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大学2年の春、転移者達の現在
余裕の退魔師、東龍太郎
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今日も大学は平和だ。遅刻でもしたのか、足早に講堂に向かう人。カフェテリアのテラス席で、仲良く食事を取る男女。何をするでもなくベンチに座り、ただスマートフォンを眺める人――
春からの新入生がいるということもあり、色んな人の多種多様な生活が交錯するこのキャンパス。東龍太郎は、とても好きな空間だった。それでもほとんどの人はその合間に勉学に勤しんでいるのだから、すごいなぁ、と思う彼。
もっとも、東はあまり多く授業を取ってないから、昨日も今日も二コマずつしかない暇人なのだが。
そんな彼は、自分と同じような暇人が集う、消滅寸前の弱小サークルの部室に向かう途中だ。ある時から土日を除いたほとんど毎日を、そこに集う漫研のメンバーと過ごすようになった東。一体今日は何人集まるだろうかとワクワクしながら、部室棟に向かっている。今日は、疲れを癒しに来ていたのだ。
というのも、彼はつい数日前、突然実家から招集を受けて現場に向かうと、強力な妖力を持った大妖怪が近隣の山で暴れているので、どうにか鎮めて欲しい、と頼まれたのである。
東京郊外の、大学より大分西に位置する町にある東龍太郎の実家は、その筋の人ならば知らぬ者はないとされる程の名家だ。そこで東は、日本でも一二を争うほどの妖怪退治のスペシャリスト集団、東一族の長男として生まれ育ったのだ。
幼い頃から強い霊力を持っていた東は、彼の曾祖父や実の父、外部の講師などから、厳しい修行を強いられてきた。もちろん、彼らも鬼ではないので平時は結構優しかったのだが。
今となっては、幼少の頃の東が今は亡き曾祖父を鬼の仲間なんだと勝手に一人合点し、脅えて家出をしたことも、東は遠いことのように感じていた。
もっとも、実際には鬼というのは意外と気のいい種族であるため、この表現は相応しくないのであるが。
それから東は、中学生の頃に異世界に召喚された。当時の彼は、心底修行しておいてよかったと思ったゆえに、自分を鍛えてくれた家の人間に、初めて感謝したのだ。生き延びることができたのは、向こうでも東の力が通用したのが一番の要因だったからだ。
そして東は山での戦いを振り返る。この間の相手は確かに、わざわざ田舎まで東を呼びつける必要があったレベルの敵だったと。あれは、結構強い力を持った暴れ者で、あまり遭遇することがない程度には強敵だった。そこらの退魔師では、足止めが精一杯だっただろう。
デイダラボッチと呼ばれるソレが暴れるなんて、珍しいこともあるものだ、そういう感想を持った東だが、彼の力を持ってすれば、その大妖怪の怒りを鎮めるのは、特段難しいことではなかった。唯一の無詠唱退魔師と呼ばれる東は、自分の能力に絶対の自信がある。
伊達に異世界で数多の強敵と戦って来ていない。元々地球でもトップクラスの実力があった東は、異世界での戦いで、より磨き抜かれた霊力を手に入れた。あんなのは、ものの数じゃないとは本人談。
とはいえ、そんな彼でも、久しく相手していなかった巨大な体躯を持つ妖怪を完全に鎮めるのには、相応の力を使う必要があったので、確実に疲労は蓄積していた。
しかも、疲弊した東がこちらに戻って来た翌日に部室に入り浸っていると、土田と加藤が格闘ゲームで対戦している所に高梨がやって来た。それからその対戦に参加した彼女は加藤・土田による計略により一方的にボコボコにされ、憤りを見せた。高梨有里沙は元気だ。
もっとも、当然その喧嘩を放っておくわけにもいかず、そんな時には中立的な立場を務めることの多い東は、彼女を宥めるのにすごく苦労した。おまけに妖怪との戦闘で蓄積していた疲労と重なり、少しグロッキーにすらなっていた。
