、そうですわっ!わたくしはいつも通りですのでご心配なさらずっ!」
胸に手を当てながらウィンクするエリザベス。
心の痛々しさを隠し切れていない彼女の振る舞いを、パルマ女伯は刺すような目付きでずっと見つめていた。
「む、むしろ閣下こそ、どうして此処にいらっしゃるんですの?」
「一言で言えば、見納めですね」
「見納め……?」
女伯の放った言葉の意味を理解するまで、数秒掛かった。
そして理解した。彼女は明日灰と化す故郷に、別れの挨拶を告げに来ていたのだと。
「……申し訳ございません」
「何故謝るのですか?」
女伯からの質問には答えず、項垂れたままのエリザベス。
「分かりました、質問の仕方を変えますね」
そう言うとパルマ女伯は椅子から立ち上がり、まるで逃げ場を塞ぐかの様にエリザベスの眼前に立った。
「ラーダ人である貴女が、何故そこまでパルマを気にかけるのですか?何があったんですか?」
夜中だというのに、女伯の鋭い瞳がはっきりと見えた。
「それは――」
突然本心に迫る問いをぶつけられ、息の根が詰まる。心の外周に幾重にも張っていた防壁を、一気に貫通された様な衝撃を受ける。
「わ、わたくしはパルマ士官候補生ですので。パルマの危機があれば矢面に立つのが軍人の務めだと認識しておりますわ」
起伏の無い、型式貼った回答に逃げるエリザベス。
「たまには本音を言ってみなさい。建前だけでやり過ごせるほど、人生は薄くありませんよ」
物理的にも論理的にも逃げ場を塞がれたエリザベスは、口を微かに動かした。
「パルマを守ると、約束しましたので」
女伯はその本音を聞き逃さなかった。
「その約束を誰と交わしたのですか?余と会う前に誰と会ったのですか?」
「だ、誰でも良いでしょう!?何故そこまでわたくしの心を詮索なさるのですか!」
食ってかかるエリザベスに対して、パルマ女伯は一呼吸おいてから口を開いた。
「苦しんでいる貴女を助けたいからです」
「なッ――!?」
エリザベスは耳を疑った。今まで傍若無人の権化の様な振る舞いをしてきた御仁が、今明確に、自分を助けたいと述べたのだ。
「な、なんで」
既に脆弱化していた自分の心中に、自分を助けたいという優しいナイフの様な言葉が深く突き立てられる。
顔が熱い。
喉の奥が苦しい。
「今から余が言う事について、間違っていたら訂正してください。良いですね?」
衝撃のあまり言葉を失っているエリザベスを他所に、話を進めるパルマ女伯。
「貴女がパルマを守りたいと決心したのは、世と謁見するよりも前の段階ですね?」
エリザベスは何も答えない。
「第二次パルマ会戦。あの戦いの最中、貴女は左翼の味方戦列を援護する為に最前線で戦っていたと聞きました」
エリザベスは何も答えない。
「その時、今際の際にあったパルマ軍兵士から、パルマを頼むと言われたのでは無いですか?もしそうだとしたら、その約束は反故にしなさい。それは貴女を苦しめるだけの、只の呪いです」
「の、呪いなどではありません!あの時私がもっと早く助けていれば、あの人達は死なずに済んだのよ!助けられなかった人達の大切な遺言なの!」
エリザベスの口調が、段々と年相応の少女の物に変わっていく。
「いいえ、貴女の身を滅ぼそうとする危険な呪いです。死にゆく者の頼みを聞き続けていると、いつか引き摺り込まれますよ」
「違う!私が殺したの!私が殺したから責任を取らなきゃ――」
堪えていた涙が溢れる。
人前で弱みを見せるな。
そう思えば思うほど、涙が止まらなくなってしまう。
「軍団長を目指すのでしょう?そうであれば味方の死に一喜一憂してはなりません。その心は常に敵を打ち倒す為の策を考え続けていなければなりません」
「でも……でも私はパルマをっ!」
泣き腫らした顔で女伯を見つめる。無表情ではあったが、結んだ唇の端が僅かに上がっている様に見えた。
「パルマは死にません。しばしの間、眠りにつくだけです」
エリザベスの頬に手を添える女伯。彼女の双眸は、あの連邦議会の時と同じく、強く、美しいエメラルドグリーンの輝きを放っていた。
「良いですか?貴女は今、背負うべきで無い重荷を背負おうとしています」
涙が頬を伝い、女伯の手へと渡る。
「パルマは余が必ず復興させます。死んでいった兵士たちの願いは余が叶えるべき事です。貴女は真の意味で、いつも通りに振る舞えば良いのです」
涙と共に、今まで無意識のうちに背負っていた重圧が、するりと解ける様な感覚に包まれる。
「ありがとう、ございます」
初めて言葉を覚えた幼児の様な辿々しさで、エリザベスは礼を述べた。
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