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第四章 偏食の騎士と魔女への道
1.行商人
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「お待たせ致しました、カルツォーネが焼けました」
婦人会の口コミによってカルツォーネが評判になって以来、フロッキースでは朝昼夕の三度、カルツォーネを焼いて店に並べることになっていた。
焼きたてを工房から店内に運び、棚に並べた瞬間にそれは次々と売れていく。
「待ってたわよ、ほんっとカルツォーネって美味しいのよねぇ」
「そうそう、それにこれ一つあれば他のおかず作らなくって済むんだもの。うちじゃ週に三回は食べてるわ」
カルツォーネ目当てに店に来るのはほとんどが主婦で、カルツォーネの味が気に入ったということはもちろんだが、そのまま食べられるという手軽さが日々の食事の用意に追われる主婦たちの心を掴んだらしかった。
「レイ、少し休憩してこい。あとはわしが見ておこう」
「すいません、フロッカーさん。よろしくお願いします」
カルツォーネの提供を増やしてから、この店で最も忙しくなったのは俺だった。
石窯での焼成はエルダさんに任せているとはいえ、中のフィリングとパンの成形は俺の仕事だ。
前よりも早く起きて一日分のカルツォーネ用のフィリングを作り、他のパン生地を捏ねたり運んだりしている合間に、カルツォーネの成形もしなければならない。昼にはピザの用意もあるし、文字通り目も回るほどの忙しさに、フロッカーさんは時々こうして俺に休憩を取らせてくれるようになった。
休憩と言ってもキッチンに行って紅茶を一杯飲む程度のものだが、立ちっぱなしの俺にとってはありがたい時間だった。
「レイ、おじいちゃんが呼んでるわ。行商のおじちゃんが来たって」
トントンと階段を上がる音がして、ドアを開けたのはミーティである。
「行商?」
「新しい粉を持ってきてたみたい」
そういえば今朝、フロッカーさんが言っていた。
今日の夕方、いつも粉を運んでくれる行商人が来る予定だと。
「あっ、そっか! ありがとうミーティ、行ってくるよ」
店の方へ向かうと、ようやく客足が落ち着いた店の中で大荷物を抱えた恰幅の良い男がフロッカーさんと話していた。
「おお、レイ。悪いな、休憩中に。おまえにも紹介しておこうと思ってな、こちらが行商人のニコロさんだ」
「おや、ずいぶんお若いですなぁ。この方が新しいパンを考えてるんで?」
ニコロさん、と紹介された男は丸い目で俺を遠慮なく上から下まで見て、驚いたような声をあげた。
背があまり高くないせいで実年齢より若く見られがちな俺は苦笑し、とりあえず頭を下げた。
「いやいや……あ、レイです、どうぞよろしく……」
「スパイスの方はこれからニコロさんに仕入れてもらって定期的に持ってきてもらえることになったぞ。値段も、店で買う半分以下で済んだよ、いつもすまんなぁ」
「いやあこちらこそ、フロッキースの方で毎月小麦粉をまとめて買ってくださるんで助かってますからね。近頃はどこも魔物が物騒で、足で稼ぐにも限界がありますから」
ニコロさんは風貌からしてベテランの行商人のようだったが、その話からはやはり魔物の脅威もあるため固定の客を掴んでおきたいという意志が感じられた。
「ニコロさんはどちらから来てるんです?」
「山を越えた西の方から来てるんですが、近道だった洞窟に強い魔物が住み着いてましてね。最近じゃ南に下って遠回りして来なきゃならないんで、往復で十日以上かかっちまうんですよ」
「そりゃ大変だ。じゃあ、粉の量を増やすのは難しそうか?」
フロッカーさんが尋ねると、ニコロさんはいっそう深い溜め息を吐きながら頭を掻いた。
「うちとしても買って欲しいんですが、増やすとなると人手がいる。洞窟が通れるようになればそれはいくらでもできるんですが……」
「なるほどな。粉屋のガッシュはなんと?」
「それはもう、二つ返事で。とりあえず今日持ってきたこの粉も、使ってみて良さそうならとのことでしたよ。城の方で魔物の討伐に出てくれりゃ助かるんですがね……」
ニコロさんはカウンターに置いた見慣れない大袋をぽんぽんと叩き、また一つ溜め息を吐いた。
「ああ、それじゃあ粉の量はひとまずいつも通りで、洞窟の件が片付き次第また決めよう。スパイスの件もよろしくな」
「ええ、お世話になります。それじゃあまた」
ニコロさんは大きな荷物を抱え直すと、のしのしと歩いて店を出て行った。
「あの、これが新しい粉なんですか?」
「前に、粉屋のガッシュに今使ってるものとは違う粉があるという話を聞いていたのを思い出してな。粘りが強くて使いにくいという話だったんだが、一つ買ってみたんだ。この一袋をおまえにやるから、好きに使ってみなさい」
「粘りが強い粉……」
俺は途端に心臓がバクバクとしてくるのを感じた。
粘りというのが何を示しているのかは定かではない。
ただ、前の世界では一般的に小麦粉の粘りというのはグルテンの強さのことで、グルテンの強い粉——強力粉で作りやすいのはふわふわとしたパンだったはずだ。
この粉があればもっと色々なパンが作れるかもしれない。
「嬉しそうな顔しおって。使うのは店が終わってからだぞ、いいな?」