そのため、今日の東が部室に求めるのは平和だ。霊力を使うことも、余計な体力を使うことも、喧騒に巻き込まれることもない。ここは、そういう安寧がある時の方が本来は多い。東はそれに期待していた。
そんな東が様々なことを想起している内に、いつの間にか部室に辿り着いていた。いつもと変わらぬその入口のドアには、『漫画研究会』のプレートが雑に取り付けられている。いい加減直したいと多少思うものの、怠け者だらけの面々は、皆が似たようなことを考えていた。誰かが、やってくれるだろうと。怠け者集団、ここに極まれり。
そして東は、今日は何のトラブルもありませんように、と軽く念じつつドアを開けて一歩を踏み出す。
「おはよう……って、あれ?」
返事がない。東が室内を見渡すと、どうやら誰もいないようだ。誰かがさっきまでいた形跡も見受けられない。
うーん困ったとかぶりを振る東。彼が思うに、確かに一人でここにいても休めることに間違いはないのだが、誰もいないのではマンションにいるのと一緒なのである。彼らの存在がここには重要なのだ。少々参ってしまう東龍太郎。
さて、どうしようかと考えている彼は、ふと、室内に僅かながら、妖気を感じた。
それは東に取って、慣れ親しんだものだ。間違いない、彼女だと確信する。
「いたのかい、座敷童子ちゃん。今は僕しかいないから、出てきても大丈夫だよ」
「ほ、本当か!? よし、出るぞ、イチ、ニの、サン! ほい!」
東が座敷童子ちゃんと呼んだ彼女が変な掛け声を放つと、突如部屋の中心に暗がりが発生し、そこからぬるりと、小さな女の子が出てきた。この娘は、一般に座敷童子と呼ばれている妖怪で、この部室棟に住み着いている。
「久しぶりじゃのう、東の坊主。いつもわしの声を無視しよってからに」
彼女はこのように、古風とでもいうのか、変な言葉遣いをする。そして、僕のことを“東の坊主”とか“東坊”などと呼ぶ。この呼び方は、厳格な人間だった彼の師が東を呼びつける時の呼び名で、修行時代を思い出すからと、東はあまり好きではなかった。
「相変わらず元気だね君は……いいかい? 毎度言うようだけど、僕は退魔師なんだよ。君が変なことをしでかそうもんなら、速攻で消すからね。それだけは覚えておくように」
「わかったのじゃー。それより東坊よ、わしはお菓子が食べたいぞ。持ってはおらんかのう」
「僕の話、聞いてるのかなぁ……」
会うたびに言う毎度おなじみのセリフを繰り出すも、明らかに聞いていない、というより、あまり分かっないのかもしれない。何の警鐘にもなっていないことに、仕方がないかと思う東。
生まれてからそれ程経っていない座敷童子ちゃんは、基本的には部室棟にいるので、あまり世間も知らないのだ。東龍太郎以外の退魔師など、当然出会ったことがなかったのである。
「今なら少し相手してあげられるよ。なにかする?」
「ふむ、それもよいが、ひとまずわしにお菓子を献上するのだ東坊よ。お腹が減って仕方がないのじゃ」
「……いいよ。そこの戸棚にキャラメルが入ってるから食べて」
「わーい」
彼女はこのように、東が一人で部室にいると、必ずと言っていい程やってくる。彼にしか見えないので、初めて会った時からこうなることはなんとなく想像してた東は予想を的中させていた。
それに加えて彼女曰く、ここで誕生してから自分のことが見えるのは、東だけらしい。最初は、お互いがお互いの存在にひどく驚いていたのだが、かれこれ、彼らは三年目の付き合いになる。
「ふむ、美味であるぞ。よくやった東坊。それでは褒美にわしと遊ばせてやろう。けん玉でもするか? それともめんこか? なんなら、将棋でもよいぞ。将棋、したかろう? あの将棋じゃ。ワクワクせんか?」
なるほど、今日の彼女は将棋がしたいようだと、やたらと回りくどく将棋を推してくる彼女に東は思う。素直に言えない子にはちょっとイタズラをしてやろうかなと。ついでに1つ訂正を付け加えて。
「“僕”が、君と遊んであげるんだよ。いいね? それじゃあ、けん玉にしようか」
