物語部員の嘘とその真実

るみえーる

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午後1時40分~50分 物語部のサポートメンバーふたりが参加する

9・そのときはいい考えだと思ったサボテン

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「次は市川の語る番だな」と、おれは物語部の、おれと同じ一年生である市川醍醐いちかわだいごに言った。

「えー? なんでわたしを飛ばすの? モーパッサンの『オルラ』とか、ホーソーンの『牧師の黒いベール』とか、こわい話を知ってるよ!」と、やはり一年生の樋浦清ひうらせいは抗議したが、まあそういうのは興味あったら読者のみなさん(って誰よ)が勝手にお読みください。

「えーと、それじゃ「そのときはいい考えだと思ったサボテン」の話とか…」と、市川は話しはじめた。

     *

 メキシコの砂漠から山岳地方に通じる街道の、すこし離れたところにそのサボテンはあった。

 大きさは人よりやや大きい程度で、見た目は特にこれといった特徴はなく、しかしその周辺に自生している同種のサボテンもない。

 夜、月光や星明りの下ではさほどでもないけれども、白昼は強い日光を浴びて、赤茶けた砂漠と岩を背景に、薄汚れた緑色のサボテンはとても目立っていた。

 旅慣れた商人などはいそいそと、そのサボテンを畏怖するかのように、なるべくそちらを見ないように気をつけて行くのに対し、そうでない旅人はついそれに気づいてしまい、その色と形が気になってしまう。

 歩いて数十歩のところ、馬やロバに乗っていればさらに近くに感じられるわけで、ふらっと寄って男子なら小用でもしようかな、って気になる。

 で、近づいて、はじめは指先でちょっとトゲなどに触れてみても、あまり痛くない。

 若干の硬さは感じられるけど、それだけのものである。

 次に片手でぎゅっと握ってみると…………すこし痛いけど、我慢できないほどではない。

 それだけじゃ納得できなくなった旅人は、思いっきりそのサボテンに抱きついて、トゲトゲになって死ぬ。

 死んだあとには砂嵐が起きて、死体はどこかに飛んでいって、ハゲタカなどの餌食になる。

 サボテンは人を食べているわけではない。

 寂しく、水や栄養物がなくても、太陽の光と空気で、そのサボテンは生きている。

 たまたま別の旅人に助けられて一命を取りとめた人がいて、サボテンは「そのときはいい考えだと思ったサボテン」という名前で知られるようになった。

     *

「短い上、なんかメタファーがありそうであまり怖くないやん。おまけに夏目漱石が『吾輩は猫である』で語った「首くくりの松」ににてるし、俺が「わあああああっ!」って言うポイントがない」と、樋浦遊久ひうらゆく先輩はひどいことを言った。

「あー、でもサボテンの気持ちわかるなあ」と、樋浦清ひうらせいは言った。

 とりあえず、なんでも「○○の気持ちになって考えましょう」という現代国語教育の弊害だな、これは。

 落語『そば清』で、60杯のそばを食べる、というか食べ損なう主人公や、そば屋の気持ちじゃなくて、食べられるそばの気持ちになって考えてしまうタイプね。

 フランスでも、アルベール・カミュの『異邦人』を読んだ感想に「(主人公の)ムルソーはかわいそうだなあ、と思いました」って書く大学生がいるぐらいなので、国際的に問題にしてもいい。

「あ、悪いんだけど、おれちょっとトイレに行くんで」と、おれは部室の奥から、遊久先輩がゴロゴロしているソファと、市川が座っているパイプ椅子の間を通って、カメラマンと音声スタッフと照明のコードとレフ板を横切って廊下のほうに出た。

 ここで用意されてる撮影の道具は、撮影されるための道具でもあるので、おれと一緒に写り込んでも特に問題はないのである。
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