「はい!」
俺はフロッカーさんに貰った粉の大袋を大切に抱き抱えて、しっかりと頷いた。
婦人会の口コミによってカルツォーネが評判になって以来、フロッキースでは朝昼夕の三度、カルツォーネを焼いて店に並べることになっていた。
焼きたてを工房から店内に運び、棚に並べた瞬間にそれは次々と売れていく。
「待ってたわよ、ほんっとカルツォーネって美味しいのよねぇ」
「そうそう、それにこれ一つあれば他のおかず作らなくって済むんだもの。うちじゃ週に三回は食べてるわ」
カルツォーネ目当てに店に来るのはほとんどが主婦で、カルツォーネの味が気に入ったということはもちろんだが、そのまま食べられるという手軽さが日々の食事の用意に追われる主婦たちの心を掴んだらしかった。
「レイ、少し休憩してこい。あとはわしが見ておこう」
「すいません、フロッカーさん。よろしくお願いします」
カルツォーネの提供を増やしてから、この店で最も忙しくなったのは俺だった。
石窯での焼成はエルダさんに任せているとはいえ、中のフィリングとパンの成形は俺の仕事だ。
前よりも早く起きて一日分のカルツォーネ用のフィリングを作り、他のパン生地を捏ねたり運んだりしている合間に、カルツォーネの成形もしなければならない。昼にはピザの用意もあるし、文字通り目も回るほどの忙しさに、フロッカーさんは時々こうして俺に休憩を取らせてくれるようになった。
休憩と言ってもキッチンに行って紅茶を一杯飲む程度のものだが、立ちっぱなしの俺にとってはありがたい時間だった。
「レイ、おじいちゃんが呼んでるわ。行商のおじちゃんが来たって」
トントンと階段を上がる音がして、ドアを開けたのはミーティである。
「行商?」
「新しい粉を持ってきてたみたい」
そういえば今朝、フロッカーさんが言っていた。
今日の夕方、いつも粉を運んでくれる行商人が来る予定だと。
「あっ、そっか! ありがとうミーティ、行ってくるよ」
店の方へ向かうと、ようやく客足が落ち着いた店の中で大荷物を抱えた恰幅の良い男がフロッカーさんと話していた。
「おお、レイ。悪いな、休憩中に。おまえにも紹介しておこうと思ってな、こちらが行商人のニコロさんだ」
「おや、ずいぶんお若いですなぁ。この方が新しいパンを考えてるんで?」
ニコロさん、と紹介された男は丸い目で俺を遠慮なく上から下まで見て、驚いたような声をあげた。
背があまり高くないせいで実年齢より若く見られがちな俺は苦笑し、とりあえず頭を下げた。
「いやいや……あ、レイです、どうぞよろしく……」
「スパイスの方はこれからニコロさんに仕入れてもらって定期的に持ってきてもらえることになったぞ。値段も、店で買う半分以下で済んだよ、いつもすまんなぁ」
「いやあこちらこそ、フロッキースの方で毎月小麦粉をまとめて買ってくださるんで助かってますからね。近頃はどこも魔物が物騒で、足で稼ぐにも限界がありますから」
ニコロさんは風貌からしてベテランの行商人のようだったが、その話からはやはり魔物の脅威もあるため固定の客を掴んでおきたいという意志が感じられた。
「ニコロさんはどちらから来てるんです?」
「山を越えた西の方から来てるんですが、近道だった洞窟に強い魔物が住み着いてましてね。最近じゃ南に下って遠回りして来なきゃならないんで、往復で十日以上かかっちまうんですよ」
「そりゃ大変だ。じゃあ、粉の量を増やすのは難しそうか?」
フロッカーさんが尋ねると、ニコロさんはいっそう深い溜め息を吐きながら頭を掻いた。
「うちとしても買って欲しいんですが、増やすとなると人手がいる。洞窟が通れるようになればそれはいくらでもできるんですが……」
「なるほどな。粉屋のガッシュはなんと?」
「それはもう、二つ返事で。とりあえず今日持ってきたこの粉も、使ってみて良さそうならとのことでしたよ。城の方で魔物の討伐に出てくれりゃ助かるんですがね……」
ニコロさんはカウンターに置いた見慣れない大袋をぽんぽんと叩き、また一つ溜め息を吐いた。
「ああ、それじゃあ粉の量はひとまずいつも通りで、洞窟の件が片付き次第また決めよう。スパイスの件もよろしくな」
「ええ、お世話になります。それじゃあまた」
ニコロさんは大きな荷物を抱え直すと、のしのしと歩いて店を出て行った。
「あの、これが新しい粉なんですか?」
「前に、粉屋のガッシュに今使ってるものとは違う粉があるという話を聞いていたのを思い出してな。粘りが強くて使いにくいという話だったんだが、一つ買ってみたんだ。この一袋をおまえにやるから、好きに使ってみなさい」
「粘りが強い粉……」
俺は途端に心臓がバクバクとしてくるのを感じた。
粘りというのが何を示しているのかは定かではない。
ただ、前の世界では一般的に小麦粉の粘りというのはグルテンの強さのことで、グルテンの強い粉——強力粉で作りやすいのはふわふわとしたパンだったはずだ。
この粉があればもっと色々なパンが作れるかもしれない。
「嬉しそうな顔しおって。使うのは店が終わってからだぞ、いいな?」
「はい!」
俺はフロッカーさんに貰った粉の大袋を大切に抱き抱えて、しっかりと頷いた。
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