「むぅ。け、けん玉でもよいが、別に将棋でもよいのじゃぞ。ほれほれ、飛車角落ちにしてやるのじゃ。掛かってくるがよい」
「あ、めんこでもいいよ。いやーめんこなんて、十年はやってなかったから、腕がななっちゃうよー」
「い、いや、東坊よ、めんこはわし、持っとらんのじゃ。ここにもないのじゃろう?さぁ他の遊戯を」
「……将棋がやりたいんだね? わかった、指そうか。用意するから待ってて」
「う、うむ。わしと将棋ができること、感謝するがよいぞ!」
(面倒くさい子だな全く……将棋がしたいなら最初からそう言えばいいのに)
このようなことは何度も彼女としている東は、結局甘い男だった。
結局、その後しばらく将棋で時間をつぶしている内に、東は午後に入っている講義の時間が近づいていることに気付いた。座敷童子ちゃんとは一旦お別れだ。もう一度後で遊んであげるから、と言い残し、その場を去った。
別れ際には、「授業? そんなことどうでもよいからもう一度じゃ! まだ一回もわしが勝っておらぬではないか」などとブーブー文句を言っていたが、全然どうでもよくなかった。
一応東とて学生なので、授業位受けるのである。しかし漫画研究会の面々では、この東が最も授業に出る頻度が高かった。漫画研究会には、大変素晴らしいメンバーが集まっているのだ。
(それにしても、皆今日はどうしたんだろう。誰もいないことなんて滅多にないんだけどな)
明日には、山での大規模な戦闘による余波で、山間部に発生した自然被害の事後処理で再び実家に呼ばれてたいた東。面倒くさいし、みんなに会えないしと、散々だった。意外と寂しがり屋な東龍太郎だった。
実は座敷童ちゃんの相手をして多少癒されていた東だが、結局全然休むことが出来なかったので、仕方がなく講義を真面目に受けた。基礎教養科目など、実はそこそこ学力の高い彼にとっては何の問題もないのである。
そんな東は、ゆったりするためにこの大学を受験したという経緯がある。ここを選んだ主たる要因は、学内の景観と、妖怪の出現頻度であった。他の学生には失礼な話だ。
その後さっさと大学を離れて自宅のマンションまで戻り、珍しく復習などしていた東。彼は実家が太いため、この広々としたマンションに暮らしていた。都内のそれなりに高い土地に建つそのマンションは、彼ひとりには明らかに広すぎるように思われる。
そして、広々とした部屋の端っこに設置した勉強用の机の前に座る彼のその意識は、目の前のレポート課題よりも、漫画研究会と明日の修復作業へと向けられていた。見事なまでの片手間だ。
漫画研究会は、田舎を出て彼が見つけた安息の地なのだ。
こちらに来た当初はその超然とした雰囲気からあまり気軽に触れられることがなかった彼。そんな彼は、発足当初の漫画研究会の二人、加藤と土田に出会ったのだ。
(……いい思い出だね。今日はこんなとこかな。明日は皆くるだろうから、その時に期待しよう)
そして、明日の修復作業に憂鬱になる。彼が行った戦闘による余波は、本人が修復することが不可欠だった。東を含む退魔師が巻き起こした破壊は、それを行った者が行うことで簡単に修復することが可能だからだ。
そんな東が今日はもう寝ようと思った瞬間に、あることを思い出してしまった。
(……あ。座敷童子ちゃんを放置したままだった)
座敷童ちゃんのことを完全に失念していた彼は、次はいつもよりも少しいい菓子を用意してやろうと思うのであった――
――そんな彼を、遠くのビルから監視する怪しい存在がいた。
一瞬その気配を探知した東は窓から周囲景色を見渡す。何も感じられない。
「気のせい、か」
しかしそれは、決して気のせいでも何でもなく、彼を監視する存在がいたのだ。遠くのビルから彼の室内を“肉眼”で確認していた存在は、こんなことを考えていた。
(坊ちゃま、まさか真面目に勉強をなさっているとは……旦那様が聞いたら喜びますぞ)
