喫茶つぐないは今日も甘噛み

木樫

文字の大きさ
37 / 81
第一生 子猫とジャガーとドリンク無双

29



 ベチャベチャとスライム液を塗りたくられて粘着質な水音が響く浴室で、二足歩行のジャガーにされるがままと洗われる。


「こうして、足の指の間から首の後ろもキチンと洗え。怠慢にすると叱るぞ。過保護にはせん」

「ン……わかった」


 耳障りのいいジェゾの声を聴きながら、目を閉じてうつらうつらと浸った。

 誰かにこうして体を洗ってもらうなんて、いつぶりだろうか。
 大人のたいていは幼児の頃以来だろう。あまり身に覚えのない安らぎだ。

 このまま眠りたい。
 全身の力を抜いてくたりと身を預け、濡れた毛皮に頬を擦り寄せる。


「イッサイ、これはなんだ?」

「あ……?」


 ふと、ジェゾの手が動きを止めた。
 見上げると、不思議そうに首を傾げたジェゾが肉厚の舌で頬を舐める。


「肌に描くにはあまりに緻密な絵だが……改めて見ると、こうして絡みつく様が、まるで誰かに呪われているように見えるな」

「そ……、……それは」


 ──あの人の犬だって、証、だ。

 言葉と共にむき出しの左腕を握られ、一斉は微かに瞳を揺らした。

 褐色の肌を飛ぶ優雅な鳳凰の刺青。
 胸から左肩、手首までみっちりと描かれたそれは、惚れた男に言われるがまま刻み込んだ後戻りを絶つ所有の印である。

 死んでなお消えない鳳凰に、心臓がドクッ、と不規則に軋んだ。

 心はもう、そこにはない。

 濁流に呑まれ体ごとバラバラの死体になった。未練など抱く余地のないほど明確な終わりを迎えている。

 これはただの死骸だ。
 あの日死んだ一斉の成れの果て。

 男の望むがままに裏稼業の使い走りを始め、望むがままに体を開き、されど焦がれても焦がれても届かなかった淡い恋心の末路。


「……あぁ。呪い、だな。大したもんじゃねぇから、気にしなくていい……」

「そうか。誰に呪われた?」

「っ」


 乾いた声でやっと返事をすると、ジェゾは鋭くまっすぐな視線で一斉の濁った眼をじっと見つめた。

 少し戸惑う。
 まさか、当然のように答えを求められるとは思わなかったのだ。

 生前のことなんて、わざわざ話すようなことじゃない。話したってどうしようもない。自分は利用価値という愛の対価を払う勇気もなく死に、あの人は手に入らなかった。

 もう過ぎたこと。
 今更なんでもないし、ジェゾにも一斉にもなにもできない。

 わかっているから目を逸らそうとしたが、うまくいかなかった。

 ジェゾの知らない誰かだよ、と答えればそれで終わるはずが、不器用なこの口はそう動かない。

 いっそ焦れて急かしてくれればいいものを、ジェゾは一斉の返事を、ただ黙って待っている。


「……俺、の……」

「ん」

「す……すげぇ、好きだった人が……似合うから、入れろって言った……」


 そうされると、よせばいいのに、いやしい唇が寂しい自分の心の形で、勝手を囀り始めてしまった。


「好みになりてぇから、入れて、そんで……でも……ダメだったんだ」

「そうか」

「たまに、抱かれて……たまに、なでてもらって……どんな役目でも、触れてくれるなら……俺はそれで、幸せだったのに、よ……」

「あぁ」

「好きだって言われた、あの日……浮かれて、あの人のとこなんか、行かなきゃよかった……」


 ──裏稼業の男に恋をした。

 長い長い片想い。
 それが実り、都合よく使われるだけだった恋しい相手に〝好きだ〟と言われた。

 だからあの日、浮かれた一斉は男の住処である事務所へ向かったのだ。

 たいそうな目的はない。
 キスを……ねだりに行っただけ。

 触れるだけのそれを貰えればまた、大人しくボロのアパートでいつまでも呼ばれるまで待てをする気で、この一度くらいはと、初めてのワガママを抱えて走った。

 走って、走って、疾く走って。
 幸せだ。やっと愛された。自分はあの人に好いてもらえた。そばにいていいのだ。

 だから──優しいキスを。


『そんじゃ、一斉を佐藤の替え玉にできそうなんスか?』

『おう』


 そうしてフワフワと浮かれた足が事務所のドアの前にたどり着いた時、恋しい男と仲間たちの話声が聞こえてしまった。




感想 53

あなたにおすすめの小説

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開