東を観察するその人間ではない存在は、東の様子を手元の報告書にまとめると、その場を飛び去っていく。一体彼が何者だったのかは、後に判明した段階で東とひと悶着あるのだが……
しかし、それはまた別の話。東は、一応、とマンション周囲に防御結界を展開することで、安心してから眠りについた。
課題は、全然終わっていなかったのだが。
春からの新入生がいるということもあり、色んな人の多種多様な生活が交錯するこのキャンパス。東龍太郎は、とても好きな空間だった。それでもほとんどの人はその合間に勉学に勤しんでいるのだから、すごいなぁ、と思う彼。
もっとも、東はあまり多く授業を取ってないから、昨日も今日も二コマずつしかない暇人なのだが。
そんな彼は、自分と同じような暇人が集う、消滅寸前の弱小サークルの部室に向かう途中だ。ある時から土日を除いたほとんど毎日を、そこに集う漫研のメンバーと過ごすようになった東。一体今日は何人集まるだろうかとワクワクしながら、部室棟に向かっている。今日は、疲れを癒しに来ていたのだ。
というのも、彼はつい数日前、突然実家から招集を受けて現場に向かうと、強力な妖力を持った大妖怪が近隣の山で暴れているので、どうにか鎮めて欲しい、と頼まれたのである。
東京郊外の、大学より大分西に位置する町にある東龍太郎の実家は、その筋の人ならば知らぬ者はないとされる程の名家だ。そこで東は、日本でも一二を争うほどの妖怪退治のスペシャリスト集団、東一族の長男として生まれ育ったのだ。
幼い頃から強い霊力を持っていた東は、彼の曾祖父や実の父、外部の講師などから、厳しい修行を強いられてきた。もちろん、彼らも鬼ではないので平時は結構優しかったのだが。
今となっては、幼少の頃の東が今は亡き曾祖父を鬼の仲間なんだと勝手に一人合点し、脅えて家出をしたことも、東は遠いことのように感じていた。
もっとも、実際には鬼というのは意外と気のいい種族であるため、この表現は相応しくないのであるが。
それから東は、中学生の頃に異世界に召喚された。当時の彼は、心底修行しておいてよかったと思ったゆえに、自分を鍛えてくれた家の人間に、初めて感謝したのだ。生き延びることができたのは、向こうでも東の力が通用したのが一番の要因だったからだ。
そして東は山での戦いを振り返る。この間の相手は確かに、わざわざ田舎まで東を呼びつける必要があったレベルの敵だったと。あれは、結構強い力を持った暴れ者で、あまり遭遇することがない程度には強敵だった。そこらの退魔師では、足止めが精一杯だっただろう。
デイダラボッチと呼ばれるソレが暴れるなんて、珍しいこともあるものだ、そういう感想を持った東だが、彼の力を持ってすれば、その大妖怪の怒りを鎮めるのは、特段難しいことではなかった。唯一の無詠唱退魔師と呼ばれる東は、自分の能力に絶対の自信がある。
伊達に異世界で数多の強敵と戦って来ていない。元々地球でもトップクラスの実力があった東は、異世界での戦いで、より磨き抜かれた霊力を手に入れた。あんなのは、ものの数じゃないとは本人談。
とはいえ、そんな彼でも、久しく相手していなかった巨大な体躯を持つ妖怪を完全に鎮めるのには、相応の力を使う必要があったので、確実に疲労は蓄積していた。
しかも、疲弊した東がこちらに戻って来た翌日に部室に入り浸っていると、土田と加藤が格闘ゲームで対戦している所に高梨がやって来た。それからその対戦に参加した彼女は加藤・土田による計略により一方的にボコボコにされ、憤りを見せた。高梨有里沙は元気だ。
もっとも、当然その喧嘩を放っておくわけにもいかず、そんな時には中立的な立場を務めることの多い東は、彼女を宥めるのにすごく苦労した。おまけに妖怪との戦闘で蓄積していた疲労と重なり、少しグロッキーにすらなっていた。
そのため、今日の東が部室に求めるのは平和だ。霊力を使うことも、余計な体力を使うことも、喧騒に巻き込まれることもない。ここは、そういう安寧がある時の方が本来は多い。東はそれに期待していた。
そんな東が様々なことを想起している内に、いつの間にか部室に辿り着いていた。いつもと変わらぬその入口のドアには、『漫画研究会』のプレートが雑に取り付けられている。いい加減直したいと多少思うものの、怠け者だらけの面々は、皆が似たようなことを考えていた。誰かが、やってくれるだろうと。怠け者集団、ここに極まれり。
そして東は、今日は何のトラブルもありませんように、と軽く念じつつドアを開けて一歩を踏み出す。
「おはよう……って、あれ?」
返事がない。東が室内を見渡すと、どうやら誰もいないようだ。誰かがさっきまでいた形跡も見受けられない。
うーん困ったとかぶりを振る東。彼が思うに、確かに一人でここにいても休めることに間違いはないのだが、誰もいないのではマンションにいるのと一緒なのである。彼らの存在がここには重要なのだ。少々参ってしまう東龍太郎。
さて、どうしようかと考えている彼は、ふと、室内に僅かながら、妖気を感じた。
それは東に取って、慣れ親しんだものだ。間違いない、彼女だと確信する。
「いたのかい、座敷童子ちゃん。今は僕しかいないから、出てきても大丈夫だよ」
「ほ、本当か!? よし、出るぞ、イチ、ニの、サン! ほい!」
東が座敷童子ちゃんと呼んだ彼女が変な掛け声を放つと、突如部屋の中心に暗がりが発生し、そこからぬるりと、小さな女の子が出てきた。この娘は、一般に座敷童子と呼ばれている妖怪で、この部室棟に住み着いている。
「久しぶりじゃのう、東の坊主。いつもわしの声を無視しよってからに」
彼女はこのように、古風とでもいうのか、変な言葉遣いをする。そして、僕のことを“東の坊主”とか“東坊”などと呼ぶ。この呼び方は、厳格な人間だった彼の師が東を呼びつける時の呼び名で、修行時代を思い出すからと、東はあまり好きではなかった。
「相変わらず元気だね君は……いいかい? 毎度言うようだけど、僕は退魔師なんだよ。君が変なことをしでかそうもんなら、速攻で消すからね。それだけは覚えておくように」
「わかったのじゃー。それより東坊よ、わしはお菓子が食べたいぞ。持ってはおらんかのう」
「僕の話、聞いてるのかなぁ……」
会うたびに言う毎度おなじみのセリフを繰り出すも、明らかに聞いていない、というより、あまり分かっないのかもしれない。何の警鐘にもなっていないことに、仕方がないかと思う東。
生まれてからそれ程経っていない座敷童子ちゃんは、基本的には部室棟にいるので、あまり世間も知らないのだ。東龍太郎以外の退魔師など、当然出会ったことがなかったのである。
「今なら少し相手してあげられるよ。なにかする?」
「ふむ、それもよいが、ひとまずわしにお菓子を献上するのだ東坊よ。お腹が減って仕方がないのじゃ」
「……いいよ。そこの戸棚にキャラメルが入ってるから食べて」
「わーい」
彼女はこのように、東が一人で部室にいると、必ずと言っていい程やってくる。彼にしか見えないので、初めて会った時からこうなることはなんとなく想像してた東は予想を的中させていた。
それに加えて彼女曰く、ここで誕生してから自分のことが見えるのは、東だけらしい。最初は、お互いがお互いの存在にひどく驚いていたのだが、かれこれ、彼らは三年目の付き合いになる。
「ふむ、美味であるぞ。よくやった東坊。それでは褒美にわしと遊ばせてやろう。けん玉でもするか? それともめんこか? なんなら、将棋でもよいぞ。将棋、したかろう? あの将棋じゃ。ワクワクせんか?」
なるほど、今日の彼女は将棋がしたいようだと、やたらと回りくどく将棋を推してくる彼女に東は思う。素直に言えない子にはちょっとイタズラをしてやろうかなと。ついでに1つ訂正を付け加えて。
「“僕”が、君と遊んであげるんだよ。いいね? それじゃあ、けん玉にしようか」
「むぅ。け、けん玉でもよいが、別に将棋でもよいのじゃぞ。ほれほれ、飛車角落ちにしてやるのじゃ。掛かってくるがよい」
「あ、めんこでもいいよ。いやーめんこなんて、十年はやってなかったから、腕がななっちゃうよー」
「い、いや、東坊よ、めんこはわし、持っとらんのじゃ。ここにもないのじゃろう?さぁ他の遊戯を」
「……将棋がやりたいんだね? わかった、指そうか。用意するから待ってて」
「う、うむ。わしと将棋ができること、感謝するがよいぞ!」
(面倒くさい子だな全く……将棋がしたいなら最初からそう言えばいいのに)
このようなことは何度も彼女としている東は、結局甘い男だった。
結局、その後しばらく将棋で時間をつぶしている内に、東は午後に入っている講義の時間が近づいていることに気付いた。座敷童子ちゃんとは一旦お別れだ。もう一度後で遊んであげるから、と言い残し、その場を去った。
別れ際には、「授業? そんなことどうでもよいからもう一度じゃ! まだ一回もわしが勝っておらぬではないか」などとブーブー文句を言っていたが、全然どうでもよくなかった。
一応東とて学生なので、授業位受けるのである。しかし漫画研究会の面々では、この東が最も授業に出る頻度が高かった。漫画研究会には、大変素晴らしいメンバーが集まっているのだ。
(それにしても、皆今日はどうしたんだろう。誰もいないことなんて滅多にないんだけどな)
明日には、山での大規模な戦闘による余波で、山間部に発生した自然被害の事後処理で再び実家に呼ばれてたいた東。面倒くさいし、みんなに会えないしと、散々だった。意外と寂しがり屋な東龍太郎だった。
実は座敷童ちゃんの相手をして多少癒されていた東だが、結局全然休むことが出来なかったので、仕方がなく講義を真面目に受けた。基礎教養科目など、実はそこそこ学力の高い彼にとっては何の問題もないのである。
そんな東は、ゆったりするためにこの大学を受験したという経緯がある。ここを選んだ主たる要因は、学内の景観と、妖怪の出現頻度であった。他の学生には失礼な話だ。
その後さっさと大学を離れて自宅のマンションまで戻り、珍しく復習などしていた東。彼は実家が太いため、この広々としたマンションに暮らしていた。都内のそれなりに高い土地に建つそのマンションは、彼ひとりには明らかに広すぎるように思われる。
そして、広々とした部屋の端っこに設置した勉強用の机の前に座る彼のその意識は、目の前のレポート課題よりも、漫画研究会と明日の修復作業へと向けられていた。見事なまでの片手間だ。
漫画研究会は、田舎を出て彼が見つけた安息の地なのだ。
こちらに来た当初はその超然とした雰囲気からあまり気軽に触れられることがなかった彼。そんな彼は、発足当初の漫画研究会の二人、加藤と土田に出会ったのだ。
(……いい思い出だね。今日はこんなとこかな。明日は皆くるだろうから、その時に期待しよう)
そして、明日の修復作業に憂鬱になる。彼が行った戦闘による余波は、本人が修復することが不可欠だった。東を含む退魔師が巻き起こした破壊は、それを行った者が行うことで簡単に修復することが可能だからだ。
そんな東が今日はもう寝ようと思った瞬間に、あることを思い出してしまった。
(……あ。座敷童子ちゃんを放置したままだった)
座敷童ちゃんのことを完全に失念していた彼は、次はいつもよりも少しいい菓子を用意してやろうと思うのであった――
――そんな彼を、遠くのビルから監視する怪しい存在がいた。
一瞬その気配を探知した東は窓から周囲景色を見渡す。何も感じられない。
「気のせい、か」
しかしそれは、決して気のせいでも何でもなく、彼を監視する存在がいたのだ。遠くのビルから彼の室内を“肉眼”で確認していた存在は、こんなことを考えていた。
(坊ちゃま、まさか真面目に勉強をなさっているとは……旦那様が聞いたら喜びますぞ)
東を観察するその人間ではない存在は、東の様子を手元の報告書にまとめると、その場を飛び去っていく。一体彼が何者だったのかは、後に判明した段階で東とひと悶着あるのだが